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第十七話

 ハロルドは見張りのために小屋の出入り口に立っていた。山賊や夜行性の獣の襲撃を警戒してのことだ。


 夜が更けるにつれて霧は晴れ、三日月の明かりが辺りを照らしている。楽器を奏でるような虫の声に混じり、フクロウの鳴き声や狼の遠吠えが時折聞こえるだけで、実に静かな夜だった。


 小屋の中でがさごそいう音が聞こえ、一瞬緊張が走る。ウィーゼルが脱走を図ったのかという考えがよぎったが、背後に現れた人物の顔を月明かりが照らすと、ハロルドはレイピアの柄を握っていた手を離した。


「どうした、眠れないのか」


 声をかけると、ジェマは困ったように微笑んで頬を掻く。


「ええ、ちょっと。床で寝るのは慣れてなくて」


「ベッドならもうひとつ空いていたのではないのか」


 小屋には二つベッドが備えられていた。ひとつはウィーゼルが占領しているが、もうひとつは空だ。オビはかまどの前に陣取り、鍋を抱えて丸くなっている。夕食に作った干し肉のスープの残り香が心地好いのだろう。時折むにゃむにゃ言っているが、よく眠っているようだ。


「上司を差し置いて部下がベッドを使うっていうのは、ちょっと」


「遠慮なんてしなくていい」ハロルドは素っ気無くそう言って窓に視線を戻す。「僕は床で寝ることは遠征で慣れている。貴様はそうじゃないだろう。変な気を使って体調を崩されたら困る」


「……ハロルドって兄弟居ます?」


 唐突な質問を投げられて、ハロルドはジェマへ怪訝な顔を向ける。


「兄と弟が居るが、それがどうした」


「ああやっぱり。いえ、なんか、ハロルドって時々兄さんみたいなこと言うなあって思って」


「団長みたいな?」


 聞き返せば、ジェマは「そういうわけじゃなくて」と苦笑する。


「兄さんに似てるって意味じゃなくて、お兄ちゃんっぽいなあってことですよ」


「そういうことか」うなずきつつ窓の外へ視線を戻そうとして、ハロルドは思い出したようにジェマに向き直る。「そう言う貴様こそ、昼間の交渉術は団長から習ったのか?」


「交渉術?」


「ウィーゼルを説得してみせただろう」


 自分よりも経験も体力も魔力も劣る騎士見習いの少女が、危機的状況を自力で切り抜けたことに、ハロルドは少なからず衝撃を受けていた。


 ジェマを人質に取られたとき、ハロルドにはなにもできなかった。雷撃でウィーゼルを撃てばジェマも無事では済まなかったし、刃を抜いて斬りつけようにも、ウィーゼルの爪がジェマの喉を切り裂くほうが速い。そんな状況を、ジェマは話術のみで切り抜けたのだ。


 ホークバレーにウィーゼルが現れてから四年間、ハロルドはウィーゼルと話し合いをしようとは考えもしなかったし、できるとも思っていなかった。街の人々を脅かす悪が在るのなら、それを排除することが自分の使命だと信じていたからだ。


「あー、あれですか」


 妙に歯切れの悪い返答だ。照れ臭そうに頬を掻きながら、ジェマは答える。


「交渉とか説得の技術を学んだわけじゃないんですけど、以前ウィーゼルに会ったとき、彼の気持ちを考えないでものを言ってしまったせいで、痛い目に遭ったことがあって。ウィーゼルならこういうときどう考えるかなって、私なりに考えてみた結果なんですけど」


