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117 突発的事件の連鎖

 ――バチカン市国 シスターマリー


「クローク司教、お手を煩わせてしまいまて、申し訳ありませんでした」

「それはいいのですけど、シスターマリー。怪我をしたとうかがいましたが、大丈夫なのですか?」


 人の良さそうなクローク司教は、マリーのことを心配する。

「身体に穴が空いて、あちこち斬り傷がありますが、問題ありません」


「問題あるように思いますが……」

「この程度では、わたしの信仰心は揺るぎません」


「そうですか……でしたら、私は何も申しません」

「それよりも、お頼みしていた件です。地下の書庫への閲覧許可はどうなりました?」


「問題なくおりていますよ。ですが、管理の者の話では、該当の書は古典ラテン語で書かれていると。大丈夫なのですか?」


「なるほど……読み解くには、少々やっかいですね。ですが、ヒッタイト語やシュメール語でないだけマシとしましょう」


 先史時代よりあとになって、トルコ近辺で使われはじめたヒッタイト語や、古代メソポタミアで使用されたシュメール語は難解なものが多く、マリーも一切読むことができない。


 だが、古代ローマで広く使われていた古ラテン語やその後に登場した古典ラテン語ならば、英語と近い。

 マリーも一通り読み方を習っているため、なんとか読むことができそうだった。


「分かりました。では、ともに参りましょう。私は監督者の一人として、書庫の外で待っておりますので」

「お手数かけます、クローク司教」


「いえ、力のない身ゆえ、このような形で貢献できるのは、存外嬉しいものなのですよ」

 クローク司教もまたマリーと同じく、魔法使いの血を引いている。


 だが世代を経ているためか、魔力はほとんど持っていない。

 キリスト教内部にいて、マリーのような存在の方が例外なのだ。


「許可の範囲ですが、一日三時間です。三日続けたあとは、五日間入ることができません」

「了解しました。三日のうちに成果を出してご覧にいれます」


 自信満々にそう告げるマリーだが、傷が痛むのか、普段の半分ほどの速度で歩いている。

 クローク司教はそれに気付いて歩を緩めた。




 祐二が待機している建物は、石造りのホテルだった。もちろん営業はしていない。

 叡智の会専用である。


 そこで祐二は本を読んだり、ユーディットと魔法の鍛錬をしたりして過ごした。


 魔法の師匠としてユーディットはなかなか優秀らしく、魔法という神秘的なものでも、論理立てて説明してくれる。

 ユーディットの話を聞いているだけで「何か使えるかも?」と思えてくるのだ。


 だが、現実は厳しい。

「やっぱり発動しないか」


 魔力を集め、放出しかけるところまではできている。

 それでもまだ、何かが足らないと祐二は感じる。


 ガスの栓を捻るところまではいく。だがガスボンベはなぜか着火しない。

 そんな感じなのだ。


「きっかけさえあれば、行けると思うわ。魔法に馴染みがなかったせいか、心のどこかで、自分はできないって思っていたりしてない?」

 ユーディットに言われて、自身を省みる。


「そうなのかな。たしかに自分が魔法を使う姿は想像できないけど、そういうのって、影響したりする?」

「自分でストッパーをかけているのもしれないわね。人は信じていないものは、できないものよ」


「う~ん、難しいね」

「というわけで、今日は羽を伸ばしましょう。公園を散策なんてどう?」


「そうだね。部屋の中にいてばかりだと、気分が滅入るし、行こうか」


「そうこなくっちゃ!」

 ユーディットは祐二の腕に抱きついた。


 ハイニッヒ国立公園内は、死角がないほど、叡智の会のカメラが入っている。

 出入りする人だけでなく、周辺を歩く人、公園から見えるところにある建物に至るまでである。


「天気がいいわね」

 強い日差しを避けてか、ユーディットは小さめのサングラスをかけている。


 虹彩が濃い祐二は気にしないが、この程度の日差しでもユーディットは眩しく感じるらしい。


 芝生の上で寛いでいる若いカップルがいる。

 犬を連れているおじいさんもいる。


 難しい顔で電話をしているのは、営業の人だろうか。

「あそこで少し休みましょう」


「そうだね」

 祐二とユーディットは木陰で腰を下ろした。


「特別科の授業はどう?」

「だんだん面白くなってきたかな。最初は、何が何だか分からなかったけど」


 慣れない外国、慣れない授業、そしてみなより遅れて参加という三重苦で、入学当初の祐二は、余裕がなかった。

 それでも一年もすると、何とかなってくるから不思議である。


「フリーデリーケさんとは?」

「ん? 普通だよ。学年が違うから、一緒になる授業はないんだけど、昼休みとか会えるしね」


「ふむふむ……昼休み限定ですか。それはそれは」

「……?」


「今度ケイロン島に行くから、そのとき島とか学校とかを案内してくれる?」

「いいけど、受験の下見?」


「そんな感じ……かな。いまの内に見ておこうと思ったの」

