105 導きと邂逅
――特別科の寮の自室 夏織
「……やってしまった」
夏織はベッドに突っ伏した。
夏織はいまだ動機が収まらず、顔も少し火照っている。
比企嶋慶子と電話したときのことが思い起こされる。
「恋愛のことなら、私に任せなさい。祐二くんをメロメロにする作戦を一緒に考えましょう」
比企嶋に相談したところ、そんな答えが返ってきた。しかも自信満々に。
「まずは祐二くんに近づくことよ。それがはじめの一歩ね。共通の思い出があるとないとでは、親密度がまったく違うわ」
そう力説されたので、夏織も「たしかにそうかも」と頷いてしまった。
だが同じ大学に通っていても、学年が違うのだ。そうそう出会えるわけではない。
そう思っていたら、比企嶋は夏織を叱咤した。
「そんな弱気なことでは駄目よ! 出会えない? 出会えばいいでしょう。同じ大学なんだし、簡単に会いに行けるわよ。……いえ、逢いに行くのよ。逢瀬よ、逢瀬」
声高らかに比企嶋がいうので、夏織も「そうかな」とまたもや思い始めた。
「用事がなければ、つくりましょう。まったくなくてもいいわ。ただ顔を見たくなった、話をしたくなっただけでもいいの。それだけで男はコロッといくの。コロッとよ。巣ごと退治できるわ」
本当だろうか。後半は、Gの駆除剤のCMじゃなかろうか。
夏織は半信半疑で相づちを打っていたが、それに業を煮やしたのか、比企嶋はさらなる提案をしてきた。
「会ったら……そうね、手でも握りましょう。肩を寄せてもいいわ。とにかくスキンシップが大事よ。肌と肌を密着させるの。はしたないですって? いいえ、大丈夫。あなたの年齢なら充分通用するわ」
ちなみに比企嶋の年齢で、祐二にそれをやったら案件になる。
夏織はふと、祐二のクラスメイトのことを思い出した。
思い返してみれば、写真に写っていた女性は、過剰なほどのスキンシップをとっていたではないか。
あれがスタンダードだとは思えないが、たまに……そう、たまにならば、許されるのではないか。
「トドメはね、顔を寄せるの。正面でも横でもいいわ。触れ合う距離に異性の顔があるだけで、男は意識せずにはいらないのよ。それでもう、心の掴みはオッケーよ!」
などとアドバイスする始末である。
用事を見つけて会いに行くまではいい。
スキンシップとやらも……まあ、機会があればできるかもしれない。
だが、触れ合うほど顔を近づけるなど……夏織は電話口でもそれと分かるほどに狼狽えた。
そこを比企嶋に突っ込まれたが、うまく言い返せたとは思えない。
そんなことをしたら、夏織の方こそ心を掴まれかねないのだ。
「……ま、まあ。顔を近づけるのは別にしなくていいわね」
自分にそう言い聞かし、夏織は祐二に会いに行った。
とくに話す用事はなかったが、それでもいい。
ただ会いたかったと言えばいいと、比企嶋からもアドバイスをもらっている。
二人での話はそれなりに弾んだと思う。
祐二が魔法について悩んでいることも初めて知った。
何かアドバイスできないかと思ったが、夏織ができることはほとんどない。
夏織は、先祖のやり方を見よう見まねで学習し、何年もかけて習得したのだから。
だが祐二はそれでも夏織の魔法を見てみたいといい、習ってみたいという。
夏織はこれはチャンスではないかと思った。
共通の思い出作りだ。そしてスキンシップもはかれる。
案の定、祐二は夏織に鍛錬の方法を聞いてきた。
大昔の人は、魔法の師から補助をしてもらって、やり方を学んだという。
そう文献に書いてあった。
それを思いだし、祐二を羽交い締めにしたのだが……夏織の高鳴る心臓の音が、相手に伝わったと思う。
それを意識してまた鼓動が速くなり、身体が熱を持った。
夏織は目の前の炎に集中し、いつしか気にならなくなった。
気がついたのは、祐二が中止を呼びかけたときだ。
まさか、比企嶋が言っていた「触れ合うほどに顔を近づける」までしているとは、思っていなかった。
なんてはしたない。これまでの行為を思い出し、夏織はめまいがしそうになった。
挨拶もそこそこに祐二と別れ、寮の自室で自己嫌悪に陥っているのである。
「……ああ~~~もう!」
胸の動悸は、しばらく収まりそうになかった。
数日後、今度はフリーデリーケが祐二を訪ねてきた。
