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第四十二話

 エイダが暗殺者に狙われたため、ハロルド達はその対応に追われていた。そのことをジェマが知らされたのは、翌日になってからだった。何故教えてくれなかったのかと問えば、「見習いは知る必要の無いことだ」とハロルドに一蹴された。


「騒ぎを大きくしたくなかったんだよ」正面のソファに座ったジェフリーが、申し訳無さそうに言う。「大っぴらに騎士団を動かすとみんな不安がるだろう? だから、今回はウィーゼル君の鼻を頼りにさせてもらったんだ」


「それで、昨日はウィーゼルを連れてなかったんですね」


 ジェマは隣に座るハロルドに視線を投げ、後ろに立つウィーゼルにも目を向ける。彼は気だるげに溜息を吐き、ジェフリーを睨み付けた。


「俺がアンタらに協力するのは、あの女が捕まるまでって話だったよな?」


「騎士団に力を貸したくないって言うなら、オビ君と相部屋にしてあげてもいいけどね」


「はっ、アンタ、相当な悪党だぜ」


「そんなことより」


 ハロルドに割り込まれ、ウィーゼルは皮肉を含んだ笑みを浮かべて肩をすくめた。


「団長。我々に頼みたいこととは?」


「ああ、そうだね。朝早くから呼び出してすまない」


 ジェフリーは、膝の上に置いてあった羊皮紙の筒をローテーブルの上に広げた。現れたのはセルペニアの地図だ。ジェフリーの指が南西へと向かい、『オルカテイル』と書かれた都市を指す。


「君たちには、ここへ行って貰いたいんだ」


「ここは……タロンフォード地方? ホークバレーの外は、騎士団の管轄外のはずでは?」


 ハロルドの疑問にジェマもうなずく。タロンフォード地方へ行け、という命令は、ジェマにとっては願ってもない。オビの故郷に関する手がかりが、そこで掴めるかもしれないからだ。ジェマだけならともかく、ハロルドにまでそこへ行けと命じるのは、どうにもきな臭い。


「昨晩君たちが捕まえてくれた暗殺者が、自分は『牙の一族』の一員だと言っていてね」


『牙の一族』。その単語を聞いた瞬間、ハロルドの顔色が変わった。ジェマにはいまひとつピンと来ない。


「『牙の一族』って、なんですか?」


「タロンフォードを根城とする、反社会組織だ」険しい顔つきのハロルドが答える。「昨日の事件は、奴らが関わっているということですか?」


「そうかもしれない、としか言えない。今のところはね。そこで、君達に彼の証言の真偽を確かめて来てほしいんだ」


「自分でそう名乗ったのでしょう?」ハロルドは訝しげに訊き返す。


「ああ。でも君も知っての通り、『牙の一族』はタロンフォードを主な活動拠点にしている。ホークバレーにまで手を拡げているという話は聞いたことがない。少なくとも、私が団長を務めるようになってからはね」


「確かに……妙ですね」


 北周りでストークケイプを経由するにしろ、山沿いの道を行くにしろ、タロンフォード地方からホークバレーへ続く道のりはかなりの距離がある。『牙の一族』が地方をまたいで活動するような大組織なら、騎士団はもっと警戒していたはずだ。


「彼が本当に『牙の一族』から送り込まれた刺客なら、今後の街の警備を強化する必要がある。でも騎士団の予算はカツカツだ。王宮騎士団から予算をつけてもらうには、確実な証拠が無いといけない」


「事情はわかりました。でも、確かめるってどうやって?」大きな不安を感じつつ、ジェマは訊かずにはいられなかった。「まさか、その組織にカチ込んで直接訊いて来い、なんて言いませんよね?」


「ああ、もちろんそんなことは言わないよ」


 ジェフリーはそう言って立ち上がり、事務机へと向かう。引き出しから取り出されたのは一冊の本だ。地図の上に置かれたその本の表紙に、ジェマは見覚えがある。とある貴族の波乱に満ちた旅を綴った冒険譚だ。


「名付けて、『ハリス・トールソンの冒険』作戦だ!」


 ジェフリー以外の三人が同じ顔をした。なにを言っているか理解できない、という顔だ。


「トールソンっていうのはこの本の主人公でね、昔実際に居た貴族なんだけど、彼は五男だから継承権が無くて……」


「冒険者になって、色んなところで事件を解決していくんですよね。知ってますよ、私も読んだことありますもん、その本」


 話の腰を折られたジェフリーは一瞬口ごもったものの、めげずに口を開く。


「まあ、なんだ。この物語の設定を使えば、君達が騎士団だと知られずに情報を集められると思ってね」


「なるほど……」ハロルドが神妙な顔をしてうなずく。「騎士団に所属する我々を『牙の一族』が歓迎するわけが無い。だから、身分を偽って連中の動向を探れ、ということですね。団長」


「そういうこと。さすが、ハロルド君は理解が早いね」ジェフリーは満足げにうんうんうなずく。「貴族の旅人を装って噂話を聞いていけば、なにかしら手がかりが得られるはずだ」


