109 大事な話、内緒の話
――ケイロン島 特別科の敷地内 カフェテラス
「黄昏について、もう少し詳しく話していただけますか?」
二人に注目している学生はいない。
他の学生は、雑談に興じているか、食事をしているかである。
「この前の電話のことですよね」
比企嶋は軽く周囲に視線を走らせて、ゆっくりと頷いた。
「あのときは、もしかすると危険な組織のことかもしれないから、周囲には内緒にするよう話したと思います」
「ええ……ですから、だれにも伝えていません」
「それでいいと思います。事情を知っている者の噂話だとは思ったのですが、どうしても気になったので、こうして直接来てしまいました。どんな状況で、どのように聞かれたのですか?」
日頃、おちゃらけたような話をよくする比企嶋だが、今回ばかりは真面目な表情を一切崩していない。
夏織は息を大きく吸い込んだあと、小声で答えた。
「電話で……話しているのを聞いたのです。なんとなく意味がありそうな言い回しでしたので、少し気になって」
「ふむ……その方はお知り合いですか?」
夏織は頷いた。
「なるほど……ちなみにどのような感じで話していました?」
「語尾の方しか聞き取れなかったのですけど、たしか……すべては黄昏のために、とか」
「すべては黄昏のために……ですか。それはまた意味深な言葉ですね」
「あのっ……前も電話で深入りするなと言っていましたけど、それほど危ない組織なのですか?」
「そうですね。叡智の会からしたら、不倶戴天の敵という感じでしょうか。日本人の私たちからしたら、海の向こうの話になりますので、知らなくて当然なのですけど」
比企嶋はもう一度周囲に目を走らせる。声の届く範囲にだれもいないことが確認できたが、それでも声をひそめて続きを話した。
「黄昏は落日、つまり日の沈むときを表します。彼らは魔法使いの世界に落日をもたらすために活動しているのです」
「魔法使いに敵対する人たちですよね。私も聞いたことがありますけど」
「その中で一番過激な人たちですね。カムチェスター家の前当主が殺されたのも、彼らの仕業です」
「まぁっ……」
カムチェスター家の前当主といえば、フリーデリーケの父親だ。
それがその敵対組織に殺されたというのだから、夏織は心底驚いた。
「秘密を知られれば、容赦なく消しにかかってくるでしょう。ですから、他の方には一切、その話をしないでほしかったのです。それどころか、忘れてもらいたいくらいです」
比企嶋の真剣な眼差しに、夏織はたじろいだ。
「ですけど……お友達なのです。どうしたら」
「お名前を伺っても?」
「ミーアさんと言います。一学年上の方で……如月くんと最も親しいクラスメイトだと思います」
夏織の返答に、今度は比企嶋が驚いた。
口をOのように開き、両手を頬に当てている。
「み、み、みみ、みみみ……」
「水ですか? これをどうぞ。まだ口をつけていませんから」
「ち、違います。み、壬都さん。そ、それは本当ですか?」
「如月さんと一番親しい人と言うことでしたら、本当です」
「マジで?」
素で聞き返す比企嶋に、夏織は「本当です」とあくまで真面目に頷く。
「それはエラいことです。見なかった、知らなかったフリはできなくなりました」
以前、電話受けた比企嶋は、絶対に関わるなと夏織に念を押させた。
おそらく、叡智の会の内情を知っている者が雑談の中で出したのだろうと考えたからだ。
叡智大の中に彼らの仲間がいるはずがないと、無意識に考えていたせいでもある。
それでも、関わってはいけない名前であるのはたしかだったので、とにかく忘れるように伝えた。
だが、比企嶋はその後も気になっていたのだ。
念のためと思いつつ聞いてみたら、思ってもみないことが分かってきた。
「この件は、私に預からせてください。壬都さんは引き続き、何も知らなかった。それでお願いします」
「はい」
「誤解だという可能性もありますので、本当の本当に忘れてください。席を立ったら、何も聞いていなかったということに」
「分かりました」
くすりと笑う夏織に、比企嶋は「笑い事ではないのですけど」と困った顔を向けた。
「祐二さんには絶対に内緒ですからね。あの人はポーカーフェイスはできそうにないですから」
「そうですか?」
「そうですよ。いつもすぐ顔に出ます。いいですね、絶対ですからね」
「はい、分かりました」
「ではこの話はここまでにして、この前のアドバイス……どうでした?」
ぐひひと下世話な話題に移ったところで、昼休みが終わった。
授業が終わり、帰り支度をはじめていると、ミーアが寄ってきた。
「ねえねえ、この前のゼミ、どう? 一緒にやってみない?」
「古式魔法研究ゼミだよね。ごめん、俺にはちょっと合わないかな」
「そうなんだ。残念……なら、何に入るか決めた?」
