第3話 魔導師の弟子は魔導師に認められる
魔法学園の春休みは二月の初旬から三月の下旬まで。
およそ二か月間ある。
大抵の子供はこの二か月間、家族と一緒に過ごすわけだが……
複雑な家庭事情の子供は例外となる。
そしてフェリシアはそんな複雑な家庭事情の子供の一人だ。
「いつまでここにいるつもりなの? フェリシア」
マーリンは酷く面倒くさそうな表情でフェリシアに言った。
現在、フェリシアはマーリンの住居の屋根裏部屋で過ごしていた。
修業時代、時折マーリンのところで住み込みで授業や実験の手伝いをすることがあった。
そういう時にフェリシアは屋根裏部屋で寝泊まりしていたのだ。
とはいえフェリシアは既にマーリンのもとから巣立っている。
とっくに空を飛べるはずのフェリシアが雛鳥のように親鳥の巣に帰って来ているのかと言えば……
「父さんが帰るまでだ、師匠。……私は、まだ、許してなんか、いないんだぜ」
ぷんすかと、頬を膨らませながらフェリシアは言った。
フェリシアの父であるアンガスはイェルホルムとは別の街で仕事をしている。
が、しかし今は時折、イェルホルムにやってきてフローレンスと顔を会わせている。
二人はとっくに和解したようで、今ではすっかり仲良くなっているわけだが……
フェリシアは違う。
「仲良し家族にはまだ、戻ってやる気はない。だから家族団欒の場なんて、過ごさないぜ」
「子供じゃないんだから……」
「子供だぜ。それも、反抗期の」
「そう言えばそうね」
フェリシア・フローレンス・アルスタシアちゃん、十三歳。
親には反抗を示したくなる年頃である。
反抗する大義名分があるならば、尚更だ。
「そもそも、ラグブライの試合に観戦しに来たくらいで、今更親面されてもな。勘違い甚だしいぜ。育児放棄した過去は変わらない。だから……しっかりと、気まずい気持ちになって、反省して貰わないと」
「許してあげる予定はあるの?」
「それは私の気分次第ってやつだぜ。まあ……反抗期を過ぎるまでは、許してあげないかな?」
十五歳になるまでは同じ食卓を囲んでやらないと、フェリシアは固く決意する。
マーリンは呆れ顔でため息をつく。
「巻き込まれるこちらにもなって欲しいけれどね。あなたたちのくだらない家族喧嘩に」
「別に迷惑は掛けてないだろ? ……ダメなのか?」
「ダメではないわ。でも……巣立ちを終えた鳥が、いつまでも巣にいるのは不味いでしょう」
「むむ……自立しろって、ことか?」
反抗期のフェリシアにとって、「自立」とは中々重い言葉である。
子供とは往々にして「自立」したがる。
もっとも……大抵の子供は(場合によっては大人もだが)、単に一人暮らししているだけの状態を「自立」と呼んだりするのだが。
「自立」したがる時点で、子供の証である。
「私、そこそこ自立している部類だと思うけどな。学費も生活費も奨学金で賄ってるんだぜ?」
親から援助を受けていないという点では、「自立」していると言える。
勿論子供である以上は保証人が必要だったりするが、それは法律上、致し方がない。
「はぁ……」
一方、マーリンはフェリシアの言い分を聞いてため息をついた。
フェリシアはムッとした表情で身構える。
こういう時のマーリンの「はぁ……」は、「全く分かっていない」「間違っている」というニュアンスだ。
「良いかしら? 人間というのはね、社会に関わって生きているの。だから全ての人間は、別の誰かに支えられているわ。真の意味で“自立”している人間はこの世にいない。まあ、無人島で生きているなら話は別だけど」
「それは詭弁だ。真の意味での“自立”をしていないからと言って、『自立』していないとするのは、ちょっと黒が混じっているから白猫を黒猫って言うレベルの話だぜ。……詐欺師は相手を否定する時は物事を白と黒に分け、自分の意見を通す時には白と黒を渾然一体として話す。修辞学で師匠が言っていたことだ」
フェリシアが毅然とした態度で反論すると、マーリンは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「あら? ふふ、優秀過ぎるのも考え物ね」
「で、師匠はどう思ってるんだよ。私は、経済的な自立が『自立』だと思うぜ。これが違うってのか?」
「ええ、違うわね。その理論だと、この世で『自立』している人間はごく僅かになるわ。少なくとも……誰かに雇われている人間は、『自立』していない半人前の人間未満になるわ」
何者かに雇われている者は、その人物に経済的に依存し、従属下に置かれているということになる。
その理論で言えば、この世の大部分の人間は『自立』をしていないことになる。
