113 ゼミ開始
――イギリス とある病院 マリー
「あ痛たたたた……」
病院のベッドの上で身じろぎをしたマリーは、引きつるような痛みに打ち震えた。
「何をやっているんだ」
「ちょっと……その水差し、とってくれませんか」
「これか?」
「ええ……喉が渇いて」
水差しを口に咥え、ちゅーちゅーと水を吸うマリーに、ロッドはため息をついた。
「そこまで負傷したのは珍しいのではないか」
「そうですね、敵の強さを見誤りました。正直、今回は負けた気分です」
決着こそつかなかったものの、マリーは敗北したと思っている。
警察が近づいてきたことで双方とも引いたが、マリーたちの被害は大きかった。
戦闘に参加したほとんどが、重傷か軽傷という惨憺たる有様だった。無傷の者の方が少ない。
マリーは肺のすぐ脇を突かれたため、すぐに入院することになった。
斬り傷も多く、いまはロクに動けない状態だ。
退院まで、しばらくかかる。
ロッドが引き継ぎのために見舞いにやってきたのだ。
「そういえば、あの場にはプロの格闘家や、武道の達人がいたらしいぞ」
「あら、あちらさんも、なかなか人材が豊富のようで」
「そういう連中を引き込んだのか、もともとなのか分からんが、黄昏の娘たちとは違ったやりにくさがあった」
「そうですね……少々やり方を変えてみますか。正面から行くのではなく、こう……裏口から」
「関わらないという選択肢はないのか?」
「ちょっとそれは、首肯できませんね」
「なぜだ? 連中と叡智の会は敵対しているのだろう?」
「こちら側の事情というのもあるのです。本部にお願いして、弱点でも探らせましょう。それでなにか見えてくるかもしれません」
「……まあいい。それで引き継ぎの話だ。ケイロン島の教区だが、当面、別の者が派遣される」
「えっ? そういう話なのですか? ロッド神父は?」
「私はそのままだ。つまり、上はまだ諦めていないということだな」
「う~~~、わたしだけ外れるのですか。それは不本意です」
「完治したら、上に掛け合うといい。くれぐれも病院を抜け出したりしないようにな」
「それは重々承知しています。他の方に迷惑をかけるのは本意ではありませんので」
「それでいい。では私は島へ戻る」
一欠片の未練すら残さず、ロッドは病室を出て行った。
「何か手を考えないといけませんね。……いえ、そもそも、アルテミス騎士団はなぜ叡智の会の邪魔をするのでしょう。わたしたちのように、宗教的な教義があるわけでもないというのに……千年以上にわたって続けられるほど、重要な何かがあるのでしょうか?」
叡智の会を監視し、ときに邪魔をする秘密組織として、アルテミス騎士団は認識されている。
行動もそれを裏付けている。
だがしかしと、マリーは考える。
そもそも、なぜそんなことをするのか。
そうすべき理由があるはずなのだ。
あやふやな思いで、千年も続けられるはずがない。
「本部に問い合わせてみましょう。それで分からなければ……」
一人になったマリーは、そんな呟きを発した。
イギリスで祐二を巡った争いが勃発していたころ、当の祐二はというと、初ゼミに緊張していた。
「如月祐二です。今日からこのゼミに入ることにしました。よろしく願いします」
そう言ったものの、ゼミ生の反応は思わしくない。
「新たなメンバーが加わったが、私たちのやることは変わらない。まあ、初回なので、自己紹介しようか」
教授が助け船を出してくれる。
「四年のデニスです。ガイド人の文字を研究しています」
スポーツ選手のような体躯の男性が自己紹介をはじめた。色白で角刈りという、軍隊にいそうなタイプだ。
「ガイド人って、文字を持ってないって話では……?」
大学の授業で、そんなことを習ったと祐二が言うと、教授が「まあそうだな」と相づちをうつ。
デニスは、説明を促されたと判断し、続けた。
「わずかですが、それらしきものが残されています。文字か記号か判別できないもの……私はそれを文字と解釈しています」
