プロローグ「ポンコツ腹黒令嬢は黒狼伯爵の腕の中で眠りたくない」
大きく豪華なベッド、シルクのシーツの上に一人の美少女が居た。
名を、エリーダ・ヴィランドン伯爵夫人。
齢一七、新婚ホヤホヤである。
――彼女は、街を歩けば誰もが三度振り返る様な美しい容姿をしていた。
波打つ金髪は腰までのび、目や鼻の形は、その位置は。一流の彫刻家でも作り出せない程に完璧で。
豊かな胸と細い腰を、魅惑的な臀部。
鈴の鳴る様な声色を持つ、――絶世の美少女。
勿論、性格の方も抜群だ。
聖女の様に心清らかで、万人等しく優しく。
しかし、悪には屈さず毅然とした態度で諭す。
そんな人間が出来すぎた彼女は。
結婚して数日、幸せの絶頂にいるとされている彼女は今。
昼間だというのに下着姿で、首には大きな首輪。
当然の様に鎖がついて、ベッドの柱に繋がれている。
――夫婦の睦言というには、些か倒錯していて。
「ちょっとっ! またこれなのっ!? いい加減にしなさいよ黒ちびっ!」
――噂とは違い、勝ち気な少女の様な物言いで。
「晴れて貴男の妻となったのです、私達は。……せめて、こう、もう少し手加減をしていただけませんか?」
――噂通りに、淑やかな育ちの良い令嬢の如く。
当然の如く、抗議の声をあげる
事情を知らぬ者が見れば、情緒不安定か、実は裏表の激しい性格だったのだろうと。
――だが。
「……で? 新婚早々屋敷から逃げ出した言い訳がそれか? エリーダ、エイダ」
彼女の夫、ヴィランドン伯爵マティアスは、呆れた視線と共に二人分の名前を呼んだ。
「ちょっと散歩しに行っただけよ、大げさねぇ……」
「別れの手紙を机に置いて?」
「夫の気を引きたい、妻のいじらしい悪戯。という事でひとつどうでしょうか」
「納得するかっ、この馬鹿女どもっ!?」
そう、かの夫人。
もとい元令嬢には秘密があった。
ひとつ――、前世の人格と同居している事。
ひとつ――、聖母の様な性格はただの外面である事。
ひとつ――、実は結構な、腹黒でポンコツ。
産まれ持った美貌と分厚い外面で男を惑わし、――トラブルに巻き込まれ。
類希なる悪運で事態を解決する、マッチポンプの女。
それが、エリーダ/エイダであった。
「ったくよぉ。普通結婚して直ぐに逃げ出すか? だいたいお前言ったよな? ……母にも娘にも妹にも恋人にも妻にもなるって。ありゃ嘘か?」
「アンタが! そのデカい図体で! しつっこくっ! ベッドに連れ込むからでしょーがっ!!」
「妻なのですから、夫婦の営みを拒否するつもりはありません。――ですが、お花詰みの回数を記録した挙げ句! 今度はその内容までですかっ!? 悪化してるじゃないですかっ!?」
「悪いかっ! 此方と来たら不安なんだよっ! お前すぐ逃げるだろうがっ! 赤ん坊の真似事までさせられて、やり返すのは当然だろうっ!」
なお、このマティアス。
齢三十六、歴とした大人。
それも教会の筆頭粛正騎士まで勤めた、筋肉質の巨漢である。
整った顔立ちだが厳めしい雰囲気に、前職の評判も相まって、ついたあだ名が黒狼伯爵。
そんな夫に、鎖に繋がれたエリーダ/エイダは。
野に咲く花を手折るより容易く、ぱたんとベッドに押し倒されて。
「――どうやら、俺の愛をもっと深く知って貰う必要があるみたいだな」
二人に残ったのは言葉のみ。
「こっちの体力考えなさい黒ちびぃっ!?」
「あー、これは駄目なパターン入りましたね」
「エリーダ! アンタ諦めてるんじゃないわよっ!」
「そもそもマティアスがこういう風になったのは、エイダ、貴女のせいじゃないですかっ! ちょっとは反省してくださいっ!!」
「おう、五月蠅いぞお前ら。せめて新妻らしく雰囲気だしてさ。貴男の腕の中で優しく眠らせて、とか言えないのか?」
「「誰が言いますかっ!?」」
否応がなしに、爛れた新婚生活が再び続行されて。
(嗚呼、どうしてこうなってしまったのでしょうか。いえ、今はきっと夢。起きたら学院に行って、婚約者であるエディ様と――)
(いや、あの盆暗はないわ。けど、……どうしてこうなちゃったのよぉっ! 地位と財産を持つイケメンに、ただ貢がされて生きるアタシの人生がっ!?)
甘い快楽に飲み込まれながら、せめてもの反抗と、現実逃避を兼ねて。
二人は、始まりの時を思い出した。