15
「過ち、だと?」
「ええ。でも、その前に参考人が必要ですわね。ハーミア、お行きなさい」
タイタニアは横に一歩ずれ、後ろに控えていた者を前に出す。
出されたのは漆黒の髪をなびかせた魔女で、ゆっくりと不安げな面持ちで顔を上げ、私と目が合う。弾かれる様に彼女は駆け出し、私を抱きしめた。
「ごめんなさい! 私のせいで迷惑を……!」
「魔女、さん……?」
魔女は肩を震わせ、涙を溢れるままにしている。なんだか憎めなくて、その肩を優しく叩いてあげた。そこに影が降りたので見上げてみれば、坂上君が寄って来ていた。
「あの後、鈴代がいないのに気付いて焦った。事情は魔女から聞いた。どうしてこうなったかもな。戻りたくないって嫌がる魔女を説得するのは大変だったけど、何とかこっちの世界に来られたよ」
剣を構えた兵士の格好は坂上君によく似合っている。そのせいなのか、それとも今死にかけたせいなのか、私の心臓は早鐘を打っている。
「後は女王が手引きしてくれて、こうして助け出す機会を窺うために、兵士に化けてたんだ」
「そう……なん、だ……」
それだけ言うのが精一杯。
気恥ずかしくてまだ泣いている魔女をぎゅっと抱きしめて、顔をうずめた。魔女は良い香りがするから、ドキドキするのはきっとそのせいだ。
「全く忌々しい! もう一人、人間の侵入を許すとは! 兵士達は何をしている! ライサンダー! 騎士としてこの場を収めよ!」
本当に命令ばかりで困った王様。しかし、それに仕える騎士は冷静そのもので、剣を抜きながら真っ直ぐ進んでくる。
最初はゆったり歩き、段々速くなり駆ける。間一髪、私達をかばうように立ちふさがった坂上君がライサンダーの剣を受けた。
「そうはさせないぞ」
「人間が、騎士たる私に勝てるとでも?」
「やってみなきゃわからないさ」
ライサンダーは強いんだと思う。王の騎士ってくらいだし、相当な強さ。一般人なんか目じゃないはず。でも坂上君も負けていない。
剣をたくみに操り攻撃をかわして、時折攻めてすら見せる。二人は押しつ押されつ、すさまじい攻防を繰り広げている。
「そうだ、坂上君、剣道部だった……」
彼の構えにどことなく違和感があるのは、持っているのが刀じゃなく剣だから。それでもあそこまで使えるのなら全然問題ない。それにライサンダーは迷いがあるみたいだった。迷いのある剣はいつもより鈍くなってしまう。
「くそっ……」
いくら鈍くてもやっぱり本職の人には中々敵わず、徐々に坂上君が押されていく。
「坂上君!」
呼びかけた瞬間、ぎりぎりのところで彼はライサンダーの剣を防いだ。
無事を確かめた私から、止めていた息が漏れる。生きた心地がしない。
「王、お願いです、止めさせてください!」
魔女はまだ濡れた顔を持ち上げ、訴えかける。
「全て私の罪です。裁くのならば私を!」
「何言ってるの、ダメだよ、そんなの! 悪いのはあの馬鹿王なんだから!」
「だれが馬鹿だ、誰が! ライサンダー、さっさと倒さないか!」
王の厳しい命令にライサンダーの動きが変わる。優しさが一切消え失せた、攻撃的な剛の剣。ついに坂上君は防戦一方になってしまい、それすらも紙一重でかわしていってるに過ぎなかった。
「坂上君!」
強く弾かれ、坂上君が私達の足元へと転がってくる。
ライサンダーは余裕で、彼が立ち上がるのを待っていて、それが悔しいのか眉間にしわを寄せながら、坂上君は剣を支えにして起き上がった。
「坂上君……」
「良いから、そこで見てろ!」
止めて欲しいけど彼にも意地がある。止めることはできなかった。
立ち向かっていく坂上君の姿は本当にかっこいい。そのそばで私は何が出来るのだろう。ただこうして抱き合ってることだけじゃなく、何かできるはず。そう私達だけにできること—―。
「ねぇ、お願いがあるの」
私は魔女に呼びかける。
「はい、何でもおっしゃってください」
魔女は泣き腫らした目を不安げに私に向け、繋いだ手を軽く握り締めてきた。安心させたくてこんな状況でも私は笑ってあげる。
「歌おう? 歌には力があるんでしょ? 坂上君を応援したいの。力を貸してあげたいの」
繋いだ手を顔の前に持ってくる。彼女の手は暖かくて、何だか懐かしい。ううん、違う——私はこの手を知っている。
浮かぶ言葉も旋律も聞いたことはないが、それでも一緒に歌える。だって知っているから。魂の、心の奥底で、その歌を。
さぁ世界に届けよう。
私達は歌う、私達の魂の歌を。
私達のせいで起きた問題を解決しなくちゃいけない。誰が元凶とか一先ず置いておいて、できることをしよう。
「ハーミア——つっ!」
歌に一瞬気を取られたライサンダーにできた隙を、坂上君は見逃さない。すさまじい音を立ててライサンダーの剣が弾け飛び、壇上に立つ王の前に深々と突き刺さった。
「勝負ありだな」
剣を軽く掲げて軽くポーズ。
坂上君は強がっては見せてるけど、苦戦してたのがわかる。それでも彼は勝った。勝ってくれた。
