013 進級と進学先
時が進んで四月、祐二は三年生になった。
実は昨年度のうちに、高卒認定で必要な単位を取得したため、もう高校に通う必要はなかったりする。
だが、それはそれ、これはこれである。
高校を中退すれば、その分、講義の時間が増えてしまう。
高校に行かなければ、夏休みのような『一日講義』が待っているのだ。
心の平穏のためにも、祐二は毎日、学校に通うことにした。
「また同じクラスか。よろしくな。これはもう腐れ縁だな」
たしかになぜか、祐二と秀樹はよく同じクラスになる。
「ああ、たしかにヒデは腐ってるな」
「まあ、オレの場合、腐りかけが一番おいしいからな……つぅわけで、どっかに彼女が転がってないかな? オレ、おいしいよ」
祐二は左右を見回し、「転がってないようだけど?」と真顔で秀樹に答える。
昨年秀樹は、キラ星のごとく、一瞬だけ彼女ができた。
卒業後、親戚の工場で働くつもりであることを彼女に話したら、そのままフェードアウトされてしまったのだが。
目下翔経由で話を聞いたところ、「進学校にいて、最終学歴が高卒なんて信じられない!」という答えが返ってきたという。
祐二たちが通うこの学校は、周囲からレベルの高い進学校というイメージを持たれており、秀樹を気に入ったというより、そのスペック目当てであったことが判明した。
それを聞いた祐二や翔は「早めに分かって良かったじゃないか」と慰めることとなった。
現在秀樹は、スペックに惑わされない彼女を募集中である。
「しかし今年は、同じクラスにスーパースターがいるのか。いいとこを全部かっ攫われてしまう気がするぜ」
秀樹は強羅隼人に視線を向けた。
隼人はすでに、何人かの陽キャを集めて談笑している。
教室内では、あちこちで仲良しグループができているが、隼人たちが一番目立っていた。
「俺たちとは別世界の生き物だと思えばいいさ。関わることもないだろ?」
「それはそうだけどよ……そういえば聞いたか? スーパースターは、叡智大を受験するってさ」
「叡智大? なぜ?」
叡智大と聞いて、祐二の心臓が跳ねた。
「噂じゃ姫がそこを狙っているらしい。スーパースターが松泉神社に初詣に行ったとき、そこの巫女さんをナンパして聞きだしたんだと」
「へえ……」
松泉神社は、夏織の実家だ。
この学校の生徒の多くが、夏織目当てに松泉神社へ初詣に行く。
初詣で夏織本人と会えたという話は聞かないが、同じ空間で新年を迎えられるのがいいらしい。
隼人は夏織と親しい巫女を探しだし、あれこれと情報を聞き出したようだ。
「スーパースターは、冬休みからさっそくドイツ語を習い始めたんだとよ。知ってっか? あの大学、入試に英語とドイツ語があるんだぞ。大学の講義もドイツ語だってよ」
「ああ、知ってる。けど、二年までなら、英語の授業も結構あるみたいだよ。三年からはぐっとドイツ語の授業が増えるらしいけど、最初のうちはそれほど心配しなくてもいいみたい」
「ほう、そうなんだ。でも入試じゃ、ドイツ語が必須科目だっていうし、いまから勉強して間に合うのかね」
「さあ、スーパースターなら、やるんじゃないの?」
去年の夏祭りのとき、祐二は夏織から直接、叡智大を受験する話を聞いている。
夏織はもう何年も前からドイツ語の勉強をしている感じだった。
隼人は本気だろうし、能力も高い。だが、正直間に合うのかといえば微妙だ。
叡智大は世界中から優秀な人が集まり、受験倍率はもの凄いことになっている。
祐二と秀樹が隼人たち方に意識を向けると、彼らの会話が耳に入ってきた。
「あの大学専門の家庭教師ってのがいるんだよ。それを雇うことにした」
「すげー、マジかよ」
「さすが御曹司」
隼人の周囲が、驚嘆の声をあげている。
「豪気だねえ、金のあるやつは」
それを聞いた秀樹が、「ケッ!」と悪態をついた。
気持ちは分かる。
祐二だって、叡智大への入学が決まっていなければ、同じ気持ちだったはずだ。
「俺たちは俺たちだろ、気にすんなよ」
「おまえ、余裕があんな」
やはりあちら側だと、陽キャたちの方へ視線を向けた。
祐二は「絶対に違う」と首を横に振った。
高三にもなると、ほとんどが志望校に合わせた選択授業となる。
よほどの事がない限り、学校側は生徒の選択に口を出すことをしない。
そのため、人気、不人気の授業ができることになり、各教科の入試演習授業はどこも人で溢れるほどだが、受験と関係ない授業は、軒並み生徒が減るという事態がおきていた。
「あら、如月くんもこの授業?」
「ど、どうも、壬都さん」
