第25話 見習い魔導師は聞きなれない『伝説』を聞く
春休み初日。
ロンディニア魔法学園の学長室には五人の人間が集まっていた。
一人はフェリシア・フローレンス・アルスタシア。
もう一人はアナベラ・チェルソン。
この学長室の主人である魔導師オズワルド・ホーリーランド。
そして魔導師アンブローズ・マーリンと同じく魔導師ローラン・ド・ラ・ブルタニュール。
三人の大魔導師三人とその弟子が集まり、何をしているのかと言えば……
アナベラの“前世”に関する調査である。
というのも、ラグブライの試合の日、アコーロンやル・フェイに関する話をマーリンにするのと同時に、アナベラのことも一緒に話したのだ。
そしてアナベラに許可を取った上で、ホーリーランド学長とローランの二人にも事情を話し、三人がかりで調査をしてもらうように頼んだ。
ホーリーランド学長は大切な生徒の身体に関わることだから当然として、ローランもまた人助けのためとあらばと、そして最後にマーリンは……アナベラのことは割とどうでも良いが、前世やら異世界云々は少し気になるということで、アナベラの診断に協力してくれることとなった。
さて、あらかた調べ終わってから……まずマーリンがはっきりと断言するように言った。
「うん、フェリシア。あなたの仮説は一部、合っていたようね。彼女は“何か”と繋がっているわ」
「え? 本当ですか!?」
ややびっくりした様子でアナベラは尋ねた。
実際のところアナベラ自身は今まで特に体に不調もなく、フェリシアの考えは大袈裟ではないかと考えていたのだが……
あのマーリンに「“何か”と繋がっている」と言われれば、さすがに不安になる。
「え、えっと……大丈夫なんですか? それは」
「知らないわよ。今、それを調べているんでしょうが」
あっさりと、突き放すように言うマーリン。
アナベラは不安そうにホーリーランド学長とローランの方を見た。
ホーリーランド学長は髭を撫でながら答える。
「まあ、今まで特に体の不調はなかったんじゃろう? なら、今すぐ何かが起こるということはないじゃろうて」
一方、ローランはホーリーランド学長とはやや認識が異なるようで、険しい表情を浮かべている。
「もっとも、放置しておくのは危険だと思うけどな。いっそ、切っちまったらどうだ? どうにも、辿れそうにないしな」
ローランがそう尋ねると、マーリンはやや悔しそうに頷いた。
「そうね……どこかに繋がっているかは分かるけど、肝心の繋がっている先が分からないわ。……これを辿って、根本的な解決ができれば一番だけれど、できないならば、切ってしまった方が一番かもね。……勿体ないけれど」
マーリンは残念そうに言った。
マーリンからするとせっかくの研究材料が無駄になってしまうことが惜しいようだ。
「ううむ……ワシは下手に弄らん方が良いと思うんじゃがのぉー」
「オズワルド、あんたは相変わらず、そういうところでは妙に憶病になるわね」
「慎重なだけじゃよ。人命が掛かっておるんじゃぞ? もうちょっと調べてからでも遅くはないと思うんじゃが……」
「しかしな、オズワルド。今のところ悪影響はないように見えるが、これからどうなるか分からないし、そもそも観測できていないだけで悪影響が生じている可能性もあるかもしれないぜ? やっぱり、思い切ってやっちまったほうが良い。繋がっている“線”を切るだけなら、特に問題はないはずだぜ」
ホーリーランド学長、マーリン、ローランの三人が議論を始める。
いつまで経っても結論が出そうにないので、フェリシアは口を出すことにした。
「あの……当事者のアナベラに決めてもらえば良いのではありませんか?」
一斉に三人がフェリシアの方を向いた。
思わずフェリシアは背筋を伸ばす。
「ねぇ、フェリシア。どうしたの? その口調。悪い物でも食べた? 気持ちが悪いから、やめなさい。急にどうして……ああ、ローランの前だから?」
「フェリシアや……そんな他人行儀な態度、ワシは悲しい。ワシとお主の仲じゃろうて」
「ん? 何だ、フェリシア君。猫を被っているのか? 俺は気にしないぜ? いつものように話したらどうだ? ワハハハハ!」
三人に口調について尋ねられ、フェリシアは顔を赤くしながら、頭をガシガシと掻いた。
ローランが目の前にいるので猫を被っていたのだが……
しかしいつまでも誤魔化しは効かないようだ。
フェリシアはため息をつくと、改めて言い直した。
