【閑話01】 フリーデリーケの寝物語(1)
ドイツ貴族であるカムチェスター家は、世間一般に知られていない『裏の顔』を持っている。
といっても別に、非合法組織に関わっているわけではない。
ただ少しだけ、人とは違う能力を有しているだけである。
それを世間に知られないよう、注意深く生きているのだ。
「お父様、おかえりなさい!」
「やあ、フリーダ。いい子にしてたかな……ぐはっ!」
玄関を開けて入ってきたクリストフに、フリーデリーケ(七歳)は抱きつい……背が足らず、腰のあたりに頭突きをしてしまった。
「お父様、お疲れですか?」
「…………」
口を開けて酸欠のように喘ぐクリストフに、フリーデリーケは小首を傾げながら尋ねた。
「あなた、おかえりなさ……どうなさったの?」
頽れたクリストフを目にして、ヴァルトリーテもまた首をかしげる。
揃って同じ格好をしている様は、いかにも親子である。
「だ、大丈夫だ……ちょっ、ちょっと……疲れが溜まってね」
「まあ、今回の遠征は、お疲れだったのですね。どうぞ、こちらで休んでくださいな」
事情を知らないヴァルトリーテは、クリストフを立たせ、居間へ連れて行く。
「そ、そうだね……ハハハ」
前屈みになりながらヨロヨロ歩くクリストフの後ろをフリーデリーケがニコニコと付いていった。
夕食前。
クリストフがフリーデリーケの部屋を覗きにいくと……。
「絵本を読んでいたのかい、フリーダ」
「はい、お父様」
ベッドにうつ伏せになり、絵本を広げていたフリーデリーケが振り向いた。
「なんの絵本だい?」
「栄光なる十二人魔導師のお話です」
「……?」
栄光なる十二人魔導師とは、自分たちの祖先のことだ。
だが、絵本になるとはどういうことか?
クリストフが首を傾げていると、ヴァルトリーテがそっとやってきた。
「最近テレビで放映している日本アニメの本ですよ。魔女っ子が出てくるので、栄光なる十二人魔導師にみえるのでしょう」
「ああ、なるほど……フリーダは魔法使いに興味があるのかい?」
「もちろんです、お父様。だってカムチェスター家は、代々魔法を使って、人々を守ってきたのですから」
「そうだね。フリーダも大きくなったら、その魔法使いになるんだよ。できるかい?」
「もちろんです、お父様」
「いい子だ」
クリストフは、幼いフリーデリーケの頭を撫でた。
その日の夜。
フリーデリーケはベッドに入った。フリーデリーケの隣には父親がいる。
本来寝室は別だが、クリストフが家にいるときはいつも、フリーデリーケが寝入るまで一緒にいてくれる。
「あのですね、お父様」
「なんだい、フリーダ」
「栄光なる十二人魔導師はどうして、魔界で魔導船を見つけることができたのでしょう? だって魔界は、とても広くて複雑なんでしょ?」
「私たちの祖先が、魔導船を見つけたのは……おそらく偶然だろうね」
「偶然なのですか?」
意外なことを言われたからか、フリーデリーケは、目をパチクリとさせた。
「そこに魔導船があると分かって、魔窟を抜けていったのではないだろうね。だけど、それをなし得る力があったのは事実だ。栄光なる十二人魔導師の方々は、いまでは考えられないくらい強い力を持っていたんだよ」
「私たちは、その子孫なのですね」
「そうだね」
「私たちには、栄光なる十二人魔導師のような力はないのですか?」
フリーデリーケの真摯な声に、クリストフはどう答えていいか悩む。
いい加減な回答をするわけにはいかないと思い、しばし考えたあと、口を開いた。
「おそらくだけどもう、栄光なる十二人魔導師の方々が持っていた力を得ることは不可能だろうね」
「どうしてですか?」
「それに答えるには、とても難しい話をしなけれないけないんだよ、フリーダ。だから少し、別のことを話してあげよう。一四〇〇年頃……いまから六百年くらい昔かな、カムチェスター家の者が書き残した文献がある」
「すごく昔ですね」
「そうだね。それによると、当時の魔法使いたちのほとんどが、空を飛べたらしい」
「わあ、すごいです!」
無邪気に喜ぶフリーデリーケに、クリストフは苦笑した。
「昔話では、魔法使いや魔女はホウキに乗って空を飛ぶよね? あれは完全に想像のできごとじゃなかったんだ。魔法使いは空を飛べる。当時、それを見た人たちが大勢いたんだろうね」
古くから伝わる魔法使いの伝承は真実なのだとクリストフは言った。
それゆえ、フリーデリーケは夜だというのに、目を輝かせて父親を見る。
「昔の魔法使いたちは、みんな空を飛べたのですね! ……あれ? だけどいま」
「そう。気付いたね。いまの魔法使いは空を飛べない。つまり六百年経つ間に、魔法使いの力は、こんなにも弱くなってしまったんだ。それでもね、フリーダ」
「……はい、お父様」
「栄光なる十二人魔導師の力は、そんな大昔の魔法使いよりよっぽど強いんだ。これはどういうことだか分かるかな?」
「えっと……代を重ねるごとに、だんだん力が弱くなった?」
「そうだね、正解だ。よく分かったね」
「ふふっ……あれ? でもどうして、力が弱くなったんでしょう?」
「原因は、生活が便利になって、人々が楽をできるようになったからかな? 闇を怖れる必要がなくなったかわりに、闇を払う魔法が必要なくなったように……魔法は必要とされなくなったんだと思う」
「そうなのですか? 力を強くするには、生活が便利になってはいけないのですか?」
「かもしれない。もし、栄光なる十二人魔導師たちが暮らしていたような生活に戻したとして、六百年前の魔法使いの力を得るのに、どのくらいかかるだろうね。もしかすると、六百年の倍は必要かもしれない」
「六百年の倍って?」
「千二百年だよ」
フリーデリーケは目を見開いた。
「それは大変です、お父様」
「そう、大変なんだ。もし現代の魔法使いが、栄光なる十二人魔導師のような力を得ようとしたら、いったい何千年かかるか分からない。今の時代に、大昔の暮らしをすることはできるが、それを続けて、大昔の魔法使いの力を得ることはかなり大変だろうね。何代、何十代にもわたって続けることもできないと思う」
「だからお父様はさっき、栄光なる十二人魔導師の力を得ることは不可能と言ったのですね」
「そうだよ。いまの時代に生きている魔法使いは、いまの時代に合った魔法使いになるべきだと私は思っている。昔は昔だ。栄光なる十二人魔導師たちは、その時代の頂点で、私たちが成り代われるものではないと思っていれば、いいんじゃないかな」
「分かりました、お父様。……それで、栄光なる十二人魔導師の方々は、どうやって魔導船を手に入れたんですか?」
とても気になりますと、フリーデリーケは言った。
「もう遅いから、その話は明日の夜だね。今日はもう寝なさい」
「はい、お父様」
クリストフに頭を撫でられて、フリーデリーケは目を瞑った。
「いい子だ。おやすみ、フリーダ」
「おやすみなさい、お父様」
カムチェスター家の夜は、こうして更けていった。