014 新たなる門出
六月に入った。
平年より少し早い梅雨入り宣言があり、曇天になる日も増えてきた。
ほとんどの生徒が大学受験に向けて動き出しており、教室内の雰囲気は昨年と大きく違っている。
秀樹は昨年の彼女のこともあり、工場で働くか、大学進学を目指すかで迷っているらしい。
祐二はあれから毎週、夏織とドイツ語の会話を楽しんでいる。
夏織の発音は美しく、祐二が聞き惚れるほどだった。
週一度の逢瀬を楽しみにしているのは夏織も同じようで、昨年度とは比べものにならないほど、親しくなれた。
そして今日は球技大会。
男子はサッカーとバスケットボール、女子はバレーボールとバスケットボールで、バスケットボールだけは男女混合チームを結成する。
球技大会はクラスの選抜チーム同士で争うため、選ばれない生徒も出てくる。
「祐二、バスケ頑張れよ」
「ああ……できるだけ足を引っ張らないようにするよ」
祐二はバスケットボールチームに選ばれてしまった。秀樹はその控えだ。
「しかし、スーパースターもバスケとはね」
「部活と同じ競技は選べないからね、仕方ないさ」
冬に行われる体育祭にはそのような規定はないが、球技大会だけは、部活と同じ競技は参加できない決まりになっていた。
「おっ、始まるぜ」
「そうだな」
祐二たちは三年生ということもあり、もともと有利。
加えて、メンバーに隼人もいることで、他のチームを寄せ付けず、快進撃を続けた。
「やった! 優勝だ!」
トーナメントを勝ち上がり、特段苦労することなく優勝を勝ち取ってしまった。
手を取り合って喜ぶ選手たち。
このときばかりは祐二も、みなと笑顔で握手した。
「おまえ、なかなかやるじゃん……えーっと……名前なんだっけ?」
「祐二だよ」
「そっか、たしか草薙だよな」
「如月だな」
「悪い、悪い。でもだいたい合ってたから、許してくれよな」
隼人は祐二の肩を叩くと、仲間たちのもとへ向かった。
「おい祐二、さすがにいまのあれは、文句を言っていいと思うぞ」
秀樹が怒っている。隼人は、祐二の名前をちゃんと覚えていなかったのだ。
「三年は選択授業も多いしね、顔を合わせることも少ないから仕方ないさ」
「もう六月だぞ。同じクラスで、仮にも同じチームだったじゃないか」
「いいんだよ。スーパースターは、それくらいじゃないと」
「おまえが気にしないならいいけど……ほんと陽キャってのはムカつくよな」
「ありがとな、ヒデ。俺の代わりに怒ってくれて」
「ちげえよ」
こうして球技大会は終わった。
次は一学期最後のイベント、期末試験だ。
試験が終われば祐二は、学校に通う必要がなくなる。
叡智大へ進むため、最後の準備を整える時期が来たのだ。
欠席が目立ち始めた祐二を心配して、何度か秀樹から連絡が来た。
毎日が慌ただしく過ぎてゆき、祐二の返信も滞りがちになっていた。
「大事な何かがあるんだろ? 落ちついたらでいいから、一度連絡くれよな」
「スマン、絶対に連絡するから」
その連絡を最後に、祐二は学校に通わなくなり、そのまま夏休みに入った。
夏休み……とうとう祐二が、日本を発つ日が近づいたのである。
七月の終わり。
祐二は秀樹にだけ連絡をとり、これまでの経緯を説明した。
「なんで黙ってたんだよ、水くさいぜ」
最初は怒った秀樹だったが、祐二がずっと陰で努力していた事を知ると、素直に祝福してくれた。
祐二が日本を発つ日、秀樹は見送りに来た。
「でもよ、いつの間にそんなことになってたんだ? つか、高校はどうすんだ?」
「去年の段階で高卒認定は取っていたんだ。それに英語とドイツ語は一年以上、特訓したからね」
「かぁーっ、マジかよ。つか、スゲーな。そんでマジで叡智大に行くわけ?」
「ああ、時々は帰ってくるよ」
「おう。そのときは迎撃するから、遊ぼうぜ。そういや来年、向こうでわが校の姫と会うんじゃないか?」
「壬都さん? そうかもしれないね」
「そうかもしれないねじゃねえよ、なにスカしてんだよ。おまえ、姫の先輩になるんだぜ、こう手取り足取りだな……それで親しくなって、チュッ、チュッだろ」
「ヒデ……うしろ」
秀樹が唇を突き出す仕草のまま振り向き、そのまま固まった。
秀樹の背後には、いままさに話題にしていた人物が立っていた。
「如月くん、入学おめでとう」
「ありがとう、壬都さん……でもどうして? 学校には言わないでってお願いしていたんだけど」
祐二が叡智大に進学することは、九月まで伏せてほしいと先生にお願いしていた。