「アナベラに聞くべきだと、私は思うぜ。アナベラ、お前はどうしたい? このまま現状維持か、切って貰うか」
フェリシアに尋ねられたアナベラは、うんうんと悩んだ様子を見せてから、マーリンの方を向いて尋ねた。
「あの、マーリン様。えっと……その“線”というのを切って……私の魔力が、その、無くなったりはしませんよね?」
「魔力を持たない生命はこの世に存在しないわ。あなたが人間じゃないって言うなら、話は別だけど」
「い、いや……その、そういう意味じゃなくて……」
「“供給”が無くなることで、魔力が著しく減るんじゃないかって、アナベラは心配しているんだよ。師匠」
フェリシアがアナベラの意図をマーリンに伝える。
するとマーリンは呆れたような表情を浮かべた。
「そりゃあ、減るでしょうよ。当たり前でしょ?」
「あー、いや、師匠。多分……減ることで日常生活や学業に支障が発生しないかって、ことだぜ。多分」
そうだよな? とフェリシアはアナベラに確認するように尋ねた。
アナベラはこくこくと首を縦に振る。
「さあ……あなたの元の魔力量がどの程度かは分からないけれど。どうかしらね? オズワルド」
「そうじゃのぉ……まあ、しかし魔力欠乏症でもない限り、学業には問題はないはずじゃ。戦場に出て戦うとなれば、魔力量は重要じゃが……普通に生きている限りは、多少少なくとも問題はないじゃろう」
「というか、アナベラ君。その……あー、“乙女ゲーム”とやらの君は、ちゃんと学校生活が送ることができていたんだろう? なら、問題ないんじゃないか?」
ホーリーランド学長とローランは問題ないという判断を下した。
するとアナベラはホッとした表情を浮かべる。
「じゃあ、お願いします。切っちゃってください」
「はいはい。……ローラン。あんたの方が、こういうのは得意でしょ?」
「別に得意ってわけじゃないが……何かに憑かれている人を“助ける”のは慣れているって意味なら、間違いじゃないぜ。任せな」
ローランはそう言うと、一度断ってから、アナベラの頭を掴んだ。
それから呪文を詠唱する。
「よし、と。これで出来たぜ。どうだ? アナベラ君。体に不調はないか?」
「え、えっと……はい。大丈夫です」
アナベラは頷いた。
何となくアナベラは自分の魔力が著しく減ったのを感じたが……授業で使う分はそれほど問題はなさそうだ。
ホッと、息をつく。
「さて……じゃあ、“前世”とやらの議論に移りましょうか? 私はフェリシアの仮説を支持するわ。つまり、記憶を植え付けられただけ。あと、“異世界”とやらも、記憶を受け付けた奴の凝った創作でしょうよ」
フェリシアの考えは、何者かがアナベラに偽の記憶を植え付けた。
“異世界”の存在も、“日本”という国も、“乙女ゲーム”もすべて嘘。
未来予知、もしくは未来予測ができる存在が何らかの目的のために、アナベラに偽りの記憶を刻んで騙した……
というものだ。
マーリンとフェリシアの考えが同じなのは、ある意味当然のことだ。
フェリシアはマーリンから、その思考方法を学んだのだ。
全く同じ思考方法を用いれば、同じ、もしくは近しい結論に達するのは当然だ。
「で、でも……マーリン様。“紙”とかの存在は、どう証明するんですか? “異世界”が本当じゃなかったら、“紙”の発明はあり得ませんよね?」
アナベラが尋ねると、マーリンは馬鹿にするように鼻で笑った。
「だから、それを含めて誰かが植え付けたんでしょ?」
「でも、この世界には木草紙なんて、ありませんでしたよね?」
「特許を誰も申請していなかったことと、存在していなかったことは、全く話が別よ。……私、昔似たようなものは作ったことあるし。五十年くらい前だけどね」
これにはホーリーランド学長とローラン、そしてフェリシアも初耳だったのか、やや驚いた様子で目を見開いた。
一方、マーリンは肩を竦めた。
「驚くことじゃないでしょ? あんなの、木や草の繊維を煮詰めて取り出して、固めただけじゃない。まあ、ちょーっと発想力というか、頭の柔らかさが必要だけど……この長い人類史の中で、作ったのが私やそこの小娘だけってことはないでしょうよ」
「師匠はどうして特許を申請しなかったんだ?」
当然の疑問をフェリシアが尋ねた。
が、マーリンにとってそれは当然のことではなかったようだ。
「五十年前は今ほど、ああいう媒体の需要はなかったのよ。記録媒体なら、羊皮紙は無論、パピルスでも、粘土板でも、木簡でも、石膏板でも、蝋板でも、黒板でも、羊皮紙でも何でも良いわけだし。というか、私はあなたにはあんな木と草の紙じゃなくて、蝋板を使わせたはずよ。実際、それでも十分に読み書きの練習はできたでしょう?」
