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第五話

 盗賊が立ち去った後、墓地に集まっていた人々は顔を見合わせていた。


「今のって獣人だよな?」「あれが最近騒ぎになってた盗賊か」「あいつ怪我してなかった?」「もう来ないよな……」


 行き場の無い不安を少しでも軽減させようと、人々は囁き合う。


「怪我をした者は居ないか? 持ち物を盗られた者は?」


 凛とした声が、群衆のざわつきを鎮める。人々の視線が、墓地の門に現れた白い制服に集まった。ハロルドは周囲の人々に一人一人歩み寄り、状況を確認する。一通り見て回った後、彼は静かに口を開く。


「……被害は無いようだな。これから盗賊のアジトとなっていたこの墓地を改める。関係者以外は立ち去ってもらおう」


「おい、待てよ!」踵を返したハロルドを呼び止めたのは、上等な生地の服を着た若い男だった。「今逃げてったの、近頃街で騒がれてた盗賊だろ! 早く捕まえてくれよ!」


「その必要は無い」ハロルドは淡々と答える。


「なんでだよ! もし仕返しに来たら……」


「奴は獣人だ。この街に執着があるわけじゃない。もし仕返しに来たとしても、この街には我々が居る。市民の安全は、我々が必ず守る」


 ハロルドは男をまっすぐに見据え、力強く言い切った。その眼力に圧された男は渋々引き下がる。人々の顔に、安堵の笑みが浮かぶ。騎士団が居るなら大丈夫だ。そう呟く声が聞こえた。


「おい、貴様。ジェマとか言ったか」


「は、はい。なんでしょう?」


 ハロルドの後姿を眺めていたジェマの視線が、振り返った碧眼と重なる。背すじを正すジェマの隣に居るオビを指差し、ハロルドは淡々と指示を出す。


「貴様はその獣人を連れて留置所へ行け。僕の部下が案内する」


「えっ……?」留置所という言葉を聞いたジェマの顔が青ざめる。


「留置所といっても、役人と話をしてもらうだけだ」ハロルドは溜息混じりに補足する。「墓を荒らしたわけではないから投獄はされない。侵入だけなら、せいぜい罰金が科される程度だろう」


「罰金かあ……」ジェマは村を出たときより軽くなった鞄を見やり、小さく呟いた。



 ハロルドの部下の案内で、ジェマはホークバレー騎士団の兵舎に併設された留置所を訪れた。案内した騎士団員が受付に事情を説明している間、ジェマは見慣れない建物に不安がるオビの手をずっと握っていた。


 役目を終えた騎士団員は早々に持ち場に戻ってしまった。しばらくして役人が現れ、ジェマとオビは別々の部屋で話をすることになった。オビは人見知りが激しく自分のことを上手く話せなかったため、ジェマは今日知り合ったばかりの彼の事情も、わかる範囲で説明しなければならなかった。


 ジェマは墓場への不法侵入で厳重注意を受け、罰金五ロックの支払いを言い渡された。本来であれば倍支払わなければならないところだが、ウィーゼルの仲間だったオビを説得し、盗賊行為から足を洗わせた勇気は評価されるべきと判断されたようだ。


 次に、役人はジェマにオビを飼うつもりなのかと訊ねた。都市では、人に飼われていない野良獣人は駆除されることになっているという。もしウィーゼルが捕まっていれば、彼も司法によって裁かれることなく命を奪われていただろう。


 よほど凶暴な獣人でなければ、住民が引き取りたいと申し出る場合もある。だがそういった場合は稀で、人間のルールを獣人に教えるには費用も時間もかかるため、一週間以内に申し出が無ければ処分が実行されることになっていた。


 人に似た姿をしているとはいえ、獣人の生態は獣と変わらないといわれている。肉食性の彼らを街に放置していては、いつ人が襲われるかわからない。また、野生の獣人は病原体を持っている場合もある。獣人の駆除や首輪による管理は、伝染病の蔓延を防ぐ意味もあるのだ——と、役人は歯切れ悪く説明した。


