023 時は待ってくれない
アルザス家の二人が帰っていった。
祐二は今日、フリーデリーケと対面する予定だったが、その話は流れてしまった。
ヴァルトリーテが呼びにいったところ、彼女が部屋から出てこなかったのだ。
庭でユーディットとの逢瀬のようなものを見られていたので、それで嫌われたのだろうと祐二は考えた。
「ごめんなさいね。あの娘はまだ父親の死を引きずっているの」
ヴァルトリーテの言葉でようやく祐二は、ユーディットが言っていた「引きこもり」の理由を知った。
テロに襲われ、父の死を間近で見て、心が少し壊れてしまったのだという。
いまだ家族にしか、心を開かないらしい。
「そういうことなら、俺は気にしません」
心の問題は、周囲の無理解から悪化することもある。そっとしておくのも、治療のひとつだ。
同時に、ユーディットが言っていたことも理解する。
時は待ってくれない。
あの時は、祐二に向けた言葉だと思っていたが、いまだ一族の前に顔を出さないフリーデリーケに対しての言葉でもあったのだろう。
(フリーデリーケさんがしっかりしていれば、こんな事態にはならなかったと言いたいのか……)
それはおそらく、カムチェスター家に関わるすべての人間が思っていることだろう。
「さっき話した感じなら、少し時間をおけば大丈夫だと思うわ」
「そうですか。では初対面は、そのときですね」
「ユージはしばらく、ここで暮らすのだ。機会はあるさね」
魔導船の船長になった祐二は、この屋敷ですべての魔導珠に魔力を注ぐ必要があるらしい。
三日後、祐二はようやくフリーデリーケと対面することができた。
母親に連れられてゆっくりと階段を下りてきたフリーデリーケは、母親の血を引いて、とても美人だった。
彼女の年齢は十七歳で、もうすぐ誕生日がくるという。ここが日本ならば、祐二と同学年になる年齢だ。
フリーデリーケは完成された美というより、これから完成が約束されたような容姿だと祐二は思った。
そんな感想を抱いていたところ、彼女の顔色がどんどんと悪くなっていった。
「…………」
緊張のせいなのか、吐き気を堪えるような仕草でフリーデリーケは手で口元を押さえ、走り去ってしまった。
これにて、初対面終了である。
「えと?」
「ごめんなさい、ユージさん。まだ無理だったみたい」
「……しょうがない子だね」
祐二がフリーデリーケと打ち解ける……いや、まともに顔を合わせるには、まだ時が必要らしい。
『時は待ってくれないの』
祐二の耳に、そんな幻聴が聞こえた気がした。
魔導珠に魔力を込めること十日。
ようやくすべての魔導珠が光り輝いた。魔力の充填完了である。
「魔力の回復って、時間というより精神や体力依存なんですね。それがよく分かりました」
この数日、魔力を注いでいる以外の時間を使って、エルヴィラやヴァルトリーテからいろいろ講義を受けた。
いまだ祐二は、魔法使いとしての常識が足りない。
祐二が受けた説明の中に、「魔力の回復量は人それぞれ」というのがあった。
しかも肉体や精神の状態に、回復量がかなり左右されるというのである。
祐二はそれを検証するつもりで、屋敷の庭でハードなトレーニングを行ってみた。
肉体疲労のあとで、魔力がどうなるのか調べたのだ。
たしかに翌日、魔力は思ったほど回復していなかった。
魔法の使い方をエルヴィラから学んだときもそう。
精神に多大な負荷がかかっても、魔力の回復は遅れた。
ゲームのように、時間で定量が回復するわけではないようである。
「八月ももうすぐ終わるし、魔界へ赴く許可が出てもいい頃なのだけど……」
ヴァルトリーテは困った顔をしている。
なぜかまだ、祐二が魔界へ赴く許可が下りていない。
魔導船は凍結状態で、船長である祐二は、自分の船をまだ見ていない。
「こればっかりは、せっついても仕方ないことさね」
「あと少しで大学が始まりますしね。できれば今月中に、ケイロン島に戻りたいんですけど……」
大学の授業に出るより、祐二が魔導船を動かす方が大事だと言われた。
なにしろ魔導船の自壊は、すぐそこまで迫っているのだ。
祐二もそれが分かっているので、いまだカムチェスター家の屋敷にいる。
「まさか、身元確認と思想チェックをするのでしょうか」
「それこそまさかさ。まあ、もう少し様子を見ようじゃないか」
「あの……一度、大学に連絡を入れた方がいいんでしょうか」
叡智の会本部から許可がおりなければ、動きようがない。
「それはこっちでやっておくわ。叡智の会も把握しているでしょうし……あら?」
室内に赤いランプが点灯し、壁のモニターが自動的に外の映像を映し出した。
「来客ですか?」
「ええ……車のナンバーは登録済み。叡智の会所有みたいね」
しばらくして、執事のベラルトが来客を告げに来た。
祐二たちは大広間で来客を迎える。
「ご無沙汰しております、ご当主様」
髪を伸ばした細身の男性が顔を出した。
「久し振りね、ジェイル」
ジェイルと呼ばれた男は、ヴァルトリーテに対して優雅に挨拶をした。
「このたびは後継者が決まりましたこと、まことにおめでとうございます」
「ありがとう、ジェイル。なんとか面目を保つことができて、ホッとしているわ。早速だけど、紹介させてちょうだい。彼が次の船長となるユージよ」
「はじめまして、如月祐二です」
「これはご丁寧に。私は叡智の会の連絡員ジェイルと申します。以後、お見知りくださいませ」
連絡員のジェイルは、カムチェスター家を担当して長いらしい。
「それでね、ジェイル。ずいぶんと連絡がなかったのだけど、魔界へ赴く許可が出たでいいのかしら?」
