003 断れぬ筋からのお願い
これはのちに、『英雄魔導船』と呼ばれるようになる一隻の魔導船と、それにまつわる人々の物語です。
祐二は、受け取った名刺を見た。
公益財団法人『統括会』職員比企嶋慶子としっかり書かれている。
公益財団法人はNPO法人と違って、かなりしっかりした組織でないと名乗れない。
いぶかしげに名刺を眺めていると、母親がニコニコして言った。
「祐二、あなた当たったんですって。良かったわね」
「……はい?」
懸賞に応募した記憶はない。
「お母様、ここは私がご説明いたします」
「そうだったわね。邪魔しちゃ悪いわよね」
母親の機嫌がすこぶるよい。
「厳正なる抽選の結果、祐二様は国家特別推薦枠に当選されました」
「……はあ?」
一体何のことか分からない。
というか、真顔で詐欺師みたいなことを言ってきた。
「叡智大……ひと昔前は、叡智の力大学と呼んでおりましたが、そこへの入学が決定しました」
「そうよ、祐二。大学に入れるんですって。良かったわね」
「叡智大というと……あの外国の?」
「そうです。正式名称は『ウィズダム・フォース・ユニバーシティ』になります。しかも国の特別推薦ですから、渡航費はもちろんのこと、四年間分の学費や滞在費はすべて、国が負担いたします。祐二様は身一つで来ていただければいいのです」
「ちょっ、ちょっと待ってください。叡智大って、俺はまだ高校二年生になったばかりですよ。大学進学までまだ一年以上あるじゃないですか。それに俺、英語できません!」
「ご安心ください。オプションとして、向こうで使われる英語とドイツ語の特別講師をすぐにでもおつけします。こちらのオプション費用も、ご負担の必要はありません。すべて当方でご用意いたします」
あまりな内容に、祐二は混乱する。
大学の学費だけでなく、滞在費や渡航費まで負担するというのだ。
しかも語学学習の講師まで、無料で用意してくれるという。
この話、あまりにおいしすぎる。だからこそ祐二は警戒した。
「なぜ俺なんですか? 抽選に当たったというのは嘘ですよね。何が目的なんですか?」
「いえいえ、嘘など申しておりません。祐二様は間違いなく選ばれたのです」
「すみませんが、俺の将来は俺が決めます。いくら叡智大でも、自分に合わないところなら、行く気はないですから」
そう啖呵を切ったが、内心はビクビクだった。
もし叡智大が、祐二の知っている通りのあの叡智大ならば、自分は相応しくない。
どんなに努力しても、向こうで絶対に苦労する。祐二は落ちこぼれ、多くの人を失望させるだろう。
「そうですか……考える時間が必要ということですね。本日はここまでにいたしましょう」
「あら、帰ってしまいますの?」
「また来ます、お母様。それでは、祐二様もまた」
そう告げて、比企嶋は去っていった。
「祐二、いい話じゃないの。とくにお金がかからないなんて最高だわ。なんで断ったの?」
「だってなんか……ものすごく胡散臭かったし」
三流の詐欺師でも、もう少し現実味のある話をもってくる。
祐二はそう思った。
夕食時、話題の中心は祐二の当選についてだった。
両親は大賛成で、妹は反対。
いわく「自分が選ばれないのに、お兄ちゃんが選ばれるわけがない!」と、感情的な部分で反対している。
兄の健一は、コンパで不在。
健一の場合、目標の大学に一年浪人してまで通ったので、抽選に当たって叡智大に通えるなんて知ったら、どう反応していいか分からず、踊り出すのではなかろうか。
夕食後、祐二は早々に部屋に戻った。
「……調べれば調べるほどヤバいな、これ」
祐二はまず、名刺に書かれている法人名や所在地をネットで検索した。
たしかに統括会という公益財団法人は存在するし、東京支店の住所も合っている。
次に叡智大を調べたが、これはもう、ヤバいを通り越していた。
まず入試の倍率がおかしい。
どの学部でも平均で三十倍を超えていた。
叡智大は、世界中から優秀な頭脳が集まっている。
倍率三十倍ということは、そんな彼らの大部分が、入学を許されないのだ。
そこに祐二が抽選で選ばれたなど、何の冗談だろうか。
加えて、卒業生の進路がヤバい。
「ゴランの幹部は、みな叡智大出身なのか……」
驚いたことに叡智大は、巨大企業ゴランが百パーセント出資してできた大学だった。
ゆえに卒業生のほとんどが、ゴランに就職する。
というか、そのために学生が叡智大へ集まっているといえる。
新卒の年収が軒並み一千万円を越えていた。
叡智大卒の人間は、最初からゴランで幹部候補生の扱いである。
どんな倍率だろうが、人が集まるはずである。
最後に学費がおかしい。
一年間にかかる総費用は、日本の私立大学の学費四年分よりも多かった。
叡智大は、地中海に浮かぶケイロン島にあるため、島での生活費も含まれているからだが、授業料も目が飛び出るほど高い。
