10
観覧車は遊園地のシンボルになるほど大きく、それを目印に歩いていけばすぐに着いた。幸いミラーキャッスルはそこまで混んでおらず、すぐにでも中に入れそうだった。
「さて、どうする?」
入り口まで来て律君が、何かを思いついた様子で皆に向き直り、残りの三人は顔を見合わせてしまう。
「普通に入ってもつまらないでしょ。どうせなら競争しようよ、二組に分かれて」
ピースサインを二つ、顔の前に突き出す。
「良いわね、面白そうだわ。組み合わせは?」
乗り気になった紗衣ちゃんがぐるりと皆を見渡した。
分けやすいのは男チームと女チーム。でもそれだと男子の方が体力的に有利だ。ここは素直に男女二組ずつが妥当というところで、そうなると必然的に律君・紗衣ちゃんペアと私・坂上君ペアができあがる。
「じゃあ、先にゴールに着いた方が勝ちだな」
「守には負けないね」
「言ってろ」
男子達はすでにやる気満々、準備も万端。それは女子も同じ。
「負けないわよ、綾」
「さぁて、どうかなぁ……お先に! 行こう、坂上君!」
「あ、綾!」
紗衣ちゃんが呼び止めるのを無視して、坂上君の手を引っ張って中に入る。先手必勝、早く入った方が早く出れる可能性が高い。
中に入ってすぐに曲がり、適当に奥へと進んで行く。ある程度まで進み、入り口から離れたところで歩調を緩めた。息の上がっている私とは違い、坂上君は平然としている。さすが運動部。
「あ、ごめんね、坂上君。勝手に連れ込んじゃって」
軽く頭を下げる。はしゃぎすぎたかもしれない。
「いや、いい。それより前向いて歩かないと危ないぞ」
「いたっ!」
鈍い音ともに額に痛みが走る。前方不注意、鏡に思い切りぶつかってしまった。
「ほら見ろ」
「うぅ……気をつけます……」
「見せてみろ」
背の高い彼のために顔を持ち上げて額を見せる。
「大丈夫そうだな」
「でも、たんこぶができるかも」
「したら律達に笑われるな」
にやりと口の端を持ち上げながら言われて、私はふくれっ面になる。べーっと舌を出してやったら肩をすくめられた。なんだか反応が紗衣ちゃんに似てきた気がする。
「とりあえず進むか」
「そうだね。方向わかる?」
最初に適当に走ったせいか、すっかり出口の方角がわからなくなってしまった。相手チームに先行するつもりが、これじゃあ遅れをとってしまう。
「多分わかる」
「じゃあお任せします」
ここは素直におとなしく後を付いていくことにする。先行する彼から半歩遅れで歩きながら、鏡達を見回した。
ミラーキャッスルは歩きづらくない程度に薄暗く、小さな光があちこちに散らばっていて、星のようで幻想的だ。前後左右を囲む鏡やガラスが空間を広く見せ、宇宙のようで私好み。そして、それは当時に方向感覚も失わせる不思議な世界。ライサンダー達の住んでいる妖精の世界ってこんな感じなのかもしれない。
「——いつも歌ってるな」
ふいに話しかけれ、自分が歌っていたことに気付く。
そこまでリラックスしているつもりは無かったけど、いつの間にか随分坂上君に心を許しているみたいだ。顔が赤くなっていくのがわかる。
「学校でもよく歌ってる」
痛い指摘に苦笑いしかできない。確かによく歌っていたが、聞いてる人がいるとは思ってなかった。
「ごめんね、うるさかった?」
「いや、別に」
簡潔な返事でつっけんどんにも取れるけど、本当に気にしていないようで、何も言わずに前を向いて歩いている。時折ある分かれ道に悩みながらも、彼の歩みは確かだった。剣道で培われた強い精神力のおかげだろうか。
「……そういえば優勝した大会って、いつやってたの? もしかしたら日にち同じだったかもね」
ふと思いついて適当なことを言ったつもりだったのに、坂上君は虚をつかれたように体をこわばらせた。
「ごめん、私、変なこと言った?」
「いや……」
否定してくれようとしているが、口ごもられると、やっぱりまずいことを言ってしまった気がしてくる。眉を下げて不安げな顔をしている自分が鏡越しに見えた。
「いや違う。ただいきなり核心を突かれたから、心の準備をしてなくて……」
「準備?」
彼が何か、大事な話をしてくれようとしているのはわかった。それが随分言い辛いことなのも。とりあえず、相手の準備が整うまで私はじっと黙って待っていることにする。
そっぽを向いて頭をかいてから、坂上君はゆっくりと口を開いた。
「同じ日だったんだ、試合とそっちのコンクール」
「そうなんだ! すごい偶然だね」
当時は彼のことを知らなかったけれど、すれ違っていたかもしれないとか思うと何だか面白く思える。ステキな偶然だ。
「コンクールの歌がたまにこっちにも聞こえてきて、こっちは真剣に試合してるのにって腹立ててるやつもいた。正直俺もそうだった。その時の大会って小さいけどウチの部には大事な試合で、相手は負け越してたライバル校。一年なのに代表に選ばれた俺は責任重大で、緊張してガチガチだった」
