第18話 スポーツ令嬢は声援を受ける
フェリシアの懸念とは裏腹に、アンガス・ジェームズ・アルスタシアと、フローレンス・アルスタシアの二人は会場にやって来ていた。
確かにエングレンド王国の貴族と顔を合わせたくないという気持ちはある。
が、しかしそれは愛娘の晴れ姿に比べれば、大したことではない。
……フェリシアを不幸にしてしまったという負い目があった二人は、親としての矜持を取り戻すためにも、ちゃんとやって来ていたのだ。
だが……
会場に来たからには、どうしても貴族とは顔を合わせてしまう。
大抵は目を逸らされるか、嘲笑される程度で済むが、中にはわざわざ二人に話しかけてくる者もいた。
「いやぁ、お久しぶりですなぁ。お元気そうで何よりです。アルスタシア殿」
「……これはこれは、ガスコイン殿」
アンガスに話しかけてきたのは、ガスコイン家の当主、ブリジットの父親だった。
元々はアルスタシア家の派閥に属していた彼だが、アルスタシア家が没落した今は旧アルスタシア家の派閥を受け継いでいる。
否、乗っ取ったというべきか。
ガスコイン卿はアンガスの隣の席に腰を下ろした。
そこは指定席であり、別の誰かの席だが……現在のガスコイン家の権勢に優る家はエングレンド王国では精々二つか三つ程度であるため、少しの間ならば特に問題はないと彼は判断したのだろう。
実際、その席に座るべき人物は周囲にはいなかった。
「あなたの娘さんには、うちの娘が随分と世話になっているようです。この前の長期休暇の時は、口を開けばフェリシア、フェリシアと言っていましてね」
「それはどうも。……子供同士、仲が良くて結構なことです」
アンガスが無難に返すと、ガスコイン卿は肩を竦めた。
「いや、私は困りますよ……うちの娘が、変な遊びを覚えないか心配でしてね。知っていますかな? あなたの娘さん、しょっちゅう真夜中に出歩いているそうではありませんか」
実際のところ、アンガスもフローレンスもそのことは初耳だった。
真偽の判定はできない。
……が、随分と“ヤンチャ”をしているという情報は、ホーリーランド学長から聞いていた。
「あなたの教育がしっかりしていれば、あなたの娘が、うちのヤンチャ娘の真似をすることはないでしょう。それとも、ご自身の教育に何か不安が?」
とはいえ、娘を侮辱されたことにも、それを出汁に挑発されたことにも腹が立ったアンガスはすぐに言い返した。
……負けず嫌いでプライドが高く、そして皮肉気な言い回しは、まさしくフェリシアの父親だった。
「限度というものがありましてね。どんなに新鮮な林檎も、腐った林檎の近くに置けば腐ってしまう。あなたの娘さんのせいでね、ブリジットはライジングなどという平民ばかりのチームのマネージャーを始めたんですよ」
「林檎のような柔らかい精神では、あっさりと腐ってしまうでしょうな。貴族たるもの、鉄のような心を持たなければ。名高いガスコイン家の娘さんならば、大丈夫でしょう。……もういいですかね? そろそろ試合が始まるんでね。後にしてもらいたい」
競技場では選手の入場が始まっていた。
試合に、愛娘の雄姿に集中したかったアンガスは面倒くさくなり、適当に流し始めた。
が、その態度が癇に障ったらしく、ガスコイン卿は口を閉じなかった。
「聞けばライジングというチームは、平然と酒を学内に持ち込んで、飲むような連中の集まりだそうじゃありませんか。直接言わなければ、分かりませんかね? うちの娘が不良になって、飲酒や校則違反、盗みを覚えたらどうしてくれるんだ。そっちの方から、関わりを断つように……っぎゃ!!」
「邪魔だ、退け! クソガキ!!」
突如、ガスコイン卿が椅子から転げ落ちた。
同時に周囲から失笑が漏れる。
……ここはライジングの応援席であり、ライジングのファンやその関係者が大勢いた。
そんな場でライジングを侮辱していたガスコイン卿は周囲からヘイトを買っていたのだ。
そして「うちの可愛いフェリシアちゃんが飲酒なんてするわけないじゃないか、この野郎」と内心で腹が立っていたアンガスとフローレンスも内心でざまぁ見ろと歓喜する。
が、すぐに冷静になる。
一体、どうして彼は間抜けなことに椅子から転げ落ちたのか?
