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第十八話

 ジェマはハロルドを追いかけて外に出る。淡い月光が、体の一部を怪物と化したウィーゼルと、彼に切っ先を向けるハロルドを照らし出していた。


「いいのかァ? 俺の処分は街に戻ってから決めるんじゃなかったのかよ」


「言ったはずだ。貴様には消えてもらう。何度も口車に乗ってやると思うな!」


 ハロルドの手から放たれた雷撃がウィーゼルを襲う。ウィーゼルの巨大な腕が、それを払い除ける。


 軌道を逸らされた雷撃は近くの木の幹を直撃し、雷を浴びた木は内部の水分が膨張し破裂した。木片が飛び散り、ハロルドの頬に赤い筋を刻む。


 木片に気を取られて生じた隙を突き、巨大な腕がハロルドの頭に振り下ろされる。ハロルドは横に跳んでそれをかわすが、彼の代わりにウィーゼルの一撃を受けた地面は地響きと共に砕け、土や石を辺りにばら撒く。


 森が破壊され、起こされた動物たちが散り散りに逃げていくのを、ジェマはただ見ていることしかできなかった。


「んー、なに? うるさいよう」


 眠っていたはずのオビが、この騒ぎで目を覚ましたようだ。眠そうな目を擦りながら、ジェマのそばに寄ってくる。


「オビ! お願い、二人を止めて!」ジェマはオビに縋るような視線を向けた。


 オビは寝ぼけているのか、ぼうっとした目で辺りを見回し、激戦を繰り広げるハロルドとウィーゼルの姿を見止めると、ああ、と気の抜けた声を出す。


「ほっとけばいいじゃん」


「え、なんて……?」


 ジェマが聞き返すと、オビは大きなあくびをしてから答える。


「喧嘩したい奴は気が済むまでやらせとけっておばあちゃんが言ってたよ」


「そういうわけにはいかないよ。このままじゃ森が……」


「オビはジェマが無事ならそれでいいよ。森が壊れても、ジェマのせいじゃないよ」オビはそう言ってもう一度あくびをする。


「……わかった。じゃあ私が止めてくる」


「ダメだよっ!」


 足を踏み出したジェマの手を、オビが掴んで引き止める。ジェマの背筋にぞわっと悪寒が走った。不安げな瞳が、ジェマを見据える。


「行かないで」


 オビ自身は力を入れているつもりは無いようだったが、鋭い爪はジェマの袖を引き裂き、冷たい刃物のような先端が皮膚に触れていた。


「ジェマが怪我したらやだよ。ここに居てよ」


 オビの目から視線を逸らすことができない。言葉を発する彼の口から、獣の牙が覗く。ジェマが動かないことに安心したように、オビは無邪気に微笑んで手を離した。


 ハロルドとウィーゼルの戦いで、周りの木々はなぎ倒され、若葉が生い茂っていた森の面影は無くなっていた。


 雷撃を連射したせいか、ハロルドの息はあがっていた。彼の肌にはウィーゼルの爪や木の枝に引っ掛けた切り傷が幾つも刻まれ、白い制服は土と血で汚れていた。しかしその碧眼から闘志が消えることはなく、彼は青白い光を帯びた刃を構える。


「いいかげんにしろよ……」ウィーゼルが牙をむき、唸る。狼は汗をかけないので、体温を調節するために呼吸が荒くなっていた。「助けたと思ったら、いきなり殺そうとしてきやがって……なんのつもりだ、てめえ」


 ウィーゼルの腕が元の大きさに戻った。戦意を失って降参するつもりなのかと思いきや、ウィーゼルは四つ足の姿勢を取って尾を立てる。獲物を仕留める体勢だ。


 ウィーゼルが牙をむき、ハロルドに飛びかかる。対するハロルドも雷を纏ったレイピアを構え、向かってくる獣に刃を向けた。


 このままではどちらかが死んでしまう。ジェマは直感的にそう感じ、オビを振り切って駆け出した。だが、距離が遠すぎる。間に合わない。ジェマは思わず目を瞑る。


 牙が肉に食い込む音も、電流が弾ける音も、聞こえなかった。唐突に訪れた静寂に、ジェマは恐る恐る目を開ける。


 目の前に、糸が切れたように横たわるハロルドの姿があった。少し離れたところでウィーゼルも同様に倒れている。彼らの体に決定打となり得る外傷は見当たらない。なにが起こったかわからないでいるジェマの耳に、オビの声が飛び込む。