「そうですか……」ジェマはしばらく悩んだ末、提案する。「あの、オビの処分はしばらく待っていただけないでしょうか」


「あてがあるのかい?」書類を捲っていた役人が顔を上げる。


「試験が落ち着いたら手紙を書いて、村の人に相談してみます。養蜂箱を狙う熊を追い払う番犬が欲しいって、近所のおじさんが言ってたので、たぶん引き取ってもらえると思います」


 ジェマの提案を受けた役人は少し考えてから、穏やかな口調で答える。


「そうだなあ……僕の一存では決められないけど、上司に話してみるよ」


「ありがとうございます。すみません、無理なお願いを」ジェマはほっと息を吐き、役人に深々と頭を下げた。


 ジェマの試験が終わるまで、ひとまずオビは留置所に預けられることになった。ジェマは役人に改めて礼と謝罪を述べ、外に出る。澄み切った夜空には綺麗な星が瞬いており、頬を撫でる風は冷たい。空っぽの腹が、ぐうと鳴いた。


 騎士団兵舎のほうからこちらに近付いて来る人影が見える。ハロルドだ。かがり火に照らされた彼の顔は、いつにも増して険しい表情を浮かべていた。


「話は終わったのか」ハロルドはジェマの姿を見止め、話しかけてくる。


「はい。今終わったところです。オビはしばらくここで預かってもらうことになりました」


「そうか」


 ハロルドは盗賊のアジトの調査を終え、上司に報告してきたところだという。


 墓地からはウィーゼルの被害に遭った品々が発見され、持ち主がわかるものは返却されることになったらしい。残念ながら、ジェマの財布だけはウィーゼルが持ち出してしまったため、返って来ることはなかった。受験票だけでも取り戻せたのは不幸中の幸いである。


「宿はどうするんだ」


「うーん、それなんですよね……お金が無いので、野宿でもしようかと」


 ジェマの返答に、ハロルドは呆れ切った溜息を吐く。


「昼間の件で懲りなかったのか? 泊まる宿が無いならうちに来い」


「えっ! し、しかし……」


「放置して犯罪に巻き込まれでもしたら迷惑だ。騎士団の名誉にも関わるからな」


「でも、あの……」しどろもどろになりながら、ジェマは言う。「ご迷惑ではないでしょうか? その、こんな田舎娘を、ご実家に……」


 ジェマは言いながら恥ずかしくなって、うつむいてしまう。ハロルドはそんなジェマを不思議そうに眺め、しばらくして「ああ」と言った。


「てっきり男だと思っていたが、貴様女か」歯に衣着せぬ言い方が、むしろ清々しい。「実家というか、騎士団から提供されている家だ。心配するな。個室なら余っている。それに、宿をとれない貧乏人を泊めるのは初めてのことじゃない」


 ジェマはハロルドの言葉に首を傾げつつも、その心遣いはありがたく受け取ることにした。



   ☆   ☆   ☆



 ホークバレーを離れたウィーゼルは、街の北側に位置する山中の洞窟で休息を取っていた。洞窟は山賊の根城になっていたが、数は少なかったので追い払うのは容易かった。


 新たなアジトで手に入れた有り合わせの薬品で、オビにやられた傷の手当てをする。まだズキズキと痛むが、薬が効いたのかだいぶマシになった。ウィーゼルは焚き火の前に横になり、目を閉じる。


 その直後、ウィーゼルの耳が物音を捉えた。二足歩行する生き物の忍び足のようだ。音の軽さからして、熊などの大型動物ではない。獣臭さは無いが、他のにおいもしない。生き物であれば汗や皮脂のにおいがするはずだ。なにかの魔法で隠しているのだろうか。


「誰だ?」ウィーゼルは低い声で唸る。


 岩陰からおもむろに姿を現したそいつは、樫の木でできた杖の先にカンテラを下げ、フード付きの黒いローブを身にまとっていた。顔は陰になっていてうかがえない。


「私は旅の魔術師でございます。一晩、宿をお貸しくださいませんでしょうか。かしこき神よ」魔術師は恭しくおじぎをして、感情の乏しい声で言う。声を聞く限り、若い男のようだ。