「うん、それで?」
どう転ぶかわからない話に続きが気になる。彼は段々腹もくくれてきたのか、しっかりとした口調で続けていった。
「相手は格上、負けるって誰もが思ってた。俺自身も。そんな考えじゃ負けても無理はないよな。そんな時、聞こえてきたんだ」
坂上君は足を止め、私に向き直る。
じっと見つめてくるその真剣なまなざしに射抜かれ、身動きできなくなる。ただ耳だけが、彼の話を聞き漏らすまいと静かにそばだてていた。
「何の歌かはわからないけど、明るい歌だったな……。コンクールのホールじゃなくて外から聞こえてきてるみたいだった。その声が、時折学校の道場でも聞こえてくる声だって気付いたら、不思議と緊張がほぐれて、なんてことは無い、いつも通りにやれば良いんだって思えた。そしたら勝てる、負けるわけがないって思えた。次の瞬間俺は勝ってた」
「それって……」
「鈴代の声だった。その時は知らなかったけど、透き通るような声なのに力強くて、不思議な歌声だった」
世の中、驚くことばかりだ。いつも好き勝手歌っていただけの歌が、私の知らないところで、いつの間にか誰かの心に届いていたなんて、信じられない。
「誰が歌ってたのか、ずっと気になってて捜した。いつも歌ってるから、すぐ見つけ出せたけど」
坂上君は軽く笑い、私はまた赤くなって俯いた。そのまま顔を伏せていたかったけど彼の顔を見たい気もして、せめぎ合っていたが彼の声で反射的に顔を上げてしまった。
「鈴代、あの時はありがとう。ずっとお礼が言いたかった。だから今日、律に頼んで連れて来て貰ったんだ」
思考が追いつかない、何を自分で考えているのかわからない。ただ彼の言葉だけが私にゆっくりと浸透していく。それがむずがゆくて誤魔化したくて、訳もわからず喋るしかできない。
「そんな! 私、ただ歌ってただけだし、それは坂上君自信の力だよ。だって私、つい最近まであなたのこと知らなかったし——あ、いや、ごめんなさい」
思わず失礼なことを言ってしまい、口ごもる。
「俺は鈴代のおかげだと思ってるから良いんだ」
きっぱりと言い放つ坂上君は、どんなに彼自身の力だと言っても譲らない。一見頑固とも取れるけど、これはきっと意志が強いんだ。まるで大地にしっかりと根を張った樹木のように。
「鈴代の歌は人に力を与えることができる。人の心を動かせる歌だ。だからまた歌って欲しい。鈴代の歌が好きなんだ」
一息でそこまで言い切って、照れたのかそっぽを向いてしまう。口に手を当て、赤く染まる顔をどんなに隠そうとしても、彼の身長では小さい私に丸見えで、どれだけ勇気を出して伝えてくれたがわかる。
彼はまるでライサンダーが言ったことと同じことを告げてくれた。そう、ライサンダーが言っていたことは本当だった。
私の歌で力を出せる人がいる。
それを彼は教えてくれた、伝えてくれた。そんな人いるわけないと心のどこかで疑っていたのに、実際に存在した。
何て素晴らしいんだろう。
すごく嬉しいのにそれを言葉にできない。色々な感情が渦巻き、喜びで暴走しているみたいだ。でも、これだけは確かに言わないといけないというのは、はっきりしている。彼は私の欲しかったものをくれた。
「あの……私も、ありが——」
言おうとして途切れる。彼の後ろの鏡には私達ではなく、全く違う姿が映っていた。
「ライサンダー!?」
呼びかけると彼は優雅にお辞儀をした。再び頭が上に戻ってきた時、彼の顔はほころんでいた。
「ありがとうございます、綾。私の映し人を見つけてくださったのですね」
「はいぃい?」
ちょっと急展開すぎて、ついていけない。もっとついていけない様子の坂上君は、私をライサンダーからかばうように背中に隠した。その顔には明らかに狼狽の色が浮かんでいる。
「私の映し人、力を貸してください。これで脱出することができる」
「何だ、これ? 演出なのか?」
普通、そう思ってしまうのも無理は無い。免疫のない人がこんな現象を、すんなり受け入れられるわけがない。
「さ、坂上君、あのね、彼はライサンダーって言って……妖精の騎士なの!」
信じてくれるかわからないけど言うしかない。まさか捜していた映し人がこんなにあっさり見つかるなんて。ていうかほとんど捜していないのに。
言われて見れば二人はどことなく似ている。
意志の強さや誠実さ、木漏れ日のように感じた二人の雰囲気は、比べてみればこれ以上ないほどに似ている。どうして気付かなかったんだろう。坂上君はライサンダーと同じ言葉を私にくれたのに。
「妖精?」
「そう! 魔女に閉じ込められた妖精の騎士なの。助けを求めてあなたを捜してたの!」