「チェックマークやバツ印を文字とは言わない。ゆえに文字は『ない』とされている」
栄光なる十二人魔導師が持ち帰った魔導船の中には、中型船や小型船のコアとなるものが倉庫に眠っていた。
いまデニスが言ったように、倉庫にあるものの中には、走り書きか落書きか不明だが、文字のようなものが書かれているものもある。
文字と判断できるほどの数が残っているわけではなく、ちょっとした印とも考えられる。
それゆえ、文字と呼ばれるものは「発見されていない」と解釈されている。
「なるほど、そういうことなんですね」
文字であってもなくても、意味があるから書いたのだろう。
デニスはそれを研究しているらしい。
「同じく、四年のレオノーラです。ガイド人の絵について研究しています」
赤毛のこれまた大柄な女性だった。デニスと並んでも遜色ない。
長い髪とバタ臭い顔はまさに欧米系で、ライオンのような印象を受ける。
レオノーラが研究しているのは、ガイド人の残した絵らしい。
これは祐二も分かる。
ガイド人は、結構、いろいろなところに絵を残している。
なぜ絵なのかと、最初は祐二も疑問に思った。
たとえばフランスにあるラスコー洞窟の壁画は、一万年以上前に描かれたと考えられている。
他にも世界各地で四万年、五万年前と思われる壁画も現存している。
文字をもたない時代、人は絵で多くのものを表現してきた。
おそらくガイド人も同じではないか。
文字を持たない文化を形成していたゆえに、絵を描いたのではないか。そう祐二は考えた。
実際、学説ではガイド人は文字を持たず、絵で表現していたと言われている。
魔導船という高度な技術を持っていたことから、それを否定する向きもあるが、精神文明が発達していたとか、テレパスで会話できたのではとも言われている。
正解はもちろん分からないが、少なくとも彼らは絵を描いていたの事実なのだ。
レオノーラはそれを研究しているらしい。
「魔導船の各所にも絵はありますので、たしかに研究するにはいいですよね」
レオノーラはハッとした。
この中で唯一、祐二だけは、ガイド人の描いた絵を直接見ることができるのだ。
レオノーラの場合、叡智大を卒業しても、魔導船の乗組員にならないかぎり、本物の絵を見ることは叶わない。
「三年のサブリナです。同じく、ガイド人の絵を研究しています」
レオノーラが赤系の女性とすれば、サブリナは青系の女性だと祐二は思った。
線の細い女性だった。
アイスブルーの髪と瞳。顔のパーツひとつひとつが小さく、小顔もあいまって幼くみえる。
「これがゼミ生のすべてだ。キミも三年になったら、研究課題を決めることになる。いまのうちに、考えておくといい」
「はい。分かりました」
「では今日は、ガイド人が魔窟をどう考えていたのかの話だったな。デニスの発表だ。できるな」
「はい。ガイド人の残した絵、魔導船の形状、そしてこれまでの研究史を整理しましたので、それを発表したいと思います」
こうして祐二にとってはじめてのゼミが始まった。
その後、親睦会をかねてゼミ生と教授で夕食会となった。
そこで知ったのだが、魔導船の船長がゼミ生として来ると教授に言われて、三人とも緊張、そして萎縮していたらしい。
「そんな……」
と祐二は思うが、魔法使いの社会において、栄光なる十二人魔導師の家系、その中でも当主や船長になる者は特別らしい。
とくに普段から交流のない人ほど、その虚像を見て、平伏したくなるほどの畏怖をうけるのだという。
「つまり、空気がアレだったのも……」
「みな、とてつもなく緊張していたからだな」
教授にそう言われて、祐二はガックリと項垂れた。
「もう大丈夫ですよね」
「さて……どうだろうな」
「そんな……」
次のゼミが始まったら、自分は上級生に畏怖されるような存在ではないと言って回ろうか。
祐二はそんなことを考えていた。




