022 カムチェスター家の後継者
――ドイツ南部 ラーベンスブルクの町 カムチェスター家の屋敷
カムチェスター家は魔法使い一族として、多くの分家や配下の家を抱えている。
アルザス家も、分家のひとつである。
カムチェスター家のように、栄光なる十二人魔導師を祖に持つ各家は、血を後世に残すために、これまで涙ぐましい努力を重ねてきた。
その甲斐あって、長い時を経たいまでも、宗家の血は途絶えてはいない。
ただ、後世に血を残すことには成功したものの、多くの家が後継者不足に悩まされてきた。
「二百年前なら、魔導船の船長候補だって、各家に数人存在していたんですけどね。我々も落ちぶれたものだ」
「そんなこと、アンタに言われなくても、よく分かってるさね」
メンロースの嘆きに、エルヴィラはそっぽを向いた。
宗家の不甲斐なさを遠回しに指摘されたと思ったのだろう。
カムチェスター家は、すでに二代続けて、分家から魔法使いの血を逆輸入している。
そうしなければならないほど、人材が不足しているのだ。
「それで義姉さん……彼はどうするんです?」
「あんたが思ってる通りさ。そのつもりで来たんだろ?」
メンロースが孫娘であるユーディットを伴ってきた理由はひとつしかない。
祐二と会わせるためだ。
「私はあの子が宗家に入るのは、賛成ですよ」
「ふん。その相手はだれになるんだろうね」
「もちろん私は自分の孫を推薦しますが、その辺はおいおい。とりあえず彼は、早めに取り込んでおくべきでしょう」
「うちにも立派な孫がいるんだよ」
「そりゃ、分かってます。ただ、当主の仕事は激務ですよ?」
「ユーディならそれができると?」
「当然、そういう教育は積んでいます」
家こそ分かれてしまったが、アルザス家もまた、カムチェスターの血を濃く引くれっきとした魔法使いの家。
教育は完璧であると、メンロースは太鼓判を押した。
ヴァルトリーテは出しゃばらず、黙って二人の会話を黙って聞いていた。
だが、話題が後継の話になると、話は別である。
「フリーダだって、当主になる素質はあります。問題ないですわ」
メンロースの話は、ヴァルトリーテにとって承服できない内容だった。
今は迂遠な会話をしているが、ここにいる三者は、共通の認識の上に則って会話している。
祐二の配偶者が、カムチェスター家の当主の座につく。そう考えているのだ。
祐二が船長となり、ユーディットが当主として支える。
それをメンロースが推し、エルヴィラはとくに否定しなかった。
たしかに家の存続を考えれば悪くない話だが、エルヴィラには孫がいる。
ヴァルトリーテの一人娘、フリーデリーケだ。それを抜きにして話を進めてもらいたくない。
たとえ今は、フリーデリーケに多少問題があろうとも、将来は分からないのだ。
「フリーダは回復しつつありますし、私は当面当主の座から下りるつもりはありません」
ヴァルトリーテの強い言葉にメンロースは黙る。
反論できる材料はいくつも持っているが、面と向かって当主と事を構えるのは避けたようだ。
「それよりもまず魔界に連れて行かなきゃさね。船を励起させて、任務を継続させるのさ。一年以上も職務を放棄していたんだ。身内でガタガタ言い合ってる場合じゃないよ」
「それはそうですね。彼をいつ連れて行くつもりです?」
「いま、本部に許可証の発行を願い出ている。これを全部光らせた後になるが……まあ、来週には魔界へ行く許可も下りるだろうよ」
光を放っている五つの魔導珠を全員が見つめた。
再びこの日が来るとは思わなかっただけに、感慨も一入だろう。
「今度はしっかりと守らないとですね。私たちの最後の希望だ」
「ああ……その通りさ」
それにはエルヴィラとヴァルトリーテが、大いに同意した。
祐二とユーディットは、芝生の上で身体を密着させたまま寝転んでいる。
これではまるで、恋人同士の逢瀬だ。
二階から覗いていた人影は、祐二たちを見て、どう思っただろうか。
サカリのついた犬猫のように、他人の庭でイチャイチャするバカップル?