「そうなんだ。向上心があるね」


 ユーディットはかなりマルチの才能を持った優秀な人材だ。

 そのため祐二は、今後の勉学のために、島へ足を運びたいのだと考えた。


「まあ、向上心といえば、そうかな。それでユージ……」


 ――ドーン


 遠くから破砕音が鳴り響いた。


「なんだ? いまのは爆発だよね?」

「うん、爆発音みたい。建物に戻る? それとも地下の旧本部へ避難する?」


 旧本部の近くで爆発音。警戒するには、十分な事象だ。

 危機意識の低い日本人である祐二も、さすがに最近は欧米人と同じように感じるようになった。


 少なくとも、ぼけっとしていることはない。


「地下の方が安全だけど、事情をまったく知らないで地下に行くのもどうなんだろ。職員のところへ行ってみたいんだけど」


「旧本部の地上施設が近くにあるから、そこへ行きましょう」

 公園を抜けて、レンガ造りの建物へ向かっているそのとき……。


「あっ、えっ? なんで!?」

 奥の通りを祐二の見知った人物が走っていた。


「ちょっと、ユージ! どこへ行くの!」

「知り合いかも」

 祐二は駆け出した。




 ――ドイツ中央部 ハイニッヒ国立公園の近く ミーア


 ミーアの捜索は続く。

 黄昏の娘たち(ヘスペリデス)と取り引きのある武器商人を監視していたものの、相手もそれは察知していたのか、接触してくることはなかった。


 捜査の範囲を拡げたところ、とある代行者を通して、武器が売られたという情報を入手した。


「思った通りにはいかないわ。けど、銃火器は購入していないみたい」

 手元になかったのか、信用が足らなかったのか、代行者を通して購入したのは爆弾のみと分かった。


 あとは見つけるのみである。

 手分けして探しているうちに、ミーアはふと思いついた。


「もしかして、すぐに行動をおこすなんてことは……ないわよね」

 爆弾ひとつ持ったところで、何かできるわけがない。叡智の会が対策していないわけがないのだ。


 それでも、追いつめられてヤケになったのならば、どうだろうか。

「もし狙うとしたなら……魔界門のある方よね」


 電子の要塞とまで言われた叡智の会本部は、爆弾ひとつでは、内部に傷ひとつ与えられないだろう。

 その点、旧本部跡にある魔界門付近ならば、まだ可能性がある。


 もちろん近づけばすぐに発見されるし、そのさい、武器を持っていなければ簡単に拘束されてしまう。

 まさか爆弾持って突撃はしないだろうが……その「まさか」の可能性がある。


 一度疑念を持ってしまっては、確かめずにはいられない。

 ミーアはひとり、ドイツ中央部にある叡智の会旧本部へ向かった。そして……。


「見つけたわ!」

 それは僥倖だった。


 まさに偶然、ミーアは探していた相手を見つけることができた。

 通行人に紛れるため、顔を隠していなかったのもよかった。


 ミーアは、仲間から送られてきた写真を何度も目にしていたのだ。間違えるはずがない。

 すぐに他の町にいる仲間に連絡したが、ここにやってくるまで時間がかかる。


「相手は三人か……どこに向かうか跡をつけて、突入はそれからね」

 そう思ったものの、相手の様子がおかしい。


 包みを大事に抱え、周囲を気にしながら、ある一点のみを目指していた。


「まさか、手に持っているのは爆弾? そのままテロを起こそうというの?」

 キョロキョロと辺りを窺う回数が増えた。明らかに怪しい。通行人の何人かが振り返っている。


 旧本部近くには、多くの監視施設がある。この分では、たどり着く前に声をかけられてしまう。

 そうなればアウトだ。絶対に逃げられない。


「止めなさい!」

 旧本部は二ブロック先にある。これ以上行かせてはいけない。そう思ってミーアは声をかけた。


 一方、声をかけられた方は驚いた。そして失敗したと悟ったのだろう。

 互いに目配せしてバラバラに駆け出した。


「待ちなさい!」

 ミーアは爆弾を持った者を追いかけた。まっすぐ旧本部に向かおうとしているようだ。


(どうすればいい? 考えるのよ。まずは周囲にただの痴話喧嘩と思わせて、荷物を奪いとって、それから……)


 走りながらミーアは段取りを考える。

 身体能力の差か、それとも年齢による衰えか、爆弾を抱えた男との距離はすぐに縮まった。


「それを私に返しなさい!」

 追いつく前にミーアは声をかける。自分のものであると周囲に宣伝したのだ。


 男は振り返り、観念したのか、包みを開いた。

「なにを!?」


 直感的にミーアは離れた。男から距離を取った。

 爆弾ひとつで突撃をかけようとするほど追いつめられていたのだ。何をしでかすか分かったものではない。


 案の定、離れるために走り出したミーアの背中で、轟音が響いた。



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― 新着の感想 ―
[一言] ミーアの想像する悪い方へドンドン動いてるなー ここまで来ると可哀想なレベルですわ
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