001 英雄の出立
これはのちに、『英雄魔導船』と呼ばれるようになる一隻の魔導船と、それにまつわる人々の物語です。
だれもいない一室で、彼女は手紙を書いていた。
『
お母さまへ
あなたの娘はこれから、『はじまりの地』を探しに、旅立ちます。
先日の大侵攻が記憶に新しいかもしれませんが、大丈夫です。安心してください。
本拠地は、バムフェンド家とミスト家が守ってくれます。
今回の遠征は、これまでで一番危険で、長期にわたることが予想されます。
お母さまが当主会議で、最後まで反対されたと聞きました。でも心配しないでください。私たちにはユージがいます。
ユージのインフェルノなら、『栄光なる十二人の魔導師』たちがたどり着いたあの地へ、きっと導いてくれると信じています。
』
彼女はそこで「ユージ」とつぶやき、頬を赤らめた。
一旦、ペンを置き、パタパタと両手で顔をあおぐ。
ここはドイツ中央部、ハイニッヒ国立公園にある秘密の地下施設――『叡智の会』の旧本部があった場所だ。
そこの奥まった一室に彼女はいる。
ここは魔導船の乗組員が、遺書を認めるための個室である。
そう、彼女は手紙ではなく、いま遺書を書いている。
彼女は大きく息を吸い込み、再びペンをとった。
『
遠征にはロスワイル家、バラム家、そしてチャイル家が付き添ってくれます。
途中の二箇所がどうしても危険らしく、彼らの船団が守ってくれることになりました。
私たちは彼らの献身を背負って、『はじまりの地』へ赴くことになるでしょう。
そこにどんな困難が待ち受けていても、決してくじけません。
ですからこれは、本来必要ないものです。私はそう思います。
』
そこで彼女はまたペンを止め、首をかしげた。
遺書の中身が、思っていたことと違う流れになったからだ。
彼女は眉根を寄せ、難しい顔で天井を睨んだあと、続きを書きはじめた。
『
お母さま、話が逸れました。
今回の作戦は完璧です。私はそう思います。
ですがもし、もし万が一、私が帰らなかったとしても、お母さまは悲しまないでください。
あなたの娘は最期まで決して怯まず、勇敢に戦います。戦い抜きます。お母さまはそれを誇ってください。
愛しています、お母さま。いつまでも、いつまでも愛しています。
このあとすぐ、私はユージとともに死地へ赴きます。
ですが後悔は微塵もありません。本当です。どん底だった私を救ってくれたユージに、最後までついていきます。
それではお母さま、時間がきました。
行ってまいります。
』
彼女――フリーデリーケ・カムチェスターは、たったいま書き上がったばかりの遺書を蜜蝋で封する。
部屋を出て、カウンターの係官にそれを手渡した。
「はい、たしかにお預かりしました。それと、こちらが以前のものです。お返しいたします」
「ありがとう」
フリーデリーケは、ひとつ前に書いた遺書を受け取った。
それを手にしたまま通路を歩いていると、見知った顔が近づいてきた。
銀色の髪をした十五歳くらいの少女、ロゼットだと分かった。
「あっ、フリーデリーケさん」
「こんにちは、ロゼットさん。……見送りですか?」
ロゼットは「はい」と頷いた。
「今回の遠征は、わたしたち『アルテミス騎士団』にも、大いに関係ありますので」
「たしかに今回の遠征、あなた方の助力がなければ、実現しなかったでしょう」
そう言いつつ、フリーデリーケはロゼットから視線を外した。
「騎士団員がここを歩くのは、不思議でしょうか?」
思っていたことを言い当てられたフリーデリーケは、しばし逡巡したあと、頷いた。
「ええ、その通りです。とても違和感があります。なにしろ私たちは少し前まで敵どぅ……」
フリーデリーケは、こちらに早足でやってくる人影に気付き、小さく呟いた。
「……夏織」
「ここで会えてよかった。フリーデリーケさんが、こちらに向かったと聞いたので、もう魔界へ行ってしまったのかと」
夏織は安心した表情を浮かべた。
「もうすぐ魔界に行くけど……どうしたの、夏織?」
自分を探していたようだが、フリーデリーケには、まったく心当たりがない。
