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07

 やりたいことがある時に限って時間は素早く過ぎて行く。時間が旅人だと先人は上手い事を言ったもんだ。


 紗衣ちゃん流の言い方をするなら学生の本分、個人的見解からすると面倒な行事たる期末テストは急ぎ足でやってきた。部活動も休止期間に入り、学校をあげて勉強をしろと責め立てる。おかげでソロオーディションのことは考えずに済むけど、映し人捜しは進まない。ヒントが少なすぎるっていうのもあるけど。


「忙しそうな時に申し訳ない。繋げる時を選べたら良いのですが」


 机に向って勉強していた時にライサンダーは現れた。外には雨の音が響いている。そろそろ私も彼が出てくる条件に気付き始めていた。


「月があると、ライサンダーは出て来れないんだね」


 最初にライサンダーの影を見た日は朧月で、完全に隠すには雲が薄すぎた。きちんと会えた時もその次の時も曇り空で、それに気付いて雨の今日、もしやと思っていたら本当に現れた。


「ええ。魔女の力がもっとも強まるのが満月、弱まるのが新月です。今日は比較的出て来やすかった。でも忙しそうですね」

「うん、ちょっと忙しいかな。でも息抜きも大事だから」


 そう言ってペンを置き、広げていたノートと教科書を閉じて鏡のそばへ行く。


「ごめんね、ライサンダー。まだ映し人見つけてないの。目星は何人かつけているんだけど」

「候補者がいるのですか?」


 こっちはしゅんとしていたけど、むしろ候補者がいる方が驚きだったみたいだ。


「うん、一応ね」


 紗衣ちゃんと律君、二人の候補者のことを簡単に話す。どうしてそう思ったのかも一緒に説明しておいた。それに対してのライサンダーの返答はこう。


「おそらくサエさんは違うでしょう」

「そうなの?」

「はい。映し人の性別が異なることは滅多にありません。まれにそういうこともありますが、心が自分の性別と逆の性別に近いとか、そういうことでもない限り同じ性別です」


 ならば紗衣ちゃんが除外されるのは仕方が無い。紗衣ちゃんはかっこいいが、心も外身も女の子だから。


「じゃあ律君は可能性があるんだね」

「そうかもしれませんね」


 同意しつつもどこか納得いってなさそうなのは、騎士たるライサンダーには女の子に囲まれて笑ってるとか、軟派なのは許せないのかもしれない。モテてるとか余計なことを言い過ぎたかも。これでそれが原因でもめたことなんか言ったら、相当怒りそうだ。


