第10話 病人令嬢は夢(?)を見る
「ただの風邪ね。五日熱ではないわ」
学園祭、二日目。
保健室で寝込んでいるフェリシアに対し、女医は淡々と告げた。
フェリシアのお見舞いにやってきていたブリジットたちは胸を撫でおろす。
「よかったですわ……わたくしがうつしたわけじゃなくて」
「ただの風邪なら、すぐに治りそうですね」
「二日後の打ち上げも、参加できそう」
安堵した表情で三人は口々に言った。
学園祭は三日間掛けて続き、ライジングの打ち上げは三日目の翌日、つまり二日後に予定されている。
ただの風邪なら、その時までに治るだろうし、治らずともちょっとした食事会になら参加できるはずだ。
「うぅ……折角の、学園祭なのにぃ……」
「友人を救うために五日病の魔法薬を調合する……その姿勢は立派だけれど、随分とムリをしたようね? これは教訓よ。胸に刻みなさい」
呆れ顔で女医は言った。
もっとも、ライジングのパフォーマンス大会はすでに終わっているし、ブリジットたちの演奏会も鑑賞し終えた。
他の友人たちの展示も、初日にあらかた回っている。
ほかの楽しそうな展示や出店を見学できないのは残念だが、涙を飲んで諦めることができる程度の問題だ。
「ぐすぅ……アナベラ、ブリジット、ケイティ。私の代わりに、楽しんできてくれ……あと、美味しそうなものがあったら、買ってきて」
フェリシアはそういってから、チラリと女医の顔を見る。
それくらいならばいいよね? と暗に確認する。
女医は呆れ顔で頷いた。
「まあ、食欲があるならばいいでしょう。ただし、食べ過ぎは許しませんよ。自覚はないかもしれないけれど、あなたの胃腸は病気で弱っているんだから」
「肝に銘じるのぜ……」
弱々しくフェリシアは頷いた。
「おお……本当に風邪で寝込んでいるのか」
ブリジットたちが立ち去った後にフェリシアのお見舞いにやってきたのは、クリストファーだった。
ぐったりとベッドで寝ているフェリシアを見て、驚きの声を上げる。
「本当に、ってのはどういう意味だ。クリストファー」
「ああ、すまない。起こしてしまったか?」
「最初から起きていたぜ。先生は大げさなんだ」
フェリシアは小声でそう言ってから起き上がった。
今は保健室の女医はこの場にいない。……もしいたら、フェリシアを叱りつけ、強引に寝かせたことだろう。
「ちょっと、退屈だぜ」
「まあ、君ならそう言うと思ったよ」
クリストファーは苦笑いを浮かべた。
努力家で活動的なフェリシアにとって、何もせずに体を休める、というのは逆に辛いことだろう。
「ジュースを買ってきたんだ、飲むか?」
「おお! 気が利くな! 丁度、喉が渇いていたところなんだぜ」
フェリシアは嬉しそうに笑い、クリストファーからジュースの入った木のコップを受け取った。
中には氷と、オレンジ色の液体が入っている。
「うん、冷たくて、さっぱりしてて美味しいぜ。飲み終えたコップはどうすれば良いんだ?」
「それは店に返すから、飲み終えたら僕に渡してくれ。……本当は持って行ってはいけないんだけどね、君に差し入れると言ったら、特別に許してもらえたよ」
「ありがとう、って伝えておいてくれだぜ」
ジュースを飲み終えたフェリシアはクリストファーにコップを手渡した。
それからフェリシアは大きく手足を伸ばし、伸びをする。
暑いのか、第二ボタンまで外されたパジャマの襟元から白い素肌が見え隠れし、思わずクリストファーは目を逸らした。
「ん? どうしたのぜ?」
クリストファーの妙な態度に気付いたのか、フェリシアは首を傾げる。
クリストファーは頬を掻きながら、とっさに思いついた言い訳を口にする。
「いや、随分と……可愛らしいパジャマを着ているんだなと思っただけだ」
「お、分かるか? 可愛いだろう? 猫ちゃんだぜ?」
フェリシアはそういって両手を広げて、パジャマの柄を見せびらかした。
黄色い生地に、可愛らしい猫の絵が描かれている。
可愛らしい……には可愛らしいが、少々子供っぽい。
「そ、そうか……じゃあ、僕はもう行くよ」
「ええー! もう行っちゃうのか?」
「あまり長居すると、君の健康に良くないからね。ちゃんと寝て、体を休めるんだ」
「はいはい……」
そう言ってベッドに潜り込んだフェリシアを確認してから、クリストファーはその場から立ち去った。
