160 アナグマたちの狂宴
――ダックス同盟
「アナグマたちの集い」を表すダックス同盟は、北米の企業やファンド、個人投資家たちの集合体である。
ウォール街を襲った大恐慌を生き延びた資産家たちが結成したとも言われ、当初は固い結束が売りだった。
彼らは社交によって様々な情報を交換し合い、手を取り合って発展してきた歴史がある。
だが、社会が高度に情報化されたいまとなっては、その結束もタガが外れてしまった。
互いに顔を合わせる頻度が減り、電話やメール、はてはSNSなどでの交流でしか、互いの存在を認識しなくなってしまった。
必然、横の繋がりは希薄となり、一時的にこちらが損しようとも相手を手助けするなどと考える者は皆無となってしまった。
利己的な者たちが、己の利益のみを追求する場となっていったのである。
同志の中でさえ、しのぎを削り、蹴落とすこともありえるのである。
それがいまのダックス同盟。
「――使えん!」
多くのファンドを配下に持つダックス同盟幹部のリチャード・蔡は、ゴランとの経済戦争の推移報告書を眺めて、そう吐き捨てた。
すでに初期の段階で、ある程度の利益を確保してあるため、これ以上の介入はとくに必要ないとリチャードは考えていた。
もちろん、追加融資の嘆願は引きも切らないが、すでに趨勢は決しており、あとは消化試合である。
狩り場が消えたら、別の狩り場を探せばいい。リチャードはそう考えているし、いまだ狩り場に残っている者たちのことなど、どうでもいいとさえ思っている。
リチャードが本気で投資していれば、戦いはまだ分からないだろうが、そこまでする意思はまったくない。
思ったよりもかなり少ないが、利益も出ている。
損を出す前に完全撤退した方がいいだろうと、リチャードは決断を下した。よって……。
「ゴランとやり合っている連中からの要請、要望はすべて拒否しろ。情報もあげなくてよい。それと傘下で関わっている者たちには、完全に手を引くように通達しておけ」
「かしこまりました」
リチャードの言葉に部下は深々と頭を下げた。
これでいい。あとは部下がすべて手配してくれる。
もう自分を煩わせることもないとリチャードは満足し、次の金策に意識を向けた。
このとき、劣勢を悟ったダックス同盟の者たちが何を画策していたのか、リチャードは知らない。
知れば、止めさせたであろう。
追い詰められた彼らは、武器商人たちを通して、中東で活動する傭兵たちとコンタクトを取っていたのだ。
一切の情報を遮断したリチャードのもとへは、それらの情報の一切が上がってこなかった。
忙しくも平穏な日々がしばらく続いた。
祐二はゼミ室で粘土板の解析をしつつ、少しでも遅れを取り戻そうと、授業を真剣に受けていた。
空いている時間に授業の復習をするが、さすがに分量が多すぎて、四苦八苦していた。
そんな灰色の学生生活を送っていると、夏織が祐二のもとへ駆け込んできた。
「如月くん、ついに許可がおりたの。これで一緒に魔界へ行けるの!」
「それはおめでとう……それと、久しぶりだね」
夏織はしばらく、叡智大から離れて魔界で下積みをしていた。
そのため、祐二は夏織と会う機会が減っていた。
「そういえば、久しぶりね」
思い出したのか、やや照れた表情を見せる。
日頃から完璧な振る舞いを見せる夏織だったが、最近は喜怒哀楽が激しいように祐二は思った。
高校時代の夏織も人気が高かったが、いまの夏織も周囲から魅力的に映るだろう。
それはそれでおもしろくないなと祐二が考えていると、夏織がやや真面目な顔を向けてきた。
「本部で研修していたときに聞いたの。いろいろあったみたいね」
「ああ、ロイワマール家のことかな」
夏織が頷いた。
「予定より許可が下りるのが早かったのは、魔法使いが減ってしまったからよね、きっと」
ロイワマール家が出奔したことで、いま叡智の会は慢性的な魔法使い不足に陥っている。
