121 はじまりは突然に
0番魔界に侵入してきた魔蟲は、多くが駆逐された。
とくに祐二の駆る『インフェルノ』が投入されてからは顕著だった。
炎の絨毯で広範囲の敵を殲滅する『豪炎』が大活躍した形だ。
残存する魔蟲は少なく、あとは見つけ次第駆除していくだけとなった。
インフェルノのブリッジでは、祐二とユーディットが今後のことを話し合っていた。
「このあと、どうなるかな?」
「魔蟲の群れがいなくなっても、一、二ヶ月くらいは警戒を続けるんじゃないかしら」
今回、大量の魔蟲がやってきたのは、前回と同じ18番魔界らしい。
「同じ魔窟からの侵攻ってことは、18番魔界は確実に溢れているよね」
祐二が言うと、ユーディットは深刻な顔で頷いた。
「本部が、18番魔界に調査船を出すかで、揉めているみたい。溢れた魔界への調査は、未帰還率が高いから、もし調査船を出すとなっても、どの家が担当するかで揉めそうね」
魔界と魔界を繋ぐ魔窟は、人の感覚からすればかなり長い。
魔導船で数日の距離があるのだが、問題はその広さと長さだ。
船団を組める程度の広さがあればいいが、魔窟の広さは一様ではない。
狭いところもあれば、広いところもある。
狭いところで魔蟲の群れに襲われれば、旋回する余裕もない場所で戦いを強いられる。
かといって、一隻ずつ送り出すのも人道的とは言えず、未帰還だった場合、いたずらに船を失うだけとなってしまう。
「魔蟲を排除しながら進むのはどうなの?」
「戦いながら魔導船で数日の距離を移動するの? ちょっと現実的じゃないわね。帰りのこともあるから、群れだけ駆除して進む程度かしら。調査船の目的は、魔窟を抜けた先にあるのだから、魔窟内での戦闘は普通しないわよ」
ユーディットの言葉に祐二も「なるほど」と頷く。
「揉めてるってことは、調査船を派遣しない案もあるんだよね。それはどうして?」
「侵攻の頻度を記録して、予想を立てるみたい。運がいいと、魔蟲は他の魔界へ行って、侵攻はなくなるそうよ」
祐二は大学の授業で、魔蟲が溢れた魔界への逆侵攻作戦について習ったことがある。
どうがんばっても長丁場になるため、残存魔力と相談しながら少しずつ数を減らしていくことになるが、そうそう予定通りにはいかないと教授は言っていた。
どこかの家が崩れた場合、戦線が崩壊することも考えられる。
かといって、安全マージンを取り過ぎると、掃討するまでの期間が何倍にも延びてしまう。
ちょうどよい作戦を考えるのは、なかなか大変そうだと、そのとき祐二は思っていた。
「やっぱり、逆侵攻をかけた方がいいんだよね?」
「今回は、そういう流れになっているはずよ。といっても、時期は未定……というか、各家の回復しだいだと思うけど」
カムチェスター家はほぼ無傷で掃討を終えたが、じつはまだ他家は戦っている。
最初に掃討を受け持った家も、魔力がまだ回復しきっていないだろう。
受けた損傷を自動修復するのに、大量の魔力を使うのだ。いまは魔力はいくらあっても足らないはずである。
「なるほどね。……それで俺たちは待機任務のままか」
「それは仕方ないじゃない」
本部は、二家を完全に休ませることにした。最後の戦力として残しておきたいようだ。
掃討が終わった祐二たちだが、いまだインフェルノからは離れられない。
四家でローテーションを組んでいるのだから、それを外れて帰還も難しい。
侵攻してきた魔蟲が完全に駆除されるまでしばらくはこのままだろう。
「まあいいんだけどね」
それは魔力に余裕がある祐二だからこその発言かもしれない。
祐二が旧本部に来てからおよそ半月後、0番魔界に侵攻した魔蟲はすべて駆除された。
魔窟から新たに出現してくる気配はない。
「溢れた18番魔界の状況が分からないけど、別の魔界へ侵攻しているのか、数が減ったのか、停滞期に入ったのか。いずれにしろ、任務は解除されたわよ」
「これで大学に戻れるよ。ユーディットも学校に戻れるね」
「私は別にこのままでも……よかったのだけど」
「そんなわけにもいかないだろ。魔法の鍛錬にも毎日付き合ってくれて、本当に助かったよ」
「さすがに船長になれるだけの魔力持ちよね。結構な魔力を使っても全然問題ないみたいだったし」
「あれからまた増えたのかな」
祐二の場合、蒙が啓かれるたびに魔力が上がっていく。
他の魔法使いと比べてかなり楽な上がり方だが、逆にいえば、感動することがなくなればそこで魔力の上昇は打ち止めとなる。
