139 本拠地への道(2)
――どこかの荒地 ロゼット
ロゼットがいま歩いている場所は、何もないただの荒れ地。
遠くの左右には山々が見えるが、さすがにそちらへ足を向ける勇気はない。
星明かりだけが頼りの夜である。ただひたすらにロゼットは歩く。
乾いた風がときおり吹き付けるが、ここに生命の気配がない。
少し前は粘土層の地盤だったが、いまは砂が目立ちはじめた。
「……ここまでにしましょう」
日が昇る前にロゼットは、手頃な日陰を見つけてそこに入った。
砂岩と石灰岩が積み重なった岩の層が、あちこちに見える。
日中は日差しも強く、歩くのには適さない。
これまでの強行軍も相まって、ロゼットはすぐに寝入ってしまった。
夕刻、ロゼットは目覚めるとすぐに水筒の水を飲んだ。
リュックには食料を入れておいたが、十分とはいえない。
「水だけは多めに持ってきてありますから、それだけが唯一の救いですかね。……というか、わたしを野垂れ死にさせるつもりでしょうか」
歩きながら何度もそう思ったが、ロゼット一人殺めるのに、こんな手間をかける必要はないはずである。
だとすれば、老人が指し示した先に、本拠地があるはずなのだ。
「痛いっ!」
歩き始めたロゼットは、でっぱりにつま先が引っかかって転倒した。
普通ならば転ぶようなヘマはしない。体力を消耗し、集中力が切れている証拠だ。
「……もう」
手についた砂埃を振り払い、前を睨む。ここで泣いたら、心が折れてしまう。
ロゼットは立ち上がり、また歩き出した。
日中に休んで、夜に歩いたのが功を奏したのか、堆積岩の石柱を抜けた先に、小さな小屋を発見した。
「あれがそうかしら」
夜間の移動だけだが、ロゼットが歩いた距離はざっと二十キロメートル以上。
道などない荒野で、歩けるような場所は限られている。
つまりあの小屋が、目的の場所なのだろう。あまりにも小さい家だが。
ロゼットは小屋の戸を叩く。
すると、浅黒い顔の男が現れて、ある方角を指し示す。
「また!?」
用は済んだとばかり、男は家の中に戻っていってしまった。
「どういうことですか? まさかまた歩けと?」
おそらく男は、ずっとここで暮らしているのだろう。
英語が通じるとは思えない。ではロゼットはどうすればいいのか。
「……行くしかないですね。食料と水……持つかしら」
ロゼットは棒のようになった足を引きずるようにして、男が指し示した方角へ歩き出した。
歩きながらロゼットは、これらの行為の意味を考えていた。
最初、船に乗せられたとき、尾行を警戒してのことだと思った。飛行機に乗せられたときもそう。
アルテミス騎士団を探るような組織に覚えはないが、本拠地の場所が他に知られるのを警戒していると解釈していた。
事実ロゼットは、ここがどこだか分からない。
千年以上も昔から存在する原始の組織であるのならば、これくらいの秘密主義があってもいいだろうと考えていたが、ここへきて様子がおかしい。
まるでロゼットの精神力を試すかのように、生きるか死ぬかギリギリを攻めてきている。
「遠くから監視しているようでもないですし、純粋にこういう連絡手段しかないということでしょうか?」
何か意味があるようにも思えるし、大昔からの連絡方法を踏襲しているようにもみえる。
唯一分かっていることは、途中で諦めてしまうと、すべてが無になってしまうことだけだ。
「行くしかありませんね」
意を決してロゼットは歩き出し、三件目の小屋を発見した。
「また小屋ですか……」
心が折れかけていた。
思考はすでに白濁しており、イスタンブールを出たのがもう何日前なのかすら、数えられなくなっていた。
ロゼットは力の入らない腕で小屋の戸を叩く。
老人が出てきて、ある方角を指し示す。
「はいはい、行けばいいんですよね」
ロゼットは歩き出し、しばらくして倒れた。
――ドイツ 叡智の会本部
人々が寝静まった深夜。
叡智の会本部にある正面玄関前に複数の男たちがいた。