「ベラルドさんから手紙を預かってきました。まだ間に合うと思ったので……はい、ちゃんとお渡ししましたよ」
「ありがとう。だったらいま、確認した方がいいわね」
フリーデリーケは手紙を受け取り、すぐに封を切った。
フリーデリーケは中身を確認して驚く。
「母からだわ……えっ? 鴉羽家がっ?」
その言葉にロゼットはキョトンとし、夏織は「まあ」と目を少し開く。
「あれから鴉羽家は、クラリーナ様の遺品を整理したみたいね。ドイツ語の手紙を見つけたので、お母さまのところへ送ったみたい。コピーが同封してある……読んでみるわ」
「クラリーナ様? ……ああ、倉子さんのことですね。たしか資料にその名前があったと思います」
フリーデリーケの言葉に、ロゼットがポンッと手を叩く。
「ええ、フリーデリーケさんの曾祖父の妹さんにあたる人よ」
夏織がロゼットに説明している。
二人がそんなやりとりをしている横で、フリーデリーケは最後まで手紙に目を通した。
「なるほど、そういった理由『も』あったわけね。だから……だから、家を……出たのね」
フリーデリーケが口元を手で覆い、わずかに肩を震わせる。
ロゼットと夏織は、フリーデリーケにどう声をかけていいか悩んでいると……。
「あれ? みんなお揃い? というか、こんなところで何やってるの?」
朗らかな声が後方から聞こえた。
「ユージ!」
「祐二くん」
「……あれ、フリーダ、泣いてるの?」
「ううん、違うわ。泣いてないわ。なんでもないもの」
「でも」
「本当よ。ただ母からの手紙で、長年の認識が覆ったって、教えてもらったの」
「認識……長年って?」
祐二が首をかしげる。
「それよりユージ、これをやってくれる? もう要らないやつだから」
フリーデリーケが手渡したのは、先ほどカウンターで受け取った遺書。
祐二もそれが何かを理解したため、「いいよ」と軽く請け負った。
祐二が握ると、ポッと音がして遺書が燃え上がった。
「これでいい?」
「ええ、ありがと、ユージ」
遺書は完全に灰になり、足元に落ちた。
「どういたしまして。それで、こんなところで立ち話?」
「たまたま会っただけよ。それより時間でしょ」
「ああ、そうだね。もうみんな魔界にいるみたい」
「だったら私たちも急がなきゃ」
「しっかりと見送りますわ」
「ありがとう、ロゼットさん。じゃあユージ、行きましょう」
「生きて帰ってきましょうね、祐二!」
「もちろん、俺たちは帰ってくるさ。必ずね」
左右の腕を二人の美女――フリーデリーケと夏織に絡め取られ、ひとりに背中を押された祐二は、問答無用で廊下を歩かされた。
通路の先から「ちょっ、まっ……速いって!」という声が聞こえてきた。
「ふわぁ~~」
如月祐二は、自室のベッドの上で大きなあくびをして、眠そうに目をこすった。
「昨日、遅くまでゲームをやりすぎたかな。変な夢を見た気がする。なんか最終決戦前のアニメみたいな……」
祐二がリビングに向かうと、いつも通り家族全員が揃っていた。
「お兄ちゃん遅い! もう高二だよ! 子供じゃないんだから、ちゃんと起きなきゃ!」
「いきなりディスられたけど、忠告ありがとう。でもそれよりまず、お兄ちゃんに『おはよう』じゃないのか、愛菜よ」
「う~ん、おそよう? わたしはもう、朝のランニングまで終わってるもん!」
「なるほど、それは朝から元気なことで」
「祐二、おまえは相変わらず気楽だな」
「おはよう、兄さん。……どうしてこう、俺の家族は朝の挨拶をないがしろにするのかな」
「一人だけ遅起きなのだから、仕方ないんじゃないのか? 父さんもベスの散歩は済ませてるぞ。朝歩くのは、気持ちがいいぞ」
「はいはい、おそよう、おそよう」
「朝ごはん、祐二の分もできてるからね。さっさと食べてよ」
「了解、母さん」
「祐二のことなんかより、母さん。さっきの話だよ! 今日、授業終わったら、サークルで飲み会なんだ。バイト代だけじゃ足らなくってさ、少しだけでいいから融通して!」
「あんた、おとといも飲み会だったじゃないの。そんなの一度に済ませちゃいなさいよ」