 ハロルドは内心舌を巻く。ウィーゼルを探しに出たとき、彼女は『戦わずに済めばいい』と言っていたが、あれは単にウィーゼルに同情して言った言葉ではなかったのだ。


「まあ、上手くいったのでよかったです」


 にこっと笑うジェマに、ハロルドは素直な疑問をぶつける。


「貴様の家は商人かなにかなのか?」


「いえ、鍜治屋ですけど」


「商売はしているわけか。どうりで……」


「どうりで?」


「口が上手いなと思っただけだ」


 ハロルドは褒めたつもりだったが、ジェマはなんとも言えない表情を浮かべた。


「……もう夜も遅い。そろそろ横になったほうがいいんじゃないか?」


「いえ。ハロルドこそ休んでください。リーダーがしっかりしてくれないと困ります」


「それを言うなら貴様こそ休んでもらわないと困る。足手まといが増えるのはごめんだ」


「あのォ、お二人さん」


 唐突に投げられた声に、二人は同時に振り返る。ベッドの上で半身を起こしたウィーゼルが、頬杖をついてこちらを睨んでいた。


「痴話喧嘩はよそでやってもらえませんかねェ。うるさくて眠れやしねえ」


「なっ! ばっ! 違う! ふざけるな貴様ッ!」


 かあっと顔が赤くなるのをハロルドは自覚していた。異性との会話をあらぬほうへ曲解されれば誰だって怒りが込み上げるものだ。


「なんだ、ウィーゼル起きてたんですね」ジェマは冷静に言葉を返す。


「アンタらがイチャイチャしてるから起こされたんだよ」


「ちょうどいいや」嫌味たっぷりなウィーゼルの言葉を軽く受け流しつつ、ジェマは言う。「ウィーゼルに見張りしてもらいましょうよ」


「はあ!?」ウィーゼルは牙を見せて嫌そうな顔をする。「怪我人をこき使おうってのかよ?」


「それはいい考えだな」ハロルドもジェマの提案に便乗する。「貴様は充分休んだだろう。怪我を手当てしてやった貸しも返してもらわないとな」


「おまえら……」


「あんまり騒ぐとオビが起きちゃいますよ」


 オビはぴくぴく耳を動かしながら、無防備に腹を晒して眠っている。時折「みゃっ」だの「ぴゃっ」だの寝言のような鳴き声がオビの口から漏れる度、ウィーゼルのしっぽの毛が逆立つ。


「ちっ、わかったよ。外を見てりゃいいんだろ」しょんぼりと耳を寝かせたウィーゼルは渋々ベッドから降り、小屋の出入り口に座り込んだ。そして、思い出したように一言呟く。「ああ、そうだ」


「どうした」どうせろくでもない皮肉でも言うのだろうと思いつつ、ハロルドは聞き返す。


「あの野郎と会ったのも、こんな静かな夜だったよ」


 なんの話をしているのか、ハロルドには一瞬わからなかった。あの野郎とは誰だ、と訊ねる前に、ウィーゼルは答えを口にする。


「奴は黒ずくめの呪術師みたいな格好をした若い男で、樫の木でできた杖を持っていた。奴は俺を『かしこき神』と呼んだ。『貴き神』ってのは狼を指す古い言葉だ。とっくに死語になったと思ってたが、まだ使う奴が居たんだなと思ったよ」


 独り言のように語られるその内容が、ウィーゼルに呪いをかけた魔術師に関する情報だと気付いたとき、ハロルドは身を乗り出して聞き入っていた。


 牢獄の中では頑なに語らなかったその話を、なぜ今話す気になったのかはわからないが、今後の捜査に役立つ情報になることは間違い無い。


「そいつは、人間だったか? 角は無かったのか?」


 魔術師は古い言葉を使っていた、というウィーゼルの証言から、ハロルドは直感的にオールンを連想した。シュメリア王国では古い伝統が重んじられていて、セルペニアでは死語となった言葉も数多く残っていたからだ。


