010 セッティング?
九月、ある日の夜。
――パーン!
リビングの扉が開けられ、クラッカーの音とともに比企嶋慶子が登場した。
「パンパカパーン! おめでとうございます。厳選なる抽選の結果、見事、祐二様が当選なさいました」
比企嶋はなぜか、床屋のサンポールみたいな帽子を被り、鼻髭眼鏡をかけている。
手には使用済みのクラッカー。
ここはどこのクリスマスパーティ会場だろうか。
「えと、比企嶋さん。今日はなんの冗談ですか?」
醒めた目で、祐二は場違いな彼女を見つめる。
「日頃から頑張っている祐二様へ、プレゼントをお持ちしました」
「ありがとうございます」
たしかに祐二は毎日努力をしている。
いまも講義の復習をしていたところだ。
夏織が叡智大を受験すると知ってから、勉強にも本腰を入れ始めた。
以前秀樹が評したように、どうやら祐二にはそれなりのポテンシャルがあったらしい。
本気で勉学に取り組んだ結果、講師陣が満足するレベルの結果を日々、残すようになった。
「じゃーん、これが祐二様へのプレゼントです」
比企嶋は、水色の封筒を背中から取り出す。
「そういえばさっき当選とか言ってましたよね?」
「抽選とか当選は言葉のあやですけど、祐二様が選ばれたのは本当です」
「えと、これは何にでしょうか」
封筒の中は、旅行のパンフレットだった。
「日本の若者が、古き良き伝統を知るための研修旅行です。その対象者に祐二様が選ばれました」
「旅行ですか? いま九月ですよ」
「今年は敬老の日と秋分の日が続けてありますよね。土、日、月、火と四連休です。そこへ研修旅行の名目で、飛騨の山中へご招待です」
「いま名目って言いましたよね! 名目ってどういうことですか? それって、他に目的があるんですよね?」
「企業秘密です。それよりも講師の方々の許可はいただけましたし、先方はぜひにと言っております。なにより、チケットはここにあるのです。行かない理由がありません」
「行かない理由……俺の意志はどうなるんですか?」
「もちろん祐二様に無理強いはできません。できませんが、拒否された場合、説得をとある方にお願いするかもしれません」
「行きます! 行きますから、もう怖いことは言わないでください。旅行ひとつで、政治家の人に日参されたくないです」
「祐二様なら快く応じてくださると信じてました。現地では迎えが来ることになっていますので、着替えひとつでいいようになっています」
「旅行についてはもう四の五の言いませんけど、今度は何を企んでいるんです?」
「いえいえ何も……そういえば、旅行先で新しい出会いがあるかもしれません。そうなったら祐二様は色男ですから、相手から惚れられるかもしれませんね」
「モブな俺に何を期待して……もしかして、出会いをセッティングしたんですか?」
祐二のこの質問に、比企嶋はあからさまに動揺し、視線をあらぬ方角へ逸らし、急に口笛を吹き出した。
額から一筋、汗が流れ出たのは、暑さのせいなのか、それとも。
「と、とにかくチケットは渡しましたので、絶対に参加してくださいね! 断られると、私の出世どころか、進退にまで響くんですから、お願いします!」
これまでのおちゃらけた雰囲気とは一転して、比企嶋の顔は悲壮感が漂っていた。
「わ、分かりました。旅行に行けばいいんですね」
上からキツく言われたのだろう。そう祐二は思った。
――ドイツ南部 ラーベンスブルクの町 カムチェスター家の屋敷
「再来月にある遠征は、なんとか代わってもらうことができたわ」
屋敷に戻ってくるなり、ヴァルトリーテは疲れたように首を鳴らした。
出迎えたエルヴィラは、その様子だけで大凡を察した。
「哨戒任務はまだしも、遠征には『黒猫』が不可欠。それで色々言われたのかい」
「ええ、女が当主だからかしらね、風当たりは予想以上だったわ」
ヴァルトリーテの顔には、疲労の色がみえる。
「それで肝心の当主会議の方は、どうだったんだい?」
「そっちも同じ。他家の目が厳しいこと。あやうく集中砲火を浴びるところだったけど、一族の団結を強調して乗り切ったわ」
「次は半年後の三月かい。それまでに問題が解決すればいいのだけどねえ……」
そうはならないことをエルヴィラは知っている。
「解決の目処はあるのか、かなり聞かれたわ。さぐりを入れてくるレベルを超えて、直接的に聞いてくるんですもの。ちょっと怖かったわね」