「いや……決めたというか。まだ決めかねているというか」
「どういうこと?」
「ゼミって、この大学で学ぶ最大のものだろ。やりたいことがまだ見つからないんだ」
「でも候補はあるんだよね」
「うん。興味を持ったのはあったんだ。ただ、それでいいのかどうなのか」
「興味を持ったんだよね?」
「そうだね」
「でも入らないの?」
「うーん。何て言ったらいいか。うまく言えないんだけど、決め手に欠けるというか。本当にこれでいいのかって、疑問に思えちゃうんだよね」
「ああ、もう!」
ミーアは祐二の肩を叩いた。
「痛いよ、ミーア」
「いいの。私が背中を押してあげたんだから。ウダウダぐずぐずしてないで、そのゼミに入りなさい」
「でもまだ決めたわけじゃ……」
「細かいことはいいの! じっくり悩んで結論を出すことは重要よ。だけどね、サッと結論を出して、すぐに前に進むことも重要なの。だって私たち、まだ二年でしょ。お試しで一年間だけ入ることができるんだから。合うか合わないかは、入ってから見極めればいいじゃないの。合わなかったら、来年、別のゼミに移ればいいのよ。ということで、そこに入る! オーケー?」
「お、オーケーだよ、ミーア」
「よろしい。私のおかげだね」
そう言ってミーアはカラカラと笑った。
その日、祐二はコンラート教授のもとを訪れ、ゼミに入ることを告げた。
「それはよい友人を持ったの」
前回、一緒に見学に来た女性――ミーアに背中を押されたことを話すと、教授は笑顔を見せた。
「ガイド人の情報なぞ、ほとんど残ってないのでな。毎年、あーでもない、こーでもないと話しているだけのときもある。ただ、役に立つ立たないは、いま決められるものではない。長い目……それこそ今年行った研究が、五十年、百年後に生きてくるかもしれん。そう思って研究してくれるといいだろう」
「はい。では来週からよろしくお願いします」
「うむ。ゼミの場所は分かっておるな」
「はい、大丈夫です」
「それ以外のときは、ここにいる。分からないことがあったら、ここに来なさい」
「ありがとうございます」
こうして祐二は、ガイド人ゼミに入ることになった。
ゼミに入ったことで、肩の荷がおりた気がした祐二は、足取りも軽く、自分のアパートメントに戻った。
「……で、なんで比企嶋さんがここにいるんですか?」
「それはもちろん祐二さんが、婦女子を連れ込んでいないか確認するためです」
「冗談はやめてください。それより、鍵、閉めて出ましたよ。なぜ部屋に入れるんです?」
「ここは日本政府が用意した建物ですからね。鍵を借りるくらい、訳がないのです」
なるほどと祐二は思う。自分も寮にしておけばよかったのではないかと一瞬思ったが、それでも比企嶋はやってきただろう。
「それで、何の用ですか?」
比企嶋もヒマではないはずだ。用事を済ませたら、さっさと帰っていくことだろう。
「つれないですね。もっとこう、情緒とかそういうのはないのでしょうか」
「どうでもいいことに時間を費やしたくないだけです。それで、用件はなんです?」
「せっかちな男は嫌われますよ……まあ、私も時間があるわけではないので、本題に入りますが、アルテミス騎士団の件です」
「なぜその名前が?」
「やはり、接触があったようですね。申し訳ないことですが、こちらのミスで祐二さんの情報が相手方に渡ってしまいました」
「それはしょうがないです。いつかは分かることだったんですよね」
「そう言ってもらえると、少しは心が安まりますが、情報が流れたのは事実です。その様子ですと、もう接触があったようですけど」
「ええ、ロゼットさんという十四、五歳の女の子が会いに来ました。顔見せだと言ってましたけど」
「ふむ。アルテミス騎士団は、構成員を含めて、その多くが謎に包まれています。だれがメンバーなのか、叡智の会の力をもってしても把握しきれていません。ゆえに、祐二さんには最大限の警戒をしてもらいたいのです」
「最大限の警戒ですか?」
「決して気を許すことがないよう、お願いします。搦め手で来ることも考えられますし、数の暴力でやってくることもあるかもしれません。過激な手段を取るとは思えませんけれども、彼らだって暴発すれば、何をするか分かりません。くれぐれも注意してください」
「分かりました。それを伝えるために、わざわざここに?」
「はい。祐二さんの身の安全は、何より優先されますので。何かあったら、必ず周囲を頼ってください。くれぐれも軽率に動かないよう、お願いいたします」
「分かりました。そのかわり、スーパース……強羅隼人のこと、よろしく頼みます」
「頼まれました。下っ端としてコキ使うので、安心してください」
そう言って、比企嶋は去っていった。
このままドイツに入るらしい。




