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第三十三話

 ウィーゼルの攻撃が止んだ隙に立ち上がった黒い怪物は、ウィーゼルやハロルドには目もくれず、ぐるぐると唸りながら森の奥へと姿を消した。

 ハロルドは鉄兜の獣人——今は兜は外れているが——を凝視したまま微動だにしないウィーゼルに声をかける。


「そいつがどうかしたのか、ウィーゼ……」


 ハロルドの言葉を遮るように、茂みから何かが飛び出した。風を切る音を聞き、ハロルドは咄嗟に上体を引く。眼前数センチのところを爪が薙ぎ、逃げ遅れた前髪が数本、ぱっと飛び散った。

 ハロルドを仕留め損ねたそいつは、牙を剥いて飛びかかって来た。ハロルドは手近にあった木の枝を拾い、攻撃を受け止める。が、そこそこの太さがあった即席の武器は易々と噛み砕かれ、ハロルドは木の幹に叩きつけられた。


「魔女はどこだ!」


 鉤爪を備えた両手でハロルドを押さえ付け、鋭い牙を見せ付けるようにして、そいつは言う。明るい茶色の毛皮を備えた獣人。鉄兜の獣人の仲間だ。初めて声を聞いたが、女の声だった。


「魔女? 誰のことだ?」


 ハロルドが疑問を口にすると、茶色の獣人は鼻面にしわを寄せた。


「お前たちが一緒に居た女のことだ。お前も仲間なんだろう!」


 獣人の手が、ハロルドの喉にかけられる。ハロルドはぎりぎりと締め付けるその手から逃れようともがくが、人間の力で獣人に敵うはずも無く、無駄に体力を消耗するだけだった。


「魔女の居場所を吐け! じゃないとこのまま……」


「ばあか。首絞めたら話せねェだろうが」


 意識が遠のきかけた時、ウィーゼルの声が聞こえた。

 首から手が離れ、ハロルドは咳き込みながら膝を付く。酸素を貪るように呼吸を整えながら顔を上げると、茶色の獣人がウィーゼルに首根っこを掴まれてじたばたしていた。牙をむき出し、ガウガウ吠えながら背中の毛を逆立てている相手とは対照的に、ウィーゼルは涼しい顔をしている。


「離せ! 魔女の手先め!」


「おうおうずいぶんな言い方だなあ? 兄貴の顔を忘れちまったのか?」


 茶色の獣人の動きが止まり、訝しげな目付きでウィーゼルを見る。においを確かめ、山吹色の目を大きく見開いたかと思うと、くしゃっと顔を歪ませ、逆立てていた毛も落ち着いた。しっぽを振ってこそいないが、剥き出しだった敵意はすっかり消えている。


「久しぶりだな、レイ」


「にい、さん……」


 ウィーゼルが手を離すと同時に、レイと呼ばれた茶色の獣人は彼に抱き付いた。耳を倒し、千切れんばかりにしっぽを振っている。少し離れたところで、鉄兜の獣人がよろよろと起き上がり、その様子を見ていた。


「……これはどういうことだ。説明しろ」


 ハロルドが声を発すると、茶色の獣人は態度を豹変させた。四つ足の姿勢で牙を剥く彼女の前に、ウィーゼルが割って入る。


「話せば長くなるから詳しくは言わねェが、まあ、こいつらは俺の身内だ」


「貴様、はぐれではなかったのか」


 一匹狼という言葉があるが、セルペニアではこれを『はぐれ』と呼ぶ。狼獣人のオスは成熟すると一人立ちして新しい群れを作るのだが、体が弱かったり、狩りが下手だったり、性格に問題があったりなどして群れを作れなかった個体は、はぐれとなって彷徨うことになる。戦争の影響で群れを失い、はぐれとなった獣人も珍しくない。

 人を襲ったり、盗みを働く獣人の多くははぐれである。自然界で危険を冒して狩りをするよりは、人里近くで食い物を漁るほうが断然楽だからだ。

 ホークバレーで盗賊行為をしていたウィーゼルも、そういったはぐれの個体なのだろう。ハロルドはそう思い込んでいた。


「色々あったんだよ」ウィーゼルはおどけたように肩をすくませた。



 茶色の獣人の名はレイ、鉄兜の獣人の名はヘイルというらしい。どちらもウィーゼルのきょうだいで、訳あって生き別れていたという。久々の再会だろうに、ウィーゼルの反応は薄い。獣人の感覚ではこんなものなのだろうか。


「リュンクスはどうした?」


 末っ子の名前だ、と、ウィーゼルは水浴びを終えたハロルドを一瞥して付け加える。


「今のが、リュンクスだよ」


 ためらうように間を空けて、レイが答えた。

 ウィーゼルの表情に動揺は見られない。「そうか」と一言呟いて、手を握ったり開いたりしている。


「ああなったのはいつからだ?」


 ハロルドが質問すると、レイの体が強張り、背中の毛が逆立った。魔女の仲間という誤解は解けたものの、人間に対する苦手意識は根深いようだ。


「いいからさっさと服を着ろ、お前は」


 ウィーゼルが制服を投げて寄越す。乱暴に洗ったらしく、胃酸で痛んだ部分以外にも綻びが出来ている。街へ戻ったらまた新調しなければならないな、などと思いながらも、ハロルドはなにも言わず袖を通した。


「満月の前の、三日月の頃」


 警戒心を露にしながらも、レイは小さな声で答える。

 三日月の頃といえば、三番隊襲撃事件の犯人だと疑われたウィーゼルを追って、ホークバレー近郊の山へ入った日だ。あの日ジェマは魔術師と戦ったと言っていたが、その正体は土人形だった。魔術師の本体は、ウィーゼルの代わりとなる新たな被検体を探していたのか。


