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02

 歌を歌うのは大好きだ。いつも息をするのと同じように歌っていた。

 歌えればそれで良いし、本当は部活にする気もなかった。でも部活動は全員やる決まりだし、他に良い部活もないから入ったまでだ。ただ歌えれば良い、本当にそれだけ。そこらへんで歌っているだけでも構わない。


 呼吸から生み出される歌は大気に溶け風となって世界を巡り、私に戻ってくる。その循環の一部に組み込まれた時、私は世界と一つになれる。その瞬間がとても好きで、目をつむれば色々な情景が見えるよう。


 希望の歌なら果てしなく続く空や海が。

 絶望の歌なら深淵の闇が。

 旅人の歌なら砂漠かもしれないし、どこかの国かもしれない。


 行ったことはなくても歌がその場所を教えてくれる。世界と同化すればどんなことも可能になるのだ。

でも現実に戻るのは一瞬。


「綾! 近所迷惑になるでしょ!」


 一階から叫ぶお母さんの声でやっと自分の声の大きさを自覚する。

確かにドライヤーをかけながら歌っていたんじゃ仕方ないかもしれない。気付かぬうちにかなりの声量になっていたんだろう。それを怒るお母さんの声とどちらの方が大きいかは、ひとまず置いておいて。


 数分後には忘れている反省をしながらドライヤーを片付けるていると、ふと棚の横に佇む全身鏡が目に入ってしまう。


 紗衣ちゃんは見間違いと言い張ったけど、何かを見たのは確かだ。それが何であれ一度あったことはもう一度あるかもしれない。ほのかな期待と不安が入り混じる。


 好奇心に抵抗せず、鏡に近寄りじっと見つめれば、鏡は何の変哲も無く部屋の中を映している。部屋には見間違えそうな物は何も無いし、角度的に映ることはないと思っても念の為窓の外も覗いてみるが、向かいの家は道を挟んだ向こう側で、空は雲で覆い隠されて何も見えず、鏡に何かを映してくれる気はなさそうだ。


 もう一度鏡のそばへ近寄り覗き込めば、鏡の向こうから私がまん丸の目で見てきた。


「鏡よ、鏡、教えておくれ。昨日映ったものは何なんだい? なぁんて――えっ!?」


 冗談混じりに軽くつついた場所から波紋が広がり、景色が歪み始める。それは大きくなって鏡全体に広がって光が揺蕩い、それが落ち着いてくるとゆっくりと何かが浮かび上がり、人の形をとっていく。


「——突然の無礼、お許しください」


 映ったのは王子様みたい男で、金髪に碧眼、まさに白馬に乗っていそうな出で立ちだ。外套をなびかせる姿は、本の中からそのまま出て来たようで凛々しい。浮かべる表情は穏やかですべてを包み込んでくれる気さえする。何よりもイケメンで、手を胸に当てかしこまる姿は様になっている。


「私はライサンダー。妖精王・オベロンに仕える騎士です。どうかお名前をお聞かせ願えますか?」


 ぼーっとする私を琥珀色の瞳が見つめる。その色に吸い込まれかけながらぽつりと名前を名乗る。


「綾。鈴代綾です」

「アヤ、すてきなお名前ですね」


 そう言われると当たり前だった名前が、いきなりとてつもなく良いものに思えた。これからは名前を大事にしようと決心した。


「アヤ。突然のことで驚かれているでしょうが、どうか私の話を聞いてください。あなたに助けていただきたいのです」

「助ける?」


 よくある展開に心が躍るのを止められない。

 今までとは違う何かが起こり、助けを求められる、ステキすぎる展開。大きく深呼吸をしてから正座をして、聞く体勢を整える。話の端々にどんなヒントがあるかわからない。


「もちろん手伝います。まず事情を聞かせてくれますか?」


 前向きな態度が嬉しかったのか、ライサンダーは微笑んでくれた。

 彼はそう、木漏れ日みたいな人だ。強すぎず弱すぎず、ほのかな温もりを葉っぱの影からくれる。気付き辛いけど、確かにそこに存在して力を貸してくれる感じ。


「実は私は今、魔女の手によって次元の狭間に閉じ込められているのです」

「魔女!」


 魔女といわれて想像するのは、黒いローブを着て腰の曲がった鉤鼻のおばあさんだ。白雪姫の継母もそういう姿になったりするし、悪い魔女というとそんなイメージ。個人的にはお色気満点の熟女系の魔女が好みではある。しかし、今は置いておこう。