「ねえ、最近、カオリと何かあった?」
「えっ? 何かって?」
「寮での様子がね……変なのよ。突然ガバッと机に突っ伏したかと思ったら、顔を真っ赤にして手で扇いでいるし、かと思えばニヤニヤ頬が緩んだり……あれは何ていうのかしら……とても不気味?」
「あ~……」
予想が付くだけに、祐二は何も言えなかった。
あれから祐二も、夏織と鍛錬したときのことを思い出すのだ。
赤面しはじめた祐二をジト目で睨んでから、フリーデリーケは祐二の耳を軽く引っ張った。
「やっぱり、何かあったのね」
「えっ? いや……ど、どうかな」
「狼狽えるところが怪しいわ。もしかして、鍵の掛かった小部屋に二人して……」
「そんなんじゃないよ。一緒に魔法の鍛錬をしただけだから」
「ふうん? 魔法の鍛錬……? それ、聞かせてもらっていいかしら? 東洋の魔法について、興味あるわ」
というわけで祐二は、フリーデリーケにあの日のことを話した……のだが。
もちろんいろいろなアレコレはボカして説明した。だがフリーデリーケは、その都度女の勘を働かせて、詳しく正確に突っ込んで聞いてくる。
結局、洗いざらい話さざるを得なくなってしまった。
「なるほど、密着して鍛錬ね。……ねえ、それって、二人でまた一緒にするのかしら」
「無理だよ。俺の意識が魔法じゃない方に向かっちゃうし」
「へえ……やっぱりそうなのね」
「えっ、いや……」
「…………」
「…………」
祐二を見つめるフリーデリーケと、それとなく視線を外す祐二。
「……まあいいわ。少し島を散策したい気分なの。付き合ってくれる?」
「俺でよければ、よろこんで」
「ありがとう、ユージ。では行きましょう。普段歩かないところがいいわね」
大学の正門を出て、繁華街ではなく、もっと静かな方面へ足を運ぶ。
五分も歩けば、町の様相は一変し、高級な住宅街が増えてきた。
「この先に、カムチェスター家の屋敷があるのよ。いまは使ってないのだけど」
「ああ、そうだね」
「そういえば、ユージは知っているのよね」
「うん、この先で俺は、ヴァルトリーテさんと出会ったんだ。なんかすごく綺麗な人が歩いているなって目で追ってたら、急に転んで……」
あのときヴァルトリーテがふいに転び、その拍子に鞄からこぼれた魔導珠が、祐二の方へ転がってきたのだ。
それを受け止めて返そうとしたところで、祐二は魔導珠に魔力を吸われた。
「お母様がユージと出会ったのは、ここの坂だったのね」
「出会ったのは本当に偶然だね。あのときはまだ、ドイツ語も実践で使ったことがなかったから、ヴァルトリーテさんの言葉もちゃんと聞き取れなくてさ」
「お母様はとても慌てていたと言っていたわ」
「そうだね。早口だったし、俺の腕をとって歩き出すし。でも泣き顔でもう、どうしたらいいか分からなくて」
これは重大事だと祐二は思い、なすがままにヴァルトリーテに手を引かれていったのである。
「でも良かったわ。運命の出会いだったのよね。お母様とだけど」
普通、このような出会いは、ヒロインとするのではなかろうか。
たとえばフリーデリーケのような。それがなぜ、自分ではなく母親なのだろう。フリーデリーケはそう思ってしまう。
「運命の出会いか……でも最初は『何言ってんだ、この人』って思っていたなあ。だって、どこの家なのかって、そればかり聞いてきたから」
ヴァルトリーテからしたら、祐二は他の七家に連なる者としか、思えなかったのである。
さすがにカムチェスター家の血が外に出て行ったとは考えない。
フリーの魔法使いで、可能性のある家はすべて調査、接触済みでもあったのだ。
残るは、昔に他家へ嫁いだりして先祖返りした例のみ。それも何代も前の話になる。
ゆえにヴァルトリーテは、調査漏れがあったのだと思っていた。
「まさか、その血が日本に渡っているなんて……」
「俺も信じられなかったよ」
分かるわけがない。
あの偶然の邂逅さえなければ、永遠に判明することはなかった血のつながりであろう。
「きっと、お父様が魔導珠を使って導いてくれたんだわ」
娘のことを思い、カムチェスター家の行く末を案じていた父のことを思いだし、フリーデリーケの声は、少しだけ震えた。
「そうだね、きっとそうだよ」と、祐二も言葉少なに同意した。




