017 偶然の邂逅
「綺麗な人だなぁ……というか、こっちに来てから、綺麗な人をよく見かけるんだけど、叡智大に芸能部門とかなかったよな」
島内を散策していた祐二は、向こうから歩いてくる妙齢の女性に目を奪われた。
ハリウッドの有名女優と言われたら、確実に信じてしまいそうなほど美しく、祐二の目を引いた。
ほへーっと祐二は、まるで呆けたようにその女性を見つめたが、向こうがそれに気付いた様子がない。
「あの愁いを含んだ表情がまた……」
笑顔が似合う女性もいれば、その逆もいる。
何かに悩んでいる表情に祐二が見惚れたそのとき、女性が転んだ。
「――あっ!」
祐二とその女性が同時に叫んだ。
女性が強かにヒザを打ち付け、その衝撃で肩口のバッグがずり落ち、中から丸い物体が転がり出てきた。
「……おっと!」
祐二は駆けより、転がってきたものを拾う。
それは不思議な球だった。
ソフトボールより大きいが、バスケットボールよりは小さい。
ガラスや水晶のように透明だが、触った感じでは、ゴムのように柔らかかった。
「これ、落としましたよ」
「ありがとうございます。それはとても大切なものだったの。下まで転がらなくてよかった」
心底ホッとしたような声が返ってきた。
祐二は声も素敵だなと思いつつ、球を持っていく。
「あっ、でも、転がってきたので、傷ついているかも」
祐二は、表面を触って傷の有無を確かめる。すると……。
「うわっ、光った!?」
なで回したからだろうか、球がほんのりと光を発した。
「これ、光ってますけど、だ、大丈夫ですか?」
何か変なことをしただろうかと祐二が心配になったが、彼女はというと、これ以上ないほどに目と口を大きく開いていた。
「あの……?」
壊れてしまったのかと、祐二はおもわず強く握りしめた。
光は強さを増し、手が球に吸い付いて離れなくなる。
「あれ? 手がくっついて……どうして?」
人はパニックになると、ついつい出来ることを繰り返してしまう。
祐二はさらに強く握り、その都度、光が増す。
そしてついに、光は球全体にまで及び、これまでとは比べものにならないほどの強い光が放たれた。
「な、なんなんだ、これ? 電池? バッテリー?」
あまりの事態に、祐二の反応が遅れた。
女性は、つい先ほどまで蹲っていたとは思えない俊敏さで、祐二の方へやってきた。
「痛たっ!」
勢いが付きすぎて、祐二と彼女の額がぶつかった。
だが女性はそんなこともお構いなしに、祐二を抱きしめた。
「○@×$&……!」
早口でまくし立てられ、祐二は何を言っているのか聞き取れない。
それがドイツ語だと分かったのは、大分経ってからだった。
そのときの祐二は、抱きしめられた衝撃と押し当てられた柔らかな胸にドギマギし、とてもよい香りが鼻腔をくすぐったことで、半ば思考がマヒした。
手を引かれ……いや、羽交い締めされるようにして、祐二は……言葉を飾らなければ「拉致」された。
さすがに本気で振りほどけば逃げられたが、女性があまりに本気で、そして涙ながらに耳元で叫ぶため、結局されるがままになってしまった。
「ゆっくり話してください。聞き取れる速さで、お願いします」
涙声と嗚咽が交じった声は聞き取りにくい。
かろうじてドイツ語であることは理解できた。だが、嗚咽交じりの早口でうまく聞き取れない。
強引に引っ張られたが、さすがに大泣きしている女性の手を振りほどいて逃げ出すほど、祐二は薄情ではない。
されるがまま、しばらく従っていると、女性は祐二を古くて立派な建物まで連れて行った。
ここでようやく落ちついたのか、少しだけ聞き取りやすい言葉を祐二に放った。
「あなたの所属……いえ、どこの家の者ですか?」
だが、言っている意味は分からない。
「どこの家の者って……それ、どういう意味ですか?」
女性が話しているのはドイツ語。落ちつけば、祐二でも聞き取ることができる。
日常会話はもう大丈夫だと講師からお墨付きを得ているため、女性とも普通に会話が成立した。
「他家の……どこかの一族に連なる者だとは分かっています。いえまさか、一族の長――宗家の者ですか?」
「……はい?」
