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03

 あり得ない。

 誰でもそう思ってしまうことを信じさせるのってすごく難しい。それが現実的な親友であるならなおのこと。賛同して喜んで欲しいとまではいかなくても、驚愕するくらいして欲しいものだ。


「夢だったってオチはないわよね? 鏡にテレビが映っただけってこともないわよね?」


 昨日の電話でも散々された確認に、何だか馬鹿にされている気さえする。せっかく晴れた気持ちのいい朝なのに、気分はどんより曇りそうだ。まだ学校へ向かっている最中だというのに、さっさと家に帰って不貞寝でもきめこみたくなる。けれど、そうはいかないのが現実世界の面倒なところ。


「小指に誓って嘘はついてないよ」


 顔の前で小指を立てて宣誓する。

私達の間の決まりごとで、嘘をつかないと指きりげんまんしたのは小学生の頃。それ以来、何かを誓うのは小指にかけてだ。


「そこまで真剣に誓わなくても……。でもにわかには信じられないわ」

 ため息交じりに肩を竦められる。


 確かに私だって「この世に不可思議なことは存在しない」と断言されたら、中々認められないだろう。それを人に押し付けるのは、ちょっと違う。でも親友には信じて欲しいと思うのももっともな感情だ。


「その場に紗衣ちゃんもいれば良かったのに。そしたら信じられたよ」

「そりゃあ、自分の目で見れば誰だって——そうよ、その通りよ!」


 お互い顔を見合わせて頷き合い、同時に人差し指を前に出して口を開く。


「見ればいいんじゃない!」


 至極簡単なことだ。

 彼女の言った通り自分の目で見れば信じざるを得ない。だって、それを疑うってことは自分を疑うことだからだ。


「それじゃ決まりね。ちょうど金曜だし、今日、泊まりに行くわ」

「そうしよう、そうしよう! 久しぶりだね、来るの!」


 昔はよく泊まりに来ていたけど、大きくなってそれぞれの交流の輪が広がると、そんな機会も減っていた。久々のことに紗衣ちゃんも嬉しそうに顔をほころばせてくれ、段々楽しくなってきた。


 足取り軽く校門を入り、そろそろ朝練習を終えようとしている運動部の横を抜け、昇降口に入る。その間も今日の計画のことで盛り上がり続け、誰もいない教室に入っても、その話は途切れることはなかった。


「お菓子も買い込んで帰ろうよ。夜更かししないと、いつ彼が来るかわからないもん」

「良いわね。そういえば、この前美味しいって言ってたやつの新作、出てたわよ」

「うわぁ! 絶対買う!」


 鞄を机の横にかけて椅子に腰掛ける。いつも憂鬱になる今日の授業の準備さえ、今は楽しい。先に楽しいことがあるだけで、気持ちがぐっと明るくなった。


「随分楽しそうね。少し良い?」


 意地の悪そうな気取った声。

 いつの間にか女子が三人、ふんぞり返って立っている。ちょうど三角形の形に立っていて、先頭に立つ人は見覚えがある。去年同じクラスだった人で、控えめな表現をするならば、そりの合わない人。


「何か用、高谷さん?」


 先ほどまでとは全然違う、事務的口調で紗衣ちゃんが尋ねる。丁寧な言い方をしているが、顔には「めんどくせぇ」と書いてある。


「ええ、少しね。本当はこんなこと言いたくないんだけど、あなたのためを思って言うのよ、私」


 もったいぶったまわりくどい言い方。

 こういう時は大体人のためというより、自分のための話なのが世の常。しかも内容が予測できてしまうのが哀しいところだ。


「篠宮さん、あなたちょっと律になれなれしすぎないかしら?」


 予想を裏切らない出だしに、心の中でため息だ。こっちがうんざりしているのも知らないふりして彼女は続ける。


「委員長という仕事柄、話す必要性があるのは理解しているけど、やっぱり快く思わない人もいると思うの。彼、ステキだし」


 目配せされた後ろの二人は同じ様に、自分は優しいんですよと言いたげな笑みを浮かべる。三人は何だかそっくりで滑稽だ。


「残念だけど、あなた方が何を言いたいか、私にはわからないわ」

「だからぁ……ねぇ?」


 三人でくすくす笑い合う。

 見下ろす目は明らかに馬鹿にしているが、紗衣ちゃんはそれに臆することなくすっと立ち上がり、背筋の伸びた綺麗な、凛とした様で言い放つ。


「彼とはクラスメイト以上の態度を取ったことはないし、あちらもそのはずよ。私にそんなこと言いに来るより、彼に言った方が良いわ。向こうから来るんだもの」


 ああ、それ言っちゃダメ!

 そう思ったのが早いか、言ったのが早いか、私は頭を抱え込んだ。案の定、取り巻き二人が激昂するには充分だったようだ。


「何それ? 自分が律に好かれてるとでも、思ってるの? 勘違いしないでよ!」

「彼、誰とだって仲良いんだからね。話しかけられてるからって、調子に乗らないで! 委員長だから余計に話しかけられてるだけなんだから!」


 ああだ、こうだと言う彼女達はうっかり本音が見え隠れしている。人に言ってることが自分達にも当てはまるということに気付いていないみたい。ますます滑稽で愚かしい。

 高谷さんは唯一冷静で、ただじっと二人の言い分を背中で聞きながら、紗衣ちゃんを見つめていた。その視線がすっと私に移り、意味ありげに細まる。それから穏やかな笑顔。


「ねぇ鈴代さん。あなたからも言ってくれないかしら。あなたは私達の言いたいこと、わかるわよね?」


 なんだか親しげな雰囲気を醸し出しているが、彼女と仲良くなった記憶は無い。去年、私という人物がどれだけ異質で浮いているかを語る以外に、話しかけられたことすら無いのに。

