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第15話 金槌令嬢は泳ぎ方を教わる

 誰にでも得意不得意はある。

 フェリシアが得意なのは言うまでもなくラグブライと、そして勉学である。


 ラグブライではクリスティーナに、勉学ではアナベラやマルカムに教えてあげる立場だ。


 が、しかし万能の才女である彼女にも苦手な物は当然あるのだ。

 それは言うまでもなく、水中での活動だ。


「上手に泳ぐには、まず足の動きが重要だ」


 プールサイドにて、クリストファーはフェリシアにそう言った。

 ふむふむと、フェリシアは大きく頷く。


「つまり足で進むということか?」

「いいや、推進力は基本的に手の力かな。足はバランスを整えるために必要なんだよ」

「なるほど、まずは体のバランスを整えることが大事ということか」


 取り敢えず手と足を動かせ。

 というアナベラの「習うより慣れろ」な教え方よりは、クリストファーの教え方は理知的で、少しだけ期待が持てた。 

 

「まず君の足の動きを矯正するから。プールサイドに腰を下ろして、足だけ動かしてみてくれ」

「まあ、別に良いけど」


 足の動きも何も、上下に動かすだけじゃないか。

 と、そう思ったフェリシアはバタバタと水滴を飛ばしながら足を動かして見せた。


「どうだ? これで良いだろう?」

「うん、やはり足から教えた方が良さそうだね」


 どうやら何かが間違えているらしい。

 じゃあお前がやってみせろよ、とフェリシアがそう言う前に彼はフェリシアの隣に座った。


「僕の動きを見ててくれ」

「分かったぜ」

「いや、すまない。……もう少し距離を取って、見てくれ」


 クリストファーの下半身に対し、身を乗り出すように覗き込むフェリシアを制しながら言う。

 その美しい黄金の瞳で、下半身を見られるのは、いろいろと不味い。


「……」


 何しろ少し遠くから、アナベラを含める女性陣がクリストファーを監視しているのだから。


「早くしろよ」

「分かっているさ。……足はこう動かすんだ」


 クリストファーはそう言いながら足を上下に動かした。

 そしてフェリシアに尋ねる。


「何が違うか、分かるか?」

「……水しぶき?」

「そう。まず足はできるだけ水中から出さないこと。頭の良い君なら分かるだろう。水から出すのは、力の無駄だ」


 フェリシアの足の動きは豪快過ぎる。

 足先で水面を叩きつけるように足を動かすから、体が不安定になるのだ。


「そしてもう一つ。君は膝を曲げ過ぎだ。……格闘技じゃないんだから。曲げないように意識すると良いよ」


 フェリシアにとって、キックとは相手の顔面や股間にくれてやるものだ。

 その時は膝を曲げながら足を持ち上げ、そして膝を伸ばした勢いを相手にぶつける。

 フェリシアはこれを水に対してやっていたのだが……


 水は友達なのだ。

 戦ってはいけない。


「ほら、やってみて」

「うん……いや、でも、ちょっと難しいぞ」


 足を動かしてみるフェリシアだが、体に染みついた癖はそう簡単には治らないらしい。

 どうしても膝が九十度に曲がってしまう。


「うーん……少し足を持って良いかな?」

「……まあ、良いぜ」


 フェリシアはそう言ってその白く長い足を伸ばした。

 固い筋肉の上を薄っすらと柔らかい脂肪が覆っている、無駄な贅肉もなく、かと言って筋肉で太くなっているというわけでもない、美脚だ。


 クリストファーは水中に入ると、そんな彼女の足首を掴んだ。


「僕の動きに合わせて、動かして」


 クリストファーはそう言うと彼女の足を少し引っ張り、膝が曲がらないようにしてから水中の中で静かに動かす。

 それに合わせてフェリシアも両足に力を入れる。

 徐々に速度を上げていく。


「こういう感じだ……分ったか?」

「あぁ、コツは掴めたぜ。……こうだろう?」


 クリストファーが手を離した後も、フェリシアは綺麗に足を動かして見せた。

 元々フェリシアは優れた身体能力を持っている。

 だから覚えるのは早い。


「じゃあ今度は水中でやってみようか」

「え? ……で、でも、早くないか?」


 不安そうな表情でフェリシアは言った。

 この屋内プールは高学年の男子も使用できるような深さで作られているので、実はそこそこ深い。


 少なくともフェリシアの胸の高さをやや超えるくらいはある。

 なので、溺れる時は溺れる。


「溺れたら助けるよ」

「……絶対だぞ」


 そう言うとフェリシアは静かに水の中に入った。

 それからクリストファーはそんな彼女の白い手を強く、握りしめた。



