149 祐二の質問
「三世紀頃の話らしいんですけど……やはり知らないですよね」
「ちょっ、ちょっと待ってください。一体何の話ですか?」
ノイズマンは慌てた。
「アルテミス騎士団が、叡智の会から粘土板を盗んだという人がいまして、いまそれを確かめてもらっている最中なんです」
「……すみません。初めからお話しいただけませんでしょうか」
「そうでしたね。えと、ロゼットさんというアルテミス騎士団の人からホームパーティに誘われたんですけど」
「……はい?」
ノイズマンは、自分でも間抜けな声をあげている自信がある。
だが出てしまうものはどうしようもない。
そもそもなぜアルテミス騎士団が出てくるのか。ホームパーティに誘われたとはどういうことなのか。
北米で鎬を削っている状況で、ホームパーティとはいかなる策略なのか。
一瞬の間に色々な思考が渦を巻き、すぐにカムチェスター家当主ヴァルトリーテへの呪詛に変わった。
絶対に知っていて黙ってたなと。
「それでですね、そのパーティの席上でマリーさん……あっ、マリーさんというのは俺の友達で、バチカンの……奇蹟調査委員会の人なんですけど」
「…………」
ノイズマンは、眉間を押さえた。
いま、アルテミス騎士団のホームパーティの話ではなかったのか。
なぜそこにバチカンの異端審問官……いまでいうところの奇蹟調査委員会のメンバーが参加するのだ。しかも祐二の友人として。
理解が早いゆえに、ノイズマンの思考は千々に乱れた。これは一体、どんなカオスなのかと。
結局、祐二が最後まで話し終えるまで、ノイズマンは黙って聞いていた。
間抜けな声をあげないためである。
「……するとあれですか? アルテミス騎士団はその粘土板について調べると約束したのですか」
「はい、そうです」
「……なるほど」
キリスト教は、宗教として世界規模で迫害された歴史がない。迫害してきた歴史はあってもだ。
その総本山であるバチカンにならば、大昔の記録も残されていることもあるだろう。
マリーというシスターが嘘をついている可能性もあるが、それでもわざわざ三世紀の史料を持ち出してきたりはしない。
その記録が本物と考えた場合、たしかに叡智の会から盗み出された可能性が高いのだが、ノイズマンはもちろん知らない。
「こちらでも調べてみましょう。少なくとも、そういった事実は……私は知りません」
「そうですか。マリーさんがやけに堂々と断定してきたので、どうなのかなって思ったものですから」
「各家には、各家の歴史があります。それをすべて叡智の会に提出しているとは思えません。叡智の会も求めませんので」
「そうですね」
「もしかすると、どこかの家にあったものかもしれません。その場合、その家が記録として残しているかどうかが問題になりますが、おそらくはないでしょう。私も少し知っていますが、最初は口伝として伝わったようですので」
「そうなんですか」
「魔法使いは迫害を受け続けてきたのです。証拠となるようなものは極力家に置かない、持ち込まない。残したりしないというのが徹底されていた時代があったのです」
そこがバチカンとの違いであり、古い史料についてはほとんど期待できない。
「分かりました。マリーさんとロゼットさんに会ったら、そう言っておきます」
「それがいいでしょう。ただ粘土板のことは、私の方でも気にかけておきます」
「ありがとうございます。お願いします」
こうして祐二とノイズマンのヒアリングは終わりとなった。
最後はどっと疲れたノイズマンであった。
――アメリカ カルフォルニア州 オークランド アルテミス騎士団
アルテミス騎士団の団長ハイネブルスのもとに、娘のロゼットから連絡が届いた。
無事に使命を終えられたのだとホッとするものの、一度直接会って話をした方がいいと思うと、おだやかなではないことが記されていた。
本人はすぐにやって来たいらしいが、体力をかなり消耗していて、いまはロクに動けない状況らしい。
「何があったのだ……?」
そもそも出かけてから十日近くまったく連絡が取れなかったのだ。
本人は「あんなところ、電波が届くわけがない」と相当やさぐれていたので、本拠地はよほど辺鄙なところにあるのだろう。
無事に戻ってきて良かったと思うものの、こちらもそれどころではなく、ハイネブルス自身、もうどうしていいか分からなかった。
「……ここも連絡がつかずか。相変わらず、切り崩しがうまいな」
ゴランとの経済戦争は継続中。劣勢に立たされている。
当初こそ、奇襲によって相手を大いに慌てさせることができたが、それ以降が続かなかった。
相手が体勢を立てなおすと、すぐに反撃がやってきた。
同時に、こちらの弱点――結束が弱いところを狙って、切り崩しにかかってきたのだ。
これで足並みが乱れた。とくにIT系の企業がそれが顕著で、ゴランが継続的に仕事を斡旋するとなったら、途端に手の平を返しはじめたのだ。
拝金主義は別に悪いことではないが、昨日までの仲間がいきなり敵にまわったものだから、現場の混乱は推して知るべし。
このままでは、表の世界すら魔法使いに牛耳られてしまう。
頼みの綱のダックス同盟だが、ここのところ様子がおかしい。
いま探らせている最中だが、輸出禁止項目の軍事技術を売り渡しているらしいと報告があった。
それが事実ならば、由々しき事態である。
宇宙開発や衛星技術など、平和利用をうたっていたとしても、禁止されているものを輸出できるわけがない。
たとえいくつか国を挟んだとしても、それが渡った事実が明らかになれば、米政府は必ず制裁に動く。
「被害がこっちに及ぶだけでなく、信用問題にもなる。困ったな」
アルテミス騎士団に悪評がついてまわるのだけは避けなければならない。
とくに売り渡す相手が非政府側やテロ組織となれば、アメリカの世論は一気に傾く。
昔、とあるゲーム機の後継機が出たとき、その処理能力速度は当時としたらかなりのもので、飛行機テロを起こした組織が一発十万ドルで購入した誘導ミサイルに入っているチップより遥かに高性能だったらしい。
そんなゲーム機が数百ドルで買えるとあって、テロ組織のメンバーが一時期、日本の秋葉原に並んでいるなどという噂がまことしやかに流れたことがある。
実際、このように軍事転用できそうな技術は多々あるのだが、だからといって許されるわけでもない。
「決別した方がいいのかもしれないな」
ハイネブルスは前途を悲観して、そんなことを考えていた。
――トルコ イスタンブール とある町
「復活!」
アルテミス騎士団の本拠地を去ろうとしたロゼットだったが、ここがどこだか分からない。
へたに入国のない国から出ようとすると、騒動に発展する可能性もある。
それゆえ来たときと同じように車に乗せられ、何十時間もかけて国境を越え、そこから小型飛行機でイスタンブールの町まで戻ってきたのである。
もとの町に戻って気が緩んだのか、そこでロゼットは倒れてしまった。
栄養失調もあいまって、点滴を打ちつつ入院するハメになってしまった。
どうやら衛生状態の悪いところに長い間いて、さらに不衛生な場所にいたことで、体内に悪い菌がたくさん入り込んでいたようである。
本来ならば身体の免疫細胞が仕事をするのだが、極度の疲労と栄養不足によってそれができず、ロゼットの身体に悪い影響を与えたらしかった。
父親に連絡をしたあとでほぼ気絶状態となり、数日間の安静ののち、ようやく復活したのである。
「お父様のところへ行ってその後は……あの狂信女の好きにはさせないわ!」
病院を出たロゼットは、硬く拳を握りしめるのであった。




