第21話 不幸令嬢は感情を露わにする
正直、引っ張り過ぎたのぜって
反省しているのぜ
「くっそ……どこに行きやがった!!」
フェリシアはエングレンド王国、王都ロンディニアを走り回っていた。
辺りをキョロキョロと見渡し……
石畳の上に一冊の開かれた本が落ちているのを確認した。
『転移で転移する転移な本』
その表紙にはそう書かれていた。
「見つけた!!」
フェリシアは周囲の視線を気にせず全力疾走で走り出し……
その本へと飛び込む。
そしてフェリシアの手に触れる瞬間。
その本が消えた。
そして……
ゴツッ!
「痛い!!」
角からフェリシアの頭へと落ちてきた。
それを拾おうとするも……スカッと手は空を切る。
いつの間にか本はどこかへと消えていた。
「くっそう……おちょくりやがって!!」
『転移で転移する転移な本』
フェリシアが禁書庫から持ち出した魔導書だ。
この魔導書は次元魔法における基礎の基礎とも言える次元屈折や、四次元以下の次元に干渉する魔法理論が書かれている。
フェリシアはこれを半分まで読み進めることで、簡単な次元屈折や、四次元以下の次元に干渉するための知識(あくまで技術ではない)を得ることができた。
この本を選んで良かった……フェリシアは半分まで読み進めたところでそう思ったのだが、その認識は誤りだった。
というのも、この魔導書は困った性質を持っていたからである。
この本そのものが次元魔法を使い、読み手から逃げ回るのだ。
その魔法はフェリシアが半分まで読み進めた時、作動した。
「ぜぇぜぇ……見つけたぞぉ……」
フェリシアは杖で体を支えながら、息を荒げる。
その魔導書は路地裏の片隅に落ちていた。
フェリシアは再び魔導書に飛び込むような姿勢を見せ……
「くらえ!」
飛び込む、と見せかけて結界で本を囲った。
本は転移を試みるが、結界に衝突する。
「ただ結界で覆うだけでは、お前は転移魔法で逃げてしまう。だから複数の次元に跨る結界を、最低でも四次元以上の干渉を妨げる結界を張る必要がある。……はぁ、全く」
バタバタと結界内部で暴れる本へと手を伸ばし、本を強引に閉じる。
すると大人しくなった。
「これで良し……まさか、半分まで読んだあたりから急に逃げだすなんて。……これ、書いたやつ、読ませる気あんのかよ」
フェリシアは額の汗を拭う。
もしこの本がこのまま行方不明になれば、いずれ禁書庫の本が足りないことにも気付かれ、そしてフェリシアが禁書庫に忍び込んで本を持ち出したこともバレる。
その時「なくしました」などと言えば、どうなるか。
「退学」の文字がフェリシアの脳裏にちらつく。
「まあ……四次元結界くらいは張れないと、半分から先は読む資格すらないってことなんだろうけど。さて、学園に戻るか」
フェリシアは念には念を入れて、ローブの中に本を仕舞う。
このローブはマーリンが作ったローブで、少なくとも四次元以内の干渉は間違いなくシャットアウトできる代物。
万が一にも逃げ出される心配はない。
そして魔法学園への帰り道を歩き始め……フェリシアの足は止まった。
驚愕で目が見開かれる。
フェリシアの視線の先には金髪の中年男性がいた。
着ている服は決して高価なものとは言えないが、しかしそれなりに身綺麗にしている。
男性の方もフェリシアを見て、硬直している。
「ふぇ、フェリ……」
「父さん!!!」
フェリシアは駆け出し、その男性に――アンガス・ジェームズ・アルスタシア――に抱き着いた。
ギュッと、その両手で強くアンガスを抱く。
「うぅぅ……良かった……良かった……」
アンガスの胸の中でひとしきり泣いたフェリシアは、涙でぐちゃぐちゃになった顔でアンガスを見上げた。
そして微笑んだ。
「生きてて、良かった。父さん」
フェリシアとアンガスは近くにあった喫茶店へと入った。
それぞれ向かい合い、紅茶と安いお菓子を注文してから……開口一番にフェリシアは言った。
「生きててくれて良かったです、お父様」
「……ああ」
アンガスは少し気まずそうに頷いた。
フェリシアは再会と生存を喜んでくれたが……アンガスが酒と賭け事に逃げ、挙句フェリシアとフローレンスを捨てて逃げた事実は変わりなかった。
しかしフェリシアはそのことには触れず、アンガスに近況を尋ねた。
「今は何をしているんですか?」
「アルバ王国で羊毛を取り扱う商売をしている。最近、軌道に乗り始めた。今日は取引のためにロンディニアに来た」
フェリシアはじっとアンガスの服装を確認する。
決して高価な品とは言えないが、しっかりした生地の服を着ている。
そこそこの生活水準を維持しているようだ。
「ところで、フェリシア。その恰好は……魔法学園の?」
「ええ……私もいろいろありまして。一応、入学できました」
フェリシアはマーリンのおかげで魔法学園に入学できるようになったことを簡単に説明する。
これには少々驚いたようで、アンガスは目を見開く。
「あの大魔導師マーリンに師事しているのか。それは……父親として鼻が高い」
「もっと鼻を高くしても良いんですよ? 学校では首席を維持しているし、ラグブライではそれなりに活躍しています」
お互いの近況を話し合うフェリシアとアンガス。
それは一見すると久しぶりに再会した親子の平和な風景だが……
しかし、やはりどこかぎこちない雰囲気があった。
「……その、フェリシア」
「どうしましたか? お父様」
「…………お前たちには、本当に申し訳ないことをした」