「俺は神じゃねえ」ウィーゼルは牙をむき出す。『貴き神』とは、狼を指す古い言葉である。狼型獣人たちの自称でもあるが、ウィーゼルはこの言葉が嫌いだった。「とっとと失せな。さもなきゃバラバラにしてネズミの餌にしてやる」


「おお、神よ。あなたは憎しみに捕らわれておいでだ」


「あぁ? ヤバイ薬でもやってんのか、てめェ」ウィーゼルは体を起こし、身構える。「おかしなことするんじゃないぜ。インチキ野郎。杖を置け」


 魔術師は動かず、焚き火が照らす口元には怪しい笑みが浮かんでいる。


「聞こえねえのか? 杖を置け。杖を手放すのが嫌ならとっとと出て行け。そのイカれた脳みそをぶちまけられたいのか?」


 ウィーゼルの背中の毛がぶわっと逆立つ。しっぽは垂れ下がり、耳がぺたんと寝ていることも彼は自覚していなかった。


「私はあなたの敵ではない。あなたの助けになりたい」魔術師は静かな口調で続ける。まるで呪文を読み上げるかのように。「教え給え、あなたの敵を。それを滅ぼすための力をあなたに与えよう」


 黒いローブの男の目が、金色に光ったように見えた。


 それは満月よりも優しく、己の深遠にある炎を燻ぶらせる、魅惑的な光だった。


「あなたが憎むものは、なんだ?」


 魔術師が問う。どこか現実味の無い、遠くから話しかけられているかのような心地だ。


「俺が憎むもの……? そうだな……」


 ウィーゼルの顔に、自然と笑みが浮かんでいた。気分がふわふわする。この感じは、酒に酔ったときの感覚に似ている。


 ふと、腕の傷が目に入る。オビに噛み付かれ、食い千切られた傷だ。雑に巻いた包帯には血が滲み、白かった包帯には赤い斑模様が浮かんでいた。傷は相変わらず、ズキズキと疼いている。


「ちょっとばかり、仕返しをしてやりたい奴が居てね……」


 目の前の魔術師は満足げに笑い、腰に提げていた鞄から宝石のようなものを取り出した。数センチ程度の、ルビーのような赤い石である。それをウィーゼルに差し出し、魔術師は言う。


「これを飲み込めば、あなたには望みを叶える力が宿るだろう。心配はいらない。体内に入れば、この石はあなたの体に馴染んで、あなたは新たな力を手に入れる」


 ウィーゼルは石を受け取る。焚き火の明かりに照らされて、石は一層赤々と輝く。怪しく、禍々しく、荒々しい光だ。ウィーゼルは魔術師に言われるがままそれを飲み込む。


 最初に現れた変化はかゆみだった。オビにやられた傷が酷くかゆい。ウィーゼルは包帯を引き千切り、傷を掻きむしった。


 自らの爪により抉られた傷口から黒い泥のようなものが溢れ出したかと思うと、傷はみるみる再生し、かゆみも収まった。次の瞬間、体の内側から焼けるような熱さを感じた。炉で熱せられた鉄を飲み込んだかのようだ。ウィーゼルは苦痛に喘ぎ、水を求めて洞窟から這い出す。


 洞窟の近くに小川があったはずだ。だが、小川に辿り着く前に、骨を無理矢理捻じ曲げられたような激痛が彼を襲う。


 蒸気のように熱い息が呻き声と共に口から漏れ、白いもやとなって立ち上る。筋肉は肥大化し、骨が軋み、伸びた体毛が全身を覆う。爪は黒金となり、牙は刃に変わった。吐く息は赤く、草木を燃やす。今宵は新月のはずなのに、辺りがやけに眩しい。


 美しくも禍々しい怪物と化したウィーゼルは、空に向かって高々と吠えた。

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