168 遠征準備
基地での待機任務では、基本的に暇である。
暇でない場合は地球が危険なので暇の方がいいのだが、それはそれで時間をどう潰していいか分からない。
これまでは適度に――シナイ山が見える範囲で――船団行動の練習をして過ごしていた。
もちろん、イザというときに魔力が減っていては大変だが、何もしないよりかははるかにマシである。
そしていま、祐二は待機任務にもかかわらず、『インフェルノ』で魔蟲を消して回っている。
それだけ近づいてきた魔蟲が多いのだ。
ややシナイ山から離れてしまったが、全船団が出張っているわけではない。
周囲の安全を確保しつつ、祐二は頭の中を整理した。
「……遠征か」
ヴァルトリーテはいま、臨時の当主会議に出かけている。
逆侵攻から戻ってきた三家の魔導船は、18番魔界で大小の損傷を受けたため、修復作業中だ。
持ち帰った観測データによると、魔蟲の数はすさまじく、その一部がやってくるだけでも、地球滅亡の可能性がかなり高いらしい。
ではどうすればいいのか。
それを話し合っているため、当主たちは喧々囂々の言い争いをしていた。
もう一度逆侵攻するか、この魔界で防衛戦を張って魔蟲を迎え撃つか。
それとも、「終わらせるもの」を信じて「はじまりの地」へ赴くか。
ロイワマール家の裏切りと、地上でおきた武力紛争。
魔蟲以外にも解決すべき問題は多い。
当主たちの悩みは尽きない。
数日ぶりに祐二は地上へ戻った。
居場所さえハッキリしていればいいらしい。
何かあればすぐに連絡がくるし、どのみち魔界門から遠く離れることはないのだから、少しくらい地上に出ても問題はないようだ。
「話は聞きました。なんでも魔導船を発見した場所への行き方が分かったとか」
マリーが現れた……というより、以前から祐二に連絡を寄越していたらしく、ようやく会うことができた感じだ。
「場所が分かったかもしれないというレベルですけど、耳が早いですね」
「ちゃんと叡智の会から忖度がありまして、しっかりと教えてくれたのです。同時に、魔界の問題も終わらせられるとか」
「魔界の問題? ……ああ、魔蟲を何とかできるかもしれないという……アルテミス騎士団の本部伝わっている『終わらせ方』の話ですか」
「忌々しいことですが、あちらが随分と貢献したようで。まあ、発端は私の努力の賜物なのですけど」
マリーはふんすと怒ってから、胸を張る。
「そうですね。マリーさんにはお世話になりました。あの話がなかったら、ずっと分からないままだったと思います」
「魔蟲は人類の脅威ですから、バチカンでも期待しているのです。なぜ、その場所へ向かわないのですか?」
「いま、あっちこっちで大変なことになっていますので、そのせいでしょうね」
「ふむ……蔡一族の仕業ですね。あれは本当にロクなことをしない」
「知っているんですか?」
「私利私欲にまみれた信仰心の欠片もない一族ということを知っています。ユージさんが知る必要もないことで財をなした極悪人の集団です」
「ヴァルトリーテさんが言うには、遅かれ早かれ、『はじまりの地』へは行くことになりそうだと言っていました」
「まあ、そうでしょうね。ただそれが遅くなると」
「問題が片付かない限りは……」
蔡一族がゴランの社員を狙ったことで、死傷者が続出している。店舗や流通に携わった人物もその対象だ。
こういう通商破壊は地味に効くらしく、叡智の会も頭を抱えているという。
「……分かりました。そちらの件は、バチカンでも動きましょう」
「マリーさん?」
「信者は世界中にいるということです。バチカンが総力を挙げれば、たいていのことは解決できます。たとえそれが、武力を持った相手でも」
期待していてくださいとマリーは物騒なことを言ってから帰っていった。
一週間後、蔡一族の動きが急に鈍くなったと祐二は聞いた。
マリーが上に掛け合ったのだろう。
バチカンの影響力をまざまざと見せつけられた形になったが、それで当主会議の方向性が示されたといえる。
これまでは、何度会議しても結論がでないままだった。
だが、地上の問題が一段落ついたことで余裕を持てたのか、「はじまりの地」へ向かう案で当主たちの意見が一致した。
「出かけるのは、すべての船の修復が完了する六月中旬に決まったわ」
ヴァルトリーテはそう祐二に告げた。
魔導船が少ない現状、本格的な魔蟲の侵攻には耐えられない。
このまま防衛戦を敷いて、座して死を待つよりも、わずかな望みにかけることにしたのだ。
「ルートからすると、魔窟を四回抜けることになりますね」
「そうね。今回は小型魔導船を置いていった方がいいという結論になったの」
船足が遅く、魔力切れの早い小型の魔導船は、長距離の遠征には不向きだ。
とくに魔蟲の侵攻が危ぶまれているいま、ゆっくりと時間をかけて移動してはいられない。
「構成はどんな感じになるんです?」
「中型船以上の上位三家で赴くことに決まったわ」
「上位三家というと、アームス家、ロスワイル家……」
「そしてウチよ。残りの船は、全力で魔蟲から地球を守ることになるわ」
「責任重大ですね」
「ええ……栄光の叙事詩には、栄光なる十二人の魔導師について詳しく書かれているけど、なぜか『はじまりの地』については、なにも触れていないの。タブーだったわけでもないし、知りたがる人も多かったのに……でもその謎は、たったひとつのことで解けると思うの」
「『終わらせるもの』……ですか?」
ヴァルトリーテは頷いた。
「十二人で示し合わせて、故意に伝えないようにしていたのかもしれないわね」
「はじまりの地」には魔導船だけでなく、魔蟲の脅威を終わらせる方法が書いてあった。
もしくはそれを可能とする何かがあった。
それを知っているのは十二人のみ。
ならば、口をつぐんでもいいのではないか。
魔蟲の脅威があれば、自分たちの子孫は未来永劫、人類から頼られる存在になる。
魔蟲は魔導船さえあれば、なんとかできるのだから。
「まさか、時代を経るごとに魔法使いの力が弱まったり、魔法使いそのものが生まれにくくなるとは、思わなかったのでしょうね」
「魔導船が修復できないほど傷を負って大破したり、後継者がいないことで自沈するとは、考えなかったのかもしれないわ」
十二家が所有していた魔導船で、現存しているのは八家のみ。
その中の一家は離反した。使えるのはもう、たった七家しかないのだ。
「ユージさんには迷惑をかけると思うけど、人類の未来のために頑張ってほしいの」
「ええ、大丈夫です。問題ありません。行って帰ってきます」
そこからは慌ただしかった。
今回の遠征は一発勝負。心残りがないようにと実家に帰ることも勧められたが、祐二は断った。
たしかに最後になるかもしれないのだ。
実家の家族に顔見せした方がいいかもしれない。
だが、船団の運用から緊急時の行動など、事前に決めておくことは多い。
一旦、飛び立てば、他の船員と顔を合わせる機会はほぼない。
意思疎通は事前に完璧にしておかねばならない。
そして今回は総力戦。準備に漏れがあってはいけないのだ。
今回の遠征、カムチェスター家は最強のメンバーで臨む。
祐二は大学に戻ったり、帰国する時間を惜しんで準備に奔走した。
これ以上ないほど準備が整ったと祐二が感じた頃、来客があった。
旧本部にいる祐二のもとへ、ロゼットが顔を出したのだ。




