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05

 決心したのは良いけど、大事なことに今更ながらに気付く。

 捜し方がわからない。

 まさか「あなたはライサンダーの映し人ですか?」なんて聞いて回るわけにもいかない。聞いたところで首を傾げられるだろうし、自分でわかるものだとは思えない。だって私達は普通の人間だし。


 どうやって捜すのか聞きたくても、彼とはあれ以来会えていない。一週間も毎晩、鏡の前で待っていたが、鏡は鏡のままだった。

夢だったなんて思いたくないのに、過ぎ行く日にちが認めてしまえと迫ってくる。紗衣ちゃんももうこの話をしないし、私もできずにいた。


 鬱々とした気分を抱えながらの部活は気乗りがしなく、ようやく終わった事に安堵して、深く息を吐く。そんな気分を払いのけたくて、私は新鮮な空気でも吸い込もうと窓のそばに寄った。外をそっと見やれば、校舎脇にある道場が目に入った。剣道部が熱心に練習をしており、竹刀を打ち付ける音が度々聞こえる。


 そういえば、騎士と言えば剣を使う。ならば、騎士たるライサンダーの映し人も剣を使えるかもしれない。剣道は正確には刀かもしれないけど、そう違いはないはず。


 思い当たればそんな気がして、剣道場を凝視してしまう。しかし、平屋建ての剣道場の中が、三階にある音楽室から見えるわけがなくて、視界に映るのは屋根だけだ。でも視線を外せずに見ていると、道場から一人、出てきた。


