178 魔界の終焉(2)
「たとえば、この装置は強引に魔界を沈めているだけで、一定期間……さすがに何年、何十年ってことはないと思うけど、何百年、何千年かしたら、また魔界が浮上するんじゃないかしら」
「えっ? そうなったら、また地球と魔界がつながるわよ、カオリ」
「そうなの。だからね、あの塔も私たちのためにあったんじゃなくて、ガイド人が子孫のために残したと考えたらどうかな? たとえば、魔蟲が上ってこないくらい高い場所に塔をいくつか建てて、近くに魔導船を隠しておくとか」
「…………」
「あそこは偶然、栄光なる十二人の魔導師が見つけたけど、あんなところ、普通は見つからないと思うの」
「じゃあ、この装置も……?」
フリーデリーケが恐る恐る、装置を指さす。
「これは私の想像だから確証はないけど、ガイド人が次や、その次の世代のために残したとしたら、私たちもこれで終わりと考えない方がいいんじゃないかなって思うの」
たとえばガイド人が予備の装置と魔導船を十箇所の魔界に隠したとして、栄光なる十二人の魔導師がたまたまそのひとつを見つけた可能性は……たしかにある。
ガイド人が滅びたのか、取りに来る順番が遅かったのか、もはや必要としなくなったのか分からない。
大昔、あの場所で魔導船が手つかずで残っていただけだ。
「だとすれば……」
「いや、可能性があるってだけの話だからっ! 思いついただけだから、本気にしないでっ!」
夏織が必死に否定した直後、小型の魔導船が到着した。
小型の魔導船の大きさならば、『インフェルノ』の甲板の上に着地することができる。
「迎えに来ました」
「基地の状況は?」
「はい、お三方以外の避難は、すべて完了しています」
「そうか。それじゃ、そろそろ装置を動かすか」
「そうね」
「やりましょう」
装置を動かすといっても、特別なことはない。
装置に一箇所だけ、正方形の窪みがある。塔で光を灯したのと同じ仕組みだ。
祐二はそこに手を翳して、魔力を流した。
『インフェルノ』と接続してあったその装置は、魔導船から魔力を吸い上げ、稼働をはじめる。
「よし、脱出だ」
急いで小型の魔導船に乗り込む。
「大丈夫かしら」
「魔導船に設置して使うようになっているんだ。そこから逃げる時間があるってことだと思う」
いかな船長とはいえ、装置を起動したまま魔導船に殉じるとは思えない。
「でもどうして魔界が沈むのかしら」
「これは予想だけど、概念そのものに働きかけているんだと思う」
概念の壁は物理的障壁として強固なものだが、そこに物質があるわけではない。
概念はあやふやだ。
魔界は、そんなあやふやなもので、できている。
魔導船に設置した装置は、強固な概念の壁を一時的に霧かなにかのように変えてしまうのだろう。
そして自重により、自動的に魔界が下がる。
装置がマジル平面より下にいったときに止まるのは、その辺のことが原因なのかもしれないと祐二は考えていた。
「うん……間に合いそうだな」
魔界全体が震えている。
いま魔界は、体感できないほどゆっくり沈んでいる。
祐二たちはドックを飛び出し、魔界門へ走る。
おそらくあと数十分か数時間で、魔界門はマジル平面の中へ消えていく。
魔界は沈降し、『インフェルノ』を飲み込んだところで止まるはずだ。
そのとき魔蟲はどうなるのだろうか。ふと祐二は考えた。
魔窟は塞がれ、もうこの魔界へは出入りができなくなる。
これから何百年、何千年、魔蟲はここに閉じ込められるのだろうか。
「魔蟲にも寿命があるといいな」
さすがに永遠に閉じ込められたままというのは、可哀想ではなかろうか。
「ユージ、なに?」
「いや……なんでもない。それよりもう魔界門だ。これで魔界も見納めだね」
「そうね。全然残念じゃないけど」
「私は少し……残念かな」
フリーデリーケと夏織でやや違った感想が返ってきた。
三人が魔界門をくぐると、ヴァルトリーテをはじめとした、カムチェスター家の面々が待っていた。
