144 ヘスペリデスの歴史
叡智の会本部はいまも、修復作業中である。
それでも中層階に被害はないため、ノイズマンはカムチェスター家のヴァルトリーテを呼び寄せた。
「すみませんね。当主会議を開きたいのですが、これではなかなか……」
「修復作業おつかれさまです。それにみな、出払っていますからね」
ヴァルトリーテは穏やかに答える。
アームス家のゴッツや、ロスワイル家のルドルフと言った主要三家のうち、二人までもが魔界にいる。
他の家も同様で、すぐに当主全員を集めろと言われても困るだろう。
「事前に伝えておけば、副官を魔界に派遣するなどして、都合をつけてくれたのですけどね」
「逆侵攻で、それはないのではないですか」
「まあ、そうかもしれませんね」
なかなか本題に入らないノイズマンに、ヴァルトリーテが訝しげな視線をむけると、「実はですね」とようやく切り出した。
「捕まえた黄昏の娘たちの構成員が、とんでもない情報を持っていたので、それを当主会議で図りたかったのですよ」
「とんでもない情報というのは?」
なぜ自分だけここに呼ばれたのか。ヴァルトリーテは首を傾げながら問いかけた。
「おそらくですが、二千年ほど前に造られた――アカシアの魔道具というらしいのですが、それは録音、再生する魔道具ということが分かりました。その内容をいま研究機関に送って、調べさせています」
大昔の魔法使いが、それに声を吹き込んだらしい。
古典ラテン語らしく、ノイズマンは再生した声を録音し、解析させている最中だという。
それとは別に、すでに中身を知っている構成員から、その内容を聞いたらしい。
「その声が語った内容が、とんでもない情報だというのですか?」
「はい。太古の昔、栄光なる魔導師がいた……からはじまる物語ですね」
「物語?」
「ええ……かいつまんで説明すると、こんな感じになります」
かつて、ひとりの優秀な魔法使いかいた。
他と隔絶するほどの力を持ったそれは、十二人の未熟な魔法使いを弟子にとり、自らの魔法を教えた。
「栄光なる魔導師と、十二人の弟子の物語です」
別の世界からやってきた異形の蟲は、その魔法使いと弟子たちによって倒された。
そのとき、地中に別の世界に通じる穴が発見され、栄光なる魔導師と十二人の弟子たちは、その穴へ足を踏み入れる。
「まあ、新しい世界を見つけたのですから、探索したくなりますよね」
「ええ……」
探索したくなるのかよく分からないが、ヴァルトリーテは頷いておいた。
ノイズマンの話は続く。
栄光なる魔導師は、食料や水を生み出すことができた。
またその魔法を弟子たちにも教えた。
別の世界へ探索に赴いた十三人の魔法使いたちは、侵略種と戦いながら、何年もかけて少しずつ探索する範囲を拡げていった。
「別の世界とは、魔界のことでしょうね。ここで悲劇がおきます」
十二人の弟子たちはもう、栄光なる魔導師についていくことができなくなった。
隔絶した力量差によって、ついに弟子たちの限界が来てしまったのだ。
弟子たちはもとの世界――地球に帰ることにし、栄光なる魔導師だけがその先を探索することになった。
五年、十年、長い年月が経ち、栄光なる魔導師が探索を終えて帰還すると、十二人の弟子たちは、栄光なる十二人魔導師として持てはやされていた。
「えっ? それって……」
「大事なところなので、もう一度いいます。栄光なる魔導師が探索を続けている間、地球に帰還した十二人の魔法使いたちが持てはやされていたのです」
どうやら十二人の魔法使いたちは、帰還の最中、とある場所で魔導船を見つけ、それを我が物として持ち帰ったというのだ。
「私たちが知っている話と違いますよね。整合性はいいとして、続きがあります」
当時、世界には多くの魔法使いたちがいた。
栄光なる魔導師が帰還したときにはもう、十二人の魔導師を頂点として、他の魔法使いたちが傅くピラミットができあがっていたのだ。
栄光なる魔導師は驚いた。
自分の探索についていけなかった弟子たちが、地上最高の魔導師として、その名声を確立させていたのだから。
栄光なる魔導師は、『栄光なき魔導師』へと変貌した。
彼ら十二人よりも長い間探索したにもかかわらず、何の成果も持たずに戻ってきたのだから、そう評されても、致し方ない。
「それが目的ではないのでしょうけど、やや可哀想ですね」
「その魔導師はどうなったのでしょうか」