「わあ、なんか密偵みたいですね!」


 遊びに行くわけではない、ということは理解しているが、心躍らずにはいられない。物語の登場人物に成り切るというのは、少々恥ずかしくはあるけれど。


「確実な証拠が欲しい、とは言ったが、あまり無理はしなくていい。『牙の一族』がタロンフォードの外まで勢力を広げているかどうか、それだけ確かめてくれればいいよ」


「盛り上がってるとこ悪いんだけどよ」ウィーゼルが喰い気味に口を挟む。「そういう仕事なら、それこそアンタのお抱えの密偵でも使えばいいんじゃねェのか? こんなガキどもに任せていいのかよ?」


 ガキ呼ばわりされたハロルドがムッとした顔をする。彼はウィーゼルを睨みつつも、ジェフリーの答えを促すように視線を向けた。


「任務の危険度からいえば、私の部下を向かわせるのが妥当なんだろうけど……。また刺客が送られて来る可能性がある以上、留置所周りの警備も固めなくちゃいけない。それに、君たちくらいの若者のほうが、警戒されるリスクは低いんじゃないかと思ってね」


 民間騎士団を構成する人間は、二十から四十代の男性が中心だ。まだ十代のジェマやハロルドは、身分証を示さなければ傍目には騎士とは思われない。

 貴族の若者が見聞を広めるために旅をする、という話は、創作に限らずよくあることだ。ジェフリーが提案した作戦は悪くないように思えた。一つだけ、不安要素があるとすれば。


「あの、団長」ハロルドが手を挙げる。


「なんだい」


「恥ずかしながら……自分は、その物語を知らないのですが、今回の作戦に当たっては履修しておいたほうがよろしいでしょうか」


 物語の内容を知っているジェマは、噴き出しそうになるのをなんとか堪えた。主人公のハリス・トールソンは女好きのキザな伊達男だ。正反対の性格を演じるハロルドの姿は、ちょっと滑稽に思えた。


「いや、登場人物に成り切って演技するのは大変だろう。ジェマが内容を知ってるから、設定だけ教えてもらうといい」


「承知致しました」


「他に質問はあるかな?」


 ジェマは少し考えて、おずおずと手を挙げる。ジェフリーとハロルドの視線が向き——ウィーゼルは壁にもたれて目を閉じている——、ジェマはためらいながら口を開いた。


「今回の任務、オビも連れて行っていいですか?」


「オビを?」ハロルドが眉をひそめる。


「タロンフォード地方には、オビの故郷の手がかりがあるかもしれないんです。彼を連れて行けば、なにか思い出すものがあるかもって、思って……」


「貴様、話を聞いていなかったのか? 今回の任務は『調査』だ。遊びに行くんじゃない」ハロルドの口調はいつになく厳しい。「『牙の一族』に強力な魔術師が居るならともかく、今回の任務においてはオビは足手まといにしかならない。僕は反対だ」


「珍しく意見が合うじゃねェか、隊長さんよ」壁にもたれたまま、ウィーゼルが片目を開けてジェマを見る。「忘れたのか? あいつは人間を襲ってるんだぜ。もし向こうでアンタがチンピラどもに絡まれたら、今度は死人が出るかもしれねェ。それでもいいのかよ?」


「それは……」


 エイダを捕まえたときの、真っ赤な血に染まったオビの顔を思い出す。ジェマはそれ以上言葉を続けることができなかった。


「ジェマ。焦らなくていいんだよ。オビ君の故郷のことは私達が調べてる。彼を無事に家族の元へ帰してやりたい気持ちは、みんな同じだ。今回は、自分の仕事に集中してくれればいい」


 兄の優しい言葉が、なんだか辛く感じる。ジェマはただ、黙ってうなずくしかなかった。



 ジェマ達は団長室を出た。これからの時間は、タロンフォード地方へ向かうための準備に当てる。ウィーゼルは店には入れないので、先にハロルドの家に帰った。

 目的地のオルカテイル市はタロンフォードの中心に位置しており、最短ルートで終日馬車を走らせても、到着まで二日は掛かる。今は気温も高いので、休憩も考慮するともっと掛かるだろう。

 ジェマの人生において最も長かった移動は、村からホークバレーに来たときだ。それでも掛かった時間は半日足らずだったので、今回は経験したことの無い長旅になる。


「準備って、例えばなにを用意したらいいんですか? 私、こんなに長い旅に出るのは初めてで……」


「そうだな」ハロルドは顎に手をやり、考えながら答える。「今回はストークケイプ経由で向かうことになっている。ホークバレーからの直通の道には、山賊が出る箇所がまだ幾つかあるからな」


「はい」


「ストークケイプには賊はほとんど出ないが、獣に襲われることも考えられる。用心のために、武器と防具は用意しておいたほうがいい。防具は革製の軽装鎧が好ましいな。雨風を凌ぐために、外套も欲しいところだ」


