第19話 大魔導師の弟子は脅迫される
「ん……は!! 試合は!?」
保健室で目を覚ましたフェリシアは辺りをキョロキョロした。
するとすぐ側でフェリシアが起きるのを待っていたアーチボルトは、ニヤリと笑った。
「俺たちの勝利だ。フェリシア」
「本当か?」
「ああ、フェリシアのおかげだ。もっとも……勝負はこれからだけどな!」
「おう! 早速、練習を始めないと……」
「少なくとも、今日一日は安静にしてもらいますからね」
フェリシアの言葉を、女医は遮った。
フェリシアとアーチボルトは思わず身を竦める。
「意識を失ったのは、軽い脱水症状を起こしていたから。怪我は目立った外傷もないから、一日休めば問題ないわ。ただし、絶対に一日、休みなさい」
「い、いやでも……今はラグブライの……」
「本来は二日というところを、一日に譲歩しているのです! 縛り付けてでも、寝かしますからね! それと、Mr.ガーフィールド!!」
「は、はい!」
唐突に名前を呼ばれたアーチボルトは思わず背筋を伸ばした。
女医は額に皺を寄せながら、アーチボルトを咎める。
「後輩がムリをしないように、しっかりと体調管理をするのが、先輩であるあなたの役目でしょう! こんなことがないように、気を付けなさい!」
「は、はい……反省しています」
アーチボルトはがっくりと肩を落とした。
アーチボルトのそんな姿はフェリシアにとっては新鮮で、思わず笑みを溢す。
「で、では……俺はもう行くからな。お大事に!」
逃げるように去って行くアーチボルト。
そして入れ違いに入って来たのは……
「と、父さん、母さん!」
「フェリシア、大丈夫?」
「大丈夫か? フェリシア!」
フローレンスとアンガスはフェリシアに駆け寄った。
もっとも……アンガスはやや気まずそうではあった。
以前、フェリシアが病気になった時を含めなければ……フェリシアとアンガスは喧嘩別れしたままだったのだ。
が、しかしそれはアンガスだけが気にしている事実だ。
「やっぱり、来てくれてたんだ! 父さんと母さんの声援、届いたぜ!」
快活にフェリシアは笑った。
別に両親のことは、まだ許していないし、許せるようなものでもなかった。
憎しみは胸のうちに残っている。
だが……それはそれとして、フェリシアはやはり両親のことが好きだった。
例え尊敬できなくとも、親としてどうしようもない人物であると知っていたとしても、それでも二人のことが好きだったし、愛していた。
だから……応援に駆け付けてきてくれたことは、嬉しかった。
「そう言えば……師匠は来ていたか? 一応、席は二人の隣にしたんだけど……」
「ええ、来ていたわよ。ローラン様も来ていて、びっくりしたわ!」
「試合が終わるまではいたんだが……そのあと、どこかに行ってしまってな」
「なるほど。まあ、師匠は人混みが嫌いだからな」
取り敢えず来てくれていたのは確かだ。
その事実にフェリシアは嬉しく思うのだった。
さて、丁度その頃。
「久しぶりね、オズワルド」
突如、学長室に白髪の少女が表れた、
何もないところから、唐突に出現したのだ。
これには丁度、学長室にいた教師たちも驚愕で目を見開く。
これに対し、それほど驚いた様子もなくホーリーランド学長は対応した。
「ううむ、久しぶりじゃな。チェルシー……いや、マーリン」
さらにどよめきが起こる。
ホーリーランド学長と同年代の、かの高名な魔導師マーリンが、このような年若い少女――勿論、魔法的な手段で老化を止めていることは明白だが――であることは教師たちにとっては驚愕だった。
「しかしなぁー、マーリンや。確かにこの時期は、ラグブライの観戦をする者に関しては学園内部に入れるようにしている。じゃが、校舎は別じゃよ。……それにこの校舎には、最低でも七次元までの干渉を遮断する論理結界が張られておったはずじゃがなぁ」
学園を守る結界は六次元。
