とある御伽の灰かぶり(三十と一夜の短篇第26回)
今日もヒステリックな声が邸内に響いている。
「ディル! ぐずぐずしてないで!」
「はい、お継母さま」
か細い声で返事をしながら、こまねずみのように働いているのはディル。
やせっぽちなディルは下働き女のような服を着せられているが、実はこのエルダー家のひとり息子だった。
「さっさと私の衣装を出してちょうだい! まったく、あんたはほんとにノロマで、まるでロバだね!」
彼を罵倒し顎で使っているのはアンジェリカ。年若い継母だ。彼女はエルダー家に嫁いでもうすぐ一年になる。
彼女は元々、ディルの家庭教師としてここに来た。
夫に先立たれ、女手一つで双子の娘を育てるために職を探しているのだと言って、エルダー氏に職を請うた。エルダー氏は美しいアンジェリカと可愛らしい娘たちを哀れに思い、屋敷の一室を与え、アンジェリカを息子の家庭教師とした。
ディルは十五だったが母親に似て小さい頃から病弱で、学校には通えず長年家庭教師についてもらっていた。
だが先日老齢の教師から暇を請われ、ちょうど替わりの教師を探していたところだったのだ。
アンジェリカと双子の娘たちは、エルダー氏に大層感謝した。ディルもまた、美しい教師と可愛らしい娘たちが同じ屋根の下に暮すことを喜んでいた。
しかし数ヶ月もすると、アンジェリカは徐々にその正体を現して行く――アンジェリカはエルダー氏とディルの両方同時に色仕掛けを企むような毒婦であった。だが息子のディルは、チラ見せの色仕掛けには赤面して戸惑うのだが、初心なのか奥手なのかイマイチ反応が鈍い。
そうこうしているうちに、アンジェリカはまんまとエルダー氏といい仲になり、ちゃっかり後妻の座に納まってしまったのだ。
* * * * * *
新しい継母や姉ができたことを始めは無邪気に喜んでいたディルだったが、徐々に雲行きが怪しくなって来たことを気付かないわけにはいかなかった。
手始めにアンジェリカは、エルダー氏が長期不在の間に、長年雇っていた中年のハウスキーパーや数人のメイド、老庭師とその若い弟子などに対して勝手に暇を取らせた。
「旦那さまがご不在の時にそんな勝手なことを!」と一番憤慨したのはハウスキーパーだったが、新しい女主人は「エルダー氏のお許しはいただいているのよ」と、取り合わない。
もっとも、エルダー家を離れた後の仕事のつてがなさそうな老庭師だけには憐れみを感じたのか、その後考え直して馘にするのは思い留まったようだ。だが結局、十人以上いた召使いたちは、たったの三人になってしまった。
料理を一手に引き受けていた若い女中フェンネルと、洗濯女のタンジー。そして老庭師のマロウ。
それからというもの、邸内の掃除やベッドメイクはフェンネルとディルの役目に、年老いたマロウの手助けは、洗濯女のタンジーが引き受けることになった。
* * * * * *
そんなある日、ディルにもっと不幸な出来事が起きた。
夜半過ぎ、ディルの寝室から灯りが漏れているのを不審に思ったアンジェリカは、ノックもせずにドアを開けて室内へ入った。
「何をしているの、ディル?」
息子の姿を目にしたアンジェリカは、不審げな声をあげる。
ディルはその華奢な身体に古めかしいドレスを当てて、大きな姿見の前に立っていた。彼は驚きに目を見開いて固まった。
「あれまあ、一人前に色気づいて……でも一体誰に贈るつもり? こんな流行遅れの服――」
アンジェリカが取り上げようとすると、珍しくディルがむきになった。
「違う! これは母さまの――僕の本当の母さまが着ていたものなんだ。返してくれ」
「おやまあ? 本当の母さまってどういう意味? 私だって本当の継母さまだというのに……生意気なことを言う口はこれ?」
「痛いっ。やめてください」
口の端を思い切り抓られ、ディルは悲鳴を上げる。ドレスから手が離れた。
アンジェリカは意地の悪い笑みを浮かべ、「やめて欲しい時は、おかあさまになんて言うのが正しいのかしら?」と、ますます指に力を入れた。
「ご……ごめんなさい……お願いします。お継母さま……」
痛みと悔しさで涙をこぼしながら、ディルはようやく言葉を吐き出す。その様子を満足げに眺め、継母はやっと手を離した。
