025 いざ魔界へ
ホールに集まった者たちは、全員がカムチェスター家の下で働いている。
この前屋敷に来たメンロースの姿もある。
「全員の自己紹介は今度にしましょう。代表的な人だけ紹介するから、覚えてね」
「分かりました」
「先代から副船長権限を与えられた人たちを紹介するわ。アルザス家のハロルトと、ユンガー家当主の妻のアンジェルよ」
呼ばれた二人は一歩進み出て、祐二に敬礼をする。
ハロルトの父親が、アルザス家当主であるメンロースらしい。
祐二も無言で会釈する。
「二人とも、一定以上の魔力を持っていて、なおかつ経験豊富よ。魔界で頼ることがあるかもしれないわ」
船長がいないとき、この副船長権限を持つ者が魔導船を動かすこともある。
つまり、船長に準じる力があると判断される。
フリーデリーケやユーディットも歳を経て経験を溜めれば、この地位に就くのだろう。
祐二はそんなことを思った。
「次は中型船を操る四人かしら。ヤスミン、ジャコ、ララ、ルイーズ、前に出て」
ヤスミンは壮年の男性で、ジャコはまだ若く、二十代後半くらいの男性だった。
ララとルイーズは姉妹なのか、よく似ている。
ともに三十代半ばほどの女性だ。
中型船といっても侮ってはいけない。
叡智大でいえば、Aクラスの上位に入る魔力を有していないと、船を動かすことができないのだ。
「小型船は十七人いるけど、ちょっと覚えられそうもないわね。他はまたの機会にしましょう」
「ヴァルトリーテ様、魔導珠の運び込みが終わったと報告がありました」
「そう。じゃ、このまま魔界へ行きましょう」
祐二たちが出発する前、叡智の会の者たちがやってきて、魔導珠を運び出していった。
魔導珠は少量ずつ、複数のルートで運んでいた。
次々と人がやってきては去っていったので、祐二はここまで入念に運ぶのかと、驚いたほどだ。
「当主様」
ひとりの老人が声をかけた。
「アルブレヒト、どうしました?」
「約一名、足りないように思いますが」
老人がそう言った瞬間、周囲の温度が下がった。
「今日は、ここに集まれる者だけでよいと伝えたはずだけど」
返答するヴァルトリーテの声は固い。
「ご息女におかれましては、何も予定がなかったと愚考いたしますが」
祐二は固まった。老人の言う「ご息女」がだれを指すのか明確過ぎたからだ。
「あの子はいま、戦っています。心の病と」
「……そうですか、それは失礼いたしました」
老人は頭を垂れ、下がっていった。
やや慇懃無礼な態度に、周囲の空気が微妙になる。
ヴァルトリーテが腹を立てているが、だれも取り成したりしない。
この微妙すぎる雰囲気に、祐二は酸素が薄くなった気がした。
「……ふう。では、魔界に参りましょう」
気を取り直したヴァルトリーテの言葉に、周囲からホッとした雰囲気が伝わってくる。
一行はヴァルトリーテを先頭に、ホールの奥へ進んだ。
――バチカン 奇跡調査委員会本部
大理石の床を歩く二人の人物。
一人は痩身で背が高い男性。歳は三十代の後半くらいだろう。
後ろに伸ばした髪は、透き通るような銀色。
怜悧な顔には、困惑が浮かんでいる。
もう一人は若い女性。二十歳そこそこにみえる。
修道服に身を包み、顔以外の部分は隠れているが、頭部を覆う布の下に、少しだけ銀髪が見え隠れしている。
「友好的に接触しろとはどういうことだ? それは本当に猊下の御言葉なのか?」
「ロッド神父、委員会の言葉を疑うのですか?」
「そうは言ってないが、シスターマリー。キミはおかしいと思わないのか? 叡智の会は監視対象であって、仲間ではない」
「わたくしたち奇跡調査委員会と、魔法使いたちの集団である叡智の会は、ともに同じ敵を持っています。共闘関係だと思いますけど?」
「それは分かっている。だが、ヤツらは仲間ではない! ……っ、済まない」
ロッドは声を荒らげたことで冷静になり、すぐさまマリーに謝罪した。
「わたくしは今回のこと、神の思し召しだと思います。十二家の外から魔導船の船長が出たのです。こちら側に取り込む余地は、十分あると考えられますもの」