だが校舎や学寮を守る結界は七次元だ。
そう易々と侵入できるものではないが……
「私の出入りを禁じたければ、最低でも八次元結界を用意するのね」
「そういうことじゃなくてじゃなぁー、せめて事前に許可を申請するとか……」
「校則破りの常習犯が何を言っているの?」
「それは君もじゃろうて」
それからホーリーランド学長は学長室にいた教師たちに、一度部屋から出るように願い出た。
学友と久しぶりに二人きりで話をしたいと言われて、それを拒否するような者はこの場にはいなかった。
「ローランには、会ったかのぉ? 会いたがっておったが」
「会ったわよ。相変わらず、暑苦しい奴だったわ。それに忙しないのも変わらない。すぐにどこかへ行ってしまったわ。俺には助けを求めている人が待っている、ってね」
「ふふふ……顔を出せば、茶くらいは出したのじゃが……まあ、良い」
それからホーリーランド学長は笑みを浮かべた。
そしてマーリンを揶揄うような口調で言った。
「しかし……君は相変わらず面倒見が良いのぉ」
「……面倒見?」
「ふふ、こうして弟子の試合を見に来ていることじゃよ。君は嫌々と言いながらも、何だかんだで見に来て……うぉお! 杖で殴ろうとするでない!」
「黙れ、死に損ない!」
慌ててマーリンの杖から逃れるホーリーランド学長。
マーリンは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「今日は……一応、挨拶に来てやったわ。うちの弟子が世話になっているわね」
「ふぉふぉふぉ……いやはや、随分と手を焼かされているよ。実にヤンチャな子じゃ。先日なんて、バーノン講師の机の引き出しの中に、二十センチ以上の大ガエルを入れてのぉ、講師室でゲコゲコと鳴きながら逃げ回って……実に愉快じゃったわい」
「一メートルの蛇を入れたあんたに比べれば、可愛いものでしょ?」
「ふぉふぉふぉふぉ……語尾が『ゲコ』になってしまう悪戯用の魔法薬を、気に入らない教授の飲み物に仕込んだ君に比べれば、確かに可愛いものじゃな」
二人の表情が穏やかになる。
マーリンであっても、昔の思い出話をするのは……何だかんだ言って楽しいのだ。
「あの子は天才よ。私と同じか、それ以上のね。好奇心と探求心があって、頭も回る。……でも、精神的には未熟。あの快活な笑顔の裏には、負の感情が隠れているわ。追い詰められていてもそれを隠すような子だから、その辺りもよろしく頼むわ」
「言われなくとも……この学園の生徒として入学した以上、学園にいるうちは最大限の面倒は見よう。ワシにできる範囲内でじゃが、な」
ホーリーランド学長の返答を聞いたマーリンは。言いたいことはすべて言ったとばかりに、踵を返した。
が、しかしすぐに足を止めて、振り返った。
「老化を止めるつもりは……やっぱりないのね」
「ワシにはそんな実力はない」
「嘘は結構よ。その気になれば、いくらでも止められるでしょう。……それにあなたが望むなら、賢者の石の一個や二個、融通してやっても構わないわ」
不老長寿を実現する霊薬エリクサーと、それを濃縮して凝固させた奇蹟の産物、賢者の石。
ホムンクルスの作成と並ぶ、錬金術の最高到達点。
そしてこの世界にいくつか存在する、不老長寿を実現させる手段の一つでもある。
「ワシはな、マーリンや。老衰で死にたいのじゃよ。まだまだやり残したことが一杯あったなと、後悔しながら、しかし満足を抱きながら……ベッドの上で、教え子たちに囲まれて死にたいのじゃ」
不老になれば、老衰で死ぬことはない。
しかし死を免れることはできない。
故に不老になった者に訪れるのは、何者かによる殺害か、何らかの事故死か、それとも難病による病死か……もしくは自殺か。
安らかな死を迎えることは、難しい。
それが不老の代償だ。
「生に飽きたら、毒薬でも飲めば良いじゃない」
「それはワシの哲学に反する。ワシは……安らかに、普通の老人として死にたいのじゃよ」