「それにしても、こんな古いドレスがまだあったなんて。私がここに入った時に、クローゼットの中はすべて処分させたはずなのに……」
「僕が形見として父さまからいただいたんです」
「あんたがもらったって、使い道がないじゃないの。男のあんたじゃ身に着けるわけにもいかない――」
アンジェリカが呆れた表情でディルを見やると、少年は顔を赤らめた。
「――まさか、これを着ていたというの?」
「あの、その……これに包まれると、母さまにハグしてもらってるような気持ちになれるので……」
消え入りそうな声で少年は呟いた。
「じゃあ、あんたから時々女物の香水の匂いがしていたのも、ひょっとして……?」
「母さまのお好きだった香水も、一緒にいただいたんです」
紅潮して体温が上がった少年からは、樹の花の香りが漂った。
「なんとまあ、呆れたね!」
手の中のドレスと少年の顔に視線を何往復もさせてから、ようやくアンジェリカはそれだけ言った。
「でもねえ、この服があるから、あんたはいつまでもうじうじしているんだろう? おまけに私のこともいつまでも母と認められないし。だからこんなものは、さっさと捨て――」
「お願いですから、それだけは勘弁してください。僕が小さかった頃、まだ母さまがお元気だった頃の思い出のドレスなんです……なんでもしますから」
アンジェリカが言い終えるよりも早く、ディルは彼女にすがって懇願した。
思いつめたような少年の表情に、彼女は憐れみを掛ける気に一瞬だけなった。だがすぐに違うことを思いつき、意味ありげな笑みを浮かべる。
「ねえ、ディル? 大事なひとり息子が、夜な夜なつんつるてんのドレスを着て女装していたなんてことがエルダー氏の耳に入ったら……どうなるだろうねえ?」
わざとらしいほどの猫撫で声を出しながら、アンジェリカは目を細めた。
それ以来、ディルはメイドの衣装で家事をしなければいけないことになった。
アンジェリカは、時にそのまま行商人の相手をさせたり買い物に行かせようとする。そしてディルが必死に許しを乞う様子を散々見て、ようやく解放するのだ。
掃除中にディルの咳の発作が出ても、休むのを許さなかった。咳が聞こえるとわざわざ様子を窺いに来ては、サボらないよう監視をした。
彼女の二人の娘も、母親に倣ってディルを散々こき使う。
気弱なディルは反抗もせず、されるがままで日々を過ごした。
* * * * * *
その日も、ベッドメイク中に咳が出た。
一緒に作業をしていたフェンネルは、ディルのエプロンを手早く緩め、背中をさする。
「今日は思いっきり咳込んでも大丈夫よ? そんなに抑えていたら、逆に胸を痛めてしまいそうだわ」
ディルはアンジェリカの耳に止まらないよう、咳をするにも息を抑えるようにして咳込む癖がついていた。無理に抑えるせいで余計に苦しくなるが、監視されずに少しの間の休息を取るためには有効なのだ。
だが今日は継母もその娘たちも留守だった。お城で舞踏会が開かれているのだ。
朝早くからディルやフェンネル、タンジーまでも巻き込み、大騒ぎで身支度をし、昼前にようやく出掛けて行った。
今日の舞踏会はお城の第二王子の主催ということで、国中の未婚の女性――中には未亡人なども――が色めき立っていた。
第二王子のジュニパーはもう三十に届く年齢だが未だに独身で、彼の存在は王や王妃の頭痛の種だった。
跡継ぎは既婚の第一王子がいるからまだいいとしても、いい年をした王家の男性が未婚のままでは示しがつかない、というところだろう。
王の息子たちは決して不細工ではなく、むしろ兄弟揃ってイケメンだった。
彼らはそれぞれ頭がよく兄弟仲もよかったため、将来は助け合ってよき国をつくるだろうと期待されていた。
ただジュニパーは遊び人で男女問わず遊び仲間が多く、彼らと一緒に夜な夜な飲み歩いているのだ。
『彼女』を何人も囲っているとの噂もあった。中には「実は男色家であることを隠すために遊び歩き、女友だちを周囲に置いているのではないか」という噂まである。
王や側近の者たちは、その噂を払拭するためにも早く身を固めさせようと、たびたびこうした舞踏会を開いているのだ。
「ねえディル。あなた本当に女装が好きなの? こんな格好をさせられて、よく怒りが起きないものだわ」
背中をさすられ、窓から入って来る外の空気をゆっくり吸い込んだディルは、発作で少し涙目になった顔をフェンネルに向けた。
