021 庭を散策
「当主自らおでましとは、随分と張り切ったものだね、メンロース」
この血色の良い老人は、アルザス家の当主でメンロースと言うらしい。
「母の義理の弟よ」
ヴァルトリーテがそっと教えてくれた。
エルヴィラの夫は、アルザス家からこのカムチェスター家に婿に入ったという。
ヴァルトリーテの父親のことだろう。
メンロースの年齢は不詳だが、おそらく60代前半。
柔和な顔だが、ときどき目つきがとても鋭くなる。
「叡智の会でこの話を聞きましてね、すぐに駆けつけたのですよ。しかし新しい後継者が見つかって良かった。叡智の会は、大急ぎで許可証を発行すると言っていましたよ」
「そうかい、それはよかった。はやいとこ、ユージを魔界に連れて行きたいけど、これまで、こっちの世界とは無縁でいたらしい」
「そうでしたか。それなら、私の孫娘が説明役にちょうどよいでしょう。歳も近いことですし、手取り足取り教えることができます」
自分の話題が出たからだろう。
ユーディットは祐二に微笑みかけた。
「客さえ来なきゃ、その辺も含めて、いまからアタシが話すところだったんだよ」
「それは失礼しました。……そうそう、叡智の会の調査機関が黄昏の娘たちの拠点をひとつ探り出して、密かに強襲したようです」
「本当かい?」
「ええ、末端ですが、運良く捕獲にも成功しました。それで……」
メンロースはチラッと祐二の方を見る。
「……仕方ないね。ちょいと血なまぐさい話になるんだろ? ユージはこの娘と庭でも歩いてきな」
「は、はい……?」
エルヴィラの真剣な表情に、祐二が戸惑う。
「ユージ様、参りましょう」
音もなくユーディットが進み出て、祐二の手を取った。
「えっ? あっ、うん」
「さあ、こちらへ……庭へまいりましょう」
「う、うん。そうだね」
祐二とユーディットが出て行ったのを確認すると、エルヴィラの顔は一層険しくなった。
「バチカンにも攫われず、しかも生きて捕まえられるなんて重畳だねえ。さあ、顛末を聞かせてもらおうか」
「ええ、もちろんですとも。ただし、内密にお願いしますよ。私どもが掴んだ内容は、まだ他家に知られていないのですから」
「御託はいいから、早く言いな!」
「相変わらず、義姉さんはせっかちですね。歳を取ったから、もっとせっかちに……言いますから、睨まないでください! 捕らえた者を拷問にかけました。それで話すほど殊勝な性格をしていなかったので、連日の拷問で判断力が鈍ったところで、クスリと魔法をかけました」
「そうかい。それで敵の本拠地が分かったかい?」
「いえ、相変わらず小さな集団に別れて活動しているようですね。横の繋がりのない組織です。この辺は、昔と少しも変わっていませんよ」
「ふうん。他に分かったことは?」
「二年前の襲撃事件について、少々分かりました。あれはかなり綿密に計画された別の計画の一部だったようです」
「ほう? 別の計画ねえ……どういうことだい」
「魔装を見破る算段がつきそうだとか」
エルヴィラの瞳がさらに剣呑なものとなった。
魔装は叡智の会が独自に開発した、認識を阻害する魔道具のことだ。
それを使用している間は、かなりの確率で、本人とは気付かれない。
すでにその魔道具を作れる者がいないため、現存している魔装の数は少ない。
各家に二、三個あればいい方である。
「あのときは……間違いなく魔装をつけていた。襲撃は護衛で判断したと思ったが、違うセンが出てきたわけか」
「叡智の会の上層部では、これを公表しないようです。確定情報ではないですし、公表するには影響が大きすぎるということで」
「会が怖れているのは、魔界への入口が解除されることと……裏切り者のことさね」
「裏切り者ですか?」
「ひとくちに魔装を見破ると言っても、並大抵のことじゃないよ。さすがに現物なしじゃ、解析も進まんだろう」
「だからといって、現物を持っているのは当主クラスですよ? その人たちが裏切るとは思えませんが」
エルヴィラは首を横に振った。
「どこかの家が何十年かけて、少しずつ魔装の解析を進めていたとしたらどうする? 実用的な魔道具なんざ、ここ数百年は作られてないんだ。過去の魔道具を再現するために研究したっておかしくない」
「それはそうですな」
「解析と言ったって、一人や二人じゃ無理だろう。チームを組むか、分散して研究していたはずだ。どこかのだれかが、解析途中の研究資料を持ち出した可能性がある」