会話が成立するが、言っている意味が分からない。
どうやら祐二とこの女性の間には、現状認識に大きな隔たりがある。
情報が足りていないだけでなく、根本のところで勘違いしている可能性もあった。
祐二は少しだけ考え、まず自己紹介した。
「俺は、如月祐二と言います。日本人です。数日前から、叡智大に通うために日本からやってきました。もうすぐ十八歳です。これまでずっと日本の家族のもとで暮らしていましたので、いま話されている内容の意味が理解できません」
祐二は相手に分かってもらえるよう、大きな声で、ゆっくりと発音した。
すると女性はキョトンとした表情をしたあと、クスクスと笑い出した。
まるで泣き笑いのような表情だ。
「一族の者に言い含められているのかしら? でも、その手は通用しないわ。魔導珠が光ったということは、私とそれなりに近い親類になるもの」
初耳である。
この女優のような美人は、祐二と自分は親戚だと言っているのだ。
しかも相手は、それを疑っていない。
女性が笑い始めたように、祐二も笑った。乾いた笑いだが。
「ひとつずつ、意見のすり合わせをしたいのですが、構いませんか?」
女性は頷いた。
言葉は通じているようなので、このまま続けることにした。
「俺はあなたのことを知りません。それと途中で出てきた魔導珠というのは、あの球のことだと思いますが、見るのは初めてです。その辺のことを説明してくれたら、少しは分かることもあるかもしれません」
「…………」
今度は信じられないものを見たような表情を浮かべた。「本気なの?」と顔に書いてある。祐二は「表情豊かだな」と秘かに思ったほどだ。
「俺の言葉は本当です。話を進めるためにも、説明をお願いします。あっ、その前にお名前を伺っても?」
やや固い言い方になっているのは、まだドイツ語に慣れていないからだ。
「私の名前はヴァルトリーテ。カムチェスター家の当主よ。栄光なる十二人魔導師の末裔にして、魔導船を所有する魔法使いの家系。如月……ええっと、ユウ・ジィさん? あなたがカムチェスター家の血を引いていなければ、あれは絶対に光りません」
「ユ・ウ・ジです。呼びづらかったら、ユージでもいいですよ」
「では、ユージさん。あなたと私は、先祖のどこかで血が繋がってるわ」
その女性――ヴァルトリーテは、確信した表情で言い切った。
ここで「いえいえ、俺は生粋の日本人ですので、それは勘違いです」と答えられる雰囲気ではない。
そんなことを言えば、誤魔化している、もしくは隠していると怒られそうである。
「……少しだけ、考える時間をください」
ヴァルトリーテは頷いた。
祐二の父親史継は、如月家の三男だ。実家は東北の農家。
父親の帰省に何度もついていったから、親類の顔も名前もよく覚えている。
その中に外国人は一人もいない。
そもそも如月家は、先祖代々、東北の片田舎で農業を営んでいる。
史継は身一つで東京に出てきて、公務員になったと聞いている。
ヴァルトリーテは、カムチェスター家の血が祐二に入っていると言う。
だが如月家は、戦国時代まで遡っても、あの地から動いていない。
では祐二の母や祖母のように、如月家に嫁いできた人がそうなのか。
「まてよ……?」
そこで祐二は少々、引っかかるものをおぼえた。
母方の祖父のことだ。
母方の祖父は、祐二が小さい頃に亡くなったと聞いている。
「たしか権蔵お祖父ちゃん……」
ほとんど記憶にないが、写真を見ると、祖父はやたらと彫りの深い、日本人離れした顔立ちだったと思う。
祐二の母清花は、日本人にしては珍しく背が高い。
昔請われてバレーボールをはじめたくらいには、体躯が同世代と違っていたらしい。
いまでこそスタイルのよい、背の高い女性は増えたが、当時の日本人女性の中ではかなり目立っていたという。
よく考えてみると、母も祖父もそれなりに日本人離れした顔のような気がする。
「もしかすると母の実家、鴉羽と言うんですけど、そこに聞けば分かるかもしれません。とにかく俺には、いま聞いた話に心当たりがないですので」
かろうじて祐二は、それだけ言った。
思い当たることが、本当にそれしかなかったのだ。