「ユージさん、おかえりなさい」
「ただいま戻りました、ヴァルトリーテさん。それにみんな」
「「「おつとめ、ご苦労さまでした!」」」
「ええっ!?」
なぜか祐二は、出所した若頭のような扱いを受けていた。
――叡智の会 旧本部地下 魔界門
祐二が装置を作動させる少し前。
各家の魔法使いたちは、順番通りに魔界門をくぐって、地上へ戻っていった。
基地やドックを放棄しての帰還だったが、多少慌てている者はいたものの、大きな混乱はなかった。
作業員の退避が終わると、各家の魔導船乗りの退避がはじまる。
魔界門に近いミスト家から避難をはじめ、バラム家、ロスワイル家と続いていく。
ただしロイワマール家だけは、最後ということになった。これは仕方ないことだろう。
ロイワマール家に対しては、呼びに行くまでドックで待機するよう、要請があったのだ。
ランクは、黙ってそれを受け入れた。
最後と言っても、カムチェスター家が装置を動かしてから避難するため、実質的には最後から二番目の避難となる。
言われた通りランクは、他家が魔界門に消えてゆくのを眺めながら、最後の最後まで魔界に残り続けた。
「よし、我々の番だ。荷物はいい。順番を守れ、そして慌てるな」
出戻ってきた裏切り者ということで、魔界門の敷居がかなり高く感じるランクである。
恥ずかしいところは見せるなと、日頃より増して、より規律正しく行動することを求めた。
魔界門は一人ずつ潜るらしい。
並んで順番を待ち、ランクも魔界門を潜る。
ランクには副官が二人おり、一人は最初に魔界門を潜らせた。ランクは真ん中だ。
そして最後に魔界門を潜ったのも、副官である。
「これで全……何をする!?」
やけにものものしい雰囲気だと思っていたが、最後の副官が魔界門を潜ったとき、警備兵たちが一斉に動いた。
副官はわけも分からず地面に伏せた。
魔界門を守っているのは実戦経験豊富な傭兵たちである。
彼らの引き金は軽い。
立ち向かったり、逃げたりした場合、問答無用で銃弾が降り注ぐだろう。
「やっぱり最後にいたさね」
「予想通りでしたね」
ノイズマン、それにカムチェスター家のエルヴィラがやってきた。
「何が予想通りなんだ?」
「見てみな」
複数の網が投げられ、副官がもがいている。だが、それだけではなかった。
副官の後ろに不自然な網の膨らみがもうひとつあった。
「あれは? いや、まさか……合わせ鏡の魔法使い!?」
「そういうことさね。こっそり船に乗り込んでいるんじゃないかと思っていたが、まさにそのとおりになっていたさね」
「なぜ?」
「なぜ分かったかっていうのかい? コイツが魔界に消えたときから、これを準備していたのさ。魔界門を潜って出た先には、プレートが仕込んであって、体重が表示されるようになっている。一人の人間に二人分の体重。間違いないだろ?」
エルヴィラがスマートフォンを振った。
そういえば、魔界門を抜けた先にみなれないプレートがあった。
どうやらこのプレートに乗った人物の重さが、スマートフォンに表示されるらしい。
「つまり……ジェミニ砦から脱出したときからずっと、船に隠れていたのか」
合わせ鏡の魔法使いイノンドは魔法で姿を隠し、認識を阻害する。
ランクは知らないうちに、ここまで連れてきてしまっていたらしい。
「ようやく満願成就だねえ。婿の敵、討たせてもらうからね……もちろん、たっぷりと調べた上でね」
エルヴィラが顎をしゃくると、四方八方から麻酔銃が打ち出された。
網はしばらく揺れたあと動かなくなり、いままで何もなかったところに一人の壮年男性が現れた。
「……ふん、そんな顔をしてたのかい。まあいいさ、じっくり見る機会はあるんだし」
「そうですね。手枷と足枷を付けたら連れていきなさい」
傭兵たちが動き出し、イノンドを運んでいく。
その様子をエルヴィラは満足そうに眺めていた。