「僕は……どうなんだろう? このメイド服は作りが窮屈だからあまり好きじゃないよ。でもドレスを着ている自分の姿を見ると、母さまが生きているみたいに思えて嬉しいんだ」
フェンネルは小柄だが、ディルよりは年上だった。彼は物心ついた時から彼女がきびきびと立ち働いている姿を見ていたが、現在もその頃と少しも変わらず、若く生き生きとして見える。
「随分歪んでるわねぇ……確かにあなたの顔は奥さま似だけど。でもまぁいいわ。じゃあこれから思いっきり、その姿をみんなに見せてあげましょうよ」
フェンネルは突然、整えたばかりのベッド――ここはアンジェリカの娘の部屋だった――に飛び乗り、右手をぴんと上に伸ばして宣言する。
「どうやって? っていうか、見せ物にされるのは、僕いやだよ」
彼は身震いをするように両手で身体を抱える。
「見せ物なもんですか。とびっきりきれいに、奥さまのような美人に仕立ててあげるわよ――実はねえ、あたし、『フェアリー』なのよ」
「……冗談はもう少し上手く言おうよ。妖精といったら、長命で不思議な能力を持っている、特別な存在じゃないか」
ディルは呆れた表情をメイドに向ける。
「そっちのフェアリーじゃなくて……王政の下で作られた、AからFまでの六要職って聞いたことない?」
「それって『錬金術師』や『黒騎士』、『道化』とかの中の『妖精』? でもそれだって特殊能力の持ち主にしか与えられない称号だし、第一彼らは王族や貴族に仕えるような職業になれるじゃないか。こんな辺境で女中をやってるわけがないよ」
ディルは彼女がふざけているのだと思った。小さい頃遊んでもらった時などには、まるでお伽噺のようなごっこ遊びを一緒にしたこともあったからだ。
「それに僕はもう、そんな話を信じるような年齢じゃないよ」
だがフェンネルは不服そうに頬を膨らませた。
「随分な言いようね? これでもあたしは重要任務を請負っているのよ。その証拠に――ちょっと待っててね」
そう言うと小さなメイドは部屋を出て行き、間もなく何かを抱えて戻って来た。
「――ね? ほら。あなた用のドレスと靴だって用意してあるんだから。あとウィッグも」
彼女が広げて見せたドレスは、ディルの母親が好んで着ていたようなクラシカルなデザインだったが、随所に今の流行も取り入れられている。
どれも似たり寄ったりになりがちな流行りのドレスばかりの中に飛び込んだら、人目を惹きそうだ。
淡いレモン色をベースにしたドレスを目の当たりにして、ディルは感嘆のため息を漏らし目を丸くする。
「……すごい。ねえ、いつの間に僕のサイズを計ったの?」
「気にするとこ、そこぉ?」
フェンネルはまた膨れたが、すぐまた笑顔になった。
* * * * * *
数日後。
鼻歌混じりで、時折笑顔も浮かべながら仕事をこなすディルとは対照的に、アンジェリカとその娘たちの表情は浮かなかった。
「ジュニパー王子が遊び人って噂は本当だったのね。何人もの美男美女を侍らせて――しかも彼らの、あたしたちを見る時の視線ったら」
「まるで莫迦にした態度だったわよね。折角お揃いでドレスを作ったのに、赤毛の女に鼻で笑われた時は本当に悔しくて身体が震えそうだったわ!」
双子の姉妹、ローズマリーとジャスミンは毎日プリプリ怒りながら話している。
しかし彼女たちの機嫌を損ねた原因は、それだけではなかった。
長い順番待ちに耐えてようやく王子と踊り始めた頃、突然、会場にレモン色のドレスの女が現われたのだ。
彼女を目にした人々は一瞬息を飲み、お喋りを止めた。
ほっそりとした面立ちもその姿も、儚げで美しかった。ドレスの生地や仕立て、身に着けているアクセサリーなどもすべて上等な物だったのは姉妹たちにもわかったが、その割に場慣れしていないおどおどした様子は妙に癇に障った。
更に面白くないことに、ダンスの途中だというのに王子がその女の許へ行ってしまったのだ。
『姉』の特権だと言って先に王子と踊っていたローズマリーは、置いてけぼりを喰らってポカンと立ち尽くした。アンジェリカと妹のジャスミンは慌てて、ローズマリーの手を引いた。
ジャスミンに至っては、その後王子とは一度も踊れなかったのだから、尚更腹立たしいというものだ。