さて……しばらくすると、別の人物がやってきた。
「おお! フェリシア。病気って聞いたが、本当に病気なんだな! 珍しいものを見た」
「クリストファーもだが、失礼だぜ。お前らは」
フェリシアはマルカムに苦言を言った。
するとマルカムは少し驚いた様子で、目を見開く。
「へぇ……クリストファーに先を越されたか」
「あいつはジュースを差し入れてくれたぜ。お前は何を持ってきたんだ? まさか、手ぶらってことはないよな?」
「土産を要求すんのかよ。まあ、持ってきたけどさ」
マルカムが手に持ってきたのは、紙に包まれたクレープだった。
最近は情報媒体だけでなく、食べ物を包んだりする容器としても、紙は使用されている。
「お前、甘い物好きだったろ?」
「おう、よく分かっているじゃないか。感心、感心」
「何で上から目線なんだよ」
フェリシアは嬉しそうにクレープを口に運ぶ。
所詮は学園祭のレベルなので、別段特に美味しいというわけではないが……大事なのは雰囲気だ。
「そういえば、フェリシア。お前、随分とガキ臭い寝間着を着ているな」
「何? 失礼な!」
フェリシアは不満そうに眉を顰めた。
そして大きく、手を広げる。
「猫ちゃんだぞ? 可愛いだろ! クリストファーも褒めてくれたぜ?」
「クリストファーも変な趣味してんなぁー」
「何を!? おかしいのはお前だぜ。こんなに可愛いのに!」
「まあ、可愛いのは認めるけどさぁ……」
確かにデフォルメされた猫が描かれているパジャマは可愛らしい。
が、十三歳でその可愛らしい、可愛らしすぎる寝間着は如何なものか。
「でも、子供っぽいだろ?」
「むむ……まあ、確かに。じゃあ、お前はどういうのが良いって言うんだぜ?」
「どういうのって、そりゃあ……大人っぽいやつ?」
「どういうのが大人っぽいって言うんだよ」
「どういうのって……」
そこでマルカムの脳裏に、以前の歓迎パーティーでのフェリシアの姿が思い浮かぶ。
美しい赤いドレスを来て、白い肩やうなじ、鎖骨を露出させていた。
マルカムがフェリシアを、否、フェリックスをフェリシアだと強く意識したのは、その時だ。
「な、何でもない!」
「おいおい、何だよ、気になるじゃんか!」
「ガキはガキっぽい寝間着を着るのが普通だったな。お、俺はもう行くぞ。しっかり寝て、体を休めろよ!!」
そう言って保健室から出て行ってしまう。
フェリシアは首を傾げるしかない。
「何なのぜ?」
しばらくした後にフェリシアのもとへやってきたのは、チャールズだった。
手にはやはりフェリシアへの手土産を持っている。
「食べ物や飲み物はみんな差し入れているだろうと思ったんだけど、やっぱりそうみたいだね」
フェリシアのベッドの近くに置かれているテーブルの上には、お菓子やジュースが大量に置かれていた。
マルカムやクリストファー以外にも、多くの学生たちがフェリシアのお見舞いに訪れたのだ。
これは彼女の人徳のなせる業と言えるだろう。
もっとも、男子の中には「あわよくば」と下心を持つ者も大勢いるだろうが。
「ああ、ちょっと多すぎるくらいだぜ。……みんな、私を食いしん坊か何かだと思っているのか? だとしたら、ちょっと遺憾だぜ」
「……」(それは間違いじゃないと思うけどな)
フェリシアはラグブライで体を動かしていることもあり、男子と同等かそれ以上に食べる。
にも関わらず、細い体を維持しているので、女子たちの間ではもっぱら羨望の対象だった。
「で、その言い方だと。食べ物以外を持ってきたのか?」
「ああ。きっと暇をしているんじゃないかと思ってね。……面白そうな玩具があったから、買ってきたんだよ」
チャールズがそういってフェリシアに手渡したのは……
一見すると、何の変哲もない木箱だった。
「何なのぜ?」
「細工箱だよ、つまり、パズルさ。……こういうの、昔から好きだっただろ?」
「へぇ、これは面白そうだぜ。良い暇つぶしになりそうだ」
フェリシアはまじまじと細工箱を見る。
丁度、手持無沙汰で暇だったのだ。
「そうだ、チャールズ!聞きたいことがあるんだけどさ」
「なんだい?」
「これ、どう思う?」
フェリシアは両手を広げ、猫柄のパジャマをチャールズに見せた。
チャールズは首を傾げる。