「まあ、確かに……というか今でも蝋板は使っているしな」
蝋板というのは木材に蝋を貼って作った筆記用具だ。
蝋を釘状のもので引っ掻いて使用する。
表面を削れば繰り返し使える上に、蝋はそれほど高くない。
そのため今現在でも簡単なメモ帳や、読み書きの練習ではそちらが使用されている。
木草紙を利用したノートは重要なことでしか使わない。
安いとは言っても、そこそこの値段がするからだ。
「最近の学生は後でノートを読み返せばよいと思って、授業で理解しようとはしないからのぉ……なかった頃の方が良かったかもしれんなぁ」
「オズワルド、そう言うことを言っていると、老害扱いされるぜ? 時代は変わるんだよ」
「便利だから使えば良いと思うけど、便利さのせいで“猿のお遊戯会”が“鶏のお遊戯会”に代わるようじゃあ、問題ね」
木草紙に関して、老人三人の見解はやや違うようだった。
しかし木草紙のような消耗品の紙はあってもなくても良いというのは、そういうものがあるのが当たり前だと思っているアナベラは無論、すでに日常で消耗品の紙を使用しているフェリシアにとっても、やや理解しにくいものだった。
「話は戻すけどね。発明品ってのは、得てしてそういうものなのよ。それを発明した、発見したとされている人物が、長い人類史の中で最初の発見者じゃないの。実際には発見者は一人いれば、百人いるわ。ただ……その“発見者”が偶然にもそれを公表する地位や立場、時代、社会、文化に恵まれていたってだけ。実際、木草紙があれだけ売れているのはその発明品が優れているというのもあるけれど……チェルソン商会の売り方や宣伝が上手ってのが大きいわ」
これにはアナベラもある程度納得したのか、なるほどと頷いた。
実際のところ、アナベラ自身はそれほど働いていない。
積極的に木草紙を売り出しているのは、アナベラの父である。
そしてアナベラの父は一代で平民から貴族へと成り上がった、“やり手”だ。
(そう言えば昔、ネットで古代ローマ時代にも蒸気機関があったとかなかったとか、見たことあるわ……あれ? ギリシャだっけ? エジプトだっけ? まあ、どっちでも良いや)
どうでも良い知識だったので、アナベラはそれを記憶の彼方へと置いておくことにした。
「記憶が刻みつけられただけというのは納得じゃがなぁ……ワシは“異世界”とやらがあってもおかしくはないと思うのじゃが」
「可能性は私も否定しないわよ。でも、“真”か“偽”か、暫定的に結論付けるならば、確かに観測できない以上は“偽”と仮定するべきでしょう? 違うの? それともありそうなら全部“真”とするの?」
「まさか、そういうことを言っているわけじゃないわい。しかしな、マーリン。君の考え方ははっきり言ってつまらないというか……木草紙の発明に関しては、確かにそれは確かにそれだけでは“真”とは言えなくても、それなりに説得力があるとワシは思うのじゃが」
「まあ、確かにそうね。妙に“凝った”設定も、真実味はあるし、説得力が多少はあるのは認める。でも、確かな証拠ではない以上は現状では“偽”とするべきだと……」
“異世界”の存在について揉め始めるマーリンとホーリーランド学長。
フェリシアは内心で「まだ分からない」じゃダメなのか? と思いながら議論の行く末を見守る。
と、そこでローランが口を挟んだ。
「俺は魂があっても、転生とやらがあってもおかしくはないと思うぜ? 人間が想像し得るものは、すべて魔法として実現し得る。それが『架空創造魔法』だ」
架空創造魔法とは、ローランが専門とする魔法である。
端的に言えば「概念上存在し得るが、実体として存在しないものを、実体化させる」魔法だ。
その究極目標としては「魂の実体化」「死の否定」などが挙げられる。
つまり魂は概念上のモノだが、それを一つの実体として生み出すことは……
決して不可能なことではない。
少なくとも不可能なことではないと、ローランは考えている。
さて、ローランが参戦したことで議論はさらに紛糾し始める。
やれそう言う考えは浪漫がないだの、夢想的だの、つまらないだの、面白さなど求めるべきではないなどと、揉め始める三人。
最初は呆れながらも楽しく聞いていたフェリシアも、議論が悪口の言い合いになり始めてくると、さすがに飽きる。
アナベラに至ってはとっくに船を漕ぎ始めていた。