 その男子は肩にかけたタオルで額の汗を拭いなら進み出て、ふいにこちらを見上げた。当然、目が合ってしまう。思いがけず交わった視線に、その男子——坂上君は硬直した。

 最近知った坂上君は、そういえば紗衣ちゃんが剣道部だと言っていた。紺の袴はストイックで、とても良く似合っている。うん、袴ってかっこいい。


 そんな風に思考を巡らせていると、随分と凝視してしまっていたのだろう、坂上君の顔には困惑が浮かんでいる。


「鈴代さん、ちょっと良いかしら?」


 どうしたものかと考えあぐねていると、ちょうど良いタイミングで顧問の先生に呼ばれた。


「はーい」


 私はこれ幸いと視線を外し、窓から離れる。

 困らせてごめんね、坂上君。でも袴姿は眼福でした。ありがとう。

 伝わる事の無い謝罪を思い浮かべて、私は先生の待つピアノの側へ急いだ。が、助け船はどうやら泥船だったらしい。


「鈴代さん、オーディションに参加の申し込みがされていないけど、参加しないつもりなの?」


 先生の、声を潜めもしない発言に、部員達の神経がこちらに集中していくのがわかる。皆、部活は終わってるのに何故帰っていないのか。

 内心、辟易しているのを務めて隠しつつ、首を傾げる。


「参加は希望者のみと聞いていますが?」


 先生相手では「やりたくないんだよ!」とは言えず、仄めかすだけにしておく。

 ていうか参加の申し込みも締め切ってるし、この話はここで終わりにしたい。


「いいえ、希望者“のみ”とした記憶は無いわ。参加したい人と、すべき人が参加するのが一番だもの」


 何と言う小理屈。いや、この場合は正論と言うべきなのか。どっちにしても、この物言いはとっても良くない。


「あなたも参加すること。良いわね?」


 案の定、先生は望まぬ指示を出す。きっぱりとした言い方は、反論を許さない様子だ。

 先生のことは嫌いじゃないが、時折見せるこの強引な部分は正直困る。もちろん断る事もできるだろうが、その後の部活動は居心地の悪いものとなるだろう。


「……はい、わかりました」


 しぶしぶ私は了承を告げると先生は満足したのか、楽譜を持って去って行った。

 残された私の様子を皆が窺っているのを感じて、これ以上それに晒されたくなくて、私は乱暴に荷物を掴むと足早に音楽室を出た。


 ただ歌いたいだけ。

 人に言われるのではなく、歌いたい時に好きな歌を、好きなように。

 それが許されないのが酷く腹立たしくて、足元が疎かになっていたのか、少しでも遠ざかりたくて急いでいたせいか、私は階段から足を滑らせて落ちた。


 幸い踏み外したのは数段で、少し転んだ程度で済んだが、擦りむいた膝がヒリヒリする。泣きっ面に蜂。弱り目に祟り目だ。


「大丈夫ですか?」

「あ、はい、大丈——ぶぅうっ!?」


 顔をあげて驚愕のあまり目玉がスポーンッ! と飛び出そうになった。

 踊り場にかかっている大きな鏡に、王子様——じゃなかった、ライサンダーが佇んでいる。マントをはためかせ、湖面のような澄んだ瞳が揺れている。


「ラ、ライサンダー!?」

「はい、そうです。……大丈夫ですか、アヤ?」

「うん、大丈夫! それより会いたかった!」


 立ち上がって鏡に近寄り、触れようとして手を引っ込める。触ってしまったら、彼が消えてしまう気がしたからだ。


「長く連絡できずにすみません。魔女の力が弱まっている時しか繋げられないのです。それにこうしているのも力を消耗して……」


 歯痒そうに俯くライサンダーはどんな時でも騎士として誇りを忘れていないのだろう。まるで、美術館にかかっている絵画のようで、見惚れてしまう。


「気にしないで、仕方ないもん」


 彼と話していればさっきまでのもやもやを吹き飛ばせる。それだけで充分。それに、これで聞きたかったことも聞ける。


「じゃあ手短に聞くけど、映し人ってどうやって捜し出せば良いの? なにか確かめる方法とか無いの? 聞いてなかったなって」


 見分け方はかなり切実に必要だ。でもライサンダーは口に手を当てうつむき加減で考え込みだし、黙っている。かなり時間がかかり、私まで首を傾げてしまう。もし無いと言われたら途方にくれるしかない。


「ラ、ライサンダー? まさか無いとかいわないよね?」


 上ずった声で話しかけるとようやくライサンダーはこちらを向いてくれた。


「方法は……あります。あるのですが、難しいのです」

「難しい?」


 ライサンダーは頷いた。


「魂の歌を聞かせれば良いのです」

「魂の歌?」

「はい」


 ふっと顔の緊張が緩み、笑顔になる。


「魂はいつでも歌っています。それは一人ひとり違う歌で、似ているものもありますが、基本は違う歌です。これを同じ魂を持つ映し人に聞かせることができれば、何らかの反応があるでしょう。ですが人の身でこの歌を歌うのは難しいのです」


 微笑んではいるものの、眉が下がって困り顔だ。それほどまでに言う歌を聞いてみたくて仕方がない。


「ねぇ歌ってみせて」


 せがむとライサンダーは首を振った。


「魂の歌はそれ自体に力があるのです。今歌えば魔女に気付かれてしまう」

「でも、それしか確かめる方法は無いんでしょう? 気付かれないように歌えないの?」


 眉間にしわを寄せ、視線をそらされる。

 しつこすぎたかもしれない。反省して一歩後ろに下がり俯くと、耳にかすかに空気の震える音が届く。ライサンダーが静かに、けれど力強く歌い出していた。


 体中が揺さぶられて、今にも飛んでしまいそうだった。鳥肌が立ち背筋はゾクゾクして、その歌に奮える。木漏れ日だった彼が、葉っぱの影から本当の姿を現したかのようで、その熱さに身も心も焦がされそうなほど惹かれてしまう。

