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第九話

 騎士団の食堂で朝食を軽く済ませてから、ジェマは緊張した面持ちで試験会場である中庭へ向かっていた。


 オビは検査を終え、問題無いという結果を受けた後、そのまま留置所に預けられた。ハロルドは家に帰って休んでいる。とても眠そうにしていたので、ジェマは送ろうかと提案したが、彼はそれを退けた。足取りはしっかりしていたので、心配しなくてもいいだろう。


 受付を済ませ、中庭に通される。ウィーゼルの襲撃で半壊した建物の瓦礫が、隅に集められて山のようになっていた。物は魔法で直すことはできないので、完全に修復されるにはまだしばらく時間がかかるだろう。


 周囲にできた人だかりの中には、試験官である騎士団の幹部たちだけでなく、下級騎士や一般の市民の姿もあった。大きなかごを抱えて飲み物や軽食を売り歩いている人の姿も見える。騎士団の実技試験は、この町の人たちにとってはお祭りみたいなものなのだろう。


「それではこれより、騎士団入団試験の実技試験を開始する」紫色の軍服を着た厳つい風貌の男が声を張る。「受験者、ベリーコイドのジェマ!」


「はいっ!」上ずった声でジェマは返事をする。


「貴様には我が騎士団の若手と試合をしてもらう。勝負は三回、一回でも勝てば晴れて入団の許可が降りる。貴様が戦うのは彼だ。七番隊所属、南タロンフォード出身、パーシー!」


 七番隊ということは、ハロルドの部下だろうか。


 声援と共に人込みの中から現れたのは、赤毛の少年だった。ジェマと同じくらいの背格好で、下級騎士の位を示す深い緑色の制服を着ている。港町タロンフォードの夕日を映したような緋色の目が印象的だ。


 パーシーと呼ばれたその少年は剣を引き抜き、ジェマに向けて切っ先を突きつける。好戦的な双眸に射すくめられ、ジェマはたじろぐ。気圧されまいと足に力を入れ、彼女もパーシーに倣う。


「ルールは単純だ。相手の剣を奪った者が勝ちとなる。剣が持ち主の手を離れて地面に着いた時点で負けと見なす。団員は魔法の使用を禁ずる。以上だ」


 ジェマとパーシーがうなずく。


「試合開始!」


 号令と同時に、パーシーが飛び出した。打ち出された矢のような一撃を、ジェマは剣で受ける。重い。押し返そうと踏ん張るが、相手はびくともしない。


「……この程度か」


 相手がそう呟いたのをジェマは聞いた。同じ年頃の少年にしては、思ったより高い声だ。


 ジェマが気を取られた隙に、パーシーは手首を返して彼女の剣を逸らす。バランスを崩し前のめりになった瞬間、手首に手刀が叩き込まれ、ジェマは剣を落としてしまった。あまりの早業に、なにが起こったのか一瞬理解できなかった。


「一本!」団員の勝利を示す青い旗が揚げられる。観客席からわっと歓声があがる。


「すごい……これが騎士団の実力なんですね……!」痺れた手を押さえながら、ジェマは感嘆の声を漏らす。負けた悔しさよりも、騎士団の素晴らしさを目の当たりにした感動が上回っていた。


「能天気な奴だな、君は」パーシーが溜息を吐く。「君さ、舐めてるの? 真面目にやってくれないと困るんだけど」


「す、すみません……」ジェマはしゅんと縮こまる。「もう一度お願いします!」


 再び号令がかかる。パーシーは仕掛けてこない。ジェマは渾身の力を剣に込めて、相手の剣を弾き飛ばそうと狙う。パーシーは涼しい顔をして、ジェマの突進を闘牛士さながら華麗にかわした。観客から大きな歓声があがる。


「あーあ。がっかりだよ。ハロルド様のお気に入りだって聞いてたから楽しみにしてたのに」パーシーはあからさまに退屈そうに剣を回す。


「え?」


「君、ゆうべの火災現場に居たろ。俺は怪我して加勢できなかったから、後で聞いた話だけどさ。騎士団員でもないのに、なんでうちの隊長と一緒に居たんだと思ったら、家に泊めて貰ってたんだって?」