「……そう」
哲学を持ち出されれば、マーリンも引き下がるしかない。
魔導師にとって哲学とは、その人生の絶対的な指針なのだから。
「寂しくなるわね」
ポツリと、マーリンは漏らした。
このまま順当にいけば、マーリンは百年、二百年、三百年……千年以上、生き続けるだろう。
しかしホーリーランド学長は……そう長くはない。
「なーに、不老にはならずとも、長生きするための努力はするつもりじゃよ。あと百年は生きるつもりじゃ」
「それは普通の老人なのかしらね?」
「どうかのぉ? パーキンス教授はまだ生きておるが」
「あの婆、まだくたばってないの?」
自分が在学していたころにはすでに十分高齢だった老錬金術師を思い出し、マーリンは驚愕で目を見開いた。
「あと百年は生きるつもりらしいぞ? ワシも見習わなくてはなぁ。……ところで、君は今でも、変わっていないのかのぉ?」
「……何が?」
「人間は人間である限り、真理に到達できない。故に醜い争いが起こり、戦争が絶えない。それを解決するためには、人間は人間を超えなければならない。君はかつて、そう言っておったな」
マーリンは小さく頷いた。
「人間が人間でいる限り、あらゆる苦悩が存在する。それが自立した個人の発展を阻害している。命という軛に縛られている限り、それを守るために、人間は自らの自由を放棄しなければならない。だからこの世で“自由人”となれるのは、財産と権力を持つ者だけ。……でもそんな世界は、間違っている。すべての人間は、自由でなければならないし、自由な人生を選ぶ権利が与えられている……否、与えられなければならない。フェリシアのように……“盗み”を強要されなければならない人間が、生まれるようなこの世界は正さなければならない。そしてそれを誰も正そうとしないのであれば、誰も正せないのであれば、この私が正すわ。私はこの錬金術で、神による世界の創造を模倣したこの技術でもって、人間をあらゆる軛から解放する。病や飢えは勿論、戦争も……そしていずれ訪れる、死という終焉からも」
はっきりと、マーリンは断言した。
そしてニヤリと笑う。
「私とあなたの哲学は、正反対ね」
「そうじゃなぁ……しかし、その議論は学生時代に飽きるほどした。これ以上はする意味はないじゃろうて」
「あら? 負けるのが怖いの?」
「そんなはずはないじゃろう。……よろしい、今日はじっくり、君と語り合おうではないか」
二人は百年前に“秘密基地”でローランを交えて行った議論を、再び始めるのだった。
さて、準々決勝に勝利したライジングは続く準決勝にも勝利した。
決勝の相手は……やはり因縁の敵、ノーブルである。
「良いか、絶対に勝つぞぉおおお!!!」
試合開始の一時間前の作戦会議でマーティンが叫んだ。
普段は穏やかな彼の意外な姿に、フェリシアたちは驚いてしまう。
やはり彼も熱いラグブライ魂を持つプレイヤーなのだ。
さて、作戦会議も終わり、各々は試合に備えて英気を養っていた。
フェリシアも同様に、競技場の控室で寛いでいた。
と、そこへ係員がやってきた。
「フェリシア・フローレンス・アルスタシア様はいらっしゃいますか?」
「えっと……私だけど」
「あなたにお手紙が届いています」
フェリシアは手紙を受け取る。
一体誰だろうと、首を傾げ……
そして表情が凍りついた。
『お前の両親は預かった。命が惜しければ、試合開始の直前に一人でロンディニア郊外の森へ来い。もし一人で来なかったら、両親の命はないと思え』
ひらりと、手紙の中から一枚の布切れが落ちた。
それは……フェリシアが復活祭のプレゼントとして両親へと送った、デフォルメされた猫柄のハンカチだった。
一体、なにーロンさんなんだ……
っく……脅迫なんかに……
っく……く、屈したりなんか、しないのぜ!
という方はブクマptを入れて頂けると
体は屈しても心は屈しません