「歴史にも登場していませんし、叡智の会の資料にもありません。もともと存在しないのか、人知れず姿を消したのか、魔界に篭もったのか。……ご存じの通り、魔導船は一族の血によってのみ受け継がれるわけですから、もしかするとその魔導船を探しに行ったのかもしれませんね。このあとで、ようやくヘスペリデスが出てきます」
栄光なる魔導師――いえ、いまは『栄光なき魔導師』でしょうか。彼には、四人の娘がいた。
いずれも卓越した才能を有した魔法使いだった。
栄光なる魔導師が、地球に帰還した直後のことです。
四人の娘に、別の世界での真実を告げた。自分について来られなくて帰還した弟子たちの話を。
「四人の娘たち……」
「はい。その四人の娘が、ヘスペリデスの始まりのようです」
ギリシャ神話で、黄昏の娘たちは、三人、または四人姉妹と言われている。
そして落日や栄光の陰りを意味する『黄昏』が『栄光なき魔導師』を意味するのならば、なんとも皮肉の利いたたとえではなかろうか。
真実を聞かされた四人の娘は思ったことだろう。
父親の弟子たちは偶然、魔導船を見つけた。ただ運が良かっただけだ。
四人の娘たちは、『栄光なる』と評された『十二人の弟子たち』をどう思っただろうか。
四人の娘たちと『栄光なる十二人魔導師』が対立しても不思議ではない。
「ヘスペリデスがなぜ魔法使いで構成されているのか、それで理解しました。彼らは『栄光なき魔導師』の子孫なのですね」
いまでは多くの主義主張を抱え込んだ集団となっているが、もとはそうなのだろう。
栄光を奪われた側が一致団結して、それを取り戻そうとしているのだ。
「帰ってきたら弟子たちが英雄扱いされていて、自分はもっと長い間魔界にいたのに成果ゼロ。無能扱いされたのですね」
「はい。それらの話が、アカシアの魔道具に記録されているようです。ヘスペリデスの幹部は、その内容を代々継承してきたのでしょうね。それともうひとつ」
「……?」
「十二人の弟子たちは、地球に帰る途中で魔導船を見つけたわけですよね?」
「ええ、そうですね」
「弟子たちとどこで別れたのか、当然『栄光なき魔導師』も知っているわけです。つまり、そのルート上のどこかに「はじまりの地」があるか、その帰り道から分かれた近くの魔界にあるかでしょう」
「なるほど。地球に帰ると言っていたのならば、そこから探索には行かないですね」
「その分かれた場所がどうやら、ロイワマール家の去って行った方角らしいんですよね。困ったことに」
「それって……」
ヴァルトリーテは絶句した。
なぜロイワマール家が叡智の会を裏切って、ヘスペリデスと手を組んだのか。
ヘスペリデスの上層部がアカシアの魔道具の存在と、その中身を知っていた場合、ロイワマール家と手を組めば、「はじまりの地」を見つけることもできてしまうのではないか。
「アカシアの魔道具に記録された内容が真実かどうか、尋問で聞き出した内容が正しいのか、それらを検証する時間がなくなってきました」
「ええ……他の当主にも早急に知らせた方がいい案件ですね」
「そうなのです。最悪、ロイワマール家とヘスペリデスが見つけた『新たな魔導船』団と、叡智の会の魔導船団が、魔界で一大決戦なんてことにもなりかねません」
「でしたら、すぐに当主会議を……ああ」
ヴァルトリーテは思い出した。いまは逆侵攻の最中だったのだ。
「そうです。当主会議を開きたいのですが、隣の魔界が溢れたことは重大事です。さすがに放置できません。当主たちを呼び戻すことも躊躇われます。というわけで、実は結構本気で悩んでいるのです」
ヴァルトリーテが呼ばれた意味も理解できた。
当主以外にこの話をして、万一外に漏れたとしたら大変なことになる。
「バラム家とバムフェンド家なら、船長と当主は別ですから、呼ぶことはできると思いますけど」
「ご老人方の意見には、傾聴すべき話が多々あります……ですがまあ、今回は止めにしておきました。両家とも戦力としては、それほど期待できませんから」
「もしロイワマール家が船団を率いてやってきたら、真っ向から戦うつもりでしょうか」
「そのつもりです。もしロイワマール家が『はじまりの地』を見つけて、そこに多くの魔導船がまだ眠っているのならば、私たちは、全船を沈めるつもりで戦わねばなりません。そのときは、『インフェルノ』にも存分に戦ってもらうことになると思います」
ノイズマンの口調はいつもと変わらない。淡々としたものだ。
だがそこに含まれる言い知れぬ毒素に、ヴァルトリーテは眩暈をおぼえた。