「ジェマ!」


 その声に、ジェマは一瞬身をすくませた。オビはジェマを庇うように前に躍り出ると、耳としっぽを立て、四つ足の姿勢で暗闇を睨みながら低く唸った。その表情には困惑の色が見え、忙しなくにおいを嗅いでは首を傾げている。


「ど、どうかしたの? オビ」


「なにか居るよ。でもにおいがしないの。変だな……」


 暗闇の中で、なにかが動いたように見えた。森に住む動物だろうか。


「誰か居るんですか?」ジェマは思い切って声をかけた。緊張のあまり、声が裏返りそうになる。


 がさり、と茂みが揺れる。近付いて来る相手に、オビが牙をむいて吠えた。雷鳴にも似た咆哮に、相手が息を飲む音が聞こえた。


「……これは驚いた」


 聞き覚えの無い声だった。若い男の声に聞こえるが、中性的な女性の声のようでもある。『驚いた』と彼——はっきりとわかったわけではないが、ジェマは相手が男だと思った——は言ったが、その口調に込められた感情は希薄で、なにを考えているかわからない不気味さを感じさせる。


「寝床を探しているのなら、申し訳ありませんが他を当たってください。それ以上近付くようなら攻撃します」ジェマは剣の柄を握り、ゆっくりと言い放つ。


 茂みが揺れる。ジェマの警告は無視されたようだ。茂みをかき分け、草を踏みしめる音がこちらに向かってくる。

 ジェマは剣を抜いた。オビはジェマを庇うように前に出て、毛を逆立てて唸る。


「戦うつもりか。この私と」


 無感情な声と共に、そいつは茂みの中から姿を現した。


 漆黒のローブを身に纏った呪術師風の人物。その手には木製の杖が握られている。なにより目についたのは、闇夜に浮かび上がる金色の目。


 その人物の外見は、ウィーゼルが話していた魔術師の特徴と一致していた。


 ジェマの視界の隅を何かが横切った。オビだ。オビはジェマが止める間もなく、魔術師に向かって駆け出していた。魔術師は道端の石を投げるような気軽さで、杖の先から巨大な火球を放つ。直径二メートルはありそうな巨大な火の球がオビに襲いかかる。


「オビ!」


 ジェマは叫ぶ。ジェマも炎の魔法を使うが、本業の魔術師が相手では太刀打ちできるはずもない。彼女の魔力を干渉させたところで焼け石に水だ。


 オビは避けようともしなかった。牙をむき、魔術師に猛然と飛びかかる。


 魔術師が放った火球が、オビに命中する直前に霧散した。こけ脅しだったのだろうか。だが、その現象を目の当たりにした魔術師が息を呑むのを、ジェマは確かに聞いた。


 魔術師は慌てたように杖を構え直し、魔力を集中しはじめる。辺りの空気が冷えてきたように感じ、ジェマは身震いする。そのとき既に、オビの牙は魔術師を捉えるまであと数十センチというところまで迫っていた。


「ぎゃん!」


 悲鳴をあげたのはオビだった。オビの牙は魔術師に届くことはなく、空中に静止していた。突如現れた氷の塊によって、オビの下半身が捕らえられてしまったのだ。


「魔法が効かないという伝説は本当だったようだな……だが、周りの空気は別だ」冷や汗を拭う仕草をしながら魔術師は言う。「ドラゴンか。まさか本当に実在するとは……」


「え?」


 もがくオビと戸惑うジェマを尻目に、魔術師はウィーゼルのそばに近付き、しゃがみ込む。彼に息があるのを確認すると、「ふむ……」と言って立ち上がり、杖をかざした。ウィーゼルの体が水に浮かべたようにふわりと浮き上がる。


