026 ようこそ魔界へ
半径がおよそ百キロメートルの半球を想像してほしい。
それが魔界である。
ボールを半分に切った上部をイメージすれば分かりやすい。
もっとも、天辺は潰れていると推測される。
いかな魔導船といえども、そこまで到達することはできないし、到達するつもりもない。
「ユージさん、英語風に言えば『ようこそ魔界へ』……かしら。ここは魔界の中心部にあるシナイ山の中腹よ」
およそコンピューターで一番出力されたと思われる言葉の亜種を使って、ヴァルトリーテは祐二を歓迎した。
ここは、魔界門を抜けた先にある魔界。
祐二は、ヴァルトリーテとともに、はじめてここに降り立ったのだ。
「ここが魔界なんですね。あれ? この足元のモヤは……?」
薄紫色したものが、まるで雲のようにゆったりと足元を流れている。
ヴァルトリーテが手をかざすと、それが霧散した。
少しすると、薄紫色のモヤはまたゆっくりと合わさりはじめた。
「変わった動きをするでしょ? これは変質した魔素だと考えられているわ。魔素は魔界の大気中に満ちているのだけど、それが変質すると、このように色がついて、ゆっくりと下に溜まっていくみたいね。ここからだと分からないけど、魔界の地面は全部これに覆われているのよ」
「そうなんですか……へえ」
祐二が真似して紫色のモヤを手で払うと、簡単に霧散した。
「目には見えないけど、魔界には魔素が充満していて、目に見えるこの足元のモヤは神秘の霧と呼んでいるわ」
「薄紫色したモヤを通して景色が見えるなんて、なんか幻想的ですね」
「そう? 歩きながら説明するわね。ここは魔界の中心で、どの方角にでも百キロほど進むと壁にぶつかるの」
「魔界に壁があるんですか?」
「ええ、それも概念的な壁で、破壊は不可能。それ以上は進めないの。ただし壁には魔窟と呼ばれる穴がいくつも空いているの。穴の真下に石柱を刺して数えたところ、この魔界には、全部で八十七の魔窟が確認されたわ」
「壁に穴……ですか。もしかして、その穴はどこかに繋がっていたりします?」
「ええ、その通りよ。魔窟の先にも、ここと同じような魔界があるの」
「魔界って一つじゃないんですね。……あれ? その魔界にも魔窟ってあるんですか?」
ヴァルトリーテはゆっくりと頷いた。
「魔窟を抜けた先にある魔界にも、多くの魔窟があるわ。その魔窟を抜けた先にもまた魔界があるの」
「ということは……魔界は無数にあるってことですよね」
「もう、千年以上の長きにわたって調べているけど、魔界の総数は不明ね」
「マジですか……」
祐二は絶句した。魔窟の先には魔界が存在し、そこにも同じように魔窟があるらしい。
「宇宙にある星と同じで、魔界は有限だとは思う。ただ、数えきることは不可能だと考えられているわ」
「それはそうですよね」
魔窟の先すべてに魔界があるのならば、指数関数的に増えていくのだ。
数えきれるものではない。
「だから迷子にならないように、魔窟の下には必ず石柱を刺すようにしているの。石柱の頭には番号が振ってあって、それが魔窟の名前になっている感じね」
「名前? どういうことですか?」
「1番の石柱に対応する魔窟を潜った先が、1番魔界になるわけ。ちなみにここは0番魔界ね。番号をつけないで、ただ魔界とだけ言うときは、ここの0番魔界を指すと覚えておいてね」
「0番魔界ですか……穴は八十七個あるんですよね」
「そうよ。このゼロ番魔界から行ける魔界は全部で八十七個。ひとつの魔界にある魔窟の数は、だいたい六十個から九十個くらいね。ここで質問よ。17-38番魔界と言われたら、どんな魔界を想像する?」
「ええっと……ここから17番魔界へ行って、そこから38番魔界へ行った……でいいんですか?」
「その通りよ。ちなみに、魔界と魔窟のつながりを地図にしているけど、ぜんぜん完成しないの」
千年かけても完成しない地図……それは途方もない作業ではなかろうか。
「調査に千年以上かけるなんて、すこい根気ですよね」
ヴァルトリーテは多少困ったように笑った。
「私たちは、栄光なる十二人魔導師が魔導船を見つけた魔界を今も探し続けているのよ」
そこは『はじまりの地』と呼ばれ、魔界をいくつか抜けた先に必ずあるのだという。
「場所が分かってないのですか?」
「残念ながらね。大昔の記録では、いくつも魔界を通り抜けた先にあるとだけ」
ひとつの魔界に六十から九十もの穴があるのだ。
調査する魔界の数は何万どころの騒ぎではない。
ヘタをすると何十億のレベルになってしまう。
「その『はじまりの地』を千年もかけて探し続ける必要があるんですか?」