「そ、それは……」


 言いよどむジェマに、パーシーは侮蔑を込めた視線を向ける。


「あの人も男だからね。女性に言い寄られたら、邪険にはできないよね」


「違います! ハロルドはそんなつもりじゃ……」


「真実なんかどうだっていいんだよ」緋色の眼光がジェマを射抜く。「俺はね、あの人にすり寄るメス猫を駆除したいだけなんだよ。あの人に近付くために騎士団を利用しようとする、薄汚いメス猫をね!」


「ちょ、メス猫って私のこと……うわっ!」


 パーシーの剣がジェマに牙をむく。魔法は使っていないはずなのに、剣圧で吹き飛ばされそうになる。ジェマは間髪容れず繰り出される剣戟を必死に受けながら、壁際へと追い詰められていく。


 パーシーの渾身の一撃が、ジェマの剣を弾き飛ばす。弾かれた剣はくるくると回りながら弧を描き、芝生に突き刺さる。


 視界の隅で青い旗が揚げられ、歓声があがる。ジェマは呆然と立ち尽くしたまま、パーシーの嘲笑を見ていた。


「聞いてごらん。誰も君の応援なんかしてない。不埒な動機で騎士団に入ろうとする奴なんていらない。やっつけてしまえ。みんなそう思っているんだよ」


「違う……私は……私はそんなんじゃ……」


 観客たちの声は雑然としていて、ひとりひとりの言葉は聞き取れない。しかしパーシーに言われた言葉のせいで、周りから浴びせられる声が自分を責め立て、罵倒しているかのように感じてしまう。それを否定してくれる味方は居ない。彼女は一人だった。


 三回戦目の号令がかけられる。ジェマは立ち尽くしたまま動かない。



   ☆   ☆   ☆



 団長室の窓から試合を見物していたホークバレー騎士団の団長は、「おやおや」と呟いて蜂蜜入りのハーブティーをすする。


「これはちょっとマズい状況かもなあ、あの子」


 パーシーは下級兵士の中でも指折りの剣士だが、手加減というものを知らない。会話は聞き取れないが、受験者がパーシーに押されているのは見ただけでもわかる。パーシーが詰め寄れば、受験者は同じだけ後退る。まるで猫に追い詰められたネズミみたいに。


「医療班の要請をしたほうがいいかもな」


 団長はそう呟いて、医務室に繋がる通信機に手をかけた。



   ☆   ☆   ☆



「違う……私が騎士になりたいのは、不埒な動機なんかじゃ……」


「違う? じゃあなんで君は騎士になんてなりたいわけ? 田舎からのこのこ出てきて財布盗まれたり、ハロルド様の足を引っ張ったりしてさ」


「それは……」


 言葉を探すジェマに、パーシーはなおも畳みかける。


「答えられないよなあ。実力も覚悟もないけど、騎士の男とお近付きになりたいから騎士団に入りたいんですーだなんて!」


「違う!」ジェマの足元で炎が燻ぶる。火事の燃え残りではない。ジェマの魔力によって生み出された、魔法の炎である。「私は、騎士になりたいからなるんだ!」


「おや、やっと本気になってくれるのかな?」


 挑発的な笑みを向け、パーシーが言う。


「でも無駄だよ。君はここで終わるんだ。なりたいから騎士になる? くだらないな。しょせん君の夢なんてそんなものだ。誇りも覚悟もないのなら、そんなくだらない夢は俺が打ち砕いてあげるよ」