担任は言い含められていたのか、それとも事情を察したのか、絶対に言わないから安心しろと請け負ってくれた。
夏織が知っているはずがないのだ。
「私は別ルートで教えてもらったの」
「別ルート?」
学校以外で、他にどんなルートがあるのだろうか。
祐二が首を捻っていると、秀樹が肩を叩いてきた。
「おまえ、なんで壬都さんが見送りに来てるの?」
「知らないよ。俺だって驚いてるんだから」
「だっておかしいだろ? あれか? 俺に秘密なのか? 秘かにもう、チュッチュッしたのか? 『キミに決めた』とか、『姫をゲットだぜ!』とか言ってたのか? なあ、オレが彼女にフラれている間に、そんなことになってたのか?」
「してないよ。というか、壬都さんに聞こえるって!」
そっと夏織の方を向くと、困った笑顔を浮かべている彼女の姿が見えた。
「いいですよ、慣れてますから。存分に話題にしてください」という笑みだ。
「あ、あの、壬都さん、見送りにきてくれてありがとう」
「いえいえ、私と如月くんの仲ではないですか」
「おまえやっぱり!」
「違うって!」
「それに私も来年は向こうに行くので、知っている人がいると心強いかな」
「そうですか、そうですよね。向こうで待ってます」
「ええ、待っててください。私も必ず行くので」
夏織は、「必ず」のところでアクセントを強めた。
そしてチラッと秀樹の方へ目をやったあと、ドイツ語で告げた。
「(私は如月くんが、『叡智ある者』だとは知りませんでした。それを知らされた時の驚き、分かりますか?)」
「(叡智ある者? 叡智大に選ばれたってことですか?)」
「(えとですね……それは、すぐに分かるので言わないでおきます。ですから、これだけは覚えておいてください)」
「(はい、なんでしょう)」
「(壬都家はもう一度……あの場所に返り咲くのが悲願なのです)」
「……?」
「ねえ、今のドイツ語? まったく分からなかったんだけど」
「ふふふ、迎えがきたみたいですね」
「ハローエブリワン! ナイチューミーチュー、ミスカオリ」
「慶子さんも、おかわりなく」
「ごっめぇんねー、連絡できなくってさぁ。話しちゃ駄目って、止められてたのよ~~」
「いいえ、事情は察しておりますので、大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないじゃない? その喋り、よそよそしいわ」
「あら、そうでしょうか。私はいつもこのように話していますわ」
「うそっ! だって普段、もっとフランクじゃん。きさくな雰囲気出してくれてたじゃん」
すがりつく比企嶋に、夏織は「そうでしたでしょうか」ととぼけている。
「なにこの茶番」
わけが分からないと、秀樹が言う。
「俺もだ……まあ、普段の壬都さんはもう少しくだけた口調だしな」
「そうか? 普段からあんな感じじゃなかったか? というか、あの美人、だれ?」
「俺を空港まで送ってくれる人。叡智大に入るために、書類関連をやってくれた人なんだ」
「ほう。何してる人?」
「業者テストとか、性格診断テストとかを全国に納入している人だね」
「教育関連の人なのか。それで祐二が選ばれたと」
「そうみたい。俺もよく知らないけど」
「まあ、おまえはやればできるヤツだからな。向こうでも頑張れよ」
「おう。連絡はいつでもくれ。というか、向こうで一人だと寂しくて死んでしまうかもしれない」
「一年我慢すれば、姫が来るんだろ? それまで耐えろ」
「……そうだったな」
「それでは祐二様、参りましょう」
「壬都さんのことは、いいんですか?」
「ええ、壬都様が将来、叡智大に通われることは承知しておりました。ですが、祐二様のことは話せなかったのです」
「そのせいで隔意を抱かれた……と?」
「壬都様は聡明な方ですので、すでに事情は理解しておられます。あとは時間をかけて互いの仲を修復していくだけですね。手始めに、このあと空港でお土産を買うことにします」
「なるほど、それはいい案だと思います」
「エッフェル塔の文鎮なんかがいいですね。きっと喜んでくれるでしょう」
「フランスに書道の文化があると、いま知りました」
「では祐二様、車に乗り込んでください。出発します。忘れ物はないですか?」
「ええ、必要なものはすべて航空便で送ってあります」
「そうでした。では行きましょう」
祐二は比企嶋の車に乗り込んだ。
「さあ、祐二様の栄光ある未来に向かって、出発! ゴー!」
比企嶋が勢いよくアクセルをふかし、タイヤが悲鳴をあげた。
明日は2話(通常話と登場人物紹介)投稿します




