第11話 怪盗令嬢はとんでもないものを盗んでしまう
「よぉ、ブリジット。ようやく私と話をしてくれる気になったと思ったら、盗賊扱いか? 冗談キツイぜ」
フェリシアはブリジットの罵倒を特に気にした様子もなく、ウィンクをしてそう言った。
フェリシアとブリジットは旧友だ。
と言っても、アルスタシア家が没落する前に何度か一緒に遊んだ程度なのだが。
とはいえ、知り合いなのは確かで、フェリシアは何度もブリジットに話しかけていたのだが……
冷たくあしらわれていた。
(随分と嫌われちまったようだなぁー。別にこいつに嫌がらせをするような真似をした覚えはないんだが)
冷たくあしらわれた時点で、ブリジットが自分のことを嫌っていることをフェリシアは察していた。
一方ブリジットはやはりフェリシアを完全に無視し、アナベラに話しかける。
「この犯罪者とは関わらない方が良いですわ」
「……犯罪者?」
「アルスタシア家が数々の不法行為を行っていたことは有名でしょう? それが理由で、取り潰しになったんですもの」
アルスタシア家が経済的に没落したのは木草紙との競合だが、政治的に没落したのは不法行為が明るみになったからである。
とはいえ、経済的な力が衰えなければ全く問題にされなかったことから分かる通り、その不法行為が実際にはそれほど重い罪ではない。
真っ黒ではなく、グレーの範囲内、推定無罪の原則が働く程度の問題だ。
そしてアルスタシア家だけではなく、どの貴族家も――勿論ブリジットの生家であるガスコイン家も――似たようなことをしている。
にも関わらず有罪となったのは、完全なでっち上げや、印象操作などが裏工作で行われたのだ。
「我が家は無実だ。あんな一方的な、有罪が前提の裁判なんて無効だ」
「黙ってくれませんこと? あなたのような貧乏くさい平民とは話していませんの」
「おっと、ようやく私と話する気になったか?」
ニヤリとフェリシアが笑みを浮かべる。ブリジットがフェリシアの呼びかけに答えたのは、これが初めてだ。
ブリジットは一瞬眉を顰めたが……アナベラの方を向き、その手を取った。
「とにかく、チェルソンさん。この盗人はチェルソンさんのお金が目的ですわ。あの手この手で、卑しく無心してくるのは目に見えていますわ」
「え、えっと……どういう、ことですか? 取り潰し? 盗人?」
一方、アナベラは混乱していた。
本来は仲良しの“悪役令嬢”とその“取り巻き”が険悪な雰囲気になっている……理由は“悪役令嬢”が転生者であれば納得できるが、犯罪者やら、取り潰しやら、盗人やらはまるで事情が掴めない。
アナベラの問いにブリジットは大きく唇を弧の字にした。
ようやく、本題に入れるからだ。
「この犯罪者は家が取り潰しになった後、盗みをして生活していたのよ。それに物乞いや、ゴミ漁りも」
「卑しいわねぇ……私なら、舌を噛み切って死ぬわぁ」
「あのドレスも盗んだ物かしらねぇ?」
ブリジットたちはわざわざ会場に聞こえるように大きな声で言ってから、クスクスと笑った。
気付くと視線がこちらに集まっている。
興味ない振りをして、聞き耳を立てている者もいることだろう。
アナベラは想定外の情報の洪水に一人混乱していたが、馬鹿にされている側のフェリシアは冷静に状況を分析していた。
(まあ、いつかは言われるとは思っていたが、思ったより早かったな)
フェリシアが物乞いやゴミ漁り、そして窃盗で暮らしていたのは事実だ。
それなりに目立てばフェリシアのことを貶めようとする者は現れるだろうし、フェリシアがどのような生活をしていたかは……そう簡単には分からないだろうが、貴族の権力があれば調べられないこともない。
保護者が住んでいる場所や、長期休暇中の帰郷先を学園に書類として提出するのは義務だ。
権力を使えばそれを閲覧できるだろうし、住んでいた場所が分かれば、フェリシアがどのような活動をしていたかを調査するのは難しくはない。
(別に私は悪いことをしたつもりは一切、ないんだけどな)
フェリシアは窃盗を含めて、悪事をしたという自覚はこれっぽっちもなかった。
盗みをしなければ、今頃フェリシアは親子揃って餓死していた。生きることが罪になるはずない。
そもそも「所有権」という概念は、自明のものでも自然のものでもなんでもなく、人間が人為的に、意図的に、富を独占するために作り出したというのは学術的には――勿論、これはマーリンに言わせてみればなのだが――常識だ。
悪いのは富の格差を生み出す社会や、富を搾取する富裕層であり、自分は窃盗を強いられたのだ。
だから自分は何一つ悪くない。むしろ被害者だ。フェリシアちゃん、可哀想。
