098 夏織の悩み
――特別科の寮 壬都夏織
午後の授業が始まったが、先ほどの話が頭に残っていて、夏織はまったく集中できなかった。
完全に上の空でである。
これはいけないと集中するも、心は千々に乱れ、かえって混乱の度合いが増していく。
そこで夏織は残りの授業をスッパリと諦めたのである。
「……ふう」
寮の自室に戻り、夏織は心を落ちつかせる。
アルテミス騎士団という、叡智の会を監視している一般人の集団がいるらしい。
千年以上も、魔法使いの秘匿性が守られているとは夏織も思っていない。
そういった集団がいてもおかしくないと、夏織も思う。
問題はそれではない。
「たった一年で、どうしてこう……」
祐二を取り巻く環境の変化を目の当たりにし、現実を突きつけられた気分である。
高校三年の夏、祐二は特別推薦で叡智大へ進学した。
それを知らされたとき、夏織は青天の霹靂を味わった。
まさか、こんな近くに魔法使いがいたなどとは、夢にも思わなかったのだ。
半年後、実家の神社で祐二と再会した。
親友に無理を言って、場をセッティングしてもらった。
あとで言い訳が大変だったが、あれは実りある邂逅だったといまでも思える。
実はあの時点で、祐二は夏織の「とある候補」に挙がっていた。
「許婚をつくらなくてよかったと喜んでいたのよね……無邪気にも」
壬都家は、魔法使いの血を次代に残す義務がある。
といっても、当代では夏織ほどの魔力を所有している親戚はいない。
壬都家と親交のある魔法使いの家系はいくつかあり、松泉神社の本社がある出雲か、東北の平泉にそれぞれ、次代に魔法使いを残すための『候補』がいる。
夏織は将来、その両家のどちらかと結婚し、子を成すのだろうと漠然と考えていた。
否、あまり考えないようにしていた。
義務は義務として受け入れるが、乗り気でなかったのである。
ところが高三の夏から状況が変わった。
日本政府の推薦を受けるほどの魔力を祐二が有していることが分かってしまった。
夏織のように黙って叡智大を目指すのと違い、一般家庭で育った祐二を叡智大に送るには、統括会の全面バックアップが必要である。
比企嶋慶子が奔走しただろうと考えると、少しおかしくもある。
「制度上、魔法使いのデータは日本政府と共有するんです。不便ですよねえ」
全国一斉テストで祐二の魔力が判明したが、それは統括会と日本政府双方が知りうることとなる。
比企嶋はそれが不満らしいが、日本の教育制度を利用して在野の魔法使いを見つけ出すのだから、当然であろう。
システムは利用しますがデータは渡せませんでは、信用を無くすのだから。
結果、日本政府の介入によって祐二の運命は変わったが、同時に夏織にも「別の選択肢」ができた。
聞けば、祐二はAクラス入りするほどの魔力を有しているという。
だったら、祐二との間に子を成せばいい。
勝手ながら、夏織はそう考えることもあった。
ここに恋愛感情は入っていない……と夏織は思っている。
たとえ、もともと候補であった他の二家にくらべて大分乗り気であろうとも。
魔導船の船長になったと聞かされたときは、腰が抜けるほど驚いた。
まさかカムチェスター家の血を引いているとは、夢にも思わなかったのだ。
事情を知ったあとで、夏織はひどく落ち込んだ。
祐二は間違いなくカムチェスター家に取り込まれる。
表面上は、祐二のいるカムチェスター家で、自分も魔法使いの義務を果たすなどと言っていたが、思った以上にショックが大きかった。
祐二に対して恋愛感情はないが、気になっていた相手が、気に入った相手くらい昇格していただけに、大層残念だったのだ。
叡智大で再会したときは、純粋に嬉しかった。
だが、祐二の周囲には多くの女性がおり、さらに当主の娘から信頼されている雰囲気が感じられた。
たった一年で、なんとも成長したものかと感心してしまった。
そして今回、アルテミス騎士団と、さらにその情報をもたらしたというバチカンのシスターの話を聞いた。
「ちょっと待て!」と言いたい。