「あなたの世界には魔女がいるの?」

「はい。魔女はとても強い力を持っています。抗おうとしたのですが力及ばず、次元の狭間に落とされてしまいました」


 それは騎士と名乗る彼にとって相当悔しいものなのだろう。拳をぎゅっと強く握り唇を噛み締めている。その姿が痛々しくて気をそらせようと、話の先を促した。


「あなたは妖精なのよね? やっぱり妖精は存在するのよね?」


 言ってからちょっと失礼かなと思ったが、すでに言葉は出てしまった後だ。目の前にいる人が妖精ですって言ってるのに、疑うような馬鹿な質問だったけれど、ライサンダーは気に障った素振りも見せず、肯定してくれる。


「はい、存在します。ただしあなた方のいる世界とは別の世界に。普段私がいる世界とあなた方のいる世界は——」

「カード? コイン? の裏表みたいなものなのでしょう? どっちかがあるから両方存在できる、的な!」


 物語の中ではよく出てくるパターン。だから言ったのだけど、彼は驚きを隠せないようだった。


「理解が早くて助かります」


 軽く頷きながら表情を戻し、話を続ける。

 彼は表裏一体の世界の狭間、カードで言うなら紙の部分にいるらしい。それってすごく大変じゃない。だって動けないもの。


「どちらかの世界にいるのであれば己の力でどうにかできますが、ここでは本来の力が発揮できないのです。そこでどちらかの世界に行きたいのですが、その為には引っ張って頂く必要があるのです」

「どうやって?」


 まさか言葉通りに「よっこらせ」と腕を掴んで引っ張るわけではないはずだ。鏡の向こう側は触れないし、こっちに来れなくて困っている彼が腕を「はい、どうぞ」と差し出すわけでもない。


「私達の世界のことを先ほどカードの裏表と言いましたが、それよりも当てはまるのは鏡です。両方がお互いを映しあっている。空、海、空気、もちろん人も」


 それぞれの世界には魂を同じとする人が存在する。魂の奥底で繋がっている二人は、まるで魂の双子。そしてその存在を〝映し人〟と言うと、ライサンダーは教えてくれた。


「映し人同士は引かれ合います。それを利用して、そちらの世界に行くことはできないかと考えているのです」

「なるほど。繋がっている相手に魂ごと引っ張って貰うのね」


 となれば話は早い。彼がわざわざ私に話しかけてきたということは——。


「私があなたの映し人なのね!」

「違います」


 鈍い音と共に鏡に頭を打ち付ける。

 勝手に盛り上がったとはいえ、即答されると何だか哀しいものがある。鏡の奥から心配そうに顔を覗き込まれれば尚更だ。誤魔化し笑いでその場を繕って、額をさすりながら、もう一度背筋を正す。


「私じゃないなら誰なの?」

「わかりません」


 苦い顔でライサンダーは告げる。


「私には誰が私の映し人なのかわかりません。そして、そちらに捜しにもいけない。だから、あなたに捜して頂きたいのです」

「それは構わないとして、おおよその見当とかつかないの? この辺にいれば良いけど海外とかだったらお手上げだし」


 彼の外見は日本人というより外国人っぽいのだから、有り得ない話じゃないと思う。さすがに飛行機に乗ったり、新幹線、船、その他諸々にまで乗って捜しに行くっていうのは、現実的ではない。

 ライサンダーは力なく首を振った。


「残念ながら……。ですが、おそらくあなたのそばにいるでしょう」


 明言はしないけど、どこか確信めいたものがあるみたいな言い方だ。


「私のそばに? なら、私の所じゃなくて、その人の所に直接行った方が良かったんじゃないの?」


 もちろん私としては、こんな不思議現象に出会えたのだから嬉しい限りだが、脱出するなら早い方が良い。


「どこにでも繋げられるわけでは無いのです。こうしてここに現れたのも、繋ぎやすい波長をたどってきたからなのです」


 周波数的な何かが合ったってことなのかな?

 ならやっぱり私は彼と似ているのかもしれない。私に兄弟でもいれば、ライサンダーの映し人だったかもしれないのに。


「わかった、捜してみるよ」


 トンと拳を胸に当てる。


「絶対あなたを助けてみせるから、待ってて!」


 物語とかでは意外と身近にいる人とかがそうだったりするし、私のそばにいるという言葉を信じてやってみるしかない。


「ありがとうございます。よろ……くおね……い…しま——」


 ふいにライサンダーの姿がぶれ、電波状況の悪いテレビみたいな感じになり、ぷっつりと騎士の姿は消えてしまう。


「ライサンダー?」


 何度か呼びかけてみても何の反応も返ってこず、鏡は元に戻ってしまった。

 それでも構わない。確かに私は彼と話をしたし、頼まれごとをした。私が信じていれば問題ない。大事なのは彼を助けることだ。きっとまた何かコンタクトがあるはず。それまでに目星をつけておかなければ。でも何よりもまず先にしなきゃいけないのは——。


「紗衣ちゃんに報告しなきゃ!」


 私はスマホに手を伸ばした。


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