「とりあえず、今度機会を狙って確かめてみるよ。今はテストとかソロオーディションのことで頭がいっぱいで難しいから、ちょっと先になっちゃうけど」


 申し訳なくて頭を下げたが、ライサンダーは首を横に振った。


「そちらにも事情がある、無理はなさらないでください。それよりソロオーディションとは?」


 興味を示すような事柄じゃないだろうし、まさか聞かれるとは思わなかった。


「私、合唱部でね、今度コンクールに出るの」

「それは素晴らしい事ですね。頑張ってください」


 応援を素直に受け取れずに苦笑いしてしまう


「まぁ頑張りはするんだけどね、自分のできる範囲で頑張りたいっていうか……」

「どういうことでしょう?」

「コンクールで歌う曲にソロパートがあるんだけど、それを歌う人のオーディションに出ろって言われちゃったの。それがちょっと微妙でね


 ついついポロリと余計な事まで話してしまう。どうやらライサンダーと話していると口が軽くなるらしい。


「何故、微妙なのです? 歌うのがお好きだから、合唱部に入ったのでしょう?」


 直球に投げかけられる言葉にたじろいでしまう。まるで自分が悪いことでもしてる気分だ。


「うーんと、歌うのは好きだよ。でもね、人と争ってまでソロはやりたくないし、他にやりたい人がいるのなら、その人にやってもらった方が良いんじゃないかなって」

「そんな、勿体ない! あなたの歌は素晴らしいのに!」

「そんなことないよ」


 反応が大袈裟に感じて否定したけど、ライサンダーは不服そうに眉根を寄せた。


「どうしてそんなに自分の歌を卑下するのです?」


 咎めるような視線を送ってくるライサンダーは、きっと話さなくては納得してくれないだろう。だから私も覚悟を決めて、今まで誰にも言わなかったことを口にする。


「歌って、“何か”のために歌うものだと思うの」


 平和への願い、感謝や思慕、神様への賛美でも何でも良い。

 親しい人のため、不特定多数の誰かのため、神様へ向けてでも良い。“自分(うち)”では無く、外へ向けて歌うのだ。


「でも私は自分のためにしか歌えない」


 リクエストされて歌うこともあるけど、それは歌う歌を指定されているだけで、結局は歌う大義名分を手に入れて、自分のために歌っていると思う。


 自分が世界を感じるためにしか歌えない。そんな私の歌が、誰かの心を響かせることは出来ないだろう。

 俯き黙り込んでいるとライサンダーは優しく声をかけてくれた。


「綾、歌は好きですか?」

「うん、好き」


 それだけは断言できる。


「では歌ってみてください。どんな歌でも構いません」


 いきなりのリクエストに戸惑いつつ、言われた通り、頭の中に一番最初に浮かんだ歌を歌い出せば、すぐさま音が私の中を満たし、もやもやしている気持ちは全て霧散する。


「——歌には力があります。心に響き、動かす力が。時に鼓舞し、慰め、愛を伝える永久不変の力。気持ちのこもった歌にのみ宿る力です」


 歌い終えた私に、ライサンダーは諭すように語りかけてくる。


「綾、あなたの歌にはその力が宿っています。真に自分のためだけに歌っている者には、決して宿らない力です。あなたはちゃんと“何か”のために歌っているのですよ」


 ライサンダーは柔らかく微笑んで、答えを告げる。


「あなたは世界のために歌っているのです」


 スケールが大きすぎる対象に、私の口はあんぐりと開く。


「あなたは自分のためと言っていますが、あなたも世界の一部。あなたが歌った時、世界の喜びの声が聞こえました。人であるあなたには聞こえないのが残念でなりません。こんなにも歓喜に満ち溢れているのに」


 語るライサンダーの瞳は煌めいていて、彼の観ている光景や聞いている音を、私も切望してしまう。もし私も聞けたなら、こんなに悩まずにも済んだかもしれない。


「あなたの歌は透明で澄みわたり、人に力を与える歌です。きっとあなたの歌に励まされた人が必ずいるはずですよ」

「……そうかな?」

「ええ、そうです」


 力づけてくれるような微笑みに体が暖かくなる。彼が言うとおり、そんな人が現れてくれれば自信が持てるだろう。


「あなたが自分の歌に誇りを持てた時、あなたの歌はもっと昇華されることでしょう」


 その言葉は優しく、不思議とそうかもしれないという気分にされた。ただ、彼の言葉を本当に理解するにはもう少し、自分や歌について考えてみた方が良いだろう。


「うん、頑張ってみる」

「はい。応援しています。」


 ライサンダーは優しく頷いてくれた。 

 何だか照れてしまって、誤魔化そうと違う話題を振ってみる。


「そういえばライサンダーも歌うのよね。しかも上手だった」

「ありがとうございます。妖精は皆、歌うのです。魂の歌声を聞き、心の信ずるままに」


 季節の訪れや祭りの時、儀式や普段の何気ない時にも歌い、それは美しい大合唱になるらしい。楽しそうに話す彼の様子に聞いてみたくなる。


「中でも魔女の歌は素晴らしかった。全てを慈しみ、包み込み、溢れる命をまんべんなく分け与えるものでした」

 思い返すように遠くを見つめながらつぶやく彼の瞳は、決して自分を閉じ込めた者に対して向けるようなまなざしではない。どこか違和感を覚えて首を傾げる。


「ライサンダー。魔女って悪い人なのよね?」


 口にして、自分で馬鹿みたいな質問だと思った。

 悪いことをしたら悪者、みたいな単純な子供じみた考え方。でも、その質問にライサンダーは曖昧な笑みを浮かべただけで、答えてはくれなかった。

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