「何をするんだ! 貴様!!」
「ああ? 蹴り飛ばしたのよ。分からないの? はぁ……そんなことも分からないとは、この国の教育も地に落ちたわね。“猿のお遊戯会”じゃなくて、“鶏のお遊戯会”に認識を変えた方が良いかしらね?」
ガスコイン卿を蹴り飛ばしたのは、十五歳ほどの見た目の白髪の少女だった。
手には樫の杖を持っている。
少女はガスコイン卿が座っていた席に、腰を下ろす。
「そういうことを言っているんじゃない! 私を誰だと……」
「自分の席と他人の席の区別がつかない鶏頭でしょう?」
そう言って白髪の少女は鼻を鳴らした。
それからガスコイン卿の反論を待つまでもなく、だらだらと早口で話し始める。
「まあ、ライジングが品性のない連中の集まりであるという点は認めるけどね。あそこにいるのは、人間のクズばっかりよ。オズワルドの馬鹿がその典型的な例。あんたの娘は、もう手遅れ。とっくに、お下劣な連中の仲間入りをしているわ。だからもう遅いわよ。腐って原型すらなくなっているでしょうね。まあ、鶏の娘なんだから、そもそも最初からそのレベルかもしれないけど。もっとも……私から言わせてみれば、ラグブライなんていう、野蛮で生産性のない、危険な玉遊びをやろうなんて発想をする時点で、頭がイカれているとしか言えないけど。ライジングだろうが、ノーブルだろうが、レッドなんちゃらだろうが、ラグブライをやっている時点で、馬鹿の集まりであるという事実は間違いないわ。はぁー、全く……なんでこんな、空飛んで玉を投げ合うだけのお遊戯会を見に来なければならないのかしらね」
ガスコイン卿どころか、周囲のライジングファン、否、会場全体のラグブライファンを侮辱する発言を捲し立てる白髪の少女。
これにはガスコイン卿も唖然とするしかない。
「はぁ……全く、あの馬鹿弟子は。どこで育て方を間違えたのやら……ラグブライを始めるなんて。それもこの私に見に来いだなんて、どうして図々しいにも程があるわ。……まあ、しかし馬鹿弟子を諭しに来てやるのも、師匠の仕事だから、仕方がないけれどね」
「……もしや、魔導師マーリン様、ですか?」
馬鹿弟子、という言葉にふと思い至ったアンガスは尋ねる。
その言葉に周囲は騒然となる。
魔導師マーリンと言えば、世界最高峰の錬金術師として、そして滅多に人前に出てこない偏屈な魔導師だと有名な存在だ。
一方、アンガスに尋ねられたマーリンはムスっとした顔で答える。
「だから、何?」
「えっと……その、うちの娘が、大変お世話に……」
「ああ、あんたら、フェリシアの馬鹿親? あんたらの話は、フェリシアから聞いているわよ。どうしようもないクソ親だってね。まあ、あんたの馬鹿娘も負けず劣らずだけど? カエルの子はカエルってのは、まさにこのことよね」
「ワハハハ! 相変わらず口が悪いな、チェルシー!!」
と、そこへ筋骨隆々な大男が出現した。
手には金属製の杖を持っている。
マーリンとは異なり、この男は公の場にしょっちゅう出てくるため……その顔を知っている者は多かった。
ローラン・ド・ラ・ブルタニュール。
誰かがその名を呼んだ。
ローランはマーリンの隣の席に腰を下ろす。
「今はマーリンよ、ローラン。どうしてあんたがここにいるのよ」
「君の愛弟子から、君が座る席を聞いたんだぜ? ははは、フェリシア君に感謝だな! いやー、久しぶり! 二十年ぶりくらいか?」
「死ね」
「ワハハハ!! 相変わらず、過激な愛情表現だ!」
「……フェリシアのやつめ、後でお仕置きしに行ってやるわ」
そう言ってからマーリンは軽く指を鳴らした。
その瞬間、マーリンやローランを中心に集まって騒いでいた人々が、突如二人のことを忘れたかのように静かになり、自分の席へと戻った。