「おいおい……魔導師三人揃って、まともに結論が出ねぇとは。ひでぇ状況だなぁ」
と、そんな声が響いた。
虚空から出現したのは……ル・フェイだった。
「今度は何をしに来たの?ル・フェイ」
「おいおい、杖を向けるなって。俺様は次元魔法の専門家だぜ? “異世界”やら“並行世界”やらは、次元魔法の領域の一つだ。俺様の知識が必要なんじゃないか?」
ニヤリとル・フェイは笑った。
どうやら敵意はないようだと判断したマーリンは杖を下げた。
と、ここでローランがル・フェイに尋ねた。
「ところで、ル・フェイ殿。フェリシア君に聞いたが、時間遡行ができるというのは本当か?」
「ん? まあな。と言っても、できるようになったのは五年前だ。百年以上、次元魔法を研究し続けてきて、ようやく……しかも“制限”付き。そんなに便利なもんじゃない」
そうは言うものの、ル・フェイは得意そうだった。
魔導師三人からしても、時間遡行というのは一種の極致なのだろう。
三人とも、複雑な表情を浮かべている。
一方、未熟者であるが故にプライドが邪魔せず、三人とは異なり純粋な気持ちでル・フェイを尊敬できるフェリシアは、瞳をキラキラしながら尋ねた。
「な、なあ! ル・フェイさん!! 未来を変えたことって、あるか? あるよな?」
「うん? あるわけないだろ。矛盾が起きるからな。いや……正確にはできない、が正しいか。やってみようと思ったんだが、どうしてもできなかった。だから下手なことはしない方が良いと、俺様は判断したわけよ。命は惜しいからな」
ル・フェイはそう言って肩を竦めた。
一方、フェリシアは首を傾げる。
「並行世界論なら、矛盾は起きないだろ? 違うのか? ル・フェイさんの、魔導書じゃない本で読んだぜ?」
「おお、その本も読んでくれたか! いやー、嬉しいねぇ。と言っても、あれは二十年前に書いたやつだからな。今の俺様とは考え方が違う。今の俺様は、並行世界論は……正確に言えば、個人の時間遡行によって並行世界は発生しないと考えている」
「……どうしてなのぜ?」
「考えてみてみろや。いくら天才魔導師と言っても、たった一人の人間である俺様が、一つの世界を創造できるはずがないだろ? まあ、元から無数に並行世界が存在していて、そこへ移動するだけってなら話は少し変わるんだが……それは未来や現在を変えたんじゃなくて、別の世界線に移動しただけ。つまり縦移動ではなく、横移動で……おっと、話が逸れたな」
そして何が楽しいのか、ゲラゲラと大笑いするル・フェイ。
それからついに本題を切り出した。
「“異世界”は存在する。これは間違いない」
はっきりと、断言した。
そしてマーリンが口を開く前に、フェリシアが身に着けている腕時計を指さす。
「その腕時計は、俺様がその“異世界”で買って来た。二万ドルでな。ああ、ドルってのはその世界の基軸通貨だ。金貨みたいなもんだと思え」
全員の視線がフェリシアの腕時計に集中する。
マーリンが苦々しい表情を浮かべる。
「……確かに、これほど精巧で小さな時計は、今のエングレンド王国の技術では、いや、どこの国や地域でも、作れないわね」
木草紙のような知識とは異なり、はっきりと実体として存在するとなると、否定し辛い。
ル・フェイは妹弟子の仮説を否定することができて嬉しいのか、ますます饒舌に語りだす。
「だろ? まあ、もっと面白い証拠はあるんだけどな。アナベラちゃん、お前、俺やマーリンの名前を聞いて、何か違和感を覚えなかったか?」
「え? 名前?……い、いえ……特に覚えませんでした、けど?」
アナベラは首を傾げた。
するとル・フェイは額に手を当てた。
「馬鹿に聞いた俺が馬鹿だったわ。すまんな」
「なあ、面白い証拠ってなんなんだ? 教えてくれよ」
興味津々という様子でフェリシアが詰め寄る。
マーリンたちも興味があるのか、じっとル・フェイを見つめる。
自分が注目を浴びていることに機嫌を直したのか、ル・フェイはアナベラに向き直り、改めて尋ねた。
「『Legend of KingArthur』、って聞いたことないか?」
これにて二章は終了です
次回から三章に移るか、もしくは春休みを幕間とするか
とにかく二年生編が始まります
新キャラも増える
予定です
予定というのは、書き溜めがないからです
多分、次の更新までは少し間が空きます
ここまでで面白いと思ってくれていた方は
ブクマ、ptを入れて頂けると
励みになります
では次章をお楽しみに