「なるほど……助成金は?」
「辞退しておいた。事情が事情だし、同情的な目でみてくれる家もあるけど、受け取らない方がいいと思ったから」
「それで正解だね。遠征のローテーションが狂って、他家に迷惑をかけた分、辞退しておいた方がいい」
「しばらくは状況が好転する可能性は低いし、お金はどうでもいいのだけど、次回を考えると憂鬱ね。お母様の方はどうでした?」
「こっちも散々さ。分家すら名乗れない家まで回ったけど、魔導珠を光らせることすらできない者ばかり。嫌になっちまうよ」
エルヴィラは嘆息する。
「次の遠征には間に合うのかと聞かれましたけど」
「無理だね。それどころか、一年後の自壊すら頭に入れておかなけりゃ駄目かもしれない」
「打つ手はなしですか」
「もうだれも残ってないんだよ。唯一の希望は、一年以内に魔力量が劇的に増える者を出すしかない……どうしたんだい? まだ何かあるのかい?」
「ひとつ気がかりなことを当主会議で聞いたのですけど」
「何だい?」
「67番魔界で、複数の魔蟲が確認されたそうです」
「はぐれがやってきたのか、それとも、どこかの魔界が溢れた?」
魔界には、魔蟲と呼ばれる甲虫に似た生き物が存在している。
大きさは一メートルから数メートル程度。
一体、一体は弱い。空を征く魔導船にとって、魔蟲は脅威にはなりえない。
ただし、数が多い場合は別。
数万、数十万という魔蟲の大軍が押し寄せてきた場合、それを殲滅するのは至難の業である。
魔蟲は飛行能力はないものの、山のように盛り上がり、それを足場として遥か高みまで跳躍することがある。
多数の魔蟲にたかられ、その重みで墜落した中型魔導船をエルヴィラは見たことがあった。
「『はじまりの地』の探索と、魔窟を越えた先の調査は平行して出来ませんから、調査に漏れがあった可能性があります」
「ふむ……魔界の数にくらべて、魔導船が圧倒的に足らないからね。67番魔界には、いくつの魔窟があったかねえ」
「72個だそうです。記録によれば、もう何年もそこから遠征に出ていないと」
「それはまた、困ったことだね」
魔界は複数ある。いや、無数に存在していると言っていい。
魔界には、魔窟と呼ばれる数十の穴が空いており、その先に別の魔界が存在している。
魔界が魔蟲に覆い尽くされた場合、魔窟を通って隣の魔界へ侵攻してくることがあるのだ。
「もしかすると私たちの魔界にも侵攻があるかもしれないと、当主会議でも話題になっていました」
「そんなことになれば、こっちは総力戦だ。すべての家が一丸となって戦う必要がある。『黒猫』が機能停止しているから、カムチェスター家はロクな働きができないか」
「ええ、会議でもそのへんをチクりと言われました。一応、あの子の成長待ちなので、もう少しだけ我慢してほしいと伝えてあります」
「フリーデリーケはアタシらが言っても駄目だったし、さて、どうしたもんか。一族の者にフォローさせるかね」
「したくはないですが、少々強引に外へ連れ出すことも視野にいれないと、駄目かもしれません」
「時間をかけたいところだが、状況が許してくれないか。まったく難儀なことだよ」
「お母様、私今度、叡智大へ行ってきます。あそこの職員と学生の中に、先祖の血を引いている者がいますので」
「他家の若手か。たしかにカムチェスター家の血を引いている者もいるが、それは前に望み薄だと、結論が出たはずだよ」
「ええ、それでもほんのわずかな可能性があるのでしたら、行ってみたいと思います」
「それなら止めはしないが、船長になるには、必ず二つのことを満たしている必要があるからね」
「一定以上の魔力を持っていることと、他家よりも濃い血を有していることですね」
「そう。だから栄光なる十二人の魔導師に連なる家は、ほぼ不可能と思った方がいい。その家の血が色濃く出ているからね」
「狙い目は、他家の血が薄い者ですか」
「ああ、だがその場合、強い魔力を持つことはほとんどない。つまりは、望み薄ということさ。それでも行くかい?」
「はい。ちょうどいま新学期ですし、行ってみようと思います」
「そこまで分かっているのなら、お行き。向こうで見つかるといいさね」
「きっと見つけてきますわ」
そう言ってヴァルトリーテは微笑んだが、その言葉を信じているのかは、エルヴィラには判断つかなかった。