それからマーリンはこちらを呆然と見ていたアンガスとフローレンスに対し、鼻を鳴らしながら言った。
「ほら、あんたらの馬鹿娘の試合が始まるわよ。そっちを見なさい」
「「は、はい!!」」
慌てて正面を向く二人。
それと同時に試合開始を合図するホイッスルが鳴り響いた。
最初はマーリンとローランが気になって仕方がない様子だったアルスタシア夫婦ではあるが……試合が始まると、フェリシアの活躍に大興奮をし始める。
「おお! フェリシアが取ったぞ!」
「で、でも敵が迫って……あ! パスした!!」
「ゴールが決まったぞ!」
「あれはフェリシアのおかげよね! やった!!」
キャッキャと手を叩き合うアルスタシア夫婦。
一方、マーリンとローランは至って落ち着いた様子で冷静に分析していた。
「ほぉ……フェリシア君も中々やるじゃないか」
「『ドラゴンフライ・ターン』と『ファルコン・フォール』からの、『ピックポケット』ね。まあ、そこそこって感じじゃない?」
フェリシアの活躍もあり、ライジングは次々とゴールを決めていく。
しかし……ラグブライは危険なスポーツだ。
無傷とはいかない。
「っきゃ!! 今、フェリシアがタックルを!」
「ああ!! だ、大丈夫か!?」
フェリシアの数倍はあろうかという巨漢の男子生徒に、まるでボールのようにフェリシアは吹き飛ばされた。
フェリシアの手からボールが離れる。
が、しかしそのボールはライジングの副キャプテン、アーチボルトの手に渡った。
「ボールは……ライジングのままね」
「し、しかし……フェリシアは無事なのか? あんなに吹き飛ばされて……し、試合を中止した方が……」
「あれはああいう技よ」
マーリンは呆れ顔でアルスタシア夫婦にそう言った。
隣にマーリンとローランがいることを思い出した二人は、マーリンの方を向いた。
マーリンは淡々と解説を始める。
「『ビリヤード』。敢えて敵のタックルを受けて、その勢いを利用して移動したり、ボールを加速させて投げ渡す技よ。しっかりとした受け身ができていること、そして優れたバランス感覚がなければできない技。オズワルドのやつが得意としていたわね。しかし……ボールを投げるだけじゃなくて、自分までボールみたいに吹っ飛ぶなんて、本当にラグブライは頭がイカれているとしか言えないわ」
「「……」」
思わずアルスタシア夫婦は顔を見合わせた。
そして恐る恐るという様子でマーリンに尋ねる。
「え、えっと……お詳しいんですね」
「経験があるのでしょうか?」
「は、はぁ!? あるわけないでしょ! こんな、野蛮なスポーツ……」
「チェルシーのやつは学生時代、ライジングのマネージャー兼参謀をしていたんだぜ? オズワルドとチェルシーがいた頃のライジングはまさに最強で……痛い、何をする!!」
マーリンに頭を叩かれたローランは悲鳴を上げる。
マーリンは腕を組み、不機嫌そうにアルスタシア夫婦を睨む。
「何よ。文句ある?」
「「あ、ありません……」」
さて、観客席でのそんなやり取りとは無関係に、試合は続く。
終盤に入ってきて……徐々にライジングの快進撃に陰りが生じていた。
「攻撃特化型チーム、ライジング。序盤は強いけど、終盤では体力が続かずバテてくる……その弱点は変わらないみたいね」
「この分だとノーブルも昔と変わらないのかもしれないな。いやはや、百年経っても変わらぬ伝統とは、実に面白いぜ」
マーリンとローランは出来ればフェリシアに勝って欲しいと思っている。
が、負けてもそれはそれで良しと思っている。
負けることも貴重な体験だと、百年生きている二人は知っているのだ。
しかしそんな二人も顔を顰める事態が生じる。
フェリシアが敵に吹き飛ばされたのだ。
それだけならば、ラグブライではよくあることで、そしてフェリシアが吹き飛ばされたのはこれで三回目なので、別に驚くことではない。