勿論、奨学金という名の借金を背負うフェリシアは言うまでもない。
「領地や商会などの既得権益を持つ貴族だけが『自立』していると、あなたは思うの?」
「……じゃあ、師匠は何が『自立』だと思うんだよ」
「他者に支えられるだけでなく、自らが他者を支えられるようになって、初めて『自立』ね。その点で言えば、あなたは『自立』していない」
「むむ……」
フェリシアは不服そうに眉を顰める。
「それはおかしいぜ。確かに今は……私は別に誰かを支えているわけじゃない。だけど、昔は母さんを養ってた。成長する前は自立していて、成長した今は自立していないってのか? 大体、それだと師匠だって『自立』していないじゃないか!」
フェリシアがそう反論すると、マーリンは鼻で笑った。
「私は『自立』というものに重きを置いていないから良いのよ。大事なのは『自由』よ」
「……師匠は誰かに養って貰ってても、問題ないと思うのか?」
「あなたは問題だと思うの?」
「『自立』した人間こそ、立派な大人なんじゃないのか? 助け合って、初めて社会の構成員足り得る……ってのが普通だろ?」
フェリシアがそう言うと、マーリンは意外そうに目を見開いた。
「あら? 随分と、ふわふわしたことを信じているのね」
「ふわふわ?」
「義務の対価が権利ではなく、権利の条件が義務ではない。世の中は一方的に権利だけを持つ者と、義務だけを押し付けられる者の二種に分けられるってことは、あなたが一番よく知っていることだと思ったけれど?」
「……」
フェリシアは押し黙った。
マーリンの言ったことは、貧困時代に散々味わったことだ。
社会の理想的な理念と現実的な実態は、常に一致しない。
「義務を押し付ける方法はいろいろあるけれど、その『自立』が素晴らしいという考えもまた、その一つね。人が一人で生きてくれたら、他の人を支えてくれたら、社会にとっては、為政者にとっては便利だものね。でも……別にそれに従ってやる必要はないのよ? 頼れる相手がいるなら、好きなだけ頼れば良い。それで不都合が生じるなら、やめればいい。それが『自由』というものよ。自分の意思でそれができないのは、『自立』していようが『自立』していなかろうが、何かに『隷属』している状態。『自由』でない人間は半人前よ。あらゆる人間は『自由』でなければならないし、そして社会は『自由』人で構成されなければならない。……まあ、これは私の“哲学”だから、あなたが従う必要はないけれど」
それもまた『自由』だからね。
などとマーリンは悪戯っぽく笑った。
そしてやや納得いかないという表情のフェリシアに向き直る。
「私が問題視しているのは、『自立』だとか『自由』だとかじゃなくて。あなたが無防備に、魔導師の“工房”で寝泊まりしているってことよ」
工房。
魔導師の研究拠点、本拠地、防衛施設、居住地を指す。
工房には大抵、無数の魔法が掛けられている。
工房を見れば、その魔導師の実力を推し量ることも可能だ。
「でも、ここは師匠の……」
と、そこでフェリシアは気付いた。
自分の手足が動かないことに。
「っつ……」
「魔力の鎖で動きを封じたわ。魔法も使えないでしょ?」
そう言ってマーリンはフェリシアの頭を杖で叩いた。
「い、痛い!」
「痛いで済んで良かったわね。性根の腐った魔導師なら、命はなかったわ。……まあ、死ねるだけなら幸運な方だけどね。実験材料として使われたり、変な生き物を錬成する母体として使われる可能性だってあるわ」
そう言ってマーリンは軽く杖を振った。
フェリシアの手足を封じていた何かが消え去る。
フェリシアは涙目で頭を抱えた。
「う、ぅぅ……」
「あなたは私の弟子だけど、もう巣立ったの。魔導師としては他人同士。ちょっとは警戒しなさい」
「そ、それって……私を、一人前として認めてくれてるってことか?」
涙目でフェリシアが尋ねると、マーリンはそっぽを向いた。
「師匠!!」
感涙しながらフェリシアはマーリンに抱き着こうとする。
マーリンはそれを無理矢理引きはがしながら、口を酸っぱくして言う。
「とにかく、警戒しなさい! ……アコーロンとかいうあのなんちゃって魔導師を倒したことで、たぶん、あなたはそれなりに注目されているわよ」
「そうか? それはちょっと、照れるぜ」
「そうやって、調子に乗るでしょ? あなたくらいの若くて実力のある魔導師は、良い鴨なのよ」
「……気を付けます」
神妙な顔でフェリシアは頷くのだった。
半人前を卒業した程度に認められました
やったね、フェリシアちゃん!
という方はブクマ、ptを入れて頂けると
フェリシアの油断する悪い癖が治ったり、治らなかったり
次回予告!
春休みが終わります