「これから僕が君を引っ張るから。君は浮きながら、足を動かすんだ。息継ぎもしなくて良いよ。苦しくなったら、立てば良い。簡単だろう?」


「あ、あぁ……」


 フェリシアはギュッと、クリストファーの手を握りしめた。

 かつてないほど、この男が頼りがいのある人間に思えた。


 クリストファーはそんな彼女を、少しドキドキしながら引っ張ってあげるのだが……


「フェリシア」

「な、何だよ!」

「早く泳いでくれないと、これでは間抜けな水中散歩だ」


 クリストファーが後ろに下がると、フェリシアはぴょんぴょんと水底を蹴りながら、移動してしまう。

 これでは何の練習にもならない。


「う、うるさいなぁ……い、今、やるぜ」


 フェリシアはそう言うと水の中へと頭を付けた。

 そしてその美しい肢体を水中で伸ばす。


 それから控え目に足を上下に動かし始めた。

 その動きと共にクリストファーも、彼女を引っ張る。


 十秒ほど引っ張っていると、フェリシアの動きは止まった。

 クリストファーが軽く上へと引っ張ってあげると、その動きに合わせて、フェリシアは足を付けた。


「コツは掴めたかな?」

「……あと、何度かやれば」


 それから数度繰り返すと、フェリシアは見違えるように上手に足を動かせるようになった。

 ちゃんと浮力も生かし、体も浮かせることができているように見える。


「なんか、泳げるような気がしてきたぜ!」


 唐突に根拠のない自信を口にし始めるフェリシア。

 それからクリストファーの手を離した。


「ちょっと、自力でやってみせるぜ」

「い、いや……まだ早いんじゃないか?」


 いくらフェリシアでも厳しいのではないか?

 と、そう思うクリストファーだが、彼女はその控え目な胸を張り、得意そうに笑った。


「水の中で足を蹴るだけだろ? こんなの、簡単だぜ。そもそもここは足が着くしな」


 そんなことを言うと、フェリシアはクリストファーが制止する間もなく、プールの床を蹴った。

 そしてバタバタと足を動かす。


 だが……上半身は浮いているものの、下半身だけが沈み込んだままの、間抜けな絵面だ。

 そして空気を吐き出すにつれて、上半身も沈み込む。


「ふぇ、フェリシア!」


 これは溺れていると判断したクリストファーは慌てて、彼女の手を掴んだ。

 すると……


 本当に溺れていたらしい。

 滅茶苦茶に手足を伸ばし、クリストファーの体の位置を探り当てると、ギュッとしがみ付いてきた。


 クリストファーの方も強引にフェリシアの体を水面から上げる。


「はぁ、はぁ……」

「だ、大丈夫か? フェリシア」

「し、死ぬかと思ったぁ……ぐすぅ……」


 そういうフェリシアの目は潤んでいた。

 先ほどまで水の中にいたので、彼女の顔が濡れているのは当然なのだが……その目元は少し違う水分で濡れているように見えた。


「今日はもう、やめるか?」

「……そうするぜ」


 今日のところは泳ぐ気力がなくなってしまったらしい。

 それどころか、普通に水を歩くのも怖いようで、ぎゅっとクリストファーの腕にしがみついたまま、離れようとしない。


 クリストファーはフェリシアを支えながら、プールを移動する。

 そして下から押し上げるように、フェリシアをプールサイドへと上げてあげた。


 フェリシアは陸へ上がると、クリストファーに臀部を向けたまま、四つん這いで、落ち込んだような体勢で、硬直した。

 それから立ち上がり、ギュっと足の指先で地面を踏みしめる。


「やっぱり、人間は陸で生きるべき生き物だ。人は浮かない」


 地面、素晴らしい!

 とでも言うように呟いた。


 それからいつまでも水の中にいるクリストファーへ、振り返った。


「そろそろ授業終わるし、お前も上がったらどうだ? 陸は良いぜ?」

「……いや、僕はもう少し水の中にいるよ」


 クリストファーはフェリシアから視線を逸らしながら言った。

 きょとん、とフェリシアは首を傾げる。


「変な奴だな。水の中にずっと、いたいなんて」


 クリストファーって、変わってるなぁ。

 などと、フェリシアは他人事のように思った。


 そんなフェリシアを見て、クリストファーもまたため息をついた。






 その夜、クリストファーは悶々とした時間を過ごしたとか、過ごさなかったとか。


ところでこの作品ですが、皆さまのご支援のおかげで『書籍化』が決まりました

詳細につきましては、近いうちに活動報告で告知できたらと思っています


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