「可愛らしいと思うけれど……どう思う、とは、どういうことだい?」
「マルカムのやつがさ、子供っぽいって言うんだ。子供っぽいかな?」
「うーん……まあ、確かに子供っぽい可愛らしさではあるかな?」
少し幼い印象を受けると、チャールズは正直にフェリシアに伝えた。
フェリシアは顎に手を当てて考え……そして尋ねる。
「大人っぽい寝間着って、どういうのだと思う?」
「大人っぽい? ……そりゃあ、まあ……ネグリジェ、とかかな?」
イケメンで女子人気が高いチャールズではあるが、所詮は男である。
本質はマルカムと変わらないため、女性のファッションについてはよくわからない。
「ネグリジェかぁ……でもさ? 子供用のネグリジェってのもあるじゃん? 大人っぽいって、どういうのなんだぜ?」
「大人っぽいかぁ……それは、まあ……その……」
チャールズは途中で言葉を濁らせ、言い淀んだ。
フェリシアは首を傾げる。
「何なのぜ?」
「……す、透けているような、やつとかじゃ、ないかな?」
チャールズは目を逸らしながら答えた。
彼の脳裏には一瞬だが、くっきりと「大人っぽいネグリジェ」とやらを着込んだフェリシアの姿が、妄想ではあるものの浮かび上がる。
一方フェリシアは頬を少し赤らめ、照れ隠しの笑みを浮かべながら揶揄うように言った。
「お前……結構、ムッツリなんだな」
「ま、待つんだ! 少し語弊がある!!」
「まあまあ、そう興奮するなよ、ムッツリ王太子殿下。分かっているぜ……お前も、思春期だもんな。このことは誰にも言わないでおいてやるぜ」
「き、君はだなぁ……」
「言いふらした方が良いのか?」
「い、いや……やめてくれ。……やめてください、お願いします」
「仕方がないのぜ」
フェリシアは親指を突き出して答えた。
……元はと言えば、フェリシアが変なことを聞いたのが悪いのだが。
「ぼ、僕はそろそろ行くよ。長居するのはよくないしね」
「おう! 見舞いに来てくれて、ありがとな……ムッツリ王太子!」
フェリシアが愉快そうに笑うと、チャールズはため息をついた。
「ん……」
チャールズが去り、細工箱を解き終えたフェリシアはベッドに潜り込み、微睡の中にいた。
朝から散々寝たため、眠りは決して深くはない。
浅い眠りと覚醒を繰り返す中、フェリシアは昔の夢を見ていた。
それは五歳の頃、フェリシアが風邪を引いて寝込んでしまった時の夢だ。
辛さと寂しさでしくしくと泣くフェリシアの手を……父親であるアンガスは握りしめていてくれた。
「大丈夫か? フェリシア……」
アンガスは心配そうにフェリシアに尋ねる。
ぼんやりとした意識の中で、フェリシアは小さく頷く。
「すまない……頼りにならない父親で。お前のことを……傷つけてしまった」
夢の中でアンガスはフェリシアに謝っていた。
昔は大きく感じられたアンガスが、随分と小さく見え、そして……情けなく見えた。
だがその手に感じる温もりは、昔と同じだった。
「随分と遅い誕生日プレゼントになってしまったが……受け取って欲しい」
アンガスは小さな箱を取り出し、テーブルに置いた。
そして立ち去ろうとする……が、フェリシアはその手を強く握りしめた。
「……お父様」
微睡みの中、無意識にフェリシアは呟いた。
それは夢の中の父親に言ったのか、それともお見舞いに来てくれた父親に言ったのかは……
フェリシア自身も、誰も分からないことだった。
アンガスはフェリシアが完全に熟睡し、眠りに落ちるまでその手を握り続けた。
これは余談だが、学園祭が終わった後のフェリシアは、可愛らしい猫のネクタイピンを身に着けて登校するようになったという。
子供っぽいデザインで、度々マルカムに揶揄われても……フェリシアはそのネクタイピンが壊れるまで、愛用し続けた。
なお、このネクタイピンをどこで、いつ買ったのかを尋ねると、「秘密なのぜ」と答えるだけで、決して教えてはくれないらしい。
しかし……その時に浮かべる笑顔は、とても嬉しそうで、幸せそうな笑みだったとか。
ホーリーランド学長「ワシが呼んだ」
フェリシアちゃんの「大人っぽい寝間着」を想像した怪しからんお友達は
ブクマ、ptを入れて頂けると
フェリシアちゃんに杖で殴って貰えます
……貰える?
次回予告
飲みサーのライジングが打ち上げをします