「くそ! 何をしているライサンダー! それでも私の騎士か!」
叱責にライサンダーはうなだれ、力なく膝をつく。
「あんた、ライサンダーだっけ? 騎士として生きるのは立派だけど、その前にもっと大事なことに気付かないと、手遅れになるぞ」
剣を収めながら坂上君がライサンダーに近寄っていき、手を差し出す。
「言いたい言葉は言いたいと思った時に言うべきなんだ。お前にも言いたいことがあるだろう」
軽く笑みを浮かべながら、そっと私に目配せしてくる。
彼は私に言いたい言葉を伝えてくれた、ステキなタイミングで。そう、だからライサンダーだってそうできるはずなんだ。
だって二人は魂で繋がっているんだから。
ゆっくりと上げられたライサンダーの顔にはもう迷いなんてなかった。ただ少し哀しげだったけど、強い意志が宿っている。そして坂上君の手を借りて立ち上がり、まっすぐ王を見た。
「王、私にはできません。騎士としての忠誠と誇りを失ったつもりはありませんが、私を助けてくれた者達を、愛する人を殺すことはできません」
視線が魔女の方へと移る。
「私はハーミアを愛しているのです」
「ライサンダー!」
魔女は口を覆い、潤んだアメジスト色の瞳を彼に向ける。そして、ゆっくりと歩み寄ってきたライサンダーの腕の中に包み込まれた。
「許してください、ハーミア。私はあなたを支え続けることができなかった……」
「いいえ! いいえ! 私こそあなたの誇りを傷つけるような真似を……! 許してください」
きつく、きつく抱きしめ合う二人は、誰にも邪魔できないくらい愛に溢れて暖かい。二人の喜びが魂を通じて私に流れてくる。優しい顔で見守っている坂上君にもきっと届いているのだろう。
このまま大円団といきたいところだけど、一人だけ納得できていない人がいる。
王は拳をわななかせながら、眼下の出来事を見下ろしていた。
「このぉ……!」
「もう良いではありませんか」
今まで成り行きを見守っていた女王が、つかつかと中央へ歩み出て王を見上げる。また嫌味でも出てくるのかと思った王は身構えた。
「今回の一件はわたくしにも責任があるでしょう。人の娘の言うとおりです、素直になるべきです。少なくとも、わたくしはそうすることにしました」
予想外の言葉に王は眉を上げ、口をすぼめた。
「ほぅ? 素直になると? 一体どうするというのだ?」
女王が一度目を閉じ、何が起こるのかと一同は静粛に次を待つ。たっぷり間を開けてやっと女王は口を開いた。
「オベロン、あなたを愛していますわ」
直球の愛の告白に、王は思考が完全に停止したようだ。白くなった王を眺めながら女王はため息一つ。
「全く、情けないこと。たかだか、妻からの告白では無いですか」
「ななななな、何を急に!? そなたは嫁いだ時から私を嫌っていたではないか。そうだ! 婚姻の日も嫌そうに眉をひそめて、ずっと不機嫌そうに顔を伏せていたではないか! それというのも私との婚姻が嫌だからだろう!」
長年の意地張りのせいか、すんなりと想いは届かない。
「あれはコルセットがきつくて苦しかっただけです。でも、そんなこと言えないではありませんか」
タイタニアは口に軽く手を当て、視線を落とし、頬を軽く染めた。
「確かに予言により決められた婚姻など不満でしたけど、あなたを嫌いだなどといつ言いました? あなたこそ、他の女性と関係を持ち続けて、わたくしが嫌なのだと思っていましたわ」
「そ、それは……その……」
口ごもる王の視線は泳いでいる。
ちょっと見苦しいけど、きっと女王にはそれさえも愛おしいのかもしれない。その美しい顔に似合う、大輪の花の様な艶やかで華やかな笑顔を、女王は浮かべた。
「オベロン、あなたのことを愛しております。他の女性とのことに嫉妬していたけれど、それを見せるのが嫌で関係ないふりをしておりました。それをもう止めにします。くだらない意地を捨て、素直になります。さぁあなたも素直になってくださいませ」
一同の視線が王に向く。皆、女王と一心同体になって返事を待っていた。
視線によってその場に釘付けにされた王は、冷や汗をかきながら固まっている。やがてしびれを切らして、先ほど状況を説明してくれたおじいちゃんがいきりたった。
「早う、しなされ! 女性が返事を待っておりますぞ!」
益々逃げ場がなくなって王はたじろいだ。
「王、私も素直になれました。どうか、思いをお伝えください」
「王、お願いです……」
手を取り合うライサンダーとハーミアが背中を押す。王にとっては崖っぷちにいるようなものだから、それが良いことかはわからない。
傍聴人達も次々と王に返事を迫り、どんどん追い詰められていく。それでも中々答えられず、王様ってのは素直になるのがすごく難しい職業のようだ。
「一言、言うだけで良いのよ。女王は受け取ってくれるんだから!」
私が激励すると、王はぐしゃぐしゃと髪をかきむしり、ぎりぎり聞き取れるくらいの小さな声でつぶやいた。
「——あ、愛している」
瞬間、歓声と共に光が弾けた。