もともと少ないのに、裏切り者が出たのだ。
本部や魔界の基地は、信用できる者にしか任せられないので、このところ魔法使いの間で激務が続いていると聞いている。
「各家にも、何人か出して欲しいと話があったみたいだよ。もちろん、研修してから入ることになるみたいだけど」
「そうなの……」
緊急時、魔界へおりられる者は、早急に確保しておかねばならない。
本部としては、頭の痛い状況だろう。
それゆえカムチェスター家の予想よりも早く、夏織に許可が出ることになったのだろう。
そこまで研修に手間暇をかけていられないと思ったのかもしれない。
「それでいつから魔界へおりられるの?」
「これから許可証を発行するんだけど、おそらく来月には行かれそう」
喜色満面とはこのことだろう。笑顔が眩しいと祐二は思う。
それだけ夏織が待ち焦がれていた証左でもある。
「来月か。それじゃ、もう授業には出られるんだね」
祐二同様、夏織も学生の身でありながら、なかなか授業を受けることができなくなっていた。
高い魔力を持つ者は、学生のうちからそういうことはあるため、大学側もよく分かっている。
それでも試験をクリアしなければ、卒業資格は得られないのだ。
だが夏織は、申し訳そうな顔を祐二に向ける。
「これから月の半分は、カムチェスター家で一族としての鍛錬を始めるの。魔法使いの一般常識はあるからいいけど、カムチェスター家独自の……ね」
「そうなんだ。軍人と同じ鍛錬になるんじゃないのかな」
あれは大変そうだと祐二は思った。
現在、『インフェルノ』に乗り込むとき、一族の者たちとよく会う。
祐二から見て全員が「優秀だな」と思える程、鍛えられている。
つまり夏織を短期間でそのレベルにするということなのだ。
それに、魔導船に乗ったとき戸惑わない勉強をする必要がある。
専門用語もあれば、部署で行う仕事もある。魔導船について覚えることは膨大だろう。
そしていくら魔界に赴けるようになるとはいえ、夏織はその中で一番の新米。
行動で周囲を認めさせなければならないのだ。
「俺も勉強したけど、カムチェスター家独自のしきたりや仕事って結構あるんだよね」
「各国の政治家たちと親しいんでしょう?」
「先代当主はそうだったらしいね。ヴァルトリーテさんもよくやっているけど、いまは当主の仕事の方に比重を置いているみたい」
各家は、得意な分野で叡智の会に協力することになっている。
カムチェスター家は、政治という分野で、長年貢献してきた歴史がある。
当然、一族の者もそれを補佐する義務があり、魔力の高くない者たちは、それこそ世界中を飛び回っているのだという。
「まあ、すべてを覚える必要はないし、時間をかけて吸収していけばいいと思うよ」
「そうね。一族の人たちに比べればハンデがあるし。でも頑張らないわけにもいかないから、まだ当分は忙しい日常が続くんじゃないかしら」
本当にこの世界の魔法使いは、働き者が多い。
「勉強は大丈夫? 俺は結構厳しいんだけど」
「月の半分は戻ってこられるから、そのときにまとめてやる感じになると思うわ」
「それじゃ、ゆっくりできる時間がないよね」
「そうなの。向こうでも課題と宿題が出るみたいなのよね。どうなるのかしら」
そういいつつも、夏織はどこか楽しそうだ。
どうやら、彼女が落ち着けるようになるのは、まだ当分先のことらしい。
「でも、許可が下りたら、本格的に忙しくなるもの。もしかしたら、いまの方が楽なのかも」
「うへえ」
それは欺されているか、洗脳されているのではなかろうか。
喜ぶ夏織の様子を見て、祐二はそんな風に思った。
ちなみに祐二も相当忙しい。
それでも普段から飄々としているため、特別科のクラスメイトから同じような目で見られている。
もちろん祐二は、そのことを知らない。
160話まできました。
残すところあと20話です。