魔道具の解析は、数年レベルではとても進展しない。
おそらく数十年かけて、少しずつ成果を得ていたはずとエルヴィラは言う。
「資料を持ち出すだけなら、当主クラスでなくても可能ということですか」
メンロースの言葉にエルヴィラは頷く。
「だから発表を見合わせたんだろうさ。各家が疑心暗鬼になっても困るし、魔装が役に立たないとなれば、今後の動きにも制限がかかる」
「魔界の入口にも魔装と同じ偽装が施されています。あそこも安全ではなくなりましたね」
「つぅことは、あれかい? ウチの婿は、実験の成果を確かめるために殺されたと?」
「一石二鳥を狙ったのかもしれません」
「捕まえた黄昏の娘たちの構成員は、ウチで引き取ることはできるかい? 磨り潰してやるんだが」
「用済みになったら、交渉してみます。ただ、まともな判断力すら残ってない可能性が高いですよ」
「それでいい。なにも会と喧嘩したいわけじゃないんだ。なあに、こっちは用済みになんか、させやしないさ。最後の最後まで使い切ってやる」
ここで初めて、エルヴィラは笑顔を見せた。
それはメンロースが引くほど、壮絶な笑顔だった。
庭を散策する祐二とユーディット。
刈り揃えられた芝はやわらかく、裸足で歩いたらさぞ気持ちがよいだろうと思われた。
「綺麗な庭ですね」
「専用の庭師が常時、景観を整えていると伺ってますわ、ユージ様」
祐二の後ろを歩くユーディット。
「その……様をつけるのは、できれば止めてほしいんだけど」
「それでは『背の君』とお呼びいたしましょうか?」
「それ、奥さんのことじゃないか。というか、万葉集で出てくる言葉だよ、どこで覚えたの!?」
祐二の少し後ろを歩くことといい、ユーディットはなぜか、古い時代の日本文化の影響を受けていた。
「そのように呼ぶと、男性は喜ぶと聞きましたので。これが日本の女性の標準なのですよね」
「そんなことないからっ! というか普通に接してくれるかな」
「そうですか? だったらそうしようかな」
ユーディットの雰囲気がガラッと変わり、西洋人形のようだった顔に小悪魔的な表情が追加された。
そして祐二の腕に身体を絡め、胸を押しつけていく。
柔らかい感触が腕に伝わり、祐二が慌てる。
「ちょっ、えっ?」
「今頃、屋敷の中で、ユージさんについてどんな話が出てているか、分かります?」
「突然どうしたの!?」
狼狽えた祐二は腕を振りほどこうとしたが、思いの外強く握られていた。
そのため、バランスを崩した祐二は、芝生の上にひっくり返る。
もちろんユーディットも一緒に。
「意外と積極的なんですね。ですが、さすがにここではちょっと……」
「い、いや、ごめっ」
「目を瞑ってますので、すべてお任せしていいですか?」
「何の勘違いをしているの!? というか、いま話題にしてたのは、屋敷の中での会話だったよね?」
「会話より身体に興味があるのかと思いまして、覚悟を決めました」
「どうしてそう積極的なの? それより屋敷の中で、どんな会話がされてるの?」
「それはもちろん、ユージさんの今後についてです。ユージさんをカムチェスター家のどの位置に置くかは、とても重要な案件ですから?」
「どの位置って、どういうこと?」
「先代の船長は宗家……つまり、この家に婿入りして、当主となりました。当然、ユージさんの立ち位置も、当主の意に沿う形にしたいはずです。でもいまの宗家は……ふふっ、どうなんでしょうね」
ユーディットは笑う。
どうやらまだ、祐二が知らない情報がありそうだ。
「宗家の意に沿うって……?」
「私がすぐに思いつくだけでも、ユージさんには、四つの選択肢があります」
「四つ? 結構多いね。というか、どいてくれると助かるんだけど。……いろいろ当たってるし」
「それでもパッと思いつくだけですよ。養子に入るか、婿入りするか、分家になるか、独立した家になるかです。宗家が考えているのはおそらく……あん」
「マジでどいて! 動いたらヤバいから。ホントにいろいろヤバくて立てなくなるから……ほらっ、だれか見てる! 見られてるって!」
祐二の視線の先、屋敷の二階の窓に人影があった。
分厚いカーテンを押しのけるようにして、人影はこちらを覗いている。
逆光でよく分からないが、その人物と祐二は目が合った気がした。