祐二の魔力上昇は、いかに未知のものをみつけ、体験できるかにかかっている。
「ユージ様、下のロビーにお客さまがいらっしゃってます」
本部の職員がやってきて、そう告げた。
「あれ? また来たのかな。すぐに行きます」
どうやら来客のようだ。
「ねえ、ユージ。私もついていっていい?」
「ユーディットも? いいけど、来るの?」
「ええ」
ユーディットがニッコリと微笑むので、祐二は否と言えなかった。
二人して階下へ向かう。
ここは叡智の会が何重にも監視していて、不審な人物は近づけない。来客というからには、身元はハッキリしているのだろう。
「……あれ? マリーさん。なぜここに」
ロビーで待っていたのは、バチカンの奇蹟調査委員会所属、シスターのマリーだった。
「お久しぶりです、ユージさん。……っと、そちらの方はたしか」
「アルザス家のユーディットです。えっとシスター?」
「はい。シスターのマリーと申します。今日はバチカンより直接来ましたので、このような格好で失礼します」
このような格好と言うが、マリーはシスター服、つまり正装だ。
「それでマリーさん、わざわざどうしました? もう少ししたら、俺も大学に戻る予定なんですけど」
「なるほど、それはよかったです。悪しきものどもは天に召されたのですね」
「まあ……そうですね」
「それは重畳です。本日は、ユージさんに少々お話ししたいことがございまして」
そこでチラッとユーディットを見る。
「じゃあ、公園を歩きながらでも、どうですか?」
「大歓迎です」
マリーがにっこりと笑った。
ユーディットは空気を読んだようで、ホテルに残ることになった。
公園には多くの監視の目があるため、問題ないと判断したのだろう。
マリーと祐二は遊歩道をゆっくりと進み、近況を兼ねた雑談をしながら、落ちついて話せる場所を探す。
「あの木陰などはどうでしょうか」
大きな木の根元が空いていた。
「そうだね」
二人して芝生の上に座ると、マリーが一瞬だけ顔をしかめた。
「どうしたの?」
「いえ……少々怪我をしまして」
右胸の辺りを押さえるマリーに、祐二は「大丈夫?」と問いかけるが、マリーは「問題ありません、かすり傷です」と強がりを見せる。
かすり傷のようには見えないが、マリーがそう言うのならばと、祐二は気にしないことにした。
「それにしても、怪我か」
「気になりますか?」
マリーとしては、祐二が自分のことを気にかけてくれたのだと思ったが、返ってきた答えは意外なものだった。
「数日前かな。ロゼットさん……ああ、マリーさんが以前言っていた、アルテミス騎士団の人だけど……その人が来てね。少し話をしていったんだけど、やっぱり怪我をしてたんで……」
「なんですってぇ!?」
いきなりの大声に、祐二がビクッとなった。
「あっ、すみません。はしたないことを」
すぐ隣で大声をあげたことを恥じつつも、マリーの眉間にはシワが寄っていた。
「ロゼットさんもかすり傷だって言ってたけど……なぜ、こっちを見ているの?」
マリーの顔がずずずいと近づいている。
「申し訳ございませんが、その辺の話を詳しく聞かせていただけないでしょうか」
「いいけど……興味あるの?」
「はいとても、興味がございますわ」
マリーの笑顔が怖い。
そういえばマリーはかなりアルテミス騎士団を毛嫌いしていたなと、祐二はおぼろげながらも思い出した。
「ロゼットさんが、数日前に突然やってきたんだ。誤解を解きたいのと、仲良くしたいので、一度友人のホームパーティに招待したいのだけど、どうかなって話を持って……」
「ぬわんですってぇ!?」
マリーの顔が般若のように「クワッ」と開いた。
「……えっと、マリーさん?」
「ユージさん」
「はい?」
「あの小娘に騙されてはなりません。あれは、女狐です」
「小娘で、女狐ですか?」
「そうです。悪しき存在、悪魔と同等かそれ以下です」
あまりな言い様だが、マリーの顔は真剣だった。
「えと、マリーさん?」
「ホームパーティを開くような、殊勝な性格をしているわけがありません。罠です。罠に決まっています」
「えと?」
「どういう経緯でそんな話になったのでしょうか。くわしく、お教え願えませんでしょうか」
「わ、分かりましたから、そんなに近寄らないでください」
「話していただけるのでしたら、近寄りもしますし、離れもします」
「話しますから……少し離れてください。くっつき過ぎです」
祐二はマリーから身体を離し、「あれは数日前のことなんですけど」と、語りはじめた。