「あの女、どこの田舎者か知らないけど、ダンスもまともにできなかったのに」
「まったく王子も王子だわ。あんな、教養の『き』の字もなさそうな田舎娘に優しく手取り足取りダンスを教えるなんて」
「ほんとそれ」
「ないわー」
姉妹たちは、部屋の掃除をしているディルのことはまるで意に介さない。どころか、お菓子屑をわざと落として「あら、ここまだ汚れているじゃない?」などと嫌がらせをする。
今日は特に機嫌が悪く、そのせいでディルは箒を持って何度も部屋の中を行ったり来たりしなければならなかった。
「あの娘、なんて名だったの?」
「リンデン家のアニスが会話をちらっとだけ聞いたらしいけど、シトロンとかシンデレラとか、そんな感じの名前だったみたい」
「シンデレラ? ……知らない娘ですね?」
そこへ、母のアンジェリカが彼女たちを更に不機嫌にする話を持って来た。
「大変よあなたたち。今タンジーが持って来たんだけど――ジュニパー王子からのお触れらしいのだけど、ちょっとこれを見て?」
覗き込んだ姉妹は悲鳴のような声を上げた。
「……何よこれ?」
「ふざけてるのっ?」
「『王子の望む者は、年齢が三十歳以下で身長は五・六フィート以上、足の大きさは一〇インチ以上』ですって? でかくて大足の娘が好みだなんて趣味悪い!」
「ないわー。いくらイケメンでもないわー」
掃除道具を片付けていたディルの動きが、一瞬止まった。
「でも、その条件に見合った者をお城に連れて行くと、報奨がもらえるって書いてあるわ。どのくらいもらえるのかしら」
「あんた、そんなものが欲しいの? あたしは嫌よ、屈辱だわ!」
「これをもらって来たタンジーが言うには、お触れと同時に王子の使者が国中を回っているらしいのよ。近所に条件に合う者が住んでいるかも知れない、って伝えるだけでも何かもらえるらしくて、この辺りにも既に馬車が一台来ているらしいのよ」
アンジェリカは複雑な表情だった。
早くもその日の午後、王子の使者と名乗る一向がエルダー家に訪れた。
「この辺りで条件に沿う者を見掛けたとの話があったので、一軒ずつ訪ねて回っているのだ」
髭を生やした使者は、胸を張ってそう説明した。
「条件に合いさえすれば、身分は関係ない――つまり、該当者がこの家の使用人だったとしても王子に謁見させなければならんのだ。そういうわけで、この家にいる三十歳以下の者たちを全員ここへ」
アンジェリカはまず自分の双子の娘たちを呼んでいたが、命じられてしぶしぶメイドのフェンネルたちも呼びつけた。
フェンネルはディルと一緒にやって来た。それを見たアンジェリカは顔をしかめる。
「何故この子まで連れて来たの?」
「あたしたち、一緒にじゃが芋の皮を剥いている最中だったんです」
「そういうことじゃなくて――」
「だって、三十歳以下の者を全員呼べってタンジーが言ってたんですもの」
フェンネルは澄まし顔でこたえる。
「そこの娘は何か問題が……?」と、使者が首を傾げる。
「いえ、この者は――」
アンジェリカは慌てて、ディルを隠すような位置に娘たちを押しやった。
「違うんですの、娘じゃありませんのよ。恥ずかしい趣味を持った出来の悪い息子でして……ほら、そんな格好で出て来るんじゃないよ、さっさとお下がり!」
ディルはアンジェリカの剣幕におどおどし、フェンネルはむっとする。
だが、使者は女主人を手で制した。
「しかし、見たところ殿下のお望みになる条件に合いそうな体格ではないか。えーときみ、こちらへ」
「え? だってこの子は男ですよ?」とアンジェリカは慌てたが、使者はもう一度胸を張った。
「性別については、王子の出した条件にひと言も入っていなかったと思うが?」
「そんな!」
アンジェリカは目を見開いたが、それ以上何も言えなかった。
ディルが遠慮がちに進み出ると、使者に従っていた小姓たちが手早くディルの寸法を計り、肌艶を確認して耳打ちする。
「ふむ、どうやらこの者らしいな……そなた、名はなんと」
「……ディルです」
「『シトロネラ』という名に覚えは?」
「なんですって!」
アンジェリカがまた声をあげるが、使者は一瞥もせず言う。
「お前には訊いておらん」
ディルはごくりと喉を鳴らし、決心したように口を開いた。