 どうせろくでもない目論見があるのだろうが、私は思ったことをそのまま口にする。


「ごめんね、高谷さん。お役に立てそうにないよ。紗衣ちゃんの方が正しいもの」


 一部を除いてね、と心の中で付け加えながら、友好的な表情を返してあげる。向こうも同じような顔をしているが目は冷え切り、この瞬間に私も敵だと認識したようだ。


「——やっぱり仕方ないのかしら?」


 ふいに声のトーンが下がり、顔は笑顔のままなのだが陰湿さはぬぐえていない。


「魔法だの妖精だの言う人と友達なくらいだし、現実世界に馴染めないんでしょう、あなたも。それなら理解できないのも仕方ないわね」

 くすくす、くすくす、隠れていない忍び笑いには嘲りと悪意が丸見えで、人をだしに使ってまで紗衣ちゃんを扱き下ろす。


「ちょっと綾は関係な——」

「伝わらないのは現実世界のことじゃなくて、あなた方のくだらない見栄だよ」


 紗衣ちゃんがいきり立つ前に、私の言葉が彼女達を凍らせた。


「律君が好きなら本人にそう言ってきなよ。抜け駆け禁止? 彼はみんなのもの? 違うよ、彼は彼のものだ。そんなこともわからずに騒ぎ立てている人達に、誰が心を預けると思うの? 挙句の果てには誰と仲良くするのもダメ、ダメ。心を手に入れる前からがんじがらめに縛って、彼に自由はないの?」


 立ち上がり、呆ける親友を押しのけて進み出る。私がどんどん詰め寄る度に、三人は後ろへ下がっていった。


「あなた達は彼が自分以外の人のものになって欲しくないだけじゃない。自分のプライドと恋心を守るために。そんな自分本位な想いじゃ誰にも届かないよ。まるで大荒れの吹雪みたい。全てを覆い隠して見えなくして暖かさを奪っていく」


 北風と太陽の話を知らないのだろうか。旅人を律君だとすれば、暖かい陽だまりのような紗衣ちゃんに寄って行ってしまうのも無理はない。人は温もりを求めるものなのだから。

 つらつらと並び立てた言葉は完全に相手を封じて、彼女達の瞳はビー玉みたいにまん丸になり、あっけにとられている。一番早く我に返ったのは高谷さんだ。


「言わせておけば……っ!」


 振り上げられる手に目を閉じる。

結局私も自分のエゴのために意見を口にしただけなのだから、その報いは甘んじて受け入れなければ。

 けれど振り下ろされるはずだった手は降りてこない。ゆっくりまぶたを上げると、知らない顔が増えていた。


 すごく背の高い男の子が高谷さんの手首を握り締め、見下ろしている。本人は特に何の表情も浮かべているつもりはないのだろうが、高身長からくる威圧と感情の読み取れない目が、怒っている様で怖かった。


「律、いる?」


 一同、拍子抜けだ。この緊迫した状況で見ればわかることを聞かれるとは思わなかった。


「……い、いないと思うわ…」


 代表して紗衣ちゃんが答えると、するりと掴んでいた手を離して彼はため息をついた。


「来たら俺が来たこと言っておいてくれ」


 それだけ言うと、あたかも何もなかったかのように教室の外へ出ていってしまう。ただ去り際に一瞬私と目が合い、何だか気まずい思いをした。

 立つ鳥は跡を濁しまくって行き、何とも言えぬ沈黙が場を支配する。


「と、とりあえず、気を付けてよね」


 居辛さに耐えかねてか、三人は捨て台詞を吐くと走り去って行った。

 すっかり見えなくなると、鼻息荒い様子で紗衣ちゃんはこっちを見てきた。


「全く、一体何なの? あの人達には私が芹澤律に迷惑かけられているのが、楽しそうに見えるのかしら!」


 正直に言えば〝見える〟だ。紗衣ちゃんにその気はなくても、とても仲良さげ。でも口には出さない。


「大体、綾! 私に売られたケンカなのに、どうして綾が買うのよ! おかげで不完全燃焼だわ」

「そんなこと言ったって、私だって腹立ったんだもん」


 つーんとそっぽを向く。

 私を馬鹿にするのはともかく、親友までその対象にされて静かにしていられるほど、私の導火線は長くない。けれど冷めやすいのも長所だと自覚していて、まだかっかとしている紗衣ちゃんとは逆に、私は結構落ち着いていた。


「気分転換が必要ね。綾、リクエストよ。この前観に行った映画の主題歌が良いわ。歌える?」


 突拍子もないがこうやってリクエストされるのはよくあることだ。ちょっと大げさにかしこまったお辞儀の真似をする。


「リクエスト承り、光栄です」


 目を閉じて曲を思い出す。

 主題歌はヒロインの女性が歌う恋の歌だった。綺麗な歌で今度CDを借りようと思っていたけど忘れていた。だから聞いたのは映画を観た時一度きり。歌詞はうろ覚えだけど何とかなるだろう。

目を開き自然と笑みがこぼれる。軽く口を開き息を吸い、私は歌いだした。


 世界と同化できる瞬間、それだけのために私は歌う。

 それでも歌い終わり、他の人達が登校してくる前には紗衣ちゃんの怒りも収まっていた。


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