祐二が夏織と会ったのは、機材を使って生きた英語を学ぶLLの授業だった。
英語での面接でもないかぎり入試に関係せず、よほどの物好き以外は選択しない。
今年のLL選択者は七名と聞いていたので、そのうちの二人が、祐二と夏織ということになる。
「(久し振りですね、ドイツ語の勉強は順調ですか?)」
「(ええ、日常会話程度ならば、もう問題ないみたいです。読み書きはまだあやふやな所がありますけど)」
夏織がドイツ語で話しかけてきたため、祐二もとっさに返した。
「ふふふ、たしかにそのようね」
同好の士を見つけたからだろうか、夏織はニコニコしている。
「でも、突然話しかけられると、パニクるかも」
「そう? でも、いまならもう、心の準備はできていますよね。(今度から毎週、お昼休みに、ここでお話ししませんか?)」
「(えっと、俺でいいのなら)」
「(もちろんです。これで楽しみが増えました、ふふふ)」
午後一番の授業であるからか、LL教室には二人以外に人がいない。
先に来て待機している生徒がいてもよさそうなものだが、どうやら残りの生徒は、時間いっぱいまで、昼休みを友人と過ごしたいようだ。
「(では来週からここでお話ししましょう。よろしくお願いしますね)」
「(こちらこそ、よろしく)」
祐二と夏織は、毎週この教室で、ドイツ語の練習をすることに決まった。
――ドイツ南部 ラーベンスブルクの町 カムチェスター家の屋敷
ヴァルトリーテは、フリーデリーケの部屋の扉をノックした。
「フリーダ、入るわよ」
室内に足を踏み入れたヴァルトリーテは、すぐに顔をしかめる。
室内は思った以上に、埃っぽかった。
ヴァルトリーテはすぐに窓を開けたかったし、掃除もしたかった。
綺麗好きの娘が、なぜこんなことにと、ヴァルトリーテは悲しくなるも、軽く頭を振って、ここへ来た目的を優先させる。
部屋の隅に置かれたベッドをみると、毛布がまるく膨らんでいる。
顔は見えないが、そこにフリーデリーケがいるのが分かった。
「半年前、大規模な侵攻があったわ」
「…………」
毛布の中から、返事はない。
「魔蟲の大軍が0番魔界にやってきたの。我が家は不参加。前年のことを考えれば、仕方ないと他家は諦めてくれるでしょう。だけどね、もう五月なの。痺れを切らせている家もあるし、一族の目も厳しいものへと変わってきているわ」
そこで一旦、言葉を切り、ベッドの端に腰掛けた。
「もう、猶予はないの。分かるわよね」
フリーデリーケが精神に変調をきたしたのは本当だ。
父親の死からこれまで、屋敷の外へ出たことがない。怖いのだという。
無理に連れ出せば失神し、眠っているうちに車に乗せて出発したところ、起きてから泡をふいて痙攣をはじめた。
医師は「心理的外傷による極度のストレス障害」と言い、ストレスによる負荷が、脳と心臓に多大な影響を与えていると警告した。
外から見ても分からないが、フリーデリーケはいま、多大なストレスを常に感じ、心の内で戦っているのだと。
それからというもの、ヴァルトリーテとエルヴィラは、フリーデリーケをそっとしておくことに決めた。
心を癒やすには、それなりの時間が必要だと理解していたからだ。
だがフリーデリーケが引きこもって、もうすぐ一年にもなる。
時が経ちすぎた。
カムチェスター家が所有する魔導船『黒猫』は、あと数ヵ月で自壊する。
いま、一族の中で一番魔力が多いのが、フリーデリーケなのである。
「ねえ、フリーダ。今日は、最後のお願いにきたの」
「…………」
「魔力を増やす訓練を受けてみない?」
魔導船の自壊まで、もう数ヵ月しかないが、まだ数ヵ月もあるのだ。
数ヵ月でフリーデリーケの魔力を大きく伸ばすのは、かなり難しい。
それでも座して死を待つよりいいと、ヴァルトリーテは考えている。
カムチェスター家唯一の希望、それがフリーデリーケなのだから。
「お願い、フリーダ。栄光なる十二人魔導師の伝統をここで終わらせるわけにはいかないの。それは我が家だけの問題ではないわ。この世界の……地球のためでもあるの」
「…………っ」
何かが聞こえた。くぐもってよく聞き取れなかったが。
「フリーダ? なに? どうしたの?」
「……ょ。……りなの」
「フリーダ?」
「だめ……無理なの…………どうしても無理なのよ。もう私……壊れる」
その後は嗚咽にとってかわり、ヴァルトリーテにもよく聞こえなかった。
フリーデリーケは己の内と一人で戦っていた。だがそれは、勝算のない戦いなのかもしれない。
室内にはしばらく、フリーデリーケの嗚咽が響いた。
ヴァルトリーテはそっと部屋をあとにした。