というのが窃盗を正当化するためのフェリシアなりの理論武装なのだが、それを今ここで説明したところで、ただ犯罪者が自分の犯罪を肯定しているようにしか聞こえないだろう。
(とはいえ、反論しないで言われっぱなしだと、今後この学校に居辛くなる上に……悔しいし、腹が立つからな)
いつかは言われることは分かっていた。ならば、それに対する反論も当然フェリシアは考えてきている。
「おいおい、まるで私が人としてあるまじき行いをしたかのような言い方じゃないか」
フェリシアは大声で言った。
大事なのはブリジットを論破することではなく、周囲に自分が潔白であることを証明することだ。
「あら、自覚がありませんこと?」
「自覚がないも、なにも、私はそんなことはしていない。というか、証拠あんのか? 私が悪事をしたっていう、証拠がさ。まさか、誇り高きガスコイン家が、まともな証拠もなく、人を悪人呼ばわりするはずがないよなぁ?」
家名は貴族の誇りであるのと同時に弱点でもある。家名を出して煽れば、貴族は必ずそれに答えなければならない。
家こそが、血筋こそが、貴族を貴族足らしめている所以だからだ。
「勿論ですわ。あなたが住んでいたのは、アルバ王国の、エングレンド王国との国境近くの街、イェルホルムですわよね?」
「ああ、そうだな。確かに私は八歳の頃、その街に移り住んだ」
「なら、話は早いですわ。その街の住民が、証言してくださいましたもの。あなたがゴミ漁りや物乞い、盗みを……」
「住民って、具体的に誰だ?」
フェリシアはブリジットの声を遮るように言った。
さらにブリジットの言葉を待つまでもなく続ける。
「どんな証言だ? どの程度信頼できる? そいつらは確かに、『フェリシア・フローレンス・アルスタシア』の名前を出したのか?」
フェリシアがそう尋ねると、ブリジットは黙ってしまった。
内心でフェリシアはほくそ笑む。
(まあ、答えられるわけないぜ。精々、不良グループの中に『フェリックス』っていう金髪の少年がいた、くらいしか分からないだろうし、その証言も何の信用もできないような、チンピラからしか集められないはずだ)
イェルホルムにはゴキブリ並みに不良が生息していたため、警吏も一般住民も一々不良の顔なんて覚えていない。
一方、不良たちはお互いの顔をそれなりに認識できるが……身分制度があるエングレンド王国では、チンピラの証言に価値はない。
そしてあの街ではフェリシアはあくまでフェリックスという少年だった。
途中から髪を伸ばし、スカートを履くようになったが、その時にはすでに窃盗からは足を洗っていた。
しばらくの沈黙の後、ブリジットは口を開こうとしたが……
フェリシアは敢えてそれに被せるように、大きな声で言った。
「おいおい、答えられないのか? まともな証言もないのに、人を悪人みたいに言うとは、失礼な話だぜ。……ちなみに、私は自分の無実を証明できるぜ。私の師は、あの錬金術師、大魔導師、マーリンだ。私はマーリン様に顔向けできないようなことはしていない!」
ちなみにマーリンはフェリシアが自分の貧しい窮状を訴えると「母親なんて、見捨てちゃえば?」「体でも売れば良いじゃない」などと平気で言うような、倫理観も道徳観も破綻した人間なので、別に盗みの一つ二つでどうこう言ったりしない。
自信満々なフェリシアの自己弁護が効いたのか、フェリシアに集まっていた蔑みや疑念の目は、徐々にブリジットの方へと集まっていた。
ここは裁判所ではないのだから、嘘でも堂々としている側が有利になる。
「おい、さっきから、何で揉めてるんだ?」
と、丁度そこへ騒ぎを聞きつけたマルカムがやってきた。
心配そうな表情を浮かべている。
フェリシアからすれば最高のタイミングだ。
「丁度良いところに来たな、マルカム。お前もイェルホルムの街の出身だよな? で、私の幼馴染だ」
「ん? ああ、そうだな」
やや状況が飲み込めていないマルカムは、フェリシアに聞かれるままに頷く。
フェリシアはそんなマルカムに尋ねる。
「マルカムに聞きたい。私は人として恥ずべきような行いをしていたか?」
「まさか。フェリシアはあの街では、誰よりも立派だった。フェリシアが悪人なら、あの街の人間は全員、悪人だ」
マルカム自身もイェルホルムの街で不良をしていた。
だから窃盗などの犯罪行為を、否定するわけない。
そしてマルカムは昔はともかくとして、今は立派な貴族だ。
「で、ブリジット。マルカムはこう言ってくれているが……エングレンド王国貴族のアルダーソン家の人間の証言が、信用できないか? それとも、それを覆せるだけの証拠があるのか?」
「そ、それは……」
しどろもどろになるブリジット。
このような自信のなさそうな、焦った表情で言う人間の言葉なんて、誰も信用しない。
