16
光が和らぐと、私の視界には兵士の胸当てが目に入る。気付けば坂上君に抱き留められていたようで、背中から伝わる温もりが熱い。
そっと身じろぎすれば腕の力は緩んで、私は体を離す。
「何が起こったの……?」
「わからない」
事情の呑み込めない人間二人をよそに、妖精たちは歓喜にあふれて、拍手喝采している。
「なぁ、あれ」
坂上君が示したのは、すっかり存在を忘れ去られていた景色を映す水晶で、そこには広く澄み渡る夜空と煌めく星と月。それらに照らされ、生気を取り戻した植物達は生い茂って揺れ、世界は力強い息吹に満ちている。
「ど、どういうこと?」
目をしばたかせて首をかしげてしまう。
「世界の澱みが洗い流されたのです」
ライサンダーの腕の中から、魔女が告げる。
「予言によって王と女王は決められます。お二方はその繋がりにより世界を支えるのです。より繋がりが強い方がきちんと世界を支えられ、多く力を生み出すことができるのです」
「つまり愛し合ってれば世界が安定すること?」
「ええ」
魔女は朗らかに笑んで頷いた。
なんて素晴らしい話。
愛し合っていれば世界は大丈夫なんておとぎ話みたい。でも、これは本当のことだと私は知ることができた。これもなんて幸運なことだろう。
「でもそれだけでは力は偏ってしまう。まんべんなく力を循環させるのが私の務めです。手伝ってくれますか? もう一人の私」
魔女が手を差し出してくる。
その顔はずっと見ていた哀しげな顔なんかじゃない。ライサンダーの言っていた全てを慈しみ、包み込み、溢れる命を全てに分け与える歌を歌うことのできる魔女の顔だ。
「もちろん」
二つ返事で私は応じる。
私達は再び、手を取り合って歌いだす。
歌うのは世界を祝福する歌で、初めての曲なのに歌えるのは、繋いだ手から魔女の心が伝わるからかもしれない。
呼吸から生み出される歌が大気に溶け、風となって世界を巡っていく。私は風に溶けて、水晶越しに見ていた景色を眺め、耳には喜びと感謝の声が聞こえる。
これがライサンダーの言っていた世界の声。
暖かくて、純粋で、力をくれる、心を奮わせる命の歌声だ。
私の歌はちゃんと“誰か”に届いていたんだ。
嬉しくて、涙が出そうになるけど、歌う事は止められない。ぎゅっと力を込めてしまった手が握り返されて驚けば、魔女は優しい微笑みを向けてくれていた。
その魔女の肩に手を置きライサンダーが歌に参加する。清廉で温もりのある声が重なって、歌は更に響いて行く。そして女王も離れた所から歌い始めた。彼女に似合う、気高くて美しい暖かい陽だまりの声だ。時々音をはずしているのもご愛敬だろう。
一人、また一人と参加する者が増え、歌は大合唱となっていく。
聞いてみたいと思っていた妖精たちの大合唱に鳥肌が立った。
最後の最後まで参加するものかとすねていた王も、ついに折れて歌い始めた。力強く、どこか茶目っ気の感じる歌声は風のよう。
歌の溶けた風が世界を巡り、力を分け隔てなく循環させ、行き渡らせて私達の元へ戻ってくる。
私達は皆で、世界と同化することができたのだ。
薄い膜のようなものを潜り抜けて、軽く飛び跳ねて着地。そして私は振り返る。
後ろから、普通に歩いて鏡から坂上君が出てくる。
彼は首をコキコキと動かして疲れた様子。二度と剣は持ちたくないってとこかな。お互い、死にかけたしね。
くぐり終えた鏡を振り返ると、そこにはもう一人の私達が手を取り合って、寄り添い合いながら佇んでいる。もう一人の私達と思って見ると、ちょっと近寄りすぎじゃないかとか思っちゃう。
「ありがとうございました。随分と迷惑をかけましたね」
生真面目なライサンダーが頭を下げた。
「ううん、良いの。楽しかったもん」
あると信じていたものが、確かに存在すると知ることができた。もう一人の私にも会えたし、良い事尽くめで、むしろこっちがお礼を言わないといけないくらいだ。