「それは、亡くなった母の名で……僕が舞踏会に出た時に、王子に名を訊ねられたので、咄嗟に口にした名です」
「舞踏会ですって? あんたが?」
「まさか! いつの間に?」
姉妹が口々に叫んだが、使者はまるで意に介していない様子で微笑んだ。
「それだけ聞けばもう充分だ。ではこれからこの者を城へ連れて行くが、王子の命令だ。お前たち異存はないな?」
「え、でも、どうしようフェンネル」
「旦那さまにはあたしから伝えておくわ。あの人たちが正気付く前に早く」
戸惑うディルの背中をフェンネルが押す。
「王子のご命令だ。お父上も嫌とは言わんだろう」
使者がうなずきながらそう言うが早いか、ディルは小姓たちの手によって馬車に押し込められ、彼らは満足げな表情を浮かべてあっという間に去って行った、
「侍らせてる女の趣味が悪いと思ったら、ホモだったのっ? 信じられない!」
「ないわー。どんだけイケメンでも王子でもこれはないわー」
双子の娘たちは馬車が充分遠くなってから口々に罵倒し、アンジェリカはまだ茫然と佇んでいた。
* * * * * *
お城に召し上げられたディルは、まず風呂を使わされ、小ざっぱりとした服を着せられた。ディルの姿を見た召使いたちは最初はどうしたものかと戸惑ったが、女性用のドレスではなく男性の服を用意してくれた。
「――やはり男であったか」
ディルを一目見た王子は、そう言って薄く笑う。
「申しわけございません……!」
ダンスなど踊ったことがない自分をスマートにリードし、身体まで気遣ってくれた王子は、外見だけではなく中身もイケメンだと感じていた。その王子を騙していたという良心の呵責で、ディルは今にも押し潰されそうだった。
「いや、俺もそうだろうと思ってお前を探したんだ」
「と言いますと……? あの、ひょっとして」
血の気が引きながら思わず顔を上げたディルを見て、王子は声をあげて笑う。
「残念ながら、俺にそっちの趣味はない」
「あぁ……そ、そう、ですよね」
あからさまにほっとした表情になったディルに、また王子は笑顔を向ける。
「――が、見ての通り俺はイケメンだし家柄もいいからな。財産や地位目当てで結婚したがる女が山ほど群がってくるわけだ」
「はぁ……なんとなく想像はできます」
「お前、殿下に対してなんだその口の利き方は!」
ディルのそばについていた衛兵が気色ばんだ。だが王子は軽く手で制する。
「よい、構わぬ――で、まぁ、お前を見た時にさ、こうひらめいたわけだよ。『ゲイってことにしとけば、世間体にうるさい親父たちも財産目当ての女共も、しばらくの間は大人しくなるんじゃね?』って。どうよ」
「どう、と申されましても……」
突然ぞんざいな下町言葉で話し始めた王子に対し、どうしたらいいのかわからずディルは混乱する。
「ま、俺も莫迦じゃないんで、国中の似たような体格の男女の身許調査なんかをさせたわけよ。意外に少なかったけどな――ざっと二八七四人?」
「それは……」果たして少ないと言えるんだろうか、とディルは思ったが口には出せない。
「で、調査の結果あの時のシトロネラがどうやらお前――ディルだったってのはわかったんだけど、いざ迎えに行こうかと思ったら、なんかお前んちフクザツそうじゃん? だからこんな回りくどい呼び出し方になったんだ。悪かったな」
「いえ……」
「んでよ、ディルさえよければ俺の新しい恋人ってことにして、ここに住んでもいいんじゃね? って俺は思ってんだけど」
「あの! さすがにそんな簡単な話では――」
「あぁ、大丈夫大丈夫。俺んちってほらこの通り城だからとにかく広いし、実はもう五人くらい彼女を住まわせてんだよねー。だからお前は六人目の『彼女』ってことになるけど」
「はぁぁ?」
話について行けずディルは目を丸くする。隣に控える衛兵も、驚きのあまり思わず小さく声を漏らした。
「あー、大丈夫だって。彼女たちは財産や地位に興味のない、俺の趣味仲間だし。親父たちも世間体はアレしてるけど、実際大目に見てくれてんだぜ。そんなわけでこれからお前ん家に身の回りの物を取りに行かせるから。まぁ、出会い方があんなんだったから、外に出る時はしばらくの間女装してもらわなきゃいけないけど――」
――こうして、シトロネラことディルは、優しい王子さまといつまでもいつまでも幸せ(?)に暮らしましたとさ――