「森で鹿を追ってたら、リュンクスが居なくなってて……私たちが見付けたときには、もう……」


 怪物の姿になった弟を、彼らは必死に守ってきたのだという。姿は変わっても大切な家族だ。最初の内は彼も理性を保ち、時折押し寄せる破壊衝動に抵抗していたが、呪いの力が増していくにつれ残虐性を増し、動物や人を見境無く襲うようになっていったらしい。

 呪いによって怪物となった者は、ただ破壊と殺戮を撒き散らすだけの存在になる。殺す為に喰らい、殺す為に壊す。もたらす被害は、害獣や山賊の比ではない。それゆえに、怪物化の呪術は禁忌とされたのだ。

 ウィーゼルという例外も居ることは居るが、皆が皆彼のように適応出来る訳では無い。


「で、魔女とやらを探し出してとっ捕まえて、お前らはどうするつもりだったんだ?」


 苔の生えた岩に腰掛けたウィーゼルが、妙に冷めた口調で問いかける。


「リュンクスをあんな風にしたのはあいつだ。だから、あいつなら元に戻せるはずだって思ったんだ」


「なるほどね」


 足を組み直し、数回軽くうなずいている。弟を助ける作戦でも考えているのだろうか。


「なら、我々の利害は一致しているという訳だ。魔術師を捕らえればジェマを助け出せるし、彼らのきょうだいも救える」


「協力してくれるのか?」顔をしかめながらも、レイの声色は上ずっていた。


「いや。ここは俺らに任せておけ」ハロルドに代わり、ウィーゼルが妹を制する。「リュンクスのこと、頼むぞ」


 きょうだいたちは顔を見合わせ、ウィーゼルに向かってうなずいた。


「よし、そうと決まればさっそく……」


 違和感に気付き、ハロルドは言葉を止める。辺りを見回し、違和感の正体に気付いた時、背筋に悪寒が走った。


「オビはどこだ?」


「あ?」


 ウィーゼルもオビが居なくなったことに気付いていなかったらしい。きょろきょろと辺りに視線を向け、ばっとこちらを振り返る。


「おい、まずいぞ! あいつ一人で行きやがった!」


「くそ……っ」


 ジェマが危機に瀕している状況で、オビが大人しく待っていられるはずはなかった。話し込むハロルドたちに痺れを切らし、一匹で助けに向かったのだ。

 魔術師はどんな罠を張っているかわからない。廃墟の砦で、矢を受けたオビを助けた時のことを思い出す。オビに魔法が利かなくても、傷を負わせる方法はあるのだ。


「急ぐぞ。オビを失う訳にはいかない」


「わかってるよ」


「いや、ちょっと待て」


 駆け出そうとしたウィーゼルが勢い余ってすっ転ぶ。

 文句を言いたそうに口を開きかけたウィーゼルに首輪を嵌め、ハロルドは満足げにうなずいた。


「危なかった。忘れるところだった」


「忘れててもよかったんじゃねーかな……」


「つべこべ言うな。行くぞ」


 一方的に言い放ち、ハロルドは駆け出す。ウィーゼルが文句を言いながらついて来るが、構っている場合ではない。馬を連れて来なかったことを悔いながら、ハロルドは出来る限り急いで森の出口へと走った。

 数十メートル程走った所で突然足の力が抜け、ハロルドはつんのめるように転んだ。地面が柔らかい腐葉土に覆われていた為怪我はしなかったが、何故かすぐに立ち上がることが出来ない。たいした距離を走った訳でもないのに、体が熱を持ち、呼吸が荒くなる。


「なにやってんだよ」


 呆れたようなウィーゼルの声。


「うる、さい。僕に構うな……っ、行け……っ!」


 体が熱い。腕が疼く。嫌な予感がして、右の掌を見る。

 かさぶたのような鱗が、再び浮き上がって来ていた。一度は収まったものの、呪いの影響は消えていなかったのだ。

 ウィーゼルが溜息を吐き、こちらに戻って来る。ハロルドは慌てて鱗の浮いた手を隠した。


「擦り剥いたくらいで泣くなよ? 坊ちゃん」


「黙れ……!」


 呪いに抵抗するために魔力を消費しているせいだろう。焦りとは裏腹に、体に力が入らない。踏ん張りが利かずに再びよろけたハロルドを、ウィーゼルはニヤニヤしながら眺めていた。


「また助けてやろうか?」


「うるさい……。先に行けと……言っただろう……」


「こいつが無けりゃそうするんだがね」首輪を示し、ウィーゼルは皮肉めいた笑みを浮かべる。「どっちにしろ、アンタを連れて行かないといらん疑いを掛けられるんでね」


 否応無く腕を掴まれ、ぐいと引っ張られる。ハロルドは無理矢理立たされ、肩を組まれた。


「離せ」


「強がるなよ。なんならおぶってやろうか?」


 軽口を叩くウィーゼルは、ハロルドの肉体の変化に気付いていないように見えた。あまり意地を張っては、余計に怪しまれる。


「たいして走ってないのにもう息切れか? 人間ってのはつくづく貧弱で嫌になるねェ」


 ハロルドが黙っているのをいいことに、ウィーゼルは好き勝手に愚痴を垂れ始めた。じろりと睨んでやると、しまったと言うように口を噤んで目を逸らす。

 ウィーゼルに肩を貸して貰ったお陰か、少しずつ呼吸が楽になって来た。体の熱も収まり、腕の疼きも消えている。だが、いつ何をきっかけにぶり返すかわからない以上、油断は出来ない。

 事が済むまで持ってくれればいいのだが……。ハロルドの胸中に浮かんだ不安は、消えることは無かった。

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