019 いや、聞いてませんって!
――統括会 東京支店
比企嶋慶子はこの日、海外からもたらされた二つの情報にめまいを覚えた。
上司はつい先ほど、呼び出されてどこかへ出かけてしまった。
呼び出したのはおそらく、霞ヶ関(官僚)か、国会議事堂(政府関係者)。
「これはミス……じゃ済まされないわよね」
比企嶋は最初、事態を楽観視していた。
海外から報告を受ける前、先に祐二から連絡が来ていた。
「自分がカムチェスター家の血を引いているらしく、すぐにでもドイツの屋敷に来て欲しいと言われてます。どうしたらいいですか?」
そんな内容だった。
なるほどそう来たかと、比企嶋は思った。
まあまあ、予想の範囲内である。
Aクラスの魔力保持者を身内に取り込むために、カムチェスター家が正当性をねつ造したな。
そんな風に考えたのである。
「生粋の日本人を身内ってのは、さすがに吹かしすぎよね」
統括会が祐二の家系を調査していないわけがないのだ。
カムチェスター家の言い分にも呆れたものだと、比企嶋はこのトンデモ話を鼻で笑った。
祐二は迂闊に返事をしていないらしく、比企嶋に答えを求めてきた。
慎重で何よりだ。
入学前に祐二と接触できたのには驚きだが、おそらく叡智大の職員経由で知ったのだろう。
それはいい。魔法使いたちは、現代になってもまだ、秘密主義なところがあるのだから。
情報を制する者が勝つのは当たり前の話だ。今回はそれがたまたまカムチェスター家だっただけのこと。
祐二の報告を受けて、比企嶋は「さて、どう返答しようかしら」と考えた。
カムチェスター家の屋敷を訪れるのは構わないが、所属先を選ぶのはまだ早い。
色々見て回ってからの方がいい。
じっくりと各家の特徴を把握して、二、三年後に決めてもいいのだ。
「統括会から、一年間は所属を決めるのを禁止されています……あたりが妥当な返答かしらね」
そう答えさせた方が一番、角が立たないだろう。
事実、そのような内容で、祐二への返信を認めていた。
状況が変わったのは、海外からかかってきた一本の電話である。
電話に出た上司の対応から、相手が叡智の会だと分かった。
叡智の会は、栄光なる十二人魔導師の子孫によって運営されている魔法使いの組織である。
傘下に叡智大や、巨大企業ゴランを有している。
かくいうこの統括会もまた、叡智の会の傘下だ。
「えっー!? そ、それは本当ですかっ!!」
上司が大声を出した。
日頃から温厚で、声を荒らげるところなど、一度も見たことがない上司が、大声をあげたのである。
ただ事ではない。
何か重大な事件がおきた。
おそらく大規模侵攻やテロ。
いや、それならばわざわざ東京支店に電話してくるはずがない。
ここに直接連絡がくる案件といえば……。
「祐二くんの身に何かあったとか? ……まさか」
電話が終わるのを比企嶋はジリジリと待った。
上司は丁寧な応対を繰り返し、何やら約束をしている風だった。
さすがに聞き耳を立てるわけにもいかず、祐二への返信を書きつつ、電話が終わるのを待った。
「比企嶋くん、大変なことになった」
電話を切った上司の表情は硬い。
「どうしました? 何か問題でも?」
あえて平静を装って尋ねる。
「如月祐二くんが、カムチェスター家の血を引いている」
思わず吹き出しそうになった。
それについて、いまメールの返信を書いているところだ。
「ああ、それでしたら……」
「魔導珠に魔力を最後まで注ぎきったそうだ。それをもってカムチェスター家は、彼を魔導船『黒猫』……おそらくあとで名前は変えるだろうが、それの船長とすると叡智の会に報告した」
「嘘でしょぉおおおおぉ!?」
比企嶋は自分の大声で、耳がキーンとした。だがそれどころではない。
「さすがにそんな巨大な嘘をつくはずがない。つまり彼は、カムチェスター家の血を引いている……」
「で、ですが……調査では……えっ? でも、どうして?」
「叡智の会はお怒りだよ。なぜ隠していたのかと。魔法使い……いやこの場合、彼はもう魔導師だな。使命を軽く見ているのかキッチリ問いただすと、それはもう冷たい声で言われた」
上司の顔色が悪い……どころではない、真っ白だ。
おそらく比企嶋自身も同じだろう。
つい先ほど、顔から血の気が引く音が聞こえた気がした。
「それが本当なら、マズいです……よね?」
「ああ……かなりよくないと思う」
統括会の仕事は三つある。
現地にいる魔法使いたちを保護し、様々な仲介をすること。
比企嶋が夏織と面識があるのも、このためである。