重要なのは……その後だ。
急にフェリシアの動きが鈍り始めたのだ。
その動きにも、繊細さが欠けてきている。
「……反則ね。審判は何をやっているのやら」
「脇腹に肘が入っていたな。あれは痛いだろう。下手したら内臓をやられているかもしれん」
しかし試合では審判が絶対だ。
その審判が気付かなかった以上、反則としては成立せず、試合は続行される。
ラグブライはそういうルールになっている。
痛がったところで、無視されるか、最悪鴨になるだけ。
それをちゃんと心得ているのか、フェリシアは必死に試合に食らいつく。
……そしてフェリシアの手にボールが回る。
敵チームがフェリシアからボールを奪おうとする。
普段のフェリシアならばその巧みなセンスで容易く避けただろうタックルも……
繊細さの欠けた飛行では難しく、すぐに捕捉され、直撃を受けてしまうだろう。
そうなれば……ボールは敵の手に渡り、ライジングの勝利は絶望的になる。
「ふぇ、フェリシア!」
「頑張れ!!」
「……」
涙を押し殺して頑張る弟子と、それを必死に応援する両親。
それを見たマーリンとは……小さく、ため息をついて、立ち上がった。
「何をするつもりだ? マーリン」
「世話の焼ける弟子を、少し助けてあげるのよ。……安心しなさい。勝負に手出しはしないわ。ただ……気持ちを届かせるだけ」
そう言って軽く杖を振った。
(っく……は、吐きそうだぜ……)
脇腹に強烈な一撃を貰ったフェリシアは、吐き気と腹痛を堪えながら、必死に空を飛んでいた。
明らかに恣意的な反則だった。
しかし……審判に気付かれない以上は、どうしようもない。
ラグブライではこういう事故は多いため、審判がその場で直接見ていない限りは反則にならないのだ。
「フェリシア!」
「おう!!」
ボールがフェリシアの手に回ってくる。
点差はすでになく、同点になっている。
試合終了まで五分を切った。
このまま同点であれば、さらに三十分ほど試合時間は延長される。
長期戦になれば、ライジングは不利だ。
ここで一点を入れて、勝たなければならない。
しかしそれは敵も十分承知。
フェリシアからボールを奪おうと、敵が迫ってくる。
(ダメだ……集中力が……っく!)
その瞬間、強い衝撃がフェリシアの背中を襲った。
タックルが直撃したのだ。
「げっほ……」
背中側から、内臓が強く押しつぶされる。
強烈な衝撃が体内を駆け巡る。
脳が強く揺らされ……意識が遠のく。
(もう、ダメ……)
集中力が途切れ、二枚の羽で挟んでいたボールが零れ落ちそうになる。
……その時だった。
「フェリシア!! 頑張れ!!」
「負けるな!!」
両親の声を聴いたような気がした。
フェリシアは歯を食いしばり、意識を持たせる。
「っくぁああああ!!」
腹筋に力を込め、宙返りをして、その勢いを利用してボールを投げ飛ばす。
ボールは……アーチボルトの手に渡った。
前衛のエースであるマルカムとアーチボルトはそれぞれ巧みにパスを回しながら、敵陣へと攻め上っていく姿がフェリシアの視界に移った。
当のフェリシアは……力を使い果たし、地面へと落下する。
クッションの中へと、体が吸い込まれる。
(お父様、お母様……)
薄れゆく意識の中、フェリシアは仲間の大歓声と、ライジングの勝利を告げる審判の声を聞いた。
ちなみにフェリシアちゃんのせいでブリジットの素行は確かに悪くなっているので、割と正論なのである
もう手遅れだけど
好きなことになると途端に饒舌に、早口に、長文になるマーリン師匠が
可愛い、妙に共感性がある、分かり味が深い、自分を見ているようで辛くなるという方は
ブクマ、ptを入れて頂けると
皆さんの口がますます滑らかに動くようになるとか、ならないとか
次回予告
ついにあの大人気キャラが動く!?