「はい。連絡が遅れて申し訳ございません。ユージ様の身元調査の結果を待ってからとなりまして、ご連絡が遅れました」
「そうだったの。でもあなたが来たということは、それも終わったのよね」
ジェイルは頷いた。
「今回の調査は、魔法使いの家系ではない方が多く含まれておりまして、諸々を秘密にする関係上、時間がかかりました。ですがそれもすべて終了しております」
祐二の家族や、母の実家である鴉羽家の調査が完了したらしい。
「それはよかったわ。結果はどうなのかしら?」
「まず、調査ですが、日本の統括会に協力をいただきまして、如月家の魔力の有無を再度詳しく調べました」
時間がかかったのは、本人たちに気付かれないように注意を払ったからで、しかも、何度も検査したという。
「俺の家族は、だれも魔力を持っていなかったって聞きましたけど」
「今回は、叡智の会からも人を派遣しました。細心の注意を払いながら検査を行いましたが、結果は変わっていません。如月家は祐二様以外に、魔力を持つ者はいませんでした」
「そうですか」
つまり今後とも、祐二は家族に魔法について何も話せないことになる。
「鴉羽家は、どうだったのかしら?」
「こちらは、二人ほど微量ながら魔力を有している者がいました」
「一家に二人は多いわね」
「はい。鴉羽家に知られないよう、血縁を遡ってみたところ、ユージさまが仰った通りのことが分かりました」
「というと?」
「祐二さまの曾祖母である倉子さまが、どうやら魔力保持者だったようです」
「その人の祖先が、ウチの血を引いているということかしら」
なるほど、そういうことかと祐二は思ったが、ジェイルは首を横に振った。
「違うの? 話が見えないわね」
「倉子さまのご実家は普通の家庭でした。今回、直接聞き取り調査をして分かったのですが、祐二様の曾祖母である倉子さまは、戸籍にある方とは別人でした」
「はいい?」
「どういうことなの、ジェイル」
「第二次大戦で日本は、ドイツとイタリアと同盟を組み、世界を相手に戦いました」
「そうね、それがどうしたの?」
「東京も甚大な被害を受けたようです。日本の戸籍制度は優秀ですが、それを管理する役所が焼け、書類も焼失しています」
「別人ということは……もしかして」
「調べたところ、第二次大戦後の戸籍の復活は、役所で申請することで可能だったようです。そのとき本人である証明は必要ありません。といいますか、証明しようがございません。……婚姻届を提出するに合わせて、戸籍復活を申請したようです。つまり、倉子さまという人物が無から生まれたのではなく、だれかが倉子さまとして戸籍に登場したことが分かりました」
「…………」
「そこまで分かった時点で、叡智の会に残されていた資料と年代の付き合わせを行いました。
たしかカムチェスター家には、行方不明になった女性がおられますね?」
「クラリーナのことかい?」
エルヴィラの顔が険しい。
「ご存じでしたか」
「会ったことはないが、何度も聞いたことがある。線の細い女だが、意志は強かったらしいね」
「なるほど。その方がどうなったか、ご存じですか?」
「親族連中から噂は入ってくるさね。クラリーナは、魔法使いの血を疎んで家を飛び出して行方不明。最近は何度も家系図を見たんだ。ようく暗記している。そっちの資料でも同じなんじゃないかい?」
ジェイルは頷いた。
「仰せの通りです。叡智の会の資料でも、クラリーナ様は行方不明扱いになっていました」
「するとクラリーナ様は家を出たあと、日本へ行ったというのかい?」
「足取りはまったく不明です。ただもし、鴉羽家の倉子様がクラリーナ様と同一人物でしたら、多くのことが符合いたします」
「そうかい……けど、日本人になりすますことなんて、できるのかい?」
「そこも調べました。倉子様は、鴉羽家の建蔵様と結婚したときに戸籍を得たようです。戸籍が現存していない証明を受けた上で、新しい戸籍……この場合は鴉羽家の籍に入ったようです。戸籍を得たのは、戦後十年経ってからです。なんらかの手段で役所を誤魔化したのだと推測されます」
「なるほどね。じゃあ、クラリーナ様は日本で結婚し、子をなしたと」
「はい。倉子さまの写真が残っておりました。当時のことを覚えているご老人方も、まだそれなりにおられましたので、調査は捗りました」
「平均寿命が八十歳を超えている国だからね。あやかりたいものさね。それはいいとして、クラリーナさまは私の叔母だ。宗家の直系だよ。ユージはその曾孫ってことかい?」
「推論の上の結論ですが、ほぼ間違いないでしょう」
「そうかい、そうかい、そうだったのかい。なぜ日本でと思ったが、魔法使いを嫌って家を出て行った血が……巡り巡って、ここに帰ってきたのかい」
エルヴィラが祐二を見る。心なしか目が潤んでいる。
不思議な運命を感じているのかもしれない。
「叡智の会の記録では、一族の勤めを放棄したため、追跡部隊を出したようです。ただし、捜索記録は白紙でした。時代が時代だからでしょう。追跡が行われたのかも定かではありません。出奔前の記録をもって、死亡扱いになっています」
「ウチの記録も似たようなものだ。本人から連絡が来たなんて話もない」
「こちらが倉子様の写真になります」
夏祭りのときに写したものだろう。浴衣姿で笑っている上品な老人が数人、写っていた。
その中の一人が、明らかに日本人ではない容姿をしている。
「似ているねえ」
「私もそう思います」
祐二も一緒に写真を見たが、たしかにエルヴィラやヴァルトリーテの面影がみえた。
「何にせよ、血筋がはっきりできてよかったわ」
ヴァルトリーテの言葉に、祐二も頷いた。
どうやら祐二は、本当にこの家の血を引いているようだ。