「待って! 彼をどうするつもりですか!」


 震える手で剣を構えるジェマに魔術師は振り返ろうともしない。ジェマは質問を重ねる。


「ハロルドとウィーゼルが倒れたのは、あなたの仕業ですね?」


「なんなんだ? 君は」魔術師はようやくジェマへ振り返り、怪訝な目を向ける。


「質問に答えてください」


「ああ、彼らは君の仲間か」


 倒れているハロルドとウィーゼルを一瞥し、魔術師は淡々とした声で答える。


「少し眠ってもらっただけだ。目覚めるかどうかは彼ら次第だがね。君もこうなりたくなければ静かにしていたまえ。それとも、私のことを嗅ぎまわっていた連中のように、痛い目を見ないとわからないかな?」


 魔術師は杖をジェマに向け、金色に光る目を細める。


「三番隊の人たちも、あなたが……?」


「彼らには催眠が効かなかったからね。直接攻撃してお引取り願うしかなかった。巻き添えで実験体を吹き飛ばしてしまったときは焦ったが、生きていてくれてよかったよ」


「実験体……ウィーゼルのことですか?」


「そうだ」魔術師は淡々と答える。「今まで何十体もの実験を行ったが、そのどれもが力に耐え切れずに精神や肉体を崩壊させていった。だが彼はそうはなっていない。実に興味深い。希少な成功例として、彼の体を調べなければならない」


「やっぱり、あなたがウィーゼルを……」


「質問は終わりだ、お嬢さん。君にもしばらく眠ってもらおう」ジェマの言葉を遮り、魔術師は杖を構える。


 ジェマは剣を握り直し、魔術師に切っ先を向けた。


 訝しげに目を細める魔術師に対し、ジェマは毅然と名乗りを上げる。


「申し遅れました。私はホークバレー騎士団七番隊所属、騎士見習いのジェマと申します。街を荒らす盗賊を追って捕らえる任務を賜っていますので、勝手に連れて行かれては困ります」


「七番隊か……魔法もろくに扱えないただの剣士が、この私に挑むと?」


「できれば平和的に解決できたほうが、こちらとしては有り難いのですがね」


「ふん」魔術師はジェマの言葉を鼻で笑う。「そういう台詞は優位な立場の者が言うものだよ、騎士見習い君。私を圧倒するほどの力を君が持っていないことはわかっている」


「それはどうでしょうね」


 ジェマの視線を追った魔術師の目が見開かれる。


 氷に捕らわれていたオビの姿が、いつの間にか消えていた。ジェマが指を鳴らすと、氷を炙っていた小さな火の玉が弾けるように次々と消えていく。魔術師がウィーゼルに気を取られている間に仕掛けておいたのだ。


「素人魔法でも、氷を溶かすくらいのことはできます。やれ、オビ!」


 ジェマの声と同時に、オビが魔術師に飛びかかる。魔術師が慌てて構えた杖を、ジェマの剣が弾き飛ばす。杖はくるくると回りながら崖下へと落ちていき、宙に浮いていたウィーゼルの体がどさっと地面に落ちる。


 オビの牙が魔術師の肩に食い込む。苦痛に満ちた悲鳴が闇夜に響いた。


「オビ! 殺しては……」ダメだ、と言いかけて、ジェマは言葉を止める。


 オビが喰らい付いた魔術師の体が、ボロボロと崩れていく。黒いローブだけを残して、魔術師の体は灰色の砂となって崩れ落ちた。


「これは……砂? 人形……?」


 今相手にしていたのは、魔術師が操る土人形だった。崩れ落ちた砂の山は、突風と共に宙に舞い上がり、跡形も無く飛んで行った。


 木々を揺らす風の音に混じって、不気味な笑い声が聞こえた気がした。

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