153 苦難するアルテミス騎士団
――カリフォルニア アルテミス騎士団 ロゼット
ハイネブルスがなぜこうも疲弊しているのか。ゴランとの経済戦争はどうなっているのか。
ロゼットは気になった。
「父さま、少しお休みになった方がいいのではないですか?」
「そうなんだが、そうも言っていられないのだ。何しろ、協力者であったダックス同盟が内部で分裂をはじめてね」
多くの企業とファンド、それに投資家が集まったダックス同盟は、金と商品を持ち、流通に精通している。
アルテミス騎士団は、著名人の支援者を多く抱えている。
財界に強いダックス同盟と、芸能界に強い人脈を持つアルテミス騎士団は、互いを補い合える良きパートナーとなるはずであった。
一方のゴランは、金も商品もコネもすべて自前で揃えることができる。
それも世界規模でだ。
ゴランと個々で立ち向かっても勝負にならないが、ダックス同盟とアルテミス騎士団が手を取り合えば、よい勝負ができるところまで持っていけるはずであった。
だが、ダックス同盟は船頭の多い船ゆえ、意思疎通と意思決定に多くの時間を費やす。
経済で一度でも後手に回ってしまえば、盛り返すのは至難の業。
どこかをテコ入れしている間に、各個撃破されてしまうのだ。
ハイネブルスは騎士団のコネをフルに使い、空いた穴を塞ぐため、日夜奔走していた。
それでも穴は多く、いくら塞いでも焼け石に水の有様となっていた。
ハイネブルスの活動は人任せにはできない。
有力者に頼み事をするのに、簡単な説明で済ますわけにもいかない。
必然、一人にかける時間も長くなり、ハイネブルスは休憩時間どころか、睡眠時間までも容赦なく削ることになってしまった。
それでもまったく追いつかないのである。
「父さま、それで粘土板のことなのですけど、ヴァチカンとユージさんにどこまで伝えたらいいでしょうか」
アルテミス騎士団は盗人集団ではないことが分かった。
だが、それを説明するためには、多くのことを話さねばならない。
話したことで、これからの関係も変わってしまうことも考えられる。
何をどう伝えるかは、思ったよりも重要な問題だった。
「すべてを話すのは難しいだろうね。私だって、いまだ信じられないのだから」
「では……」
「粘土板は正真正銘、我が騎士団のものであると伝えてもいいだろう」
「はい。もとはそうであることを証明するための旅でありましたので、問題ありません」
「当然理由は聞かれるだろうね。粘土板はこの世のものではないと聞いたのだろう? それを伝えて、魔法使いに託されたと話しなさい」
「話してしまっていいのでしょうか」
「その分、重要な部分は隠せる。アルテミス騎士団が魔法使いの従者だったとか、その粘土板を『終わらせるもの』と呼んでいたことは秘匿しなさい」
「真実の一部を伝えることで、他をごまかすのですね」
「まあ、そうなるかな。疑いが晴れたのだから、あとは堂々としていればいいさ」
「……分かりました。それではこの写真はどうしましょう」
「見せてもいいのではないかな。我々には分からないのだ。逆に何か分かることがあるかもしれない」
「なるほど、そうですね」
ロゼットはスマートフォンの中にある写真を見つめる。
マリーの話から、粘土板は一枚だけだと考えていたが、本部で見せてもらったとき、全部で五枚あった。
スマートフォンの残りバッテリーが心もとなかったため、全体と一番上の接写の二枚だけ、写真を撮っておいた。
それだけならば、見せても構わないだろう。
「ゴランとダックス同盟との戦いは、こちらの敗北で終わりそうだ。ここから巻き返しは難しい。あとはどこで引くかになると思う。ただ、懸念していることがひとつあって、いくつかの企業で、かなり危ない連中と取り引きがあることが分かった。追い詰められた彼らが暴発する可能性がある」
敗色濃厚であるにもかかわらず、ハイネブルスが踏みとどまっているのは、それがあるからだ。
そうでなければ、早々に見切りをつけ、ダックス同盟と袂を分かっている。