黒いパーティーションを立て掛け、外から見えないようにした上で、玄関扉に超高温の火炎放射器を浴びせたのだ。
扉は熱で溶け、金属のフレームのみになる。
防弾仕様の強化ガラスとはいえ、強烈な熱には耐えられなかったようだ。
男達は空いた穴から中へ侵入する。
だがそのときすでに、迎撃部隊が行動を開始していた。
本部建物を監視していたカメラが、男たちの一部始終をカメラに収めていたのだ。
監視班は、各方面に襲撃の報せを発している。
「……今日、来ましたか」
本部長のノイズマンは本部に常駐している。
最近は黄昏の娘たちの襲撃に備えて、傭兵たちも常備させていた。
そこへ襲撃の報である。建物に残っているソルジャーたちは、手はず通り迎撃に向かうだろう。
外にいる傭兵もすぐに到着するはず。
ノイズマンは、ゆっくりと着替えを済ませ、執務室に向かった。
廊下に出たノイズマンは、耳を澄ます。
階下ではまだ何の音も聞こえない。
インカムの電源を入れて、ノイズマンは監視班と連絡を取る。
「現状はどうなっていますか?」
「玄関ロビーで戦闘が開始されました。敵はハンドガンを所持しています」
「ふむ。ソルジャーたちは指示通り、時間稼ぎをさせていますね?」
「はい。増援が到着するまで無理はさせていません」
「よろしいです。では引き続き、監視をお願いします」
交代要員の傭兵は近くの建物に入ってもらっている。
日中ならば七分で準備が整うが、いまは就寝中。もう少し時間がかかるはずだ。
「バラバラに来られても困りますし、通常で十五分、最大で二十分というところですか」
すでに階下は隔壁が下りているという。
一つ一つを破壊して進むには相当な量の爆薬が必要であり、時間もかかる。
敵が一階を制圧する前に、後援の傭兵が到着する。そうなれば挟み撃ちである。
「問題は警察ですが、いまのところやってくる気配はないですね」
この場合、警察権力の介入の方がやっかいである。
ここには、見られてほしくない資料や施設が山ほどあるのだ。
建物内を縦横無尽に捜索される前に、手を打たねばならなくなる。
「それを見越したわけではないでしょうし。さて、どう出てくるのか」
ノイズマンは、執務室のロックを外して中に入った。
――ドイツ とある建物 ペパーミント
『突入成功しました』
「このまま行けるところまで行って!」
『了解!』
目立たない雑居ビルの屋上で、ペパーミントは無線で連絡を受ける。
本部の隔壁は降りてくる前に、金属の支えを差し込めば無効化できる。
もしくは小規模な爆破で歪めてしまってもいい。
『敵がやってきました。交戦します』
思ったより対応が早い。一階くらいは制圧できるかと思ったが、その半ばまで進んだところで敵の迎撃部隊がやってきたようだ。
「では、こっちも開始するわよ。ミサイルは全弾発射!」
「ハッ!」
やや離れたビルの屋上に、ミサイル発射台を設置した。
先に土台だけ屋上に打ち付けし、本日、設置を完成させたものだ。
無誘導弾だが、威力だけは強力。これで本部の上階を狙う。
「発射!」
「はい、発射します」
遠くで光が次々と瞬き、ほどなくして爆発音が轟いた。
三度、四度と立て続けに轟音がペパーミントのところまで届く。
「これで周辺の目が覚まされたわね。観測班、どう?」
『本部建物上層部に全弾命中を確認』
「そう。思ったより優秀だったのね。被害状況は?」
『煙が晴れました。確認します……建物の外装部は剥がれ落ちています。鉄筋の骨組みと……あれは、鉄板です。建物の壁面に鉄板が埋め込まれています』
「わかったわ。ミサイルの『おかわり』をしましょう。準備は?」
『照準を調整中です』
「準備ができ次第、一斉掃射。そのあとはバラバラに逃げていいわ」
『了解!』
数分後、ふたたび閃光が走り、本部建物が大爆発をおこした。
「さて……少しはダメージを与えられたかしら。……まあ、いいわ。私たちも行きましょう」
「はいっ!」
ペパーミントは動き出した。