アンガスは深々と頭を下げた。
フェリシアはじっとアンガスを見下ろして言った。
「それはもう、過ぎたことです」
特に気にしてはいない。そんな調子の声だった。
アンガスはようやく、本題に入る。
「……やり直させては貰えないだろうか?」
「今更遅いぜ」
先ほどとは打って変わって、冷たい声だった。
「……」
アンガスは恐る恐るという調子で顔を上げ、フェリシアの顔を見る。
フェリシアの表情からは快活な笑みは消え、そこには冷たい表情でアンガスを見つめている。
その瞳には軽蔑の色が浮かんでいた。
「もう、過ぎたことだ。過ぎたことだから、もう遅い。取り返しはつかない。……今更かつてのようにってのは、いくら何でも、虫が良すぎるとは思わないか? クソ親父」
苦々しい表情でフェリシアは言った。
「あんたが、それなりに更生してるってことは分かった。反省していることも分かる。……そしてあんたは私の父親だ。私は今でもあんたのことを、父親だと思っているし、慕っている。だから生きている姿を見られて、本当に嬉しかった」
そしてフェリシアはギュッと、拳を握りしめた。
「でもな、同じくらい怒っているし、憎んでいる」
「それは当然のこ……」
「分かったような口を利くな!!」
ドン、とフェリシアはテーブルを強く叩いた。
フェリシアたちのテーブルへ、周囲の視線が集まる。
「酔っぱらったお前に殴られた時、どれくらい痛かったか! お前が逃げ出した時、どれくらい絶望したか! 物を盗んで、生ごみを漁って、殴られて、蹴られて過ごす日々が、どれだけ辛かったか、どれだけ屈辱的だったか! お前に分かるはずがない!!」
フェリシアはそう言ってアンガスの胸倉に掴みかかった。
今にも殴りかかろうとする勢いに、慌てて店員が駆け寄ってくる。
「お、お客様! こ、困ります……」
「……すまない」
冷静になったフェリシアは手を離した。
椅子に崩れ落ちるアンガスを見下ろし、フェリシアは鼻で笑い、再び座り直す。
「私は、八歳だったんだぞ……お前は、八歳の私に、全部を押し付けたんだ。母さんを……役に立たないお荷物を抱えて生きるのが、どれだけ大変だったか。分かるか? 全身傷だらけで、ボロボロで、くたくたになってようやく僅かばかりの食べ物を持って帰ってきたら、量が少ないだの、不味いだのと文句を言われる。こっちは疲れているっていうのに、お腹が空いて、寒くて仕方がないのに、真夜中にはブツブツと死にたいだなんだと口走って、こっちが慰めるとどうせお前も逃げ出すんだろうと言われ、珍しく元気がある時は泣き喚いて、暴れて、私を殴ってきて……」
フェリシアの目尻に涙が浮かぶ。
「母さんは良いよ……気に入らないことは、怒りは、憎しみは、全部私に向ければ良いんだ。私に当たり散らせばいい。でも、私はそうはいかない。母さんは病人だから、当たれない。そして父さん、あんたはその場にいないから当たりようがない。周囲は私よりもずっと強い人ばかりだ。私は……私自身にしか、怒りと憎しみを、ぶつけられなかった」
そう言ってフェリシアは服の袖を捲った。
一見すると傷一つない、綺麗な白い肌。
フェリシアはそこを軽く指で拭った。
すると……
アンガスの表情が変わる。
思わず息を飲む。
白い肌に走る、無数の線のような傷痕。
刃物で何度も何度も傷つけなければできないような傷だ。
「もう、癖になってるんだ。昔のことを思い出すと、嫌なことがあると、どうしてもやってしまう。でも……体が痛いうちは、心は痛くないんだ」
フェリシアはそう言ってから、頭を抱えた。
そして深いため息をつく。
「……すまない、父さん。でもな、私にとってこのことは感情的には過ぎたことじゃないんだ。理性の上では、過ぎたことをいつまでも言うべきじゃないって分かってる。父さんを許したい……でも、許したくないって気持ちもある。昔みたいに、戻りたいのは、私も同じだ。でも、今の私には受け入れられないのも本当なんだ」
フェリシアは涙を拭う。
自分の飲食分の料金をテーブルに置いた。
「母さんは、イェルホルムの街にいる。……会ってやってくれ。会いたがっている。やり直したければ、好きにやり直してくれ。でも、私はムリだ。少なくとも、今の私にはムリだ。気持ちを整理する時間をくれ」
フェリシアはアンガスの顔も見ずにそう言うと、すたすたと立ち去ってしまった。
最後には一人の哀れな父親だけが残された。
……一方、このやり取りを一人、聞いている者がいた。
丁度、フェリシアの背後の席にたまたま居合わせたその人物は、静かに震えていた。
「そんな、私の、せいで……こんなことに……」
ようやく、アナベラは自分が引き起こした事態の深刻さに気付いたのだった。
一応、13話の謎傷伏線はこれで回収しました
あと、18話の「人や物に当たる」です。これには自分自身が含まれます
ちなみに一見すると父親にあったことでSAN値が不味いことになったような気もしますが、実際のところは数年溜め込んでいた鬱憤をぶつけることができた上に、「おら、見ろや、この傷! おめぇのせいでこんなに私は傷ついたんだぞ! 反省しろや、おら!」と父親に当たることができたので、むしろ回復してます。
泣いたり怒ったりしている方が、人間としては健全なのです
フェリシアちゃんが可哀想、という方はブクマptを入れて頂けると
全ライジング(主にアーチボルト)が皆さんの代わりに泣いてくれます
次回予告
アナベラさんが少しピンチ