他には、在野に眠る新しい魔法使いの血を見つけること。
祐二はそれで発見できた。
そして最後にもうひとつ、とても重要な仕事がある。
国内にいる魔法使いの血筋を漏らすことなく管理し、報告する義務があるのだ。
たとえば鬼島家のように、日本政府の管理下におかれている魔法使いでも、しっかりと叡智の会へ報告をあげている。
これは漏れがあってはならない。
先祖代々の家系図を添えて、しっかりと管理するよう伝えられている。
「彼の血筋が漏れていて、それが栄光なる十二人魔導師のカムチェスター家だったってことは、大問題だね」
故意に隠していたわけではない。
そうではないが、把握しきれていなかったのは事実だ。
栄光なる十二人魔導師の血を見逃していたというのは、職務怠慢もいいところ。
大失態である。
直後、また電話がかかってきて、上司はペコペコと何度も頭を下げたあと、上着を引っかけて、出かけていってしまった。
一分一秒でも惜しいのか、「あとを頼む」とだけ言い添えて。
比企嶋は、途中まで書いていた祐二への返信をゴミ箱に入れた。
「魔導珠を最後まで注ぎきったということは……カムチェスター家の血をかなり濃い部分で引いているわ。そしてAクラスの魔力があったことで、日本政府と私たちはその事実を隠していたと思われているのよね」
この場合、事実はどうであれ、そういうことになっている。
叡智の会から怒りの抗議がくるのも頷ける。
「もしかして私の出世、ヤバすぎ!?」
比企嶋は、机に突っ伏した。
――ケイロン島 祐二
祐二は比企嶋にメールを打ったあと、半ば引きずられるようにしてケイロン島を後にした。
島には港がひとつしかない。
船で島を出るのかと思ったら、使用したのはヘリコプターである。
しかもチャーターしたものではなく、叡智の会が所有しているものらしい。
ヴァルトリーテは、パイロットに行き先や祐二の説明を一切していない。
それでもヘリは出発し、目的地を違えることなく、どこかの国の空港に着陸した。
「ここからは飛行機を使うけど、その前に電話で雑事を片付けておくわ」
「さっき移動中に打っていたメールの件ですか?」
「ええ、さすがにあの騒音の中では、電話はできないでしょ」
「そうですね」
ヘリで移動していたのは、二時間と少々。
その間、ヴァルトリーテはしきりにメールを打っていた。
途中「これだけ強く書いておけば、最優先でやってくれるわね」と恐ろしいことをつぶやいていた。
祐二がカムチェスター家の血を引いているのをなぜ知らせなかったのか。
知らなかったとして、それはなぜなのか、早急に解明したいようだ。
叡智の会に連絡さえ入れれば、すべてやってくれる。
厳密にはその下部組織、つまり統括会に丸投げになるようだ。
「ユージくん、電話は終わったわ。さあ、行きましょう」
「はい……それで俺のこと、どうなりました?」
「叡智大に提出された資料を確認させたわ。でもそれだけじゃ何も分からないから、如月家と鴉羽家ね、そちらの情報を集めさせることになったわね」
「あー……そうですか」
直接か間接か分からないが、これから両親や親類のことをかなり詳細に調べるらしい。
彼らに迷惑がかからないだろうか。
祐二が遠い目をしていると、ヴァルトリーテは安心させるように言った。
「今後は分からないけど、とりあえずは極秘に調査するみたいだから、あまり変なことにはならないわよ」
「そうなんですか?」
「魔法使いのことは秘密にするのが原則だし、敵対勢力があってね、当主やその家族、それから船長になれる可能性のある人たちの情報は、軽々に漏らさないようになっているの」
「公にすることで生じるリスクを無くすんですね」
「その通り。だから、いまは安心してちょうだい」
「いまは……なんですね?」
「家族に複数の魔法使いがいれば、正式に魔法使いの家系と認められるわね。そうなったら、一族ごと抱え込むことになるかしら」
魔法使いの血が子や孫に受け継がれる場合、新たな一族の誕生となる。
その場合、一族まるごとカムチェスター家が管理することになるらしい。
魔法使い同士の婚姻でないと、次代に安定して魔法使いの血が出ないからだが、その辺は特権と引き換えに我慢してもらうことになるという。
ちなみにカムチェスター家の人間ですら、まったく関係ない人と結婚した場合、魔法使いの血がその代で途絶えることもあるようだ。
「まあ、ユージさんはいま、別のことを心配してもらうことになりそうだけど」
ヴァルトリーテの呟きは、祐二には聞こえなかった。