 これが魂の歌。


「——理解していただけましたか?」


 歌は短くすぐに止められたが、それでも高揚は収まらない。もっと聞きたい、すぐにそう考えてしまうほど素晴らしい歌で、彼が歌い終えても私は口がきけずにいた。

 ライサンダーの言う通り、この歌を歌うのは難しいだろう。


 音程や、日本語じゃない歌詞が問題というわけではなく、“魂の歌”という力を持つ歌を歌うのに、人というのは少し幻想から離れすぎている。

 けれど簡単に諦めるほど、私は聞き分けが良くない。背筋を伸ばして顔を上げ、瞳を閉じた。

 一度きりしか聞いたことのない歌を歌うのは苦手じゃない。旋律は体や心に残っているし、耳が覚えていてくれる。それをなぞっていけば良いだけだ。


 深く息を吸い込めば、世界の一部になる準備は整う。後は取り込んだものを吐き出して世界に返す。その時、呼吸は歌となる。

 最初はたどたどしく、段々伸びやかに歌いながらライサンダーに笑いかける。彼の大きく開かれた目と口が、きちんと歌えていることの証明だ。


「どんなもん?」


 腰に手をあて、ふんぞりかえって小首をかしげる。歌詞は若干適当だったけど確かにやり遂げたという自信はあった。


「まさか歌えるとは——!」


 目を見開き、息を呑んでいたライサンダーは気を取り戻し、拍手とともに賛美を送ってくれる。

 私は軽くスカートの裾を持ってすましたお辞儀をした。


「ありがとう。私、耳には自信があるの。後は映し人を見つけて聞かせるだけね」

「はい! ですが気を付けて下さい。先程も言いましたが魂の歌はそれ自体に力がある。おいそれと歌って良いものではないのです。魔女に気付かれる可能性も高い」


 よっぽど注意して欲しいのだろう。真剣な面持ちだった。それだけ私に賭けているのがわかって、より一層やる気が燃える。


「わかった。気を付ける」


 小指を立てて誓う。彼には通じないが、自分にできる一番の誠意の見せ方だ。

 話がひと段落したが、ライサンダーはまだ消える気配が無い。時間があるのならば、好奇心に負けて、映し人捜しには関係ないことを聞いてみる。


「ねぇ、ライサンダーって妖精でしょ? 住んでいたのは妖精の世界だよね?」

「そうですね。たくさんの妖精が住まう幻想郷です」

「そこにも人間はいるの?」


 期待を込めて聞いてみたが、ライサンダーは首を横に振った。


「いいえ。妖精しか住んでいません」

「でも、魔女はいるんだよね?」


 妖精は妖精、人ではないけれど、魔女と言えば魔法を使える人間という認識だ。その魔女が住んでいるなら住める気もするが、やはり魔法が使えるかどうかが肝心なのかもしれない。

 そんな私の思考を感じ取ったのか、ライサンダーが落ち着いた声で説明をしてくれる。


「魔女というのは妖精の世界での地位です。私達妖精は、世界に生命の源を循環させることが仕事です。王が世界を支え、女王が力を生み出し、魔女は力が偏らずきちんと循環するように調律する。とても大事な仕事です」


 そうやって聞くと魔女というのは悪い人では無く、重要な人物……いや妖精物? になる。


「なのに、そんな人がライサンダーをそんな所に閉じ込めたの? まさか魔女は王座を乗っ取るつもり?」


 魔女が王国を乗っ取って自分の好きなようにするとか、あり得ない話じゃない。子供向けのアニメなんかじゃよくある。だから真剣に言ったつもりなのに、ライサンダーは声を出して笑った。悪気が無いのはわかっているが少しだけむくれてしまう。


「すみません、不快にさせるつもりは……」


 コホンと咳払いして顔を整え、騎士は整然とした姿に戻る。


「王と女王、魔女は替えが利かない重要な地位なのです。それぞれが予言によって選ばれる不動の地位で、誰も変えることはできない。それに魔女は自分の役目に誇りを持った立派な方でした」


 だからこそ、どうしてこんなことをしたのかわからない。

 悲痛につぶやかれた言葉は胸を突き刺す。うつむく彼の姿は儚げで、声をかけたら掻き消えてしまいそうなほどか細い。


「ライサンダー! 私、絶対あなたを助け出してみるよ。だから信じて!」

「ありがとうございます」


 マントを軽く広げながら優雅にお辞儀をする。凛々しいその姿に本当に彼は騎士なのだと実感した。

やっぱりそういう姿でいるほうがずっと良い。その為ならいくらでも力を貸そう。

 心躍らせているとライサンダーは顔を上げ、軽く辺りを見回した。真剣な表情につられて私も真顔になる。


「実は先ほどから、映し人が近くにいる気配がするのですが……」

「本当!? どの辺に?」


 首を上下左右に動かすが見える範囲には誰もいない。けれど静かな中に話し声と階段を上ってくる足音が聞こえた。


「誰か来るようですね。アヤ、私はあなたに期待していますが、無理はなさらないでください。また近いうちに……」


 それだけ言い終えると、彼の姿はもやとなり消え去った。自分の意思で引っ込んだせいか、前回よりも消えていくスピードが速く、余韻も何もない。


「あれ、綾ちゃん?」


 彼が消えたのと同時に声をかけられて、心臓が飛び上がる。早鐘を打つ心臓を押さえつつ上ってきた人物を踊り場から見下ろせば、相変わらず爽やかな律君が携帯を手にして見上げている。彼に罪はないのはわかっているけれど、知らず知らず恨みがましい目をしてしまい、律君はたじろいだ。

 もっとヒントが貰えたかも知れないのにコンチクショウ。

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