ケイロン島のすべてが叡智大のために存在し、学生全員が島内に暮らしている。
校舎は新しく、最新設備が導入され、学ぶ環境は完璧に整っている。
そこで四年間も学べるなんて、どれほど素晴らしいことか。
祐二が色々と調べたところ、いくつかの途上国では、叡智大に合格した者を国家奨学生として遇しているようだ。
個人ではとても学費を払えないからだ。
そんな大学に「当選しました」と告げられても、騙されているのではと疑うのは当然のこと。
ゆえに祐二は、学校に行っても、このことは誰にも話さなかった。
あのキャリアウーマン風の女性については、詐欺師か、どこぞの動画投稿者がしくんだドッキリではないかと考えたのである。
数日が過ぎた。
祐二は、比企嶋と名乗ったあの女性のことをすでに忘れていた。
――ピーンポーン
夜の九時を回ろうかという時間帯に、家のチャイムが鳴った。
「はーい」
母親が出て行く。
父親は風呂上がりのステテコ姿のまま、台所でビールを飲んでいる。
「あらあら、どうしましょう」
玄関口で母親の戸惑う声が聞こえてきた。
父親が「おい、どうした?」と声を張り上げた。
時間も時間である。父は不穏なものを感じたようだ。
「母さん、なんなんだ」と、玄関に向かった父の「げぇ」という声が聞こえた。
リビングでテレビを見ていた祐二は、そっとボリュームを下げた。
玄関の方から、人の話声が複数聞こえる。父が相手をしているらしいが、どうにも困った声色だ。
「祐二、あなたにお客さんよ」
母親が神妙な顔で戻ってきた。
「やあ、やあ。どうもどうも、君が祐二君かね」
母親の後ろから五十代後半の男性が現れた。しかも二人。
「はい……そうで、えっ!?」
祐二は絶句する。
テレビで見たことある顔だった。
国会中継やニュースのインタビューでよくでてくる顔が二つ、並んでいる。
「衆議院議員の立浪です。官房長官をしているけど、知っているかな」
「はい……存じ上げております」
「そうか、自己紹介の手間が省けたな。こっちは外務大臣の横溝くんだ」
「横溝です。今回は祐二君を説得してくれと頼まれて来たんだ」
官房長官と外務大臣が揃って、なぜか祐二の家にやってきた。
大臣二人の登場に、父親はステテコ姿のまま呆けてしまった。
父は区役所の職員。同じ公務員とはいえ、相手が代議士――しかも大臣ときては、身分に天と地ほどの開きがある。
「ど、ど、ど、ど……」
父親が我に返って声をあげるも、日本語になっていない。
「ああ、お父さん、お構いなく。こっちで勝手に話を進めますので。というわけで祐二君、いま話した通りなんだが、ぜひともわが国の代表として、叡智大へ入学してくれないだろうか」
「私からも伏してお願いする」
祐二を前にして、大臣二人が揃って頭を下げた。
場が凍るとは、まさにこのこと。
まさかの事態に、父親は完全に固まってしまった。再起動は当分できそうにない。
「あ、頭をあげてください。分かりました、分かりましたから! ……どうかそれは、やめてくださいっ!」
祐二は必死に叫ぶ。
国政を司る大臣二人に頭を下げられて、平静でいられるほど、祐二の肝は太くない。
「そうか。それは良かった。なあ、横溝くん」
「ええ、これで国の面目が保てますな。私らで駄目なら、総理に来てもらうしかないと考えていたが、いやよかった」
にこやかに談笑する二人に、祐二は気が遠くなった。
もし断っていたら、国政の最高権力者が説得にやってくる未来が待っていたようだ。
「あの……」
「うむ、決断してくれたからには、国も全力を尽くそう。たしか語学に不安があるという話だったな。最高の講師陣を手配するよう、私が直々に声をかけさせてもらう。横溝くん、この場合、どこをプッシュすればいいだろうか」
「文科省の尻を叩いて、手持ちで最高のカードを吐き出させましょう。なに、多少高くつくが、その方が勉強に身が入る」
「普通で! 最高じゃなく、普通でお願いします! 本気で普通を希望します!」
「そうか? 高い方が優秀だし、何としてでも学ばねばって気になるんだぞ。横溝くんなら、時給一万の講師でも呼び寄せられるだろう? そうだよな」
「うむ、まったく問題ない」
「いえもう、そんな……時給三千とかで十分です」
時給三千円。
それなら家庭教師の平均か、少し高いだけのはずだ。祐二はそう思って提案した。
「ふむ……案外、欲がないな。費用はどうせ国が持つのだぞ」
「いまの学生はそういうものだよ」
「そうか、では時給三千ドルで、最高の者を連れてくればいいわけだ」
「……………………えっ? ドル!?」
いまドルと言っただろうか。聞き間違いではなかろうか。
これは聞き返すべきか、聞かなかったことにすべきか。
祐二が悩んでいる間に、二人は仕事が終わったとばかり、上機嫌で帰っていった。
結局、手配される家庭教師の時給がいくらなのか、祐二は確認することはできなかった。