ハイネブルスがいるからこそ、なんとかして持ちこたえさせているのが現状なのだ。
もしいなければ、今回の経済戦争はハードランディングしていることだろう。
「では父さまはしばらく動けませんか?」
「ああ、私がここから動くと、いっきに瓦解する。当分は離れられない」
「分かりました。こちらはおまかせください」
「頼んだよ、我が娘」
「はい。団長の娘として恥ずかしくない行動をご覧にいれます」
ハイネブルスは、満足そうに頷いた。
ケイロン島にある叡智大。
「ようやく授業が終わった……」
特別科二年の教室で、祐二がそっと息を吐いた。
いつものことだが、しばらく学校を休んでいたため、授業についていくのが大変になっている。
祐二の場合、授業は公欠扱いになっているものの、試験ができなければ、再履修が待っている。
それでも合格しなければ、長期休みに補講を入れられてしまう。
そうならないためにも、これ以上勉強が遅れることは避けたい。
教授が教室から出て行ったところで、祐二の緊張が解けた。
祐二が帰る支度をしていると、壬都夏織が教室に入ってきた。
自分の教室から走ってきたのか、頬が上気している。
「えっ? 壬都さん……どうして」
もし用事があっても、スマートフォンで連絡がとれる。
よほど緊急なことでもあったのかと祐二が身構えていると……。
「如月くん、ついに! ついにですよ!」
首にかじりつかんばかりに、夏織が顔を近寄せてきた。
最近、こういうこと多いなと思いつつ、やんわりと夏織を離す。
「えと、何のこと?」
夏織は喜んでいる。とても良いことがあったのは分かる。
だがここは特別科の教室であり、いまだ多くの学生が教室内に残っている。
「運搬随員として、魔界に行く許可が下りたの!」
喜色満面で言われ、祐二は反射的に「おめでとう」と伝えたものの、その運搬随員というのがよく分からない。
「ありがとう! これで魔界に行ける許可の大部分が下りたのよ」
「そうなんだ。おめでとう……それで、運搬随員ってなに?」
夏織の説明によると、思想チェックや家系の調査など、さまざまな試練をクリアしたことで、より実践的な試練が夏織に与えられることになったらしい。
魔界には多くの魔法使いが交代で詰めており、各家もドックに一族の魔法使いを常駐させている。
夏織はまだ、そういった人たちと同等には扱われないが、魔素に慣れるため、魔界内での仕事を手伝うことで、その適性を見る段階まで進むことができたらしい。
「許可証の仮発行が下りたって、さっきヴァルトリーテさんから連絡が来たの。しばらく魔界内で監視付きの仕事をして、適性があることを示す必要があるのだけど、それをクリアしたら正式に許可証が発行されるの」
「な、なるほど……」
魔界の基地で生活する魔法使いが多くいる。つまり、必要とされる物資もまた多く必要となる。
水や食料だけでなく、生活に必要なものを地上から基地へ持ち込まねばならないのだ。
もちろんゴミが出れば、そこら辺に捨てることもできない。ちゃんと地上に持ち帰らねばならない。
そういった物資やゴミを地球と魔界の間を運ぶ者たちがいる。
そのような仕事をするものを運搬要員と呼ぶ。
魔界へ赴くのだ。
運搬要員も魔法使いでなければならない。
今回、夏織は彼らについていき、一緒に物資を運ぶ仕事が与えられた。
まれに魔法使いでありながら、魔素に耐性がなく、体調を崩す者が出る。
そういった者を魔導船に乗せて、いきなり何日も遠征に行かせるわけにはいかない。
ゆえに、魔界へ下りる許可証を出す最終試験として、魔素が満ちた魔界で働かせて適性を見るのである。
「しばらく……もしかすると一ヶ月くらいかかるかもしれないけど、絶対にやり遂げてくるからね!」
「ああ、期待しているよ」
人がまだ残る教室でそんな会話をしたことで、夏織の存在は、特別科二年の間で一躍有名になった。
なんにせよ夏織は、野望にまた一歩、近づいたのだった。