「それがあるのよ。栄光なる十二人魔導師たちは、その魔界で建物と魔導船を発見したの。建物は動かせないから、魔導船だけ持ち帰ったみたいね。あとでもう一度行ってみたら、その魔界か、途中の魔界か分からないけど、魔蟲が溢れていたらしいわ」
魔蟲とは、侵略種と呼ばれる概念体のことだ。
魔蟲の動きは予想できず、ときどきこの魔界にもやってくるらしい。
「つまりもう、そこへは行けないと?」
「栄光なる十二人魔導師たちは、魔蟲の排除を諦めたみたい。けど、魔蟲がずっとそこにいるとは考えていないの」
「つまり、いまならその『はじまりの地』へ行ける可能性があると?」
ヴァルトリーテは頷いた。
「建物と魔導船がそこあったということは、きっと同じ種族がかかわっているはずよね」
「そうですね。まったく違う存在が他にいると考える意味はありませんし」
「私たちはその種族をガイド人と呼んでいるわ。導く者という意味を込めてね」
「ガイド人ですか」
「栄光なる十二人の魔導師たちが見つけた魔導船は、侵略種と戦うために作られたと思っているの。そのための機能が満載だし」
「なるほど」
「じゃあ、その建物はなんだと思う?」
「ガイド人の住居……とかですか?」
ヴァルトリーテは首を横に振った。
「断片的な情報しか残っていないけど、侵略種の侵攻を完全に終わらせる方法がそこにあったみたいなの。でもそれを見たのは、栄光なる十二人魔導師たちだけ。そしてあえて、詳しい話を後世に残さなかった……」
「えっ? それはなぜですか?」
「残さなかった理由は諸説あるのだけど……っと、この話はまた今度にしましょう。今日は魔導船を励起させに来たのだから」
「そうでしたね。それで魔導船を励起させるには、どうすればいいんですか?」
「ブリッジの所定の場所に魔導珠を設置して、ユージさんが魔力を流せば大丈夫よ」
魔導船を動かす魔力と祐二の魔力が同一であれば、あとは魔導船が勝手にやってくれるという。
「分かりました」
魔導船に乗り込むメンバーを選出し、ヴァルトリーテが搭乗ハッチを開けた。
どうやら休眠中であっても、最低限の動きだけはできているらしい。
もっともそれを可能とするのは、副船長権限を有している者だけらしいが。
「ブリッジは魔導船の心臓部で、選ばれた人しか入れないわ。乗組員は、そのすぐ下の操舵室にいることになるわね」
「そうなんですか」
実際に行ってみるとわかったが、ブリッジはステージの壇上のように一段高くなっており、一般の乗組員がいるところは、観客席側のように低くなっていた。
操舵室からブリッジに向かったのは、祐二とヴァルトリーテのみ。
今回、魔導船を励起させるだけであるため、大人数は必要なかった。
カムチェスターの一族は、魔導船の中に入らず、ドックで待機である。
「ユージさん、手をここにかざして、魔力を流してみて」
「はい」
ヴァルトリーテは、魔導珠を所定の場所に設置した。
「これで準備は万端よ。あとはユージさんが起動させるだけ」
「分かりました」
祐二がパネルに手をかざすと、魔力が勝手に吸い取られる感じがした。
魔導珠に初めて触れたときと同じである。
――ウィイイイイイイン
「目覚めたわ」
計器類に光が灯っていく。
「あっ、繋がった感じがします」
「所有者の変更が終わったのね」
ガクンと船体が揺れた。
「ヴァルトリーテさん、これは!?」
「魔導船が形を変えようとしているの」
「……?」
「主人が船長だったときは、しなやかに動き、とても小回りの利く移動に特化した船だったわ。外見の特徴とその動きから、『黒猫』と名付けたの。けど、これはユージさんの船になったのだから、それに相応しい形に変形していくのよ」
「船が勝手に姿を変えるんですか?」
「ええ、栄光なる十二人魔導師が持ち帰った魔導船はみなそうよ。そして船長は好きな名前を船につけるの。ユージさんは、この船にどんな名前をつけるのかしら」
「急に言われても思いつきませんよ。それよりこの振動、いつ収まるんですか?」
「変形が終わったらじゃないかしら」
最初の頃のような大きな揺れはなくなったものの、小刻みな振動はいまも続いている。
振動がなくなったのは、動き始めてたっぷり十五分が経過してからだった。
「揺れも収まったし、みなのところへ戻りましょう」
「はい」
魔導船が勝手に変形するという話に驚いたが、いまのところ、船の内部はあまり変わったようには見えなかった。
祐二とヴァルトリーテは、みなの待つドックへ向かった。
本文に出てくる謎や伏線は、完結までには回収されます。
「これはどうなるのかな?」など、展開を予想しながら読み進めるのも楽しいかも知れません。
感想欄に予想を書いても、先を読めば分かる部分は回答しませんので、返信にネタバレが載ることはありません。安心してください。
それでは引き続き、よろしくお願いします。