「それはどうだろうな。カムチェスター家だって、指を咥えて見ているわけでもあるまい」
「だからこそ、急ぐ必要があるのでしょう。わたくしたちが選ばれたのも、すぐに動けるからこそですし」
「すぐ動けるだと!? 仲間はいまも黄昏の娘たちと戦っているのだぞ。なぜ我々は最前線から外されなければならないのだ!」
「これも重要な役目です、ロッド神父。……それでひとつお伺いしたいのですけど」
「なんだ?」
「なぜそう、叡智の会を敵視するのですか?」
マリーは不思議でならなかった。
マリーは奇跡調査委員会に身を置いてまだ数年。それでも分かることがある。
奇跡調査委員会が、叡智の会と関わることは少ない。
ロッドのように強い個人的感情を持つほど、接触することはないはずだ。
「私がアレを嫌っているとしたら、それは中途半端に迎合しようとする姿勢のせいだな」
「中途半端に……ですか?」
「キリスト教の教義を受け入れ、我々に配慮しているそぶりを見せる。だが、実際にやっていることは異端そのものだ。お目こぼししてもらうために、名目上だけ従っているフリをしている。あんなものは、ただの偽善行為だ」
「なるほど……」
マリーはロッドの言いたいことが、おぼろげながら理解できた。
魔法使いの集団である叡智の会は、キリスト教の教義的には異端であり、邪教と言われるものに近い。
原理主義に基づけば、全面的な敵対関係になってもおかしくないのだ。だがそれはできない。
叡智の会は、この世界へやってくる魔蟲と呼ばれる侵略種と戦っている。
過去何度か魔蟲がこの世界に現れ、世界を滅ぼしかけた。
たった一体や二体の魔蟲が地球に現れただけでも、人類は為す術がないのだ。
魔蟲は概念体ゆえに、現代兵器による攻撃が効かない。
物理攻撃が効かないと言い換えてもいい。
叡智の会が言うところの『魔力』を利用した攻撃のみが、ダメージを与えられる。
それゆえに魔法使いは、すべての国家から守られている。
そのような背景があるのだから、叡智の会は世界に対してもう少し大きい顔をしてもいいのではとマリーは思う。
だが、そういったそぶりは一切ない。
中世の魔女狩りが効いたのか、それとも共存することこそが最も利益に繋がると思ったのか分からないが、叡智の会は秘密組織としてのみ存在し、人目に触れることをずっと避けてきた。
それだけでなく、こことは違う世界を『魔界』と呼ぶことで、キリスト教に配慮した姿勢さえみせている。
ゆえに上層部は、叡智の会の存在を認めている。
彼らが魔法を使うからといって、勝手に敵対、退治することは、固く禁じられている。
そして今回、奇跡調査委員会に回ってきた仕事は、新しく魔導船の船長となった日本人の若者をこちら側に引き込むことだった。
これまで当主や船長だけでなく、中型船の船長ですら十二家の息がかかっていた者がほとんどだった。
味方に引き込むことは不可能といえた。
深い事情はまだ分かっていないが、新船長はずっと日本で暮らしていたらしく、魔法使いのことを知ったのもつい最近らしい。
十二家の影響や、しがらみがほぼなく、これまでの生活も魔法と縁が無かったという。
そういった若者ならば、こちら側に取り込むことができるのではないか。
できるならば、やってみよう。そのような思惑で、ロッドとマリーに命令が下されたのだ。
なぜ味方に引き入れるのか、その理由までマリーは教えてもらえなかった。
叡智の会の力を削ぐのが目的ではないとマリーは思うが、よく分からない。
ただ自分は、言われた命令を確実にこなすだけなのだから、深く考えても仕方ない。
「まあいい、いくぞ。目的地はドイツだ」
「はい。向こうについたら、ロッド神父はなるべく喋らないでくださいね」
「なんだと!?」
「計画に差し障りがでますので、お願いします」
「おい、それはないだろ!」
「いいえ、聞きません。これは絶対ですから」
なおも言い縋るロッドを無視して、マリーは歩き出した。
(籠絡する方の名前はたしか……ユージと言ったかしら。どんな人物なのでしょう。早く会いたいですわ)
先を歩くマリーに、うしろから怒鳴り声が聞こえてきた。