まさにその通りな光景に、祐二は頭をかかえて「ぐおおお」と呻いた。
「どうしました?」
耳元でユーディットが囁く。分かってやっているのか、いないのか。
頬と頬が触れ合うほどに近い。
一瞬、疼痛にも似た感覚が祐二を襲うが、それを振り払って屋敷の二階を指差した。
「だれかが見てるから! 頼むからどいて」
「まあ、見せつけるのですか? でしたら、こうした方がより一層……」
ユーディットが諸肌を脱ごうと身体を起こした……その合間に、祐二は身体の下から脱した。
「なあ、ワザとやってるだろ? 勘弁してくれ。マジで俺の人生が終わるから」
「あら? ここから私たち二人の人生が始まるかもしれませんよ?」
「さっきから人が見てるんだって、ほらっ、あそこに」
ユーディットが屋敷の二階に目をやり、「ああ、なんだ」と呟いた。
「あれはフリーデリーケさんよ。絶賛引きこもり中の」
「フリーデリーケ……? 引きこもり?」
「ユージさんが来る前までは、一族で一番の魔力を持っていたにもかかわらず、なんの努力もしないで食っちゃ寝している、この家のご息女ですわ」
「なんかトゲのある言い方だけど?」
「来月、一族会議を開くと通達がありましたの。一族の者たちはすぐに事情を察しましたわ。ああ、ついにこの時がきたのかと」
「えと、話が見えないんだけど」
「長期にわたって船長が不在でした。だれでも魔導船の自壊を思い浮かべますわ。滅びの日はすぐそこで、その前に一族を集めようとしたのだと思いました。ところがっ!」
「……?」
「叡智の会本部で働いているアルザス家の者が、慌てて連絡してきたのです。カムチェスター家に後継者が見つかったと」
「俺のこと……?」
ユーディットはゆっくりと頷いた。
「当主のヴァルトリーテ様は、叡智の会にユージ様の身元調査を命じられました」
それは祐二も知っているので頷いた。
「俺がこの家の血を引いているから、それを調べてほしいって言ったらしい」
「本部はいま、そのことで大わらわです。古い資料をひっくり返す勢いで、調べているようです。魔導船の後継者は、それだけ大きな問題なのです」
「それは……俺も理解できている。俺を連れてくるために、ケイロン島からここまで専用機を使ったんだ。驚いたよ」
「でしたら重畳です。ユージ様はこれから魔界で魔導船を操り、カムチェスター家を率いていく立場になります。当然、否はありません。拒否できないといった方がいいでしょうか」
「やっぱり、そうなんだ……?」
「地球の平和を守るという名目で、世界各国から毎年数百億ユーロの補助金が出ています」
「日本を出るときに聞いた気がするけど……あらためて聞くとすごいな」
日本円にすると数兆円だ。
「日本も毎年、40億ユーロほど供出しているはずですけど」
「お金って、あるところにはあるよね」
「そのお金を受け取るだけのことを私たちはしているのです。職務の放棄は、考えられませんわ」
「そうだね……」
「ユージ様は、後継者をつくることを求められることでしょう。なにしろ、優秀な魔法使いは、喉から手が出るほど欲しいわけですし」
「もしかして、身も蓋もない話になる?」
「私の魔力量は、若手でナンバー2です。やる気もあって、それなりの容姿だと自負していますが、いかがでしょうか」
「容姿に関しては、自分で言うだけのことはあると思うよ。お世辞抜きでキレイだ」
日本ならば、すぐさまトップアイドルの仲間入りできる。
「でしたら、末永くご一緒したいものですね」
耳元で囁くユーディットの声音に、祐二は蕩けそうな顔を浮かべ、すぐに首を振って身を離した。
「展開が急すぎてもう、何が何だか」
「話を急ぎすぎましたかしら? ですが、時は待ってくれません。そのことだけは覚えておいた方がいいです」
ユーディットは、祐二より年下だろう。
それでも、少女とは思えないほど大人びた表情を向けた。
「ちなみにだけど、もしかしてユーディットさん……わざと俺に嫌われようとしてる?」
一瞬キョトンとしたユーディットは、すぐにニヤリと笑い、上目遣いに祐二を見た。
「どうしてそう思いますの?」
これまでの人生で、祐二は女性に迫られたことは皆無だった。
以前の祐二ならば、そんな考えはまったく頭をよぎらなかっただろう。
祐二の恋愛経験……いや恋愛未満、それもただ話をしただけという経験だったが、週に一度だけ行われた壬都夏織とのドイツ語の会話。
束の間の逢瀬で、ほんの少しだけ、綺麗な女性に対して免疫がついていた。
気付いたのは偶然だし、勘以上のものを持ち合わせていない。
だがそれが真実だろうと、祐二は口を出した。
「今日会ったばかりでしょ? 俺のことを好きってことはないし、だったら船長という肩書きに惹かれたと考えるのが普通だけど……なんていうのかな、俺の反応を測っているように感じたんだ」
「測っている……ですか?」
ユーディットは首をかしげる。
「身体を密着させてきたときかな。俺がそのまま受け入れたら、一気に興味をなくしたんじゃない?」
ユーディットは下を向き、肩を震わせている。
顔は見えないが、笑っているようだ。
「……くっ、ふっふふふ」
「ユーディットさん?」
「今日のところは退散しますわ、ユージ様。これからお会いする機会は何度もあるでしょうし。くふふふ……そろそろ屋敷に戻りましょうか」
「ああ、うん」
ユーディットは、祐二の問いに答えるつもりはないようだ。
「そうそう、ユージ様」
「ん?」
振り向いた祐二の頬に、ユーディットの唇が触れた。
それは小鳥が餌をついばむような、軽いキスだった。
だが、祐二にとっては初めての経験で、固まるには十分な出来事。
「くやしいので、少しだけ仕返しさせていただきました」
くすくすと笑って、ユーディットは先にいってしまった。
「………………なんなんだ?」
頬を押さえたまま呆然とした祐二だけが、その場に残された。