「革の鎧と、外套ですね。他には?」


「薬と食料、水、野営用の寝袋。テントもあれば申し分無いが……」


「ち、ちょっと待ってください」ジェマは思わずハロルドの言葉を遮った。「そ、そんなに必要なんですか?」


「消耗品はストークケイプで買い足せばいいから、まず用意すべきはテントと寝袋だな。今は夏とはいえ、夜は冷え込むから……」


「いや、あの、宿に泊まったりとか……しないんですか?」


「あそこの宿は高いんだよ。ほとんどが貴族向けだからな」溜息混じりにハロルドは答える。「それに、今は春に生まれた仔馬を買い付けに、セルペニア各地から貴族がこぞってやって来る時期だ。事前に予約をしないと、宿は取れない」


「それなら、ハロルドの実家に泊めてもらうっていうのは……流石に図々しいですかね」


「いや、そんなことは無いが……リース家の屋敷があるのは、目的地とは反対側だ。遠回りになってしまうから、寄るのは難しいだろうな」


「そうですか……」色々と不安はあるものの、のんびりしているわけにもいかないのだから仕方無い。「でも、タロンフォードに入ったら、宿に泊まれるんですよね?」


 一瞬、悩むような表情が見えたが、すぐに顔を逸らされてしまう。


「時間が惜しいから歩きながら説明する。ついて来い」


 旅支度の買い物の道すがら、状況を理解し切れていないジェマに、ハロルドは細かく説明してくれた。


「結論から言えば、なるべく宿に泊まるのは避けたい。タロンフォードの宿は『牙の一族』の息が掛かっていることが多いからな。僕らのような余所者はどうしても目立つ。事を荒立てたくないなら、地元の住民とはあまり関わらないほうがいい」


「暗殺を請け負うような人達を、人々は支持してるんですか?」


「『牙の一族』を敵に回したい賊は居ない。『一族』の傘下に入れば、安全は保障されたも同然だ。但し、連中を怒らせない限りは……だがな」


「でも、タロンフォードにも騎士団はあるんですよね。なにも犯罪組織に頼らなくても……」


「向こうの騎士団の現状なら、兄上から聞かされたことがある。連中は最早『牙の一族』の傀儡かいらいに過ぎない。先の戦で一度壊滅して、すっかり腑抜けてしまったらしい」


 戦争当時はオルカテイルという都市は無く、クィン家とマロウ家という二つの貴族が、タロンフォードの南北を治めていた。

 港町であるタロンフォードは、軍事的にも経済的にも重要な拠点である。ゴラド王国との国境に近いこともあり、開戦当初から激しい攻撃に晒され続けていた。

 南タロンフォードの騎士団を指揮していたクィン家の当主は戦死、一人息子は行方不明となり、北のマロウ家は跡継ぎの男子を失った為、両家とも事実上は断絶してしまった。

 騎士団は解体され、戦後、タロンフォードがオルカテイルを含む三つの都市に分けられてから、民間騎士団として再結成された。その際、人員の確保や資金の提供に大きく関わったのが『牙の一族』だったという。


「犯罪組織が、新しい騎士団の設立に協力を? どうして?」


「さあな」


 旅装束を売る店の扉を開きながら、ハロルドは答える。「いらっしゃいませ!」と威勢良く飛んで来た声に会釈を返し、ジェマも後に続く。


「民衆の支持を得て商売をやり易くしたかったのかもしれないし、騎士団を味方に付けて、ライバルとなる他の組織を潰したかったのかもしれない。もっとも、犯罪組織の考えなど知ったことじゃないがな……。よし、これにしよう。貴様も早く選べ」


「あっはい、えっと……」ジェマは視線を巡らせ、一番安い値札の付いた外套を手にする。「じゃあ、これにします」


「本気で言ってるのか?」ハロルドは眉をひそめる。「夏と言っても晴れの日ばかりじゃないんだぞ。こんなペラペラの布切れで雨風が凌げるか」


 不躾とも取れる発言の後ろで、店主が苦笑いを浮かべているのが見えた。


「で、でも……私の手持ちじゃこれが精一杯で……」


 もごもご言うジェマに、ハロルドは眉間を押さえて溜息を吐く。


「外套一枚くらい、騎士団の経費でまかなえる。せめてもう少し厚手の物を選べ」


「すみません、ありがとうございます……」


 フード付きの外套と防具一式——防具は体型に合わせて調整する為、後日引き取ることになった——を揃えた所で、その日の買い物は終了した。


「残りの物は僕が用意しておくから、貴様は帰って休め」


「えっ、でもまだ午後の仕事が……」


「明日の朝には出発する。疲れを残さないよう早めに休んでおけ。貴様の仕事は別の者に頼んでおく」


「わかりました。じゃあ、お願いしますね」


 まだ日の高い内に仕事から解放されるのは、なんだか落ち着かない。とはいえ、先に待っているのは経験したことの無い長旅だ。ハロルドの言う通り、疲れを残しておくのはまずい。

 遅めの昼食を取ったら、マシュマロウ通りの喫茶店でお菓子をつまみながら、久しぶりにゆっくり本でも読もうか。

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