「俺はもう勘弁願いたいな。自分達の世界のことは、そっちで解決してくれ」
でも実際困っていたら、坂上君は助けに行っちゃうんだろうな。
そう思ってしまったら笑みがこぼれて、気付いた坂上君が睨んでくる。
怖くなんかないよーっだ。だって坂上君が本当に優しい人だと知ってるんだから。
「そろそろ行かなくては……」
名残惜しそうに魔女が告げる。
「アヤ、ありがとう。またいつか会いましょう、もう一人の私」
「うん、必ずね」
小指を立てて誓う。その意味を彼女は知らないと思うけど、同じようにやってくれた。もう一人親友が出来たみたいだ。
「王様と女王様にもよろしく」
「伝えておきます」
お偉い方々に気安すぎたのか、ライサンダーは苦笑いしつつも頷いてくれ。
「行きましょう、ハーミア」
「はい、ライサンダー」
ライサンダーがそっと手を引けば、花が綻ぶような笑顔で魔女は応じる。
二人の姿がぼやけ始めて、私は手を振り、坂上君も片手を揚げた。
「あれ、守と綾ちゃんだー」
「あ、本当だ」
曲がり角から紗衣ちゃんと律君が現れ、まだ姿の残る恋人同士に注目する。そんな二人にも笑いかけながら、ライサンダー達は消えていった。後には私達の姿を映す、普通の鏡が残っている。
「すごい演出だね。どういうイベントだったの?」
当然の反応を律君がしてきて、私と坂上君は顔を見合わせ、噴き出す。
「ちょっと教えなさいよ!」
「えーどうしようかなぁ。でもその前に私も教えて欲しいなぁ。どうして二人は仲良く手を繋いでいるのかなぁ?」
突然の遭遇に離す暇がなかったのか、二人はがっちりと手を繋いでいる。にやつく私にからかわれまいと紗衣ちゃんは手を離そうとしたが、嬉しそうに顔を緩めている律君が握り締めて外れない。
「こ、これは、その……! 転びそうになったのを助けて貰って、危ないからそのまま……」
たどたどしく誤魔化そうとする紗衣ちゃんの顔は真っ赤。可愛いったらありゃしない。
「別にそんなんじゃ無いんだからね!」
「はいはい、わかりましたよーっだ」
「それよりまだ競争の途中だろ」
肩を竦める坂上君と私は目配せし合い、同時に駆け出した。先手必勝、油断大敵だ。
あっけにとられたままの二人はすぐに見えなくなって、それでも私達は走り続ける。目の前に明るく光が見えてきた。きっと出口だろう。
あそこをくぐればきっと、今までのことは夢の様に遠ざかっていく。誰に言っても信じてくれないだろうし、理解されないかもしれない。けれど私はあると知っているし信じてくれる人もいる。
そして手に入れたものもある。
「守君」
「ん?」
「ありがとう」
「ん、何が? ——っつか、名前……え?」
普通に返事をした後に気付いて、うろたえた彼はバランスを崩してつんのめった。ぎりぎり転びはしなかったけど膝をついている。滅多になさそうな失態に声を出して笑っちゃう。
「守君のおかげで私、自分の歌に自信が持てそうだよ。まずは部活のオーディションでライバルをばったばったとぶっちぎって、ソロでもやっちゃおうかな」
彼が座っているおかげでちょっと屈むだけで視線が合う。切れ長な目の奥、瞳に誰でもなく、私が映っている。
「ありがとう」
彼がそうしてくれたように、私も手を差し出し立ち上がるのを助ける。必要ないかもしれないけどそうしたいからするんだ。
「俺も力を貰ったからお互い様だ。ソロになれるよう応援してる」
立ち上がりながら約束してくれる。その一言で充分、力が湧いてくる。彼に貸した力が彼に強められて返ってきて、きっともう誰にも負けない。私は無敵になる。
「行こう」
「ああ」
立ち上がっても手は離さずに、私達は出口に向けて走り出した。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。