なにこのハーレム状態は! 夏織は叫びだしたい気分だった。
夏織が「あえて」、心の整理をつけないでいる間に、祐二を取り巻く環境は大いに変化してしまった。
しかもポッと出の、魔法使いとまったく関係ない騎士団とやらは、祐二の魔法使いとしての資質を潰そうとしている。
そんなこと、許されるものなのだろうか。
人類はこのあとも発展していくべきである。
魔法使いが激減した現代において、故意に減らそうとすることなど、許しておけるものではない。
「だったらいっそ、私が……」
と考え、夏織は赤面する。
午後の授業が身に入らなかったのも、そのせいだったりする。
祐二が訳の分からない一般女性に取られるくらいならば、いっそ自分がという考えは悪くないと思っている。
それは人類のためなのだから。
……と夏織は、ぐるぐるぐるぐるぐるぐると思考が同じ所を回っていた。
夏織は数度、深呼吸をしたあと、鞄の中からスマートフォンを取り出した。
『比企嶋慶子様、ご相談があります』というタイトルをつけて、メールを書きはじめた。
格闘すること、およそ一時間。
少し書いては悩み、先に進めては修正のために戻り、読み返しては段落ごと消去するなど、メール本文はなかなか完成しなかったが、それでもようやく満足いくものができた。
「……ふぅううううう」
どうやら精神を消耗するほど気合いを入れていたらしい。
メールを送信し終わった途端、疲れが一気にやってきたようだ。
「少し休もうかしら」
ベッドに横になり、目を閉じる。
すると、すぐにウトウトしだした。
このまま寝てしまおうかと思い始めたとき、握っていたスマートフォンが鳴り響いた。
「ひゃっ!?」
夏織は戸惑いの声をあげる。
みると、先ほどメールを送った相手、比企嶋からの電話だった。
「……もしもし?」
『壬都さん、読んだわよ。というか、入学早々、とんでもないことになっているわね』
「慶子さん……私」
『まずは状況を整理しましょう。ここからは、統括会の比企嶋ではなく、あなたの親友慶子ちゃんが話を聞くわ』
「慶子ちゃんて……そんな歳ではないと思いますけど」
『んが!? ま、まあ……そこはおいといて、壬都さんの正直な気持ちを聞きたいの。祐二くんに恋しちゃったんでしょ? ちょっとそこんとこ、詳しく聞かせてもらうわよ……あっ、安心して。酒とツマミは用意してあるから』
いきなりの核心である。
そしてまったく安心できないことを言われ、夏織は比企嶋に相談したことを少しだけ後悔した。
(……たしか時差は七時間)
時計を見ると、午後三時を回ったところ。
時差を考慮すると、日本はいま、午後十時のはずである。
(仕事上がりに、これから飲もうと思っていたところに私のメールが届いた感じかしら)
相談するに、あまりよいタイミングではなかったらしい。
だが、すでにメールを送ってしまったのだから、後悔しても遅い。
『それでどうなの?』
再度問われた夏織は、いろいろ言い訳しようと口を開きかけたが、結局「はい……そうみたいです」と答えた。
積極的に考えないようにしていたが、どうやら夏織は、魔法使い云々ではなく、祐二という個人が気になっているらしい。
好意を抱いていると言ってもいいだろう。
それは祐二が魔法使いだからなのか分からないが、祐二と魔法はもはや、切っても切れない不可分なものであるから、この際、それはどうでもいい。
夏織の気持ちはすでに、祐二の方へ大きく傾いている。
それはもはや、疑いないものであるらしい。
『だったらさ、戦略を練らなきゃ』
電話口でそんな声が聞こえた。
「戦略……ですか?」
『そう、戦略よ。だってこのままじゃ、祐二くんはどこかに取られちゃうでしょ。メール読んだ限りでも、ライバルが多そうだし』
「……そうなんですよね」
『恋愛百戦錬磨の慶子ちゃんに任せなさい!』
「百戦錬磨って、恋愛、何勝してますか?」
『ぐが!? ……ゲホッ、ゲホッ、ちょっ、ちょっとお酒が気管に……ゲッホゲホ』
それからしばらく、電話口で咽せる声が聞こえた。