「なに無茶なこと言ってんだよ。今年は後輩に奢らなくっちゃならないの」
「でもねえ……春は物入りなのよ」
「母さんもそんな渋い顔をするな。健一も大学生なんだ。付き合いってものがあるだろ」
「付き合いはわかるけど、全部付き合ってたら、キリがないわよ。ひとつに絞れないの?」
「ねえお母さん。今年、わたしレギュラーだから、部活終わったらのこ練するからね。じゃ、行ってきまーす。お兄ちゃんたちは遅れないように!」
「愛菜、暗くなるなら、帰る前にちゃんと連絡入れるのよ!」
「はーい!」
「仕方ない、今回は父さんが出そう」
「本当? 父さん、男前! 太っ腹!」
「少ない昼食代の余りを少しずつ貯めたものだからな、大事に使えよ」
「へえ、そうなの。だったらアナタの昼食代、減らしても大丈夫そうね」
「か、母さん。そ、それは勘弁を……あれは爪に火をともすようにして貯めたとっておきで、決して余裕があるわけでは……」
「父さん。この借りは、就職したあとでキッチリ返すぜ」
「う、うむ。いい心がけだ。……でな、母さん。昼食代はそのままで……できれば小遣いももう少し……」
「あら、お父さん。何か言った?」
「い、いや……その……なんだな、いい天気だな」
「そうね。明日も晴れるんじゃないかしら」
最後はうやむやになったが、これはいつものこと。
如月家では、玉虫色の決着がつくことは、珍しくない。
こうやって、朝の団らんを家族全員で迎えられるのも、公務員の父と専業主婦の母だからこそだろう。
祐二は、朝食を摂りながら、本日の予定を思い浮かべた。
「放課後の予定か……うん、俺は何もないや」
今日もまた、祐二だけ、予定が埋まっていなかった。
祐二が教室に入ると、谷岡秀樹が手招きしてきた。
「始業十五分前、相変わらず時間に正確だな。まあ、こっちこいよ」
「それは電車に言ってくれ。それよりヒデ、何か用か?」
「ほらっ、校庭を見てくれ」
窓から外を覗くと、十人ほどの男女がトラックを走っていた。
その中で一人だけ目立つ人物がいる。
背が高いとか、太っているというわけではない。
オーラが違うと言えばいいのだろうか。一般人の中に芸能人が紛れ込んでもすぐに分かるように、その人物はやたらと目立っていた。
「やっぱ、壬都夏織に目が行くよな」
祐二が夏織を凝視していると、隣で秀樹がニヤニヤとした。
「それはそうだろ。で、このために俺を呼んだのか?」
「いや、すげーネタを見つけたんだ。これで姫の価値が跳ね上がりそうだぜ」
姫とは、夏織を指す隠語だ。だれが使い始めたのか分からないが、すでに校内で広まっている。
本人は嫌がっているようなので、もっぱらこういった噂話のときにしか使われないのだが。
「跳ね上がる? もともと価値と人気は青天井だろ?」
「ああ、そうだ。だけど、天井を突き破るってこともあるだろ? つぅわけで、聞きたいか?」
秀樹は、まるで悪事をそそのかすかのように、声のトーンを落とした。
ファウストに囁いた悪魔メフィストフェレスは、こんな顔をしていたのではないかと祐二は思った。
この作品は2020年4月から、約半年で書き上げたものです。
過去、別サイトで『有料話』として掲載していました。
そのサイトについては、過疎地に建つ大きなデパートを想像してください。
作家がテナントで、読者がお客様だと考えると、だいたい合っています。
有料話(ポイント購読を除く)を購読した人は、各話平均15人くらいでした。
現在は契約解除して、権利関係はまっさらになっています。
というわけで、毎日18時(午後6時)に1話ずつ更新していきます。
完結まで半年かかりますので、ぜひお付き合いくださいませ。
前半は物語が膨らんで、多くの謎や伏線が登場します。
後半は謎が明かされつつ、広がった風呂敷が畳まれていきます。
問題が解決する過程で、カタルシスが味わえることを願って書きました。
この1話の冒頭部分は、物語の中だと169話あたりの話になります。
現時点ではまだ意味不明だと思います。
以上、よろしくお願いします。