 パーシーはわざと隙のある姿勢をとり、ジェマの攻撃を誘う。


「やってみろ!」


 覇気を帯びたジェマの怒声が会場に響き、周囲が静まり返る。


 誰も助けてくれないのなら、自分が強くなるしかない。


 強くならなければ、誰も守れはしない。


 ウィーゼルに敗北し、ジェマは自分の無力さを痛感した。火災現場の凄惨な光景に怖気付き、ハロルドに怪我をさせた後悔が彼女を苛んでいた。


 朝日に輝く瞳がパーシーを睨む。真顔になるパーシーに、ジェマははっきりとした口調で言い放つ。


「私は、私の意志で未来を切り開く!」


 ジェマの足元の炎が勢いを増し、炎の壁が彼女を包み込む。魔法によって発生した炎は術者を傷つけることはない。接近戦を仕掛ける相手にとっては厄介な壁だ。だがパーシーは焦った様子も無く、腹を抱えて笑う。


「はっは! なんだそれは! 威勢のいいことを言ったわりに、防戦一方じゃないか! そんな逃げ腰で俺に勝つつもりか? 舐めるな!」


 パーシーは怒声と共にジェマに向かって突っ込んでいく。パーシーの剣はジェマの腕を狙っていた。例え腕を切り落としたとしても、すぐに治癒魔法をかければ問題無い。少し痛い目を見せてやろうと、パーシーは考えたのだろう。


 炎の壁を突き破り、刃がジェマの腕を貫く。悲鳴のような声があがる。だがその声は観客のもので、ジェマは眉ひとつ動かさず立っていた。


 一瞬の混乱が命取りとなった。炎の壁が消えると同時に、その後ろからジェマの放った一閃がパーシーを襲った。


 ジェマの腕を切り落とした気になっていたパーシーは、期待した手ごたえがなかったことで困惑し、うっかり力を抜いていた。鋭い金属音が辺りに響き、パーシーの剣が宙を舞う。パーシーが斬ったと思ったのは、炎の光に屈折したジェマの幻影だったのだ。


「くそっ……!」パーシーは、宙を舞う剣に手を伸ばす。指が柄に触れるが、ギリギリで届かない。パーシーは地面を蹴り、飛び込むような姿勢で剣を追いかける。「舐めるなああああッ!」


 パーシーが地面に倒れ込むと同時に、芝が舞い上がる。その右手には剣が握られていた。


 パーシーが握ったのは柄ではなく、刀身だった。刃が指に食い込み、血が滴る。剣が地面に着いていないので、判定はセーフ。試合は続行となった。


「はは……はははは……! 残念だったな、メス猫!」立ち上がりながら、パーシーは笑う。血で滑るため、剣は左手に持ち直されている。「俺は騎士団の名誉を守るためなら、腕の一本でも二本でも差し出すつもりだ。お前にその覚悟があるか?」


「大人気ないぞパー君」


「今のは負けてやれよパー君」


「やかましい! パー君って呼ぶな!」観客席から飛んで来た同僚の野次に、パーシーは歯をむいて唸る。それから取り繕うように咳払いをして、左手で剣を構えてジェマに切っ先を向けた。「さあ来い。勝負はまだついていない」


「そうですか……わかりました」ジェマはパーシーを見返し、静かに答える。「それなら、私も全力であなたを叩き潰します。私の未来のために」


 その後の試合は熾烈を極めた。


 圧倒的な実力の差を前にあっさり負けると思われた少女は、炎の魔法を巧みに操る戦術によって力の差を埋めていく。ジェマは高度な魔法こそ使えないが、小さな火の玉を空中に設置することでパーシーの動きを妨害するなど、工夫を凝らした戦法で観客を沸かせた。


 対するパーシーも一歩も退かず、利き手が使えないというハンデも感じさせない身のこなしでジェマを追い詰める。剣を交わすたび試合は過熱し、観客の応援にも熱が入る。


 ようやく決着が付いたのは三十分後だった。一瞬の隙を突き、ジェマがパーシーの剣を叩き落すことに成功した。


 受験者の勝利を示す赤い旗が揚げられ、惜しみない声援と拍手がジェマに送られた。試合を終え、パーシーとジェマは同時に地面に倒れ、駆けつけた医療班により二人一緒に医務室に運ばれた。


 こうして、ジェマは晴れて騎士団に入団することになったのである。

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