「私は、フェリシア・フローレンス・アルスタシアは、決して道を踏み外すような真似はしていないし、これからも一切するつもりはない! 私は私自身の誇りに掛けて誓うことができる!」
まあ、窃盗をしていないとも、これから二度としないとも言ってないけどな。
心の奥底で、チロっとフェリシアは舌を出した。
「それで、ブリジット。お前は誓えるか? 自分自身の、貴族としての名誉にかけて!」
「……っく」
フェリシアはそう言ってブリジットに詰め寄る。
やや発育不良気味のフェリシアが見上げるような形になるが、しかしブリジットはそのあまりの気迫に後退ってしまう。
この状況下で誓えるなどと言えるはずもなく、かといって逃げるわけにもいかない。
ブリジットの敗北は決定的だった。
進むも退くも、大恥を掻く……
そんなブリジットに対し、フェリシアはニヤリと笑みを浮かべた。
「なーんてな! あははは」
フェリシアは先ほどまで浮かべていた邪悪な笑みではなく、いつもの快活な、社交的な笑みを浮かべて笑った。
「な、何を……」
急に雰囲気が変わったフェリシアに対し、ブリジットは怯えた表情を浮かべた。
目尻には若干、涙が溜まっている。
「おいおい、そんな泣きそうな顔をするなよ。……誰にだって、間違いはあるぜ。私は人の間違いをいつまでも責めるような真似はしない」
そしてフェリシアはやや強引に肩を組んだ。
「仲直りしようぜ? ブリジット。私の家は確かに没落して貴族としての地位と名誉を失ったが……でも、お前と私との友情は、失われていないはずだ。……私たち、友達だろ? キャロルも、クラリッサも、そうだよな?」
フェリシアはブリジットの取り巻きとして自分をなじり、そしてブリジットが追い込まれてからは完全に沈黙し、無関係を装おうとしていた二人に笑いかけた。
そして強引に三人の手を取る。
「仲直りしよう……なあ、良いだろう? 昔みたいにさ。私もさ、お前たちに嫌われたりするのは悲しいし、寂しいんだ。お願いだ、頼むよ。よりを戻してくれ」
フェリシアは上目遣いで、懇願するように三人にいった。
先程まで三人を追い込んでいた人物には見えない。
「「「……」」」
三人は顔を見合わせた。
最初はフェリシアがどのような意図で、自分を辱めたような人間に「友達だ」などと言ってきたのか分からなかった。
が、しかしフェリシアの「懇願」を聞いて、ようやく意図を察することができた。
つまりこのあたりで「手打ちにしよう」とフェリシアは言っているのだ。
そして大きく譲歩し、「友情」で有耶無耶にすることで三人の名誉を守ろうとしている。
これに乗らないという選択肢は三人にはなかった。
「え、ええ……分かりましたわ。友達に、戻りましょう。……それと、ごめんなさい」
「私も……申し訳ないことをしてしまいましたわ」
「謝罪致しますわ」
口々にフェリシアに彼女たちは謝った。
フェリシアは嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「いや、気にするな。それに私も少し、強く言い過ぎたぜ。ごめんな? 水に流してくれると嬉しいぜ。あと……友達に戻ってくれて、ありがとう!」
フェリシアはそう言って三人と握手をした。
そして微笑みかけると……三人は顔を赤らめ、視線を逸らした。
「やっぱり……フェリシアさんには、敵いませんわ」
ブリジットはため息混じりに言った。その瞳にはフェリシアへの羨望、尊敬の色が浮かんでいた。
幼い頃、圧倒的なカリスマで自分を引き寄せた存在に勝てるようになった……というのはブリジットのただの思い込みであった。
「ん? どういうことなのぜ?」
一方、きょとんとフェリシアは首を傾げる。
そんなフェリシアの仕草に、ブリジットの心臓が高鳴る。
「な、何でもありませんわ!」(っく……本当に、憎らしいほど、可愛らしいですわ)
カッコよくて賢くて可愛いなんて反則だと、ブリジットは一人思うのだった。
一方、アナベラは混乱していた。
(ど、どういう、こと? 没落? 窃盗? ゴミ漁り? 物乞い? どうして、悪役令嬢が、そんなことに?)
そして木草紙が、自分の行動が遠因となり、アルスタシア家が没落したという事実をアナベラが知ったのは数日後のことだった。
三人の女の子がとんでもないものを盗まれました
ちなみに途中から蚊帳の外になったアナベラは、話の九割くらいを理解していないと思われます
原作とのズレを認識するのに一杯一杯な感じで
ブクマ、評価等応援ありがとうございます
これからもご声援のほどをよろしくお願い致します
追記
最後の「なのぜ」は誤字ではないです
日本語としてはおかしいですが、口語として、可愛らしさを優先して敢えて崩しています