第16話 魔導師の弟子は思わず涙する
月日が過ぎ去るのも早く……
フェリシアは夏休みを迎えた。
尚、成績の方は当然のようにトップである。
優れた成績を手に、フェリシアは意気揚々と師であるマーリンのもとへと凱旋した。
が、しかしフェリシアの成績表を見たマーリンの反応はとても淡泊なものだった。
「ふーん……それで?」
「いや、それでって……」
「私の弟子なら、これくらいは当然よ」
「むむ……」
もう少し褒めてくれても良いじゃないか。
と、フェリシアは頬を膨らませた。
もっとも、マーリンのこういう態度は今に始まったことではないので今更な話だが。
「それで課題の方は?」
「そっちもばっちりだぜ」
フェリシアは自信満々に紙の束をマーリンへと渡した。
肉体改造、魔力炉心に関する論文である。
マーリンはフェリシアの論文を手に取り、熟読する。
フェリシアは少しドキドキしながら、それを見守る。
「ふーん」
「ど、どうだ?」
「やり直し」
ガーン!
という擬音語がつきそうなほど、フェリシアは落ち込んだ。
「わ、私……凄く、頑張ったのに……悪くない内容だと、思うんだけど……」
「そうね。理論の組み立ては悪くはないわね」
マーリンはフェリシアの論文をそう評した。
フェリシアの書いた論文の通りに肉体改造を施せば、理論上、魔力炉心を作り出すことは可能だ。
……そう、理論上は。
「少し実用性に欠けているわ」
「じ、実用性……」
フェリシアは表情を引き攣らせた。
自分自身でも、自分の組み立てた理論に実用性が欠けていることに……というよりは、そもそも実用性を念頭に置かなかったことに気付いたのだ。
「錬金術師ならば、実用性を考えなさい。誰も買えない薬はないのと同じ。実際に施せないような内容の肉体改造は、できないのと同じよ」
「……はい」
フェリシアは肩を落とした。
一方マーリンはフェリシアを励ます様子は一切見せず……お構いなしに話題を少し変えた。
「そう言えば、フェリシア。あなた……エリザベス・バートレットのところへ研修に行っているそうね」
「ああ、そうだぜ。……伝えてないけど、どうして分かったんだ?」
「それは秘密よ」
大方、使い魔等を使って自分を監視しているか……
それともホーリーランド学長が教えたのだろうとフェリシアは当たりをつけた。
もしかしたら、割と気に掛けてくれているのかもしれないと……フェリシアは少し嬉しい気持ちになった。
「エリザベス様のところに研修に行くのは、不味いか?」
エリザベスとマーリンは同じ錬金術師だが……
微妙に考え方が異なる。
もしかしたらマーリンはエリザベスのことが嫌いなのかと、フェリシアは少しだけ心配になった。
「……少し気掛かりだと、思ってね」
「気掛かり?」
「彼女は優秀な魔導師だけど、人嫌いだから。それが急に学生を受け入れるなんて、どういう風の吹き回しなのかと思ってね」
人嫌いと聞き、フェリシアは首を傾げた。
フェリシアにとってエリザベスはそこそこ親切な魔導師だ。
少なくとも……どこかの誰かのように、重度の人嫌いではない。
優しいおば……お姉さんという印象を持っている。
「師匠だって、急に弟子を取ったじゃないか」
「私は人嫌いじゃないわ」
「……え? 痛い!」
何を言っているんだ、この人は。
という顔をしたフェリシアの頭を、マーリンは杖で殴った。
そして鼻を鳴らす。
「私は人付き合いが嫌いなだけ。人嫌いではないわ」
「……そうなのぜ?」
「そうよ」
怪訝そうな表情でフェリシアは首を傾げた。
しかし……フェリシアは知る由もないが、マーリンの研究課題は人類の救済である。
もし本当に人間が嫌いなら、人類を救済しようとは考えない。
「エリザベス・バートレットは、根本的に人間という生き物を嫌っていたはずよ」
「うーん、そうは見えなかったけど……」
「まあ、気が変わった可能性もあるけれど」
「分かっているぜ」
用心は当然、している。
というのも、フェリシアでも分かるほどの露骨な下心があるのだ。
散々にメイド服を着せられたし、今でも油断をするとバニー服を着せられそうになるほどだ。
「そうだ、師匠。私、使い魔はネズミにしたぜ。カレットって言うんだ」
フェリシアはそう言うと……
彼女の肩に捕まっていたネズミが飛び出した。
そしてマーリンの前で、チュウと鳴った。
「ふーん……あなたに似て、ふてぶてしい顔をしたネズミね」
「私はもっと可愛いのぜ」
「そういうところね」
私はただ事実を言っているだけなのに……
と、フェリシアは首を傾げた。
「まあ、良いぜ。じゃあ、師匠。私は母さんのところへ行ってくるから」
「はいはい」
マーリンはぞんざいな返事をすると、本を開き始めた。
フェリシアは肩を竦め、マーリンの住居を出た。
「私の記憶が正しければ、あなたは十分前に母親の元へ行ったはずだけど」
「そうだよ。行ったよ……聞いてくれよ、師匠!」
再びマーリンの住居を訪れたフェリシアは、ぷんすかと頬を膨らませていた。
マーリンは面倒くさそうに眉を顰める。
「何?」
「父さんが来てた。……この夏休みは一緒に過ごすって!」
「過ごせば良いじゃない」
「私はあの二人のことを、まだ許してなんかいないのぜ」
反抗期を拗らせるフェリシアに、マーリンは面倒くさそうに溜息をついた。
「じゃあ、過ごさなければ?」
「帰る家がないじゃないか」
「寮に戻るか、橋の下にでも住めば?」
「……研究、手伝うから一緒に住まわせてくれたりはしないのか?」
「いい加減、師離れしなさい」
シッシ、と手でフェリシアを追い払うマーリン。
それに対し、フェリシアは肩を竦めた。
「はぁ……まあ、師匠がケチなのは知ってたし、期待はしていなかったけど。……ところで一つ、相談していいか?」
「内容によるわね」
「私、そろそろ自分の“工房”が欲しいぜ」
魔導師が研究を行うのに、工房は必須である。
マーリンは当然、工房を所有しているし……
またエリザベスも非常に優れた設備の工房を持っている。
フェリシアは学園にある秘密の部屋を工房として利用しているが……
結局、学園はホーリーランド学長の工房だ。
別の魔導師の工房を一時的に間借りしているような状況だ。
ホーリーランド学長は気にしないのかもしれないが、魔導師としてのフェリシアのプライドが許さない。
「作れば?」
「どこに作れば良いかって話をしているんだ。この森は、ダメだろ?」
「当たり前でしょ」
この森はマーリンの縄張りだ。
フェリシアが使用するわけにもいかない。
「どこかに領地や家を買って作るのが一般的だけれどね。あなたにはそれはできないわね」
「そうなんだよ。……どこか、良い場所、ないかな?」
「……」
面倒臭がってはいるものの、それでも可愛い弟子の頼みには耳を傾けざるを得ないらしい。
マーリンはしばらく、考え込み……
「あいつの工房を、乗っ取るのは?」
「……あいつ?」
「ほら、アレよ。アホーロンとかいう……」
「師匠、その名前の間違いはさすがに酷いぜ」
フェリシアはあまりの不憫さに目頭が熱くなった。
アコーロンさんが一体、何をしたというのだ……