「さあな」話を遮られたのが気に障ったのか、ウィーゼルは舌打ちをして続ける。「角は見てないが、フードで隠れてたかもしれねェ」


「犯人は女か?」


 オールンの女性は男性に比べ角が小さい傾向にある。特に若い女性の角はほとんどこぶと変わらないため、外見だけではオールンとわからない場合も多い。


「話聞いてたか? 男だって言っただろ」ウィーゼルは溜息混じりに答える。「人間とオールンの混血なら、男でも角が小さい場合が多いって聞くぜ」


「人間とオールンの……混血……」


「それに、俺が聞いた声は男のものだった。もっとも、魔法で変えてたのかもしれないがな」


「そうか……他に特徴は?」


 ハロルドの質問に、ウィーゼルはもったいぶるように息を吐いた後、静かな声で答えた。


「奴の目が、金色に光ったように見えたんだ。獣の目が光を反射するのとは違う。まるで目ん玉自体が光を放っているみたいに」


 人間とオールンの混血。金色の目を持つ者。若い男。


 ハロルドの脳裏に浮かんだのは、ホークバレー騎士団の三番隊隊長、サディアスの顔だった。


 ハロルドは頭を振ってその考えを振り払おうとする。確かに珍しい色ではあるが、決め付けるのはあまりにも早計だ。そもそも、騎士団に所属する者が騎士団の施設を襲撃して、なんの得があるというのだろう。


 だが、ハロルドには心当たりがあった。怪物の襲撃、外からの脅威、その存在を住民に知らしめることの意味。疑惑と否定が頭の中でせめぎ合う。


「……ハロルド、大丈夫ですか?」黙り込んだハロルドに、ジェマが遠慮がちに声をかける。「顔色がよくないみたいですけど」


「……いや、なんでもない」


 答える声は虚ろだった。頭では否定していても、一度浮かんでしまった疑惑を払拭することは難しい。


 ジェマはハロルドに心配そうな視線を送りつつ、ウィーゼルに向き直る。


「話してくれてありがとうございます。ウィーゼル」


「はっ、信用してくれるのかよ。また嘘を吐いてるかもしれないぜ?」ウィーゼルは皮肉めいた笑みを浮かべ、そう言った。


「まあ嘘だとしても、一応聞いておきますよ。なにかの参考になるかもしれないし」


「参考になどならない。そいつが本当のことを言うわけがない」ジェマの台詞に被せるように、ハロルドの口から言葉が漏れる。「でたらめを言って惑わせようとしているに決まっている。そんなたわ言を信じると思ったのか?」


 態度を豹変させたハロルドに、ジェマは不安げな視線を向ける。ウィーゼルは鼻を鳴らし、両手を開いてわざとらしく溜息を吐く。


「おやおや、熱心に聴いてくれてると思ったんだがねえ。隊長さんは疑い深くていらっしゃる」


「黙れ!」ハロルドは叫ぶと同時にレイピアを抜いた。刀身に魔力が宿り、青白い光を纏う。


「おや? やるってのかよ。今の話は助けてくれたお礼のつもりだったんだがねェ」ウィーゼルは挑発するように言い、牙を見せて笑う。「なんでこの状況で嘘吐かなきゃならないんだ? その魔術師と俺がグルだとでも言いたいのかよ?」


「ウィーゼル、煽らないでください! ハロルドも、いったいどうしちゃったんですか!」


 一触即発の空気を払拭するべく声を張るジェマ。しかし、その声はハロルドの耳には届かなかった。


「……やはり、貴様を生かしておいたのは間違いだった」


「ハロルド……!」


 ジェマの制止の手を振り払い、ハロルドはウィーゼルに切りかかった。ウィーゼルが飛び退いたことで刃は空を切るが、まとっていた雷が彼の後ろにあった扉を吹き飛ばす。暗闇に飛び出していったウィーゼルを、ハロルドの手から放たれた雷撃が追う。確かな手ごたえと共に、辺りに閃光が迸る。


 暗闇に目が慣れるにつれ、徐々にウィーゼルの姿が見えてくる。


 ウィーゼルの両手は不恰好に巨大化し、自身の体を守る盾となっていた。その陰から、斜に構えた笑みが覗く。ハロルドは奥歯を噛み締め、ウィーゼルを睨む。


「